第10話

 翌朝。何度か目を覚ましつつも布団のぬくもりにくるまっていたアンジュは、目の前にあるカルロの寝顔に息をのんだ。

 そして、あのあと勃発したベッドVS床という不毛な争いを思い出す。


 二年間床で寝てたから床で寝ると言い張るカルロ。普段ならあぁそう、と気にせず寝るところなのだが、今回ばかりはそうもいかない。二年間も面倒見てくれた訳なので、あぁそうで済ませられるほど馬鹿ではなかった。


 床で寝る。ベッド使え。しまいには別の部屋を取ると宣いだし、兄妹ならそれは不自然だという指摘に渋々だが納得。追撃にここにいるのは“アンジェリカ”じゃなくて“アンジュ"であって、妹分とは寝られて“妹”のアンジュと寝られないとはどういうこと、と修羅場な台詞をのりのりで言ってみれば、折れてくれた。あのときの愉悦感といったら、楽しいのなんの。

 物語の一節のようなやりとりをする日が来るとは思いもしなかった。あれは貴重なすばらしい体験だった。


 そしてこれもまた初めての体験である。

 目が覚めてそこに男がいるとか、そういう状況になれる縁は全くなかった。関係性は異なるけれど、状況としては同じ。ここぞとばかりに寝てるカルロの顔を眺める。


 ――いったい、何が楽しいのだろう。


 これに関して、世の中の恋人の気持ちは理解不能だと言うことがわかり、頬杖をついた。

 何しようかなぁ。ごろごろしてもできる娯楽があったらいいのに。暇だなぁ。…やっぱり、あたためてたネタについて妄想するのが楽しいよなぁ。妄想するだけで、書き起こせないのが辛いけど。


 手を枕代わりして瞼を閉じる。

 どこまで考えたかなぁ……。


 瞼の裏に考えた子たちが駆け回る姿を思い描きながら、うつらうつらとする。


「――はっ、今何時だ!?」


 焦りの声と衣擦れとともに布団のぬくもりが消えて、アンジュは目を開いた。

 ベッドを飛び降りるようにして立ち上がったカルロは一目散に窓へと駆け寄り、閉めたカーテンを開け放つ。


「やばっ」

「カルロ?」


 返事する間も惜しいというように慌ただしく昨日来ていた装備を身につけて、カルロはドアノブに手を掛ける。


「ちょっとギルドに行ってくるから、ここで待ってろ」


 その一言だけ言い置いて扉の向こうへと消えたカルロをアンジュは呆然と見つめたのち、口をへの字に曲げた。


 ずるい。ギルドって何。楽しそう。転生してそこにギルドがあるというならば、カルロもそこに行ったと言うことだし、突撃せねば。


 そうと決まれば善は急げである。意気揚々と服がおいてあるという棚を開いてみて、目を瞬かせた。明らかに使っていないような服が眠っている。しかし、今来ている寝巻きと似たような者しかなく、出歩くのに着る服には向かない。

 だからといって諦めるのは癪だ。


 仕方が無いので寝巻きと思うのをやめて、カルロの服を拝借する。服の裾は膝元くらいでワンピースと思えば行けなくはない。でもこのままというのもどうかと思うので、カルロの服が入っていた荷物袋の紐を抜き取り、少し服をたくし上げる。腰で軽く紐を結い、たくし上げた際に余ったところで紐を隠す。

 簡易即席ではあるが、ましになったと思われる。


 あとは靴。あのときは何も考えず裸足で歩いたけれど、外はそうもいくまい。…でもまぁ、子どもだし、いいか。それに久しぶりに裸足で歩くのも悪くはない。

 部屋を出て、出入り口と思しき場所にててて、と走っていると、お声がかかった。


「ちょっと、どこいくんだい」


 振り返ると、お膳をもった女将が立っていた。

 ドアを一度振り返り、女将を見上げた。


「カルロのとこ」

「その格好でかい?」

「うん」


 なんのギルドかは知らないが、早く行ってみたい。あの慌てぶりからして、もしかしたらなんか面白いもの見られるかもしれないし。


 そわそわと落ち着かない幼子の様子に、女将はそっと嘆息する。目覚めたら時間が経っていて、さらに兄と離れて心細いのもあるのだろう。そう推測して、女将はアンジュに言い聞かせた。


「朝飯、包んでくるから少し待ってな。それもって、あんたのお兄ちゃんと食べるといい」

「ごはん…! ありがとうございます」


 足早に衝動へと消える女将の背を見送り、おなかを抱えた。

 朝ご飯のことすっかり忘れてた。ご飯かギルドか言ったら、もちろんギルドをとるけど、いただけるのならありがたくもらう。


 待ちきれなくて食堂の入り口へと移動し、そわそわと体を揺り動かす。

 まだかな。まだかな。いや、さっき行ったばかりだからまだなんだけど、まだかな。

 時間が経つのが待ち遠しくて、なんとなく準備運動をして時間を潰す。


「おまちどおさま」


 待ちに待った女将を見上げると、ずいっとサンダルらしき履き物を差し出された。


「くつ?」

「裸足で出歩くと怪我するから、履いていきな」


 裸足が良かったのに。

 思ったことを飲み込み、笑みを浮かべて差し出された靴を受け取った。


「ありがとうございます」

「お兄ちゃんのこと、大事にしてやるんだよ。ほら」


 女将の忠告に静かにうなずく。

 厚意で差し出されたバスケットをうけとり、両手で抱えた。

 走れないが、まぁいい。ご飯大事。


「女将さん、ありがとう。いってきます」

「っ……、あぁ、いってらっしゃい」


 一瞬あいた間を不思議に思いつつ、元気よく外へと出て、はたと気がついた。

 ギルドの場所、知らない。

 回れ右をして、先ほど閉ざされたばかりの扉を押し開けた。


「ただいま」

「おかえり…って、早かったじゃないか。どうしたんだい?」

「カルロがいるギルドって、どこですか?」

「冒険者ギルドかい? それなら出て右に曲がってひたすら真っ直ぐあるきな。そしたら右手に剣と盾が書かれた看板がある。そこがギルドだよ」

「ありがとうございます。今度こそいってきます」

「ああ、いってらっしゃい」 


 女将の挨拶を背に、出て右へ曲がる。真っ直ぐ歩けばそのうちあるらしいので、辺りを見渡しながらてくてくと歩く。

 中世の町並みのような印象を受ける。世界史は得意じゃない為、中世の町並みのような、というのも偏見に等しい。物珍しげに辺りを見渡しながらもくもくと歩く。

 バスケットを抱える腕が疲れて、休みを入れながらもとくにトラブルなくギルドの看板が見えるところまで来た。


 ついたらご飯だ。ご飯だ、ご飯♪


 大人の腰の高さ程に合わせて備え付けられている、小さめのスイングドアの前に立つ。手で開けるには難しそうなので、行儀は悪いが頭で押しながら中へと入った。

 正面に受付と思しきカウンターがあり、右手にはボード、カウンターへの通路を挟んで左手には本棚と机と椅子が設置されている。椅子に座っている人はいるけれど、誰一人として本を持たず、同じ席に座る者と話している。


 ぐるりと室内を見渡すも目的の人物を見つける事が出来ず、アンジュは唇を尖らせた。


 腹減ったのに、いないし。すれ違ったか? 可能性としてはあり得なくはない。だがそうなるとどこに行ったのか見当もつかない。

 ……一応、聞くだけ聞いて、いなかったら女将さんのご飯はありがたく全部頂戴しよう。


 こちらを伺う様子や声を潜める者を疎ましく思いつつ、真っ直ぐにカウンターへと足を進める。受付嬢の眉間にしわが寄るのを見て、目を細めた。

 わずかに不快な思いを抱えながらも、面の皮を被って笑顔で話しかける。


「お仕事中、恐れ入ります。一つおたずねしたいことがあります」

「……なんでしょう」


 仏頂面でそのうえため息交じりに返答があり、かちんとくる。けれども、かちんとくる比較対象を思い出してなんとか文句をせき止める。

 現代日本の接客の質を基準としてはいけない。ここにはここの基準があるだろうから、前世は前世で割り切る必要がある。そう理性は訴えるけれども、不快な感情は消えることはない。知らなければこんな思いを抱えることもなかったものを。


 負の感情を持て余しながらも努めて平静に尋ねた。


「カルロはここにいますか?」


 水を打ったように静まりかえった。それに目を瞬かせてぐるりとギルド内を見渡す。最後に対応してくれている受付嬢を見上げると、あからさまに眉間にしわを寄せていた。


「……あのね、ここは遊び場じゃないの。そういうのは迷惑だわ。帰ってちょうだい」


 冷ややかな忠告に胸の内のどす黒い感情が大きくなる。なんで、遊びって決めつけるかな。そりゃあ、楽しそうというのが動機ではあるが、資金繰りの先駆けとして冒険者としてお金を稼ぐのはどうか情報を仕入れることも考えていた。

 真面目に楽しい人生を生きてるっていうのに、心外だ。…いや、そもそもそれを分かれと期待することがまちがってる。傍から見ればそう見えるのはわからなくもないから、そう思われるのも仕方が無い。でもそれは偏見。だとしても、私自身偏見が全くない訳ではないから、人のこと言えない。


 文句を言う立場にない。遊びと思われるのであれば勝手にそう思っておけば良い。腹立つけど。それよりも重要なのはカルロの居場所だ。欲求に従って飛び出してきたので、居場所によっては大人しく宿に戻った方がいいこともある。


「なんでもいいので、カルロがここにいるのか、それともどこかクエストに行ったのか、それだけお聞かせください」

「教えることは何もないわ。帰って。二度と来ないで」

「……左様にございますか。失礼しました」


 形式上謝罪を述べるけれど、その言い方は実にぞんざいである。楽しむどころの話しじゃない事態に、アンジュの心はささくれ立つ。

 荒立たし下にギルドを出て、バスケットを見下ろした。


 帰ろうか。帰っても良いかな。帰りたい。食って寝たい。でも、逃げ帰るのも癪だ。


 帰りたい重いと腹立たしい思いを天秤に掛け、アンジュは後者をとった。ギルドの出入り口の横に座り込み外壁にもたれかかる。


 外で待ってみて、しばらくしても出てこなかったら帰ろう。


 バスケットを足の上に置いて、両手を軽く添える。時間が経つのをとても遅く感じながらそわそわと足先を動かした。






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