第14話
部屋の中はまだ暗く、闇に慣れた瞳がぼんやりと部屋の中を移す。
のそりと体を起こしたアンジュはやけに冴えた目であたりを見渡した。
「カルロ……?」
静まりかえる部屋に、自分の声がやけに大きく響く。
普段より帰りが遅いカルロを食堂で待っていたのだが、いつの間にか眠気に負けていたらしい。
いつ寝たのかも覚えていないどころか、いつ部屋に戻ったのかのかさえも記憶にない。
恐らく、見かねた女将が部屋まで運んでくれたのだろう。
カルロは帰ってこなかったのだろうか。
帰ってきたにしても、ギルドからの依頼へとんぼ返りか。
胸に巣くった不満に、アンジュは眉間にしわを深く刻んだ。
なんの力も持たない娘が抱くには不相応な感情。そんなものなんて抱かなければ良いのに。
「それはそれとして、どうしよう」
起こした体を再びベッドへと沈める。うつ伏せになり掛け布団をくしゃくしゃに寄せ集め、良い塩梅の位置と高さを模索する。顎の下にいれて抱えても苦しくない場所を見つけたところで、アンジュは頬を緩ませた。
掛け布団にぐりぐりと顔を押しつけているうちに意識が落ちる。
次に目を覚ましたときにはすっかり日が昇っていた。
カルロの姿を見つけることができず、アンジュは掛け布団に顔を埋めた。
目覚めてから3日目。昨日はつい勢い余って欲のままに動いてしまったけれど、ここが宿屋で、カルロに面倒見てもらっていること、昨日見たものくらいしか知らない。
よくそんな状態で見知らぬ街を歩いたなと思うが、それほどテンションが壊れていたのだろう。ギルドと聞いて、興味が理性を突破した。そんなつもりはなかったが、こうして振り返ってみると、自分の心もよくわからないうえにままならないものだと実感する。
閑話休題。
現実問題として、これからどうしたらいいのだろう。公爵令嬢誘拐事件の成り行きはさっぱりだが、公爵家ではなく下町の宿屋に自分がいることから、芳しくはないのだろう。
多少知っていそうなカルロは忙しく話を聞ける状態ではないうえ、落ち着いたとしても話せる場所がない。
「現状維持、かなぁ」
状況が分かるまで、あるいは状況が変わるまで。当たり前と言えば当たり前だが、それ以上のことを考えられる頭がないから仕方がない。おおそれた能力があるわけでもないし。そんな能力が欲しいかと言われたら確かに欲しい力は確かにあるけれど、現実でたらればを語ることほど虚無なことはない。
「とりあえず現時点における問題点があるとしたら、服か。衣食住のうち、食と住はカルロのおかげで今はなんとかなってるけど、服がな……」
別にシャツ一枚というのは気にしないけれど、洗い替えがないのは辛い。あと靴。あとは……下着の類もいくらか必要か。上はともかく下はどうにもならん。
「あと、やっぱり金かぁ。……お金なぁ……なんにしても、結局行き着くところはお前なんだよ……お金」
残念ながら、生きて行くには欠かせない。これがなくても良いけれどあってもいい、程度ならばいいのだが、世の中そううまくできていないのが現実。あぁなんて非情な。
「おかねー、おかねー。バイトー? いや、流石に五歳児に何できるよって……えぇぇぇ、でもヒモはなぁ」
この二年おんぶに抱っこで、敬意はどうであれこちらの事情に巻き込んでいる状態。貴族、というのはめんどくさいらしいので、まぁスラム街の人からしたら厄介ごとの塊で、関われば最後生き延びるためならばどんな理不尽でものみ込んで生き足掻かなきゃ生けないことは必須。というのは想像にたやすい。
どういう状況か知らないけれど、カルロが好き好んで面倒見てるわけではないのはわかっている。早々に自立を図れるものなら図りたい。
図りたいが、自分のめんどくさがりな性格と能力のなさを思うとなにすりゃいいんだ。前世だって、そりゃ幼い頃は夢だったが、成長してみればただ食い扶持安泰趣味万歳な状態だったからなぁ。
すべての原動力は趣味。あぁ、お宅の世界に首突っ込んだラノベが見たい。それがあればいくらでも頑張るんですけどね、貢ぐために。
二次元並みに顔がいいのは認めるけどさ、ここが現実という時点で二次元じゃなくて三次元なのよね。ないわー。三次元は、私はないなー。というか無理だわ。二次元なら多少美化されてがっつり脚色されていても、思い描かれる形がいろいろあって楽しいから良いんだけど、三次元は現実だから。何をどうあがいても現実だから残念だよね。
二次元にリアリティ求めてしまう傾向はあるけどでもリアルじゃないからいいんだよ。
あ、でも2.5次元はキャラに大幅な乖離が見られなければ楽しいよな。というか公式キャラまんまならむしろ落とすわ。落としたわ。箱推しだからグッズ揃えるよねもちろん。俳優さんにハマるかと言われたら別だけど。あくまで私が好きなのは公式なので。
見たいけど、こっちの世界で再現したいかと言われるとそれは違うしな。原作があって公式がやってくれるからいいんだよ。
って、話ずれてるなぁ。なんだっけ?
あ、そうそうお金よお金。そして服。
冒険者は昨日の今日でやりたくねーなって思ったし。多分恐らく偏見なんだろうけど、第一印象があれじゃなぁ。
他になにか………って、そのほかのこと私なんも知らないんじゃね? 転生したって気づいた日から、ぶっちゃけ意識あったの一週間あるかないかくらいじゃね?
うわー、どんなハードモードですか。ゲームならいいのになぁ、ゲームなら。2~3時間頑張ってボス戦クリアしてさあ帰り道というところで、キャラが死亡してそれまでのデータが全て吹っ飛ぶと泣くけどね。泣いてしばらく立ち直れなかったけどね。
ドアが叩かれた。
「はいっ」
突然のことにアンジュは飛び上がる勢いでベッドの上に正座する。
失礼するよと顔を覗かせたのは女将だった。
「なんだ起きてたのかい」
「はい、すみませんごろごろしてました」
慌ててベッドから降り立ったアンジュに、女将は豪快に笑う。
「よく寝るのはいいことさね。掃除するからその間に食堂にご飯を用意しているから食べといで。しっかり食べるんだよ」
ぐしゃぐしゃと頭をなで回された。
乱れた髪を整えながら頭をさげたアンジュは、靴をしっかりはき直して階段を下りる。
机の上には食器が置かれていて湯気を立てていた。
その傍らに目の前にある朝食を眺めて座る少年がいる。
名前は忘れた。ただこの宿に泊まっている三人組のうち、気の弱い一人。ただし常識を持つゆえの苦労人。
床が鳴る音に顔を上げた少年が椅子から勢いよく立ち上がり、思わず動きを止めた。
「お、おはようございますっ1」
直立。礼。
微動だにしないその姿はまるで石像のよう。
動く遮光器土偶は後ろから襲いかかるのが定番。あの手のものはホラーでいくらゲームといえども怖かったのを覚えている。分かっていても恐ろしくてたこ殴りにしたのが懐かしい。
ゲームでそれだ。リアルはない。断固として認めん。
とりあえず、なんか気色悪いので避難。安全地帯は女将さん、つまりは自室。
「あ、待って待って待ってっ! 僕はただカルロさんに頼まれただけだから!」
掛けだした音に慌てて飛び出てきた少年が食堂の入り口で叫ぶ。
回れ右をして階段を数段上ったアンジュは少年の口から出てきた名にしばし考え込む。
手すりの間から少年を覗き見た。
少年は必死な様子で弁明を続ける。
「昨日の夜、帰ってきたときに頼まれたんだ。君の護衛につく代わりに、宿代三日分肩代わりしてくれるって……あ、なんでもないなんでもない」
いやあほか。
勢いのあまり口に出たであろう少年の言葉に内心ツッコミを入れる。
肩代わりと言うことは、宿代がなくて追い出されかけたと言うことなのだろう。
大丈夫なのかこの三人。いや、三人も三人だが、不安要素のあるこの三人に護衛を頼むカルロもカルロのような気がする。
昨日はついはっちゃけちゃったけど、一応ちゃんと、現実逃避はするけど、現実の問題から目をそらしてるつもりはないんだが。
「服とや靴を見繕ってきてくれって、頼まれてるんだ。ほら、ちゃんとお金も預かってる」
革袋を取り出して掲げてみせる少年をじーっと見つめた。
大丈夫なんだろうか。気づいたらすられてましたとかありそうなんだが。
「アンジュ。エリオネルが言ってることは事実さね。分かったら飯を食べて、買い物がてら街を見せて貰ったらいいさ」
観光は昨日の奴らに遭遇する可能性が高くなるので、それだけは断固拒否しよう。
女将のご飯を堪能して、あまり気が乗らないままに街に繰り出す。
いろいろ説明してくれるのは申し訳ないが、何度か道を曲がった時点で私はすでに迷子です。
けれどそれを口にすることは出来なくてアンジュは大人しく相づちを打つ。
目的の店にたどり着いた頃には、すっかり精神を持っていかれていた。
当の本人がそれにも関わらず、付き人であるはずのエリオネルは嬉々として何着か服を手に取る。
「アンジュちゃん。こんなのはどうかな?」
「着られるならなんでもいいです」
「好きな色は?」
「特にないですね」
「これとかどう?」
「いいですよ」
「これは?」
「いいですよ」
「ならこれは!?」
「いいですよ」
エリオネルが崩れ落ちた。
それがさながら漫画のようで、笑いを堪えたつもりがふっとこぼれてしまう。
聞き止めたエリオネルが泣きそうな顔でアンジュを見上げる。
「ねぇ、ほんとにどれが良いとかないの?」
「着たらどれも一緒です」
「でも自分がいいと思うものを着たいでしょ? そうだよね!?」
「いえ。結局着慣れたら同じですし、なにより今後買い換えが必要になるので今は思いません。着られたらいいです」
ひらひらしたのとか、属に可愛いって言われるようなのはやだなーっていうのはあるけど、でも買って貰う身でえり好みするつもりはない。自分で買うならシンプル一択だけど。
あぁでも、前世と比べてこの体は容姿は整っているから服に着られるようなことはないだろうけど……うん、私の趣味じゃないから自分では買わない。
自分では買わないっていうだけで、買って貰ったものについては、着て慣れたらどれも一緒というのは身を以て知っているから本当にどれでもいいんだけど。
「でも強いて言うならそうですね」
「なにか思いついた!?」
「一番安い服でお願いします」
がくりと崩れて動かなくなった。
「返事はない。ただの屍のようだ」
「アンジュちゃーん……しかばねって、よく難しい言葉知ってるね……」
「お兄さん。一番安い服を、洗い替えも含めて――」
「待って待って待って待って待って! ダメだからね! せっかく可愛いんだからおしゃれしよう!」
めんどくさ。
「じゃあ、エ……リオル? さんが選んでください。私、外で待ってます」
静止の声がかかるけれども振り返らずアンジュは飛び出した。
店の前の花壇に腰掛ける。入り口まで追いかけてきたエリオネルは店内とアンジュを見比べて、動いてはダメだよと念を押して店内へと消えた。
「はぁぁぁぁぁ。……適当にサイズ測って、買ってきて貰えば良かった」
そのことに思い至らないくらい、楽しみにしていたのだろうか。
いやそれはないな。引きこもれるなら引きこもりたい人間だし。
「……………………携帯パソコンP○P」
時間を潰せる物がない。
ゲームもないし娯楽もない。妄想しようにも書き留める紙もない。
「はあ。異世界なんて妄想の産物に留まっていれば良かったんだ……」
何度目かも分からないため息をついた。
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