第17話

 宿に飛び込んできた三人組が報せてくれた内容に、アンジュは目眩を覚えた。

 手すりを寄りかかり、目元を押さえる。


 幸いなことに、三人も女将も食堂にいて、アンジュが降りようとしていたことには気づいていない。

 三人を叱る女将の声に目を開くと、途中まで降りていた階段を静かに上る。


 ベッドに倒れ込み掛け布団をたぐり寄せて、腕の中に抱え込みうずくまる。

 顔を押しつけて、震える息を吐き出した。


 カルロが処刑される。今日の昼に。


 女将さんが言うには、拷問からのさらし首が通常の刑だったはず。

 公開処刑は、不法侵入と窃盗が罪状ならば重すぎやしないだろうか。


 でも、処刑が人々の娯楽だった時期もあるっていうからそうでもないのかな。

 それか、単に私が抱いているイメージの違いなのだろうか。

 公開処刑といって真っ先にギロチンが思い浮かんだが、ここでの公開処刑がそれとは限らない。


 どんな方法にせよ、その死に様を見せしめにする行為は、罪状と釣り合うのだろうか。

 いや、釣り合う釣り合わないという問題で処刑は決まらないか。上層部の意志ということなのだろう。

 なぜ、こんなにすぐに処刑が決まったのだろう。


 あぁ、落ち着かない。

 カルロは知っていただろうか。

 大人しくしていろと言っていたのは、このことなのかな。


 宿にいろと言われたのは覚えている。

 覚えているけれど、本当にこのままじっとしていていいのかな。

 でも動くとしても何もできない。


 ただ、何もしなくて後悔するようなことになってしまったらと思うと、何もしないことは選びたくない。


 でもそれでカルロに迷惑をかけたら。


「あぁ、自分がめんどくさい……っ」


 どうしたらいいかわからないと言うけれど、本当にどうしたらいいかわからない訳ではないのだ。

 自分の心は、この場所でじっとしていることを望んでいない。

 誰かに背中を押して欲しくて、悩んだふりをしているだけ。


 窓から差し込む光はすでに明るい。

 そっと覗き見れば、一定の方向へ人の流れがある。

 その先に少し開けた場所があるから、そこへ行くのだろう。

 太陽が頂点にかかるまでもう少し時間はあるのに気の早い。

 彼らはそれほどに、カルロの処刑を心待ちにしているのだろうか。


 カルロがそこまで嫌われるような悪人だとは思えない。

 むしろ、カルロを利用している自分のほうが、よほど性根が悪いのに。


 やっぱり世の中理不尽だ。


「…………よし、行こう。うん」


 相談という形で背中を押して欲しいだけで、心が決まっているのなら、相談する必要はない。

 共感して欲しいだけ。認めて欲しいだけ。

 そうして失敗したら、だれそれがこう言ったから、という逃げ道がほしいだけ。


 それは相談した相手に失礼だ。

 そして自ら選択した責任からは逃れられない。


 ならばせめて、選んだことを恥じない自分でいたい。


 自室からそっと廊下に出た。

 気配を消そうとしているのは、心のどこかに大人しくしていた方が言いという後ろめたさがあるからだろう。


 それでも、何もしないで後悔はしたくはないから、遠くから様子を見るだけだ。


 買ってもらったばかりの服たちは、女将さんが入れ物を準備するというので預けていたから無事だ。

 無事だが、その服に袖を通す気にはなれない。昨日と変わらない服を身に纏い、女将さんから頂いた靴で外に出る。

 肩にかけている鞄も女将さんが使わないからとくれたものだ。ほつれたところを修繕した鞄の中には小瓶が一本しか入っていない。


 人の流れにそって、開けた場所にたどり着いたアンジュはその中央にすでに用意されている物に息を飲む。

 どこかでこれは夢なのではないのだろうかと思う心があった。

 けれども、初めて見る実物に、一大イベントを待ち望んでいる人たちの姿に、カルロの処刑が現実味を帯びていく。


「平民は絞首刑、貴族は斬首刑という区別はないんだね。……って、こんな時にそんなどうでもいい知識はいらないってば」


 激しく首を左右に振って、アンジュは辺りを見渡した。

 建物と建物の間の路地に腰を下ろして、流れゆく人々の姿を眺める。

 まばらだった人が増え、喧騒が大きくなる。町中の人間が集まっているのだろう。


「…………ばかみたい」


 聞こえてくる声はカルロを貶めるようなものばかり。擁護するような声は一つもなく、案じる声もない。

 聞くに堪えなくて耳を塞ごうとしたとき、カルロを嘲笑う甲高い声がどうしてか耳についた。

 顔を覗かせて、嘲笑している女性陣にアンジュは目を瞠った。


「乳臭さの消えないガキのくせに、Bランクなんておかしいと思ってたのよ」

「そういう割には肩をもってたじゃない」

「誰があんなやつに本気になるかって。目はかけてやっていたけど、とんだ時間の無駄遣いだね」


 通り過ぎた姿を睨むように見て、アンジュは膝を抱えた。

 膝頭に目元を押しつけて唇を引き結ぶ。


「…………人間なんて、そんなもの」


 手のひらを返した彼女たちの姿に、小さく吐き捨てた。

 あの日、人のことを殴ってまでカルロに関わらせまいとしていた彼女たち。

 他の人たちと同様の態度を見るからに、カルロに対するあの言動は上辺だけでしかなかったのだろう。


 胃の辺りがむかむかする。

 可能ならば、今ここにある建物を砕きたい。

 ふざけるなと殴りかかりたい。

 そんな衝動に唇を噛みしめて耐える。




 かんかんと甲高い音が鳴り響いた。

 はっと顔を上げて、建物の影からそっと顔を覗かせる。


「……見えない」


 人混みに埋もれてギロチンが見えない。

 飛び跳ねてみても景色は変わらず、アンジュは辺りを見渡した。

 上から見下ろせそうな場所にはすでに人がいる。

 遠くから見るにしても建物が邪魔だ。

 人混みの後ろをちょこちょこと歩き回り、間に入れそうな隙間を見つけ、鞄を抱きしめた。


 身体をねじ込むようにして少しずつ前に進む。

 けれども、煩わしかったのか誰かに蹴りつけられて、人々の間に倒れ込んだ。


 その足の隙間から、見える。

 首を押さえつけられているカルロの姿。

 そして、ギロチンの刃を固定する紐を目標に、振り上げられている斧を。


「ひっ……」


 心臓が萎縮して凍りつく。


 ねぇ、大丈夫じゃないよ。

 どこも、なにも、大丈夫じゃないよ。


 やめて、と思うのに、声は喉の奥に張り付いて剥がれない。

 勢いよく、斧が振り下ろされた。


 斧の刃先が紐を捕らえる直前、空が翳った。そう認識するよりも早く、灼熱の風が頬を叩く。

 ギロチンが炎に溶けた。更にその先で、人々や建物を巻き添えにして炎が爆ぜる。

 轟いた轟音。爆風から身を守るよう地面にしがみつくけれども、耐えきれずに身体が宙を舞った。

 全身を強く打ち付けられて、一瞬意識が飛ぶ。


「きゃあああああっ!」

「魔物だー!」

「逃げろっ! 殺されるぞ!」


 つんざく数多の悲鳴に、アンジュは喉の奥で呻いた。

 どすん、と地面が揺れた。頭に響いた痛みに意識が浮上する。


 押し開いた視界の中で、蜥蜴のような大きく白い尻尾が薙いだ。

 砂埃とともに、周りにいた人間が尻尾に払われて、空を滑る。

 広場の真ん中に降り立ち、背中の翼をたたんだその動物は大空を見上げた。


「ぐおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」


 咆哮が上がり、大気が震えた。

 口から炎をまき散らし、逃げ惑う人間を一瞬で灰燼に帰する。

 纏わり付く人間をその大きな足で踏み潰し、尻尾で叩き潰す。


 尾の先が、アンジュのいる建物をかすめた。

 建物の一部が瓦礫と成り果てて地面に転がる。

 少しでもズレていたら、アンジュもまた物言わぬ肉塊に変わり果てていただろう。


「……は、ははっ」


 どこまでが現実で、どこからが夢なのだろう。

 目前に広がる惨憺たる状況もそうだが、過去に空想上の動物でしかなかった生き物が目の前にいる。それがなによりも不思議でならない。

 乾いた笑いを零して、アンジュは視線を彷徨わせた。


「かるろ……どこ……?」


 痛みを訴える身体を叱咤して、アンジュは立ち上がる。

 ギロチンがあったところでふんぞり返るその生き物は、翼を大きく広げた。


 宙を叩いた翼。その衝撃に煽られてアンジュは再び吹き飛ばされた。

 辛うじて一角を残す建物。ちょうどその中に転がったアンジュは、けほりと咳き込んだ。

 金臭さが鼻をつく。うっすらと開いた瞳に、鮮やかに汚れる地面が映る。


 食道か、肺か。息苦しさを考慮するなら、肺だな。

 冷静に分析する自分がいることに口元を歪めて、あえぐ。


 人災の次は天災か。いや、天災と言うよりも、これは災厄か。

 死ぬにしたって、もう少し、穏やかに死なせて欲しいものだ。


 がらがらと、崩れ落ちる音がする。

 視界が翳った。近づいてくる大きな残骸に、ゆっくりと息を吐き出した。

 どちらにしても長くはない。

 なら、これ以上苦しむことがないように、ひと思いに逝きたいものだ。


 祈るように視界を閉ざした。


 せめてカルロが無事ならば。

 確率は低いとしても、無事にあそこから生き延びてくれたなら。


「アンジュっ!」


 こんな惨めな死に方でも、まぁいいかって、思えるのに。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る