第13話
いつもより足早に宿屋『泊まり木』への道を進みながら、カルロは頭の中で今後の算段を考える。
最優先することは、アンジュを、もといアンジェリカ公爵令嬢を守り抜くことだ。それが、王都を出る際につけられた条件であり、なによりカルロ自身が決めたこと。そこに下心がないとは全くないとは言わないが、生き足掻くと約束したのだ。
だから、守り抜かなければならない。そのための力は死に物狂いで手に入れていた。だけど、まだ足りない。だって何があるか分からないのだ。
貴族という生き物の影で様々な陰謀が渦巻いていることは知っている。詳しくは知らないけれど、スラムにはそれに巻き込まれた者が命からがらたどり着いたり、あるいは物言わぬ肉の塊として捨てさられていた。
その恐ろしさだけは知っている。
誰が味方かも分からない。信用に足ると判断しても、その判断が正しいのかどうかさえ疑わしく思ってしまう。守り抜かなければカルロに生き残る道はない。守り抜けず自分だけ生き残ったとしたら、牙をむくのは公爵家。
もとはスラム街の人間だ。斬捨てたところで誰もなにも言わない。
鬱々とした思考が本筋からそれているのに気づき、カルロは足を留めて深く息を吐いた。
厚い雲に覆われて、当たりはすでに暗い。人通りも殆ど無い。わずかに家からこぼれるろうそくの光が道を照らしていた。もう少しすればその光もなくなり真っ暗闇になるだろう。
もう一度深く息をついて、歩みを再開する。
一所に留まるのは危険。でもまだ幼いアンジュを連れて二人で転々とするのは大変だ。魔獣の問題もある。庇いながら戦えないわけじゃないが…。どちらを選んでも命の危険が伴うのはわかりきっている。ならば少しでも危険が少ない方がいい。……だけど、どっちが危険が少ないって言える?
わからん。
Bランクになったとは言え、カルロはまだまだ子どもで、経験に乏しい。その経験を埋め合わせてくれるような信用できるものがいるわけでもない。
守り切るために何が最善なのか、早急に決断を下さなければならない。
歩まなければならない。一寸先の闇の中を、彼女を守るために、ひいては自分が生き延びるために、恐ろしくても進まなければならない。
カルロはぐっと唇をかみしめた。
宿屋のドアを押し開いたカルロは、目の前の光景に動きを止めた。
「女将、いや、女将様! 何卒、何卒ご容赦を!!」
「この通りだ」
「面目ございませんっ!」
床に頭をこすりつけながら許しを乞う、同じ宿に泊まる冒険者三人。アンジュに手を出そうとした要警戒人物たち。
その目の前で腕を組んで仁王立ちになる女将は冷ややかに三人を見下ろしている。
「出て行きな」
簡潔に一言ですっぱりといいたいことを述べて許しを請う三人の言をぶった切った女将は、ついっとカルロの方を、正しくは宿屋の出口を指さす。
視線も向けた女将はおや、と目を見張った。
「おかえり、カルロ。すまないね、すぐにこの馬鹿どもたたき出すから」
「アンジュになにか?」
女将の視線を追って同様にカルロの存在に気づいたマーヴィンは、滅相もないと首を激しく横に振った。
「違う違う! そんな命知らずなことはしない!」
「ただ宿代が足りないだけで、アンジュちゃんには指一本触れてません!」
真偽の程を確認すべく女将に視線を滑らせる。視線を受けて一つうなずいた女将。
これに関して女将が嘘をつく利点がないのでカルロは素直にそれを信じることにした。今朝方、三人に対して釘を刺していたのを知っている。二度目があれば問答無用で放り出すとも言っていた。
女将が有言実行する人間だと知っているので、問答無用で引きずり出していないところをみても、アンジュは関係なさそうだとカルロは判断を下す。
「ならいい」
安堵の息を着いたエリオネルはお腹に手を当てた。
依頼達成後の報酬を受け取り忘れていた。報酬の分け方はパーティーによるので一概には言えないが、受け取った時にわけるのが暗黙の了解。
今回、ギルドに来たという少女は誰か、ということに気を取られていて報酬を受け取りそびれてしまった。柔軟に対応してくれるパーティーもあるが、軍神の右手のリーダーであるは融通が効かない。理由を説明したところで、それはそれ、これはこれ、と一蹴されるだけなのは目に見えている。
受け取った報酬から宿代を出すつもりでいたので、受け取れていない以上、支払い不可能。
明日払うと言っても、今日の依頼のための装備や物品に費やしたため、手持ちがない。支払いができない客を泊める義理は女将にない。
沈黙を守っていたゴズスがカルロの方を振り返り、女将にしていたように頭を下げた。
「カルロ殿。恥を承知でお願い申し上げる。二日…いや、三日分の宿代をお貸しいただきたい」
「ちょ、なに言ってんだゴズス!?」
「そうですよ! それは流石にちょっと、厚かましいと思います」
「わかっている。だが、現状の装備の状態で、お金を稼ぐのには無理がある」
二人は言葉に詰まった。
ゴズスの指摘は尤もで、今日の戦闘で装備の一部が壊れ、修繕が必要な状態である。宿代を稼ぐのには街の外へ出て魔獣を狩るあるいは採取をするのが効率が良い。
街中で依頼が無いわけではないが、何件か受けてようやく泊まり木の宿代に足るかと言われるとぎりぎり足るか足らないか、といったところである。
宿をえり好みしなければそれでも街に滞在できるが、今更生活水準を下げることは難しかった。
「頼む」
潔く頭を下げるゴズスと、逡巡した後、恐る恐ると言った体で頭を下げるマーヴィンとエリオネル。
とんだ面倒事に巻き込まれたものだ、と土下座する三人の後頭部を見下ろした。
お金はあるが、貸す利点は特にない。詳しい事情は知らないが、払えないのはマーヴィンたちの自業自得。
「断る」
「そこをなんとか。出来ることならなんでもする」
「特にない」
嘆願を斬捨てたカルロは、女将に視線を向けた。
「女将?」
「……ん? あぁ、なんだい」
物思いにふけっていた様子の女将を訝しみつつ、アンジュの居場所を聞こうと口を開く。
不意に、食堂の方から何かが倒れるような大きな物音がした。
驚きに視線を食堂の方へ向ける。真っ先に我に返った女将が駆けるようにして食堂へ向かう。
少し遅れてカルロ、マーヴィン、ゴズス、エリオネルが後を追うように進む。
「アンジュ、どうしたんだい!?」
切羽詰まった女将の声に、カルロは駆け出した。食堂の入り口から中を見渡して、息をのむ。
厨房への出入り口近くのテーブルの傍らで、アンジュは倒れていた。
苦しそうに眉間にしわを寄せて、小さく呻いている。
カルロは顔を青ざめさせた。傍らに膝をついて肩を叩いた。
「アンジュ、アンジュ。大丈夫か?」
「うぅぅぅ……」
ゆっくりと澄んだ青色の瞳がのぞいた。
ぼんやりとした表情でゆっくりとアンジュは目を瞬く。心配そうにのぞき込む大勢の顔に、ごしごしと目をこする。
ぎゅうっとかたく目をつむってから、重い瞼を押し上げてアンジュは懸命に体を起こした。
「大丈夫か? 頭を打ってないか?」
「どこか怪我してないかい?」
心配そうな顔をして体を触る女将をぼけーっと眺め、ゆっくりと首を巡らせた。
食堂の床。近くには椅子が倒れていて、心配そうな顔のカルロたち。眠い頭を懸命に巡らせて、先ほどまでの記憶をたぐり寄せた。
「おちた……」
「なにがだ?」
あたりを警戒しながら、カルロは要領を得ないアンジュの言葉を問い返す。アンジュは懸命に瞼をあげながら、しかしその重さに耐えきれずゆっくりと目を閉じた。
「ねてたら、いすから落ちた……」
「は?」
アンジュの頭ががくりと力なく垂れ、体が揺れた。慌てて手を伸ばして受け止めた女将とカルロは安堵の息をつく。
「眠いのか?」
「んー……」
倒れている椅子と倒れていた状況からして寝ていて椅子から落ちた、というのは信憑性のある内容である。それなりの高さから落ちたようだが、これといった外傷がないことにカルロは大きく安堵した。
唸るように返事をしたアンジュ眠い目をごしごしとこする。
「かるろ、あした……は……?」
カルロは渋面を作った。
比較的急を要する断れない依頼が入り、行かなければならないことになっている。なにやら近くに魔獣が出現したようで、その偵察を任されてしまった。
「すまない。明日から数日、任務に行かなければならない」
「ん……わかった………」
「なんかあったのか?」
「……」
「アンジュ?」
返事がなくてのぞき込むと、小さな寝息を立てていた。
「昼間そこいらを散歩してきたみたいだからね。疲れたんだろうよ」
「……散歩?」
誰が。……アンジュが?
カルロは眉間にしわを寄せた。
ゆゆしき事態である。まさか、目覚めた翌日から外に出るほど活動的だとは思わなかった。あのときのものぐさでマイペースな様子から、てっきり引っ張り出さなければ外に出てこないのだろうと思っていたが当てがはずれた。
女将の様子からして何事もなかったのだろうが、いつまでも安全とは限らない。この二年間は幸いにして何事もなかったけれど、今後とも何事もないという確証はどこにもないのだ。今までは眠っていたからまだ守りやすかったが、アンジュは目覚めた。
危険はぐっと増えることは想像に容易い。人の悪意からも、魔獣からも守らなければならない。傍にいたいのに、ギルドの依頼が邪魔だ。出来ることなら明日の依頼も蹴りたかったが、自分でなければいけないという推しと、街にほど近い所での話で、巡り巡ってアンジュに何かあっては遅い。
そう思って承諾したのだが、まさかこんな形で裏目に出るとは思わなかった。完全に想定外である。
目をすがめておどろおどろしい空気を醸し出すカルロの肩に、手が乗せられた。視線を向ければ、女将は意味ありげに三人を一瞥した。
少し離れた所で、どうするかと話し合っている様子の三人。恐らく今後のことについてだろう。
ただ、女将が彼等を見た理由。それが一体何を意味するのか分からず、カルロは訝しげに眉を寄せた。
思案する、というよりも分かっていないカルロの様子に女将は仕方ない、と嘆息した。
「そんなに心配なら、期間限定で護衛でもつけてやりな。あんたにはそれだけの資金はあると思うがね」
カルロは察した。
女将の発言に瞠目している3馬鹿を期間限定でアンジュの護衛にしたらどうか、ということだ。
通常、依頼をするにも受注するにもギルドを通さなければならない。それは冒険者の実力に応じた依頼を振り分けるとともに、たちの悪い依頼を除外する役目を持つ。ギルドを介さず個人的なつながりを利用して依頼を受けることは禁止されてはいないが、推奨もしていない。
仮に個人的に受けた依頼で冒険者が不利益を被ったとしても、それはすべて自己責任である。
カルロは難しい顔をして思案する。
アンジュの身の安全を確保するという意味で、護衛は賛成だ。しかし、その護衛が信用なるかと言われると信用はない。接点と言えば同じ宿というだけで、言葉を交わしたのも昨日が初めてだ。
軍神の右手というパーティー名を、カルロも聞き及んでいた。はぐれ者が集まってできたパーティーで、この一年くらいで実力を伸ばしつつあるパーティー。護衛役としては、そこそこ期待はできるかもしれない。
思案に暮れるカルロの耳に女将はそっと耳打ちした。
聞かされた内容にカルロは瞠目し、そして目を据わらせた。
「わかった。女将の案にのろう」
「ほ、ほんとですか!?」
「恩に着る」
少なくとも一日は野宿を免れた事実に、三人は喜色を浮かべる。
「ただし、アンジュに何かあったら」
「わ、分かってます! 不詳マーヴィン、カルロさんの妹様を命に代えても守ります」
騒ぎ立てる三人を殺気のこもった目でにらみつければ静かになる。
アンジュが起きたらどうする。それに。
「誰も、三人とも雇うとは言ってない」
「え゛」
現実を打ち砕かれた絶望の悲鳴とともに、沈黙が降りた。
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