第12話

 帰ったらねる。帰ったら寝る。帰ったら速攻で寝る。引きこもってやる。

 それだけを心の支えに宿までなんとか帰ったアンジュは、宿の扉を開け放った。感情にまかせて押し開いた扉が壁に当たり、音を立てる。


 びくりと体を震わせ、アンジュは顔色を変えて扉の裏を覗いた。

 年季の入った建物のため劣化が所々に見られるが、真新しい傷は見受けられない。

 安堵の息をつき、公共の建物を破壊しかねない行動については反省の念を覚える。


 いくら腹を立てていても、それは気をつけよう。壊して修理代請求されましたとかやだ。

 世の中には、といっても前世では怒り任せに物を破壊する人がいたり、些末なことでくどくどと文句をつけたりする人間もいたが、そうはなりたくない。


「おかえり。なんだい、いまの音は」


 女将の声に振り返った。心配そうな表情を浮かべていた女将の顔が、驚きに彩られる。ついで眦がつり上がった。

 鬼のような形相に思わず身を翻すが、肩をつかまれ振り向かせられた。

 逃れようと体をよじらせるけれども手は離れず、間近に迫る鬼面に肩をすくませた。


「誰に殴られたんだい」


 表情に反した静かな声に、ひくりと息をのむとアンジュは視線を彷徨わせた。


 誰、と言われてもしらない。冒険者の女としか。たぶん嫉妬されたのだと思う。何も知らずにずかずか乗り込んだから、洗礼を受けた。それだけ。

  知識はなによりも重要だと知っていたのに、ギルドがあるという事実に頭がとち狂ったおかげでそのことを失念した自分が悪いのだ。


 籠を抱える腕に力を込め、硬い表情で女将を見上げた。


「知らない人ですけど、自業自得なので気にしないでください」

「なら、この踏みにじられた食事はなんだい? これも自業自得だと言うのかい?」


 女将の好意を踏みにじらせる愚かな真似をしでかしたのは、自分だ。それが自業自得でないというのならば何だというのだ。


「えぇ、そうです。せっかく作っていただいたのにも関わらず、このようなことになってしまい申し訳ありません」


 深々と頭を下げるアンジュに、女将は眉を寄せた。


 ――殴られるようなことをして殴られたと言うよりむしろ、いちゃもんをつけられて殴られたって言われた方がわかるんだけど、ねぇ。


 当たらずといえども遠からずな見当をつけながら、女将は豪快にアンジュの頭をなで回した。


「わっ……え、あの……っ」

「そーかい。深くは聞かないがね、あんたは食べ物粗末にするような子じゃないってことくらい、食べ方と今の態度を見りゃ分かるってもんだ。だから、もし自分が悪くないことにまで謝っているのなら、その必要はない。自分で自分を貶めちゃいけないよ」


 ぽんぽんと最後に頭を軽く叩いて、女将はバスケットをアンジュの手からひきぬく。

 ぐしゃぐしゃになった頭を抑えながら恐る恐る見上げてくるアンジュに女将はにかっと笑った。


 貶めてるんじゃなくて事実なんだけど。そうは思いつつも、悪くないと真っ向から否定され、なおかつまぶしいほどの笑顔を向けられるとそんな気もしてくる。

 アンジュは不満はありつつもむずがゆい思いを抱きうつむく。頭に手を乗せたまま腕を寄せて顔を覆い隠し、動くままに頬を緩めた。


「えへへ…っ」


 小さく、吐いた息にわずかに音がのる程度の笑いを聞き留めた女将は、目元を和めた。


「まかないもんでよければ食べるかい?」

「女将さんのご飯じゃないんですか?」


 お腹はすいてるから、いただける物ならいただきたい。だけど人様の食事を奪ってまでとは思わない。

 その心配を察したのか柔らかい笑みを女将は浮かべた。


「安心しな。私は大食いだからね、量だけはある。一人で食べるのも寂しくってさ、付き合ってくれないかね? それに、あんたみたいな可愛い子と食べられるって思っただけで胸がいっぱいにさね」

「く……っ、そ、そういうことなら是非いただきます」


 いただきますけど、けど! 可愛いって言うな……! ってか可愛くない、可愛くなくて良いから可愛くない。女将さんじゃなかったら全力で否定してかかるのに……!

 いや、この“肉体”は確かに美少女だけど、それが自分だと思うのはなんか嫌。はっ、そうか、自分だと思わなければ良いのか。いやでもそう思い続けられる自信ないよ、私も人間だし!

 あーどうしよう。とりあえず可愛いはやめて欲しい。心の底からやめて欲しい。まじで可愛くないから特に中身がね。恥ずかしいからやめてお願い。可愛いなんてたいそうなものじゃないから愛でられるような人じゃないからっ。


 心の中で全力で悶え死んだアンジュは、恥ずかしさのあまり少し涙目になりながら女将の後をついて歩く。


 女将が言っていたとおり、案内された先には結構な量の食事があった。手を洗って早速いただこう手を合わせる。


「まちな。食べるより先に怪我の手当だよ」


 手を合わせたままアンジュは動きを止める。三拍後、ゆっくりと己の頬に片手を添えた。


「そういえば、痛い……っ」

「そういえばって、あんたねぇ。なんで怪我したことを忘れるんだい」


 呆れたように笑われるけれど、アンジュの耳は女将の声を右から左に受け流す。


 大人、とはいかないまでもそれなりに年のくった人間が、用事を容赦なく殴るってどうなの。それはこの世界だと倫理的にまかり通るとでもいうのか、ふざけんな痛いよちくしょう。絶対これ痣になるやつ……!

 あぁ、思い出したら憂鬱になってきた……痛いよばかやろー。


「回復魔法は得意じゃないんでね。薬で我慢しておくれ」


 ひぃひぃと呻いていたアンジュは、女将の言葉に目を見開いた。


「魔法……?」

「知らないのかい?」


 怪訝そうな顔をする女将に、頬を押さえながら何度も小さく頷く。


 冒険者がいて、ギルドがあって、異世界なのは気づいていたけれど、魔法ってまじか。

 ラノベの読者としては興味がそそられる。


「そんなに期待されても、特別なことは何もないよ」


 すり鉢と棒を用意して、どこからか持ってきた葉っぱをする。既製品ではなくまさか作るところからだとは思いもしなくて、アンジュは細かくすり切れていく葉を凝視した。


 いいなぁ、やってみたい。うまくできるかどうかは別として、経験として一度体験してみたい。

 でも眺めてるのは眺めてるので楽しい。え、楽しい。草の香り良い匂いなのがまた素晴らしく幸せ。


 単に薬草をすっているだけなのだが、物珍しいのか微動だにしないアンジュに女将は手を止めた。


「やるかい?」

「へ?」

「ほら」


 差し出された棒と女将の顔をアンジュは見比べた。


 まさか、やってみていいよと言われるとは思ってもいなかった。

 狐につままれたような顔をして唖然とするアンジュの手に女将は棒を握らせる。


 両手の中に収まる棒を見つめた。


 え、やっていいの? ほんとにやっていいの? お世辞とかじゃなく、本当に? やっちゃうよ? 遠慮なくごりごりするよ? いや、ただするだけなんだけども。


 女将の様子をうかがいながらそろそろと葉をすり始める。その傍らで女将が色々教えてくれた。


 葉っぱと思っていたのは薬草。傷や怪我を癒やす効力があるそうだ。

 そのままでも食べられないことはないがかなり苦い。お試しにすりおろしている途中の薬草をひとつまみ、許可を得て口に含んだらあまりの苦さに泣いた。吐き出すことはなんとか堪えたが、のみ込んだ後も口の中に苦さは残り、水を飲んでも消えない。

 良薬口に苦し、というが、これはあまりにもいただけない。子ども舌、と言われたらそうなのだが、無理。確かに痛みは少しひいた気はするが、それでも無理。割に合わない。


 その劇的な苦さが不評で、なんとか飲めるように改良を重ねた結果、すりおろした葉を濾したものをポーションと呼ぶ。薬効はやや落ちるがまだ飲めないことはないそうだ。

 それはたいへん非情に飲んでみたいけど飲みたくない代物だ。


 苦虫を噛み潰したような顔をするアンジュに、女将は豪快に笑う。誰もが通る道だと。


 薬草の品質やすりおろした薬草に別の素材を混ぜることで更に薬効を高めたり、特定の症状への薬へと変化したりするらしいが、そういう物は総じていい値段になる。

 最高級のポーションは身体欠損の再生や死者蘇生ができるなどという話もあるが、眉唾物らしい。


 そんなこんなで、できたてほくほくのポーションをちびっと口に含んだアンジュは盛大に顔をしかめた。なんとか飲み干したアンジュは舌を出して、涙ぐむ。


「……う、うぅ……うぇぇぇぇぇぇ……治った……治らなかったら割に合わない」


 一目見て殴られたと分かるほどの傷は、何事もなかったかのように綺麗になっている。

 女将は一人首をかしげた。


「低級ポーションにそんな回復効果あったかねぇ……?」


 思っていたよりも薬草の品質が良かったのだろうか。


 終わるのを待っていましたと言わんばかりに自己主張するアンジュのお腹の音に、女将の意識がそれる。

 残りのポーションは頑張った対価として小瓶に摘めて三本ほどアンジュに渡した。


 アンジュとしては、女将の道具で女将の薬草で作った物だから貰うのは申し訳ないのだが、カルロにでも渡せば良いと言うので、気が進まなさそうにしながらも受け取ることにした。

 冒険者と言うからには、実感はわかないけれど怪我とかも多いことは想像に難くない。


「さて、遅めの朝食としようかね」


 すっかり痛み腫れも引いき、空腹を満たしたアンジュは上機嫌に笑う。女将から秘密だよと貰った果物も完食し、幸せそうな顔で息をついた。














「女将、いるか!」


 宿の扉をいつもより乱暴に開け放ち、食事の匂いが漂う食堂の方へと足早に歩く。


「ちょっと、扉壊してないだろうね!? あんたらの馬鹿力なめんじゃないよ!」


 叱責の声をあげながらレードルを片手に出てきた女将は、マーヴィンたちの姿を見つけるときつく睨みつけた。

 その威勢にのまれて三人はたじろぐ。


「す、すまん……って、それどころじゃない! なぁ女将、カルロさんの妹ちゃん……えぇっと……」

「アンジュかい?」

「そう、そのアンジュちゃんなんだけどよ。昼間、ギルドに来なかったか?」

「ギルド? ギルドって言うと、冒険者ギルドにかい?」

「そうです」


 三人が三人とも硬い表情で詰め寄ってくるので、何かあったのだとは理解する。

 理解はしたが彼らの心配よりも女将には優先させたいことがある。


「散歩には出たが、ギルドまで行ったのかまでは知らないよ。そうだろ、アンジュ!」


 厨房に向かって女将は声を張り上げた。目を瞬かせるマーヴィンたちは、エプロンを着けて髪を結い上げ、頭に頭巾を被りひょっこり顔を覗かせたアンジュの姿に目を見張った。


「うん。お散歩して帰ってきました。カルロは見ましたか?」

「あ、いや……たぶん、日が完全に落ちる少し前に帰ってくると思う。いつもそのくらいには帰ってきてるから」

「わかりました、ありがとうございます」


 ちらちらと中を気にしながら、厨房からは出てこずにアンジュは引っ込んだ。

 全身は見てないけれど怪我をしている様子はなかったので三人はほっと安堵の息をついた。


「まったく、あんたたちは毎日毎日騒々しいねぇ。夕飯はまだ出来てないから、座って時間でも潰してな」

「あぁ」


 緊張から解放された三人は定位置になっているテーブル席に着き、深く息を吐いた。


「にしてもよかったぜ。まちがってもカルロさんの耳に入ることはないだろうけどよ、ギルドに来たっているプラチナブロンドの髪の子がアンジュちゃんじゃなくて」

「そうだな。もしそうだったらと思おうと…」


 マーヴィンとゴズスはぶるりと震え上がった。


 狼王には妹がいる。だが、誰一人として見たことがないから幻の妹と言われ、女性を避けるための嘘だと信じられていた。

 かくいう三人も同じ宿に住みながら妹という存在を見たことがなかったので信じていなかった。だから、昨日出会った少女がカルロの言う妹だと気づかなかったのだ。


 妹がいる、ということが事実なのであれば、妹に関しての発言の数々も信憑性が増してくる。妹に仇なすような発言した者に対し、手を出したら殺すと殺気だったというカルロ。一番有名なエピソードだが、それ以外にも妹に関する噂話はある。やれ部屋に押し入って妹に手を出したと妄言を吐く馬鹿に重症を負わせただの、でところもわからぬ妹の悪い噂を信じた馬鹿を完膚なきまでたたきのめしただの。


 もっとも、部屋に入ったとうたった女性が妹なんていなかった、と入ったことをきっかけに、みな、妹は架空の存在だと信じ込んだ。余談であるが、カルロが部屋に入ったという女性にぶち切れて容赦なくのしたことが、女性が表立ってカルロに近づかなく、否、近づけなくなった事件である。


「まぁ、なにはともあれ、めでたしめでたしってね」

「ああ」

「うーん……」

「なに唸ってだよ、エリオネル」

「いや、なんかこう、胸の中がもやもやして…」


 何かを忘れているような、そこにあるのにあることに気づいてないような、そんなもどかしい感覚。

 先ほどからずっとその感覚を抱え続けているエリオネルはしきりに唸って首をかしげる。・


「そのうち思い出す」

「そうそう。思い出せねぇって事はそう大したことじゃないんだろ」

「んー……そう、ですかねぇ…?」


 消化不良のまま、エリオネルは一度考える事をやめた。

 無理に思い出そうとすると余計に思い出せなくなることはよくある。何気ない拍子にぽっと思い出したりするので、それを期待して意識を切り替える。


「今日のご飯、アンジュちゃんが作ったんですかね」

「じゃねぇの? エプロン着てたし」

「家庭的だ」


 まだ幼い少女が一生懸命料理をしている姿を想像して、健気だ、可愛い、俺もこんな妹欲しかった、とその声が厨房に届いているとは知らずに三人は理想の妹談義を交わす。


 楽しそうな妄想だねぇ、とちょっと混ざりたいという邪念を抱えつつ、アンジュは煮物が入った鍋をかき回す。

 にこにこしているアンジュがどこまで理解しているのか女将は判断に迷う。迷うのであれば変な話になる前に余所へやるのがいいのだが、楽しそうにしているので無理に鍋から引き剥がすのも酷だ。

 なにより、今日の料理はカルロに食べて貰うためにやっている。


 やるならば、最後までちゃんとやらせたい。


「いざとなったら警告するかね」

「ん? なにかいいました?」

「なんでもないさね。どうだい、加減は」

「んー…味見お願いします」


 小皿に移した煮物の汁を舐め、女将はじっくりと味わう。


 はじめは料理にはちみつを入れるとは何事かと思ったけれど、思っていたよりもまずくはない。


「なんか物足りないんですけど」

「そうかい? 十分うまいじゃないか。アンジュは他にもいろいろ作れるのかい?」

「うーん……まぁ人並みには。煮詰まってもいけないんで、いいかなぁ」


 椅子から降りて火を消し、煮え立った煮物が入った鍋を見上げる。


 やりがいはあるけどやっぱり、料理するとお腹いっぱいになるからやだわぁ。

 アンジュは息を吐くと、すっかり腹の虫が治まったお腹を恨めしげにみつめた。







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