第18話

 拝借した剣で瓦礫を粉砕したカルロは、息をつく間もなく地面に片膝をついた。


「アンジュ、おい、しっかりしろ!」


 声をかけるけれども返答はない。

 顔面は蒼白で苦しそうに震える唇は紫色に変色している。

 息絶えるのは時間の問題だ。


 カルロは舌打ちした。

 周りを見渡しても、彼女を救えそうなものなどありはしない。

 回復魔法の術師か、それこそ伝承にあるようなのポーションがあれば。


 弱まっていく呼吸。

 何もできない無力さに、カルロは唇を噛みしめた。


 地面を叩いた拳が、紐がちぎれて落ちている鞄の縁に当たる。

 硬い物を殴った感触に、カルロは視線を滑らせた。


 中から出てきたのは、見覚えのある小瓶だ。

 どういうわけか瓶は割れることなく、その中身を守っている。


 疑問に思うことは沢山あるけれども、それを頭の片隅に押し込んで、瓶の蓋を押し開けた。


『なるほど、この懐かしい気配は、死にかけているその娘のものか』


 全身にのしかかる重圧に、カルロは身体の動きを止めた。

 鉛のように身体。懸命に首を回して、カルロは後ろに佇む災厄の権化をにらみつけた。


「誰のせいだと思っている……!」

『耳が痛い。これでは我らが父に申し開きがたたぬ』


 今の今まで街で破壊の限りを尽くしていたその白い大きな蜥蜴――ドラゴンは、その鋭い爪で自らの皮膚を切り裂いた。


 持ち上げた前足から赤い雫がぽたりと、アンジュに滴る。


 ドラゴンの血。それは貴重な薬である。

 傷や病気、ありとあらゆる傷病を癒やす万能薬。

 王侯貴族が求めてやまない、神話級の。


 傷が癒え、呼吸も普段通りに戻ったのを見て、カルロは安堵の息を吐き出した。

 開けた瓶を暫く見つめて、あおる。


 癒えていく傷。案の定、壊れている薬効に理不尽を覚えながら瓶をアンジュの鞄に押し込んだ。


 ばしゃん。


 毛先から滴り落ちる赤い雫。

 頭頂部に触れて手を汚す赤い液体はしかし、皮膚から吸収されて消えた。


「は……?」

『我からの餞別だ、剣の者』


 ドラゴンの血は万能薬。そういう意味では滋養増強にはなるが、そういう話は聞いたことがない。

 困惑を隠せないでいるカルロの後ろで、ドラゴンは羽を大きく広げた。


 宙をたたく音とともに、砂煙が巻き起こる。


『まだ見ぬ神の子らに巡り会え。揺らがぬ信念があるならば、道はおのずと開かれよう』

「待て! お前にはまだ聞きたいことがっ……。…………はぁぁぁぁぁぁぁ」


 言いたいことだけを言って飛び立ったドラゴンは空の彼方に消えた。

 どこから来たのかも、どこへ行ったのかもわからない。


 分からないことが多すぎる。

 なんで日にちを待たずしてきたのか。剣の者とは何か。神の子とは。

 そしてなぜ、自分にまで血をわけたのか。


 すぐそこにいた情報源からなにも得ることができなかった事実に舌を打ち鳴らす。

 視界に蠢く白が映った。

 じっと見つめてくる白蛇に、カルロは気持ちを落ち着かせて頭を下げた。


「アンジュのところに案内してくれて感謝する」


 蛇はするすると、口が開かれたままの鞄へと潜り込む。


「おいこら。人に見つかる前に、森へ帰れ」


 鞄の口を開けて指を差すけれども、蛇は丸まって動かない。

 引き摺り出そうかと一瞬思ったが、幼体とは言え神獣は神獣。下手に扱うこともできずカルロは呻いた。


「ああ、ようやく見つけたよ」


 後ろからかかった声に、鞄の口を押さえつけるようにして閉じる。

 その声を認識するまで感じられなかった気配。

 カルロはアンジュを隠すように抱えて、飛び退いた。


 そして、驚きに目を見開く。


「ふたりとも無事さね」

「女将……」


 なぜ、という視線に気づきながらも、女将は手に持っていた荷物をカルロのほうへと放り投げた。

 それは、奪われたはずのカルロの荷物と、見知らぬ鞄だ。


 荷物と女将を見比べるカルロに、女将は顎をしゃくった。


「さっさと逃げな。ここは、あんたたちがいるべき場所じゃない」

「…貴女は一体……」

「いいから行きな。死にたくなければ、二度とこの国に戻ってくるんじゃないよ」


 カルロは瞠目した。


「それは、どういう……」

「外からこの国を見ればわかるさね。さあ、行きな。少しでも遠くに逃げるんだよ」


 女将の真剣なまなざしに、カルロは荷物を肩にかけた。

 アンジュを抱え上げて、女将に一礼するとカルロは廃墟と化した街に背を向けた。


 二人の姿が見えなくなって、しばらくして、女将は疲れたように崩れかけた建物に寄りかかって座り込んだ。

 幻惑魔法を解けば、満身創痍の姿がそこにはある。

 腹部に手を当てながらゆっくりと息を吐く。


 カルロは知らないだろう。おとといの夜、帰ってきてすぐ出かけるときに。

 袖口に隠した白蛇が不思議そうに顔を覗かせたことを。


「……神獣様を、魔獣と罵るのは、女神ウトゥを崇めるこの国をはじめとした国々くらいさね」


 あの白蛇も、待ちを襲った白竜も、古に伝わる神々の使者だ。

 それを、ただの魔獣であるがその血肉を得れば類い希なる力を手にすることができると言って。

 この国の上層部はすすんで乱獲している。

 この街の長もそうだし、恐らくギルド長もおこぼれに預かっていたのだろう。

 でなければ、カルロが処刑される理由がない。


 あの白蛇はその体躯からみて幼体。言葉を交わすことはできないが知性はあると言われている。

 だからこの国の者の前には姿を現さない。

 だが、だとしてもその身を預ける相手として彼らを選んだのなら。

 それは彼らが神々の声を聞く素質を持つ者ということ。でなければそもそも姿を現さない。そして、この国で育ちながら、彼らに対して侮蔑を持たぬということ。


 少なくとも、身近に女神ウトゥを信仰していない他国のものがいたのだろう。


 宿で面倒を見ていた子どもたちの顔を脳裏に描いて、女将は口元に笑みを湛えた。


「……あんたたちは、生きるんだよ」


 アンジュがいないと気づいてから、女将は三人に街を出るように強く勧めた。

 渋る彼らを問答無用で宿から叩き出して、程なくして、宿は爆風で砕けた。

 腹部に突き刺さった瓦礫の欠片。それを何とか取り除いたけれども出血が酷かった。

 そんな中で女将が今まで生きながらえていたのはひとえに回復魔法のおかげだ。


 それでも、その全てを癒やすことはできない。

 得意な者であればできただろうが、女将にはそれほどの力がない。

 表面上は癒えたとしても、その奥深く、傷ついた内臓までは治せていない。


 朦朧とする意識のなかで、女将は脳裏に刻まれている言葉が、唇からこぼれ落ちる。


「……五つの力が、消えるとき………光は闇へ、闇は混沌へと還る……」


 それは、女将がこの国に来る前の、嫌な記憶の中にある預言の一節。

 幸せな思い出に埋もれてなお、その存在を消し去れない瘢痕だ。


「……アヌナの、神々よ……どうか……あのこ…………たち、…を……」


 吹き抜けた風に攫われて、砂塵が空に踊った。



 





 アンジュははっと目を見開いた。

 視界に映る岩肌。少し首を巡らせれば、壁にもたれかかるようにして片膝を立てて座るカルロがいた。


「起きたか」

「……、………………うん」


 今までの状況を思い返せば、聞きたいことは沢山ある。


 竜に襲われることをカルロは知っていたのか。

 白蛇と竜が街を襲うことに、何か関係があったのか。

 街は壊滅していた。なら、女将は、宿にいた人たちはどうなったのか。

 どうしてあの中で、カルロは生き延びたのか。


 列挙すればきりがない。

 でも、あまりにも現実的ではない出来事に、夢で終わらせたい自分がいる。


「…………罠、一緒に見に行くか」

「罠?」


 立ち上がったカルロに倣って、アンジュも立ち上がる。

 身体に怪我は一つもない。怪我の痛みもないが、全身が固まったように痛い。

 岩の上で寝るのは初めてで、寝たにもかかわらずあまり眠れた気がしない。

 屈伸することで身体をほぐし、最後に一つ背伸びをするとアンジュは気持ちよさそうに息をついた


「わっ」


 身体を襲った浮遊感にほぐした身体を強ばらせる。

 しっかりとした腕に抱え上げられて、アンジュはカルロの肩にしがみついた。


「びっくりした」

「悪い。罠の場所まで、ちょっと距離があるからな」


 カルロに抱え上げられたまま罠を見て回る。

 いくつか仕掛けているようだが、そこに食べられそうな動物の姿はない。


 落胆する様子もなく、時折木の実や食べられるという草を摘む。

 最後の一つにも動物の姿はなく、洞穴に戻るか、と踵を返した。


 直後、後ろから激しい羽音が響いた。

 警戒しつつ飛び退いたカルロ。その勢いにしがみついていたアンジュは、けれどもカルロの間抜けな声にそろそろと瞼を開く。


 先ほどまで何もいなかったはずの罠。

 そこに見事に引っかかって逆さに吊されている白い梟。


 視線が合うと、梟はばたつかせていた羽を収めて、赤い瞳でじっと見つめてくる。

 カルロは梟を見つめ返して動こうとしない。茫然自失、というやつなのだろう。


 鳥用の罠ではないと思うのだが、それに引っかかる梟とはずいぶんとまぬけな。

 そもそも、夜行性の梟がなぜ昼間に動いている意味がわからない。


 が、まあ、食用していた文化があることは知っているから、食べられないことはないだろう。

 問題があるとすれば。


「梟の捌き方って、鶏と一緒なのかな」


 耳元でむせかえる音がした。

 顔を背けてカルロが咳き込む度に身体が揺れる。


「おま……っ、食うつもりなのか?」

「え、食わないの?」


 不思議そうに首を傾げたアンジュに抗議するように、梟がばさばさと暴れる。

 びくりと身体を震わせながら、アンジュは梟とカルロを見比べた。


「食えるわけないだろう」

「自然界のものだから当たったら怖いけど、それは他の動物でも一緒だし」

「………………………………こいつは食えないからだめだ」


 そうなんだ、と小首を傾げた。

 一見すると食えないことはなさそうだが、カルロが食えないと言うのならそうなのだろう。

 食べたことはないからどんな味か気になるが、仕方がない。


 それに、こんな感じで捌いていくと言う知識はあっても、すすんでやりたいとは思わないから、少しほっとする。

 

「悪食にも程があるぞ」

「そんなにひどいかねえ?」


 鹿とか熊とか猪とか鴨とか雉とか、流通は多くなく、ものによってはないに等しいけれど、食べられないわけではないから、それと似たようなものだと思うのだが。


「………すこし、待っていろ」


 指摘するのにも呆れ果てて、カルロは考えることを放棄した。

 アンジュを地面に降ろして、梟を捕らえている罠に手を伸ばす。


 カルロの後ろからひょっこりと顔を出して、アンジュはカルロの手元を眺めた。

 無事に解放された梟は地面に捕まって見上げてくる。


「行くぞアンジュ」

「え……。………わかった」


 梟をそのままにしていいのかとも思ったが、野生の生き物なのだ。

 別に放置していて問題があるわけじゃない。


 罠から離れているはずなのに、後ろから聞こえる羽ばたき。

 振り返ったアンジュは足をとめて、訝しげに梟を見つめる。

 ふわりと身体が浮いた。


「放っておけ。あとお前。ついてくるな」


 どこか機嫌の悪そうなカルロに、アンジュは口をつぐむ。

 

 ご機嫌斜めな人にへたにかかわるとろくな事はない。

 いらだたしげな空気を身に纏うカルロに、居心地の悪さをひとり覚えならがらも口を閉ざし続けた。


 無言で森を突き進み、洞穴の前へと戻ってきたけれども、結局くだんの梟は洞穴までついてきてしまっている


「結局、あの子ついてきたけどどうするの? 飼うの?」

「飼えるか! あれでも一応神獣と呼ばれる存在だぞっ」


 くわりと牙を剥くように叫んだカルロにアンジュはさかんに目を瞬かせた。

 カルロのその態度に唖然として、そういえばまだ子どもだったなと改めて気づく。


 精神年齢は上だというのに、衣食住すべておんぶに抱っこなのは情けのない話だ。


 早く何とかしないとなぁ、と首の後ろを手で押さえながら梟を見下ろした。

 罠を確認した直後に罠にかかる梟。神獣というより。


「ただの野生本能に乏しいお馬鹿さんだよね。可愛いからいいけど」

「あのな。まず白い身体に紅い瞳の生き物は総じて神の獣だ。神の使者とも言われている。守護神獣として国で崇めているものもある」

「ほうほう」


 唐突に始まった神獣講義にアンジュは耳を傾ける。

 妖怪化け物人外神様神獣聖獣、そういった類のものは昔から好んでいた。

 宗教そのものに対する興味は微妙だが、神獣などが絡むなら話は別だ。


「崇められていようがいまいがなんだろうが、その姿である以上、神獣は神獣だ。飼うなんてもってのほか。食うなんて思考がそもそもあり得ない」


 言い聞かせるように断言したカルロにアンジュはなるほど、と頷いた。


「まぁ、そうだね、普通は」

「…その自分は普通じゃないからありだ、というような発言やめろ」

「普通、とは言いがたいかもしれないけと、そういう文化と宗教観っていうのは理解したから大丈夫」


 カルロは言葉を失った。

 なんか、なにかが違うのに、うまく表現できない。


 言えるとしたら、そうじゃない、の一言に尽きる。


「あ」


 洞穴の入り口でとぐろを巻いている白蛇がいる。

 認識した直後、するすると地面を這って寄り、胴体を伸ばしてくる。


 その様子をじーっと見つめて、アンジュはぐるりと梟を振り返った。


「間抜けな梟さんや。この子は食べちゃだめだめだからね」


 この子、と指し示す先には白い蛇がいる。

 その頭をそろそろとなでて、アンジュは洞穴へと潜る。


 じーっと見つめ合う一匹と一羽。

 その傍らでカルロは肩を落とした。


 なにをどうしたら、神獣同士で共食いするかもしれないという発想に至るんだ。


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