第16話

 冷たい石造りの牢。身ぐるみを剥がされ武器も奪われ、やっとの事で手にした身分証――ギルド証ですら取り上げられた。

 ここに至るまでの経緯を思い返して、カルロは舌打ちした。


「あの野郎。子どもだからって舐めやがって」


 愕然とする自分を見てせせら笑った男。ギルド長とも思えないような、欲に塗れた男。

 それを見抜けなかったどころか、謂われのない罪をなすりつけられたことが腹立たしくてならない。


 そのなかで唯一よくやったと自分を褒めるところがあるとするならば、アンジュの存在を告げなかったことか。

 彼女の存在を少しでも隠しておきたかっただけなのだが、それがこんな形で吉と出るとは想像だにしなかった。


「どうするかな。ここにいても事態は好転しないのは分かりきってるけど」


 だからといって、留まり続けるのは悪手だ。いつアンジュの存在が知れるとも言えない。


 守れと言われて王都から逃げて早二年半。

 アンジュに関する対策を考えてはいたが、まさか自分が陥れられるとは思ってもいなかった。しかし、少し考えればそれは妥当であるとわかる。


「あー、これだからお貴族様やら権力者ってのに関わりたくなかったんだよ」


 申し訳ない程度に置かれている麻の敷き布団に大の字に寝転がった。

 右腕に走った痛みに顔を歪める。腕をさすり、カルロは目をすがめた。


 せめて宿を出てくる前にアンジュに白蛇についてたたき込んでおくべきだった。

 まさかスラムの子どもでも知っているようなおとぎ話を知らない訳ではないだろうが、……いや、知っていてあれはないだろう。たぶん。

 ここは知らなかったということにしておこう。


「おい、客だ」


 素っ気ない態度で告げられた言葉に体を起こす。

 男の足の影から姿を見せたのは、思いもしない顔で。


「えっと、……こんにちは?」


 アンジュがほのかに笑みを浮かべた。


 なんでここにいる。なんでここに来た。

 今にでも問いただしたい衝動を抑え込んで、カルロは寝っ転がって背を向けた。

 息を飲む音がする。けれども、言葉が掛けられることなく、息づかいだけが牢に反響する。


 くるくると、お腹が鳴った。

 それが誰のものであるのか振り返らなくてもわかる。

 今この状況で図太い腹の虫を抱えていそうな人は1人だけだ。


「おなかすいた……。……あ、お兄さんもどうぞ。女将さんのぱん、おすそわけです」

「チビ助が気を遣うもんじゃねえよ。たらふく食え」

「全部は無理です。残したら、女将さんに悪いから」


 背後でかわされるやり取りに、ため息を飲み込む。

 能天気というか何というか、こっちは気が気でないのに気楽なものだ。


 あと2日もしたら約束の刻限。でまかせだとあのくそ野郎は思っているみたいだが、嘘ではない。

 それまで大人しくしていれば混乱に乗じて脱獄くらいはできるだろう。


 取り上げられたのが目に見える武器だけで助かった。

 アンジュには到底教えられないような仕事だって斡旋されればやってきた。その中で磨いてきた大っぴらに自慢できない、特技とも言えない技術がある。

 侮りがあるためか杜撰な造りの牢に入れられている。こちらとしてはありがたい話で、脱獄は苦もなくできるだろう。


 問題があるとしたら、アンジュとどこで合流するかだ。何も取り決めていない。まぁ、女将なら面倒は見てくれるだろうが……これはむしろ合流しない方が安全か?


 アンジュの正体を女将は知らない。金や権力に物を言わされれば引き渡すこともあるだろうが、そうなる前に引き取りに行けたらいいだけのこと。


「あの……、……女将さんが作ってくれたご飯、置いとく……ね……?」


 彼女らしくもない気弱な声に振り返りそうになるのを懸命に押し留めた。

 何かを尋ねたアンジュに衛兵がげらげらと笑い、許可を下す。


「ちゃんと食べてね」


 案じる声を最後に気配が遠ざかる。しばらくの間横たわったまま微動だにせず、瞑目して周辺に気をこらした。

 衛兵が再び戻ってくる様子はない。

 カルロは体を起こして振り返った。


 格子の内側に包みが置かれている。その中を覗いて、カルロは渋い顔をした。

 パンには具が数種類挟まれている。量は足りないが何も食べないよりはいい。


 パンの前で一瞬手を泳がせ、意を決してわしづかむ。

 かぶりつけば、ぱりっと新鮮な野菜が噛み砕かれる音がした。


 牢の中に響く咀嚼の音に耳を傾けながら、カルロは思案する。


 一応あれでも公爵令嬢で、そういう契約のもとで行動してきた。

 早いところ脱出して、行商に紛れてでも別の町へ移動したい。

 なんなら、他国へ行ってもいい。守れと言われたが、国から出るなとは言われていないから問題ないだろう。


 胃に収まった食事に息をつき、包みに入っているもう一つのものを見つめ、眉間にしわを寄せた。


「なんでポーション……」


 瓶の中で独特の色味を出しながら主張しているそれ。水ではなく、苦くてものによってはかなりえぐみがあるそれ。

 決して食事と一緒に出すようなものではない。


 嫌がらせなのか。そうなのか。


 地味ではあるが、精神に殴りかかるには効果覿面だ。

 これもいいかと尋ねるアンジュに衛兵が笑ったのは十中八九これのせいだろう。

 アンジュにそのつもりはなかったとしても、これは嫌がらせと思われても仕方がない。


 幸いと言うべきは、低級だろうと痛めた腕には多少なりとも役に立つということだ。

 安静にしていればそのうち痛みも治まるとは思うが、脱獄に備えて体の調子を整えておきたいところ。


 右手を何度か屈伸させて、ゆっくりと息を吐いた。


 瓶を片手に、顔をしかめながら口をつけ。

 そして、一気に煽る。


「~~~~~っ」


 口から瓶を離したカルロは、苦みを吐き出すように、ぺっぺっと唾を吐く。

 その間に腕の痛みはすっとひいて、カルロは驚きに目を見開いた。


 ギルド長に押さえつけられたときに痛めた右腕。

 剣を握って戦うには不自由で、脱獄できたとしてもこの腕の調子で逃げることは不安要素ではあった。


 しかし、今はもう動かしても痛みはない。

 体の調子も、今までの中で一番いい。


「さっきの、中級……いや、まさか高級以上のポーション……? 嘘だろ?」


 回復魔法は存在するが、使い手は少ない。そのほとんどは国が抱えており、その魔法を行使する相手は高位貴族か王族がほとんどだ。

 極まれに、その力を隠して生活している人もいるらしいが、事実は定かではない。

 それゆえに、庶民や冒険者にとって身近な回復手段と言えばポーションだ。


 そのポーションも、性能がいいものは権力や金のある人のところにしか出回らない。

 低級は痛みを緩和する程度、中級でせいぜい止血できるほど。

 間違っても痛みが消えて負傷前のように動かせるほど良くはならない。


 もう一本、瓶が残っている。

 それを手に取ってまじまじとながめた。

 見た目は低級ポーションだ。だがその効能は段違い。

 あの見張りは知らないだろう。知っていたら差し入れを許すはずがない。


 カルロは目をすがめた。


 このポーションをどこで手に入れたのか。どうやって手に入れたのか。

 これが市場に出回ってはいないのだろう。けれどもそういう話は聞かない。

 ならばなぜアンジュが持っている。女将か、宿にいた人間なのか。


 なんにしてもだ。


「なんでこう、次から次へと問題を持ってくるかな……!」 


 頭の痛い嘆きが、牢の中にこだまする。








 女将とともに帰路について、どれほどの時間が経っただろう。


 荷物が一つ減っただけだというのに、どうしてか部屋の中ががらんとしている。

 部屋にいるのが落ち着かなくて、アンジュは食堂に下りた。


 女将さんに誘われて同行した事情聴取。

 カルロのことを聞かれたけれど、なに一つとして答えられなかった。


 不審な行動とか、関わっていた人と言われても、宿の中のことしか知らない。

 状況を考えれば仕方ないと理性は告げるが、カルロの容疑を晴らせないことに気分が落ち込む。


「寝られないのかい」


 女将の穏やかな声に静かに頷いた。


「カルロは、どうなりますか」


 女将の提案で、お昼を差し入れにカルロに会った。

 拒絶するように背中を向けられたけれど。きっと、アンジェリカの身分と自分を比べて、巻き込まないようにって思ったのだろう。

 私の存在を知られてはいないことは、話を聞いていて理解した。


 ただ、どうしようもなく、心が苦しくて。

 自分がいなければカルロは生きていけるだろう。自分さえいなければ、もっと楽にこの世界を生きられただろう。

 けれど、自分とあるから、いらない苦労を背負い、その最中で争いに巻き込まれた。


「そうさね……領主様のお屋敷に侵入して窃盗となると……拷問にかけられて、その上でさらし首だろうね」

「拷問に、さらし首……」


 拷問というと、有名どこだと、根性焼きや爪はぎだよな。その上さらし首って……。

 ぶるりと身体を大きく震わせた。

 リアルに想像しすぎて、いや、間違ってはないんだろうけども。


「大丈夫さ。あんたが信じなくて誰が彼を信じるんだい」


 やったとかやっていないとかそんなんじゃなく。

 頭はどうしても最悪の事態を想定してしまう。


 容疑が晴れることなく、カルロが処刑されてしまう、そんな想定を。


 それは信じている信じていないの問題で済む話などではない。誰か1人の信用や信頼といったものだけで容疑が晴れるなら冤罪などありはしない。罪を被せられることもない。

 でも、慰めてくれようとしていることはわかるから、ほのかに笑ってみせた。


「そうですよね。ありがとうございます、女将さん」

「いいってことさ」


 頭を撫で回された。

 心が絞られたように固まる。動きかけた体を理性で押し留めた。


 ここで身を引くほど空気が読めない訳ではない。

 避けようものなら変な空気になってしまうことは必定。

 居心地の悪さを覚えながら、時間が過ぎ去るのを待つ。


 女将の大きな手が頭から離れたのを見計らって、顔を上げた。


「寝ますね。おやすみなさい」

「あぁ、いい夢を」








 無事に戻ってきてほしい。


 その祈りは届くことなく。

 朝一で知らされたのは。


 カルロが、本日の正午に、処刑されるという告知だった。



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