第9話

「くはー、食べた食べた。あー幸せ」


先ほど絡んできた三人にカルロがお話を済ませた後、部屋に戻った。ベッドの上で壁により掛かり足を投げ出し、膨れたおなかを撫でながら、アンジュは幸せのため息をついた。


「……お前の幸せって、随分と小せえのな」

「他の人たちが高望みしすぎなだけでしょ。あとは考え方の違い」


 多くの人は忘れている。生きていられることその者が奇跡なのだと。生きて生まれてくることが出来ない人もいるし、生まれてきても長くは生きられない者、生きたいのに事故などで突然命を絶たれることだってある。それを忘れてしまっているから、やってくる死を恐れて忌避する。


 生きていることだけじゃ満足できずに、さらなる幸せを求める。自分自身にそういう側面がないのか、と言われると、アンジェリカも人なのでもちろんそういう面はある。

 だけど、死から目を背けはしない。いつかこの人生が終わるとき、あぁ楽しい人生だったと笑って死ねることが人生の目標だ。


 そういう意味では、前の人生の終え方はそれなりに及第点だ。

 やりたいことがあった。もっと生きて楽しいことしたかった。そういう未練はなくせないけれど、歩んできた人生に悔いは無い。後悔することなく、終わってしまう人生を仕方ないなぁと受け入れて死ねたのなら、それは自分の中で最高の終わり方だ。


「人生楽しんだ者勝ち。私はすごく楽しいよ」

「……本当に?」


 カルロの沈んだ声に視線を投げた。表情を曇らせたカルロは足の上で手を組む。迷うように指をしきりに動かし、口を開いては閉じるという行為を何度か繰り返す。


 あまりにも言いよどむので、アンジェリカは不安に眦を下げた。

 

 一体何を言われるのだ。あれか? 寝てる間に暗殺依頼あって、ターゲットは私です的な。それはやだなぁ。

 あと考えられるとしたら、二度と家には帰れませんとか。でもそれは覚悟の上だし。

 うーん……あ、これ以上私に付き合えない、自分でこれからは生きていけとか言うのかな。それ言われちゃ、何も言えないな。自分で頑張るしかない。

 あぁ、まじでほんとに何。


「辛いこと、不幸なことが楽しいわけがないだろ」

「その時はね。その時はその時でちゃんと嘆き悲しんで、それが終わったら笑い話にしたり自分の中で昇華する。そうやって生きていくのが楽しいんだよ」

「…意味わからねぇ」

「禍福は糾える縄の如し。いいもわるいもひっくるめて、それが人生ってもの。うまく説明出来ないけど……、辛いことも不幸なことも最後には楽しい思い出にかえる。楽しい思い出にならなくても、私という人間の糧にする。それが私の生き様」


 失敗することもあるし、うまくいかないこともある。だけど、思い通りにならないからこそ、今度の結果がどうなるか楽しみで仕方が無いのだ。


「何を案じてるのかしらないけど、私に関しては心配するだけ無駄だと思うよ」

「………だから、そういうこと自分で言うなって。何様だよ」

「オレサマ?」


 カルロは深いため息をついた。悩んでいる自分がとても馬鹿らしく思える。


「色々あったんだが……結論から言うと、事が済むまで、お前は家に帰れない」

「なんだそんなことか」

「そんなことって……お前貴族だろ。下町での生活できんのかよ」

「なんとかなる」


 こいつ絶対わかってない。

 カルロは頭を抱えて項垂れる。貴族らしからぬ令嬢なのは認めるが、質が違うのだ。温室で育てられた令嬢が耐えられるとは到底思えない。


「大丈夫だって。なんとかなる、もといなんとかする」

「たいして変わらねぇよ」

「おおいに変わる。なるんじゃなくてするんだもん」

「あーはいはい」


 事が済むまではしばらくアンジェリカとともにいなければならない。その苦労を思うと気分が塞ぐ。


 明らかに憂いに沈んでいるカルロに目をすがめて、不満を抱きつつも持論を押しつけたい気持ちを抑え込む。自分は自分。他人は他人。過度な持論の展開は不和のもと。


「まぁいい。ところでカルロ。別れたときより老けてるの、なんで?」

「老けて……いや、まぁ…老けて……いや、せめて成長したとか、大きくなったとか言い方考えろよ」

「……それもそうだね。子どもは負い衰えるんじゃなくて成長期だもんね。老いるという表現は確かにおかしい。そこは謝るごめん」

「…………謝られてるのに、なんか…なにかが違う気がする…」


 ぼやかれても残念ながら何が違うのかはアンジェリカにもわからない。

 なんだかなぁ、と遠い目をしつつ、いろいろ投げ出して布団に丸くなりたいのをぐっとこらえる。けれど布団は恋しいので掛け布団を乱雑にたぐり寄せ抱きしめる。

 肌触りはかたいけれど、それはそれで味があるので問題は無い。


 掛け布団に顔を埋めて頬擦り、固く抱きしめる。


 補給完了。


 満面の笑みで顔を上げ、陶然と息を吐く。

 変なものを見る一対の視線をさらりと受け流し、アンジェリカは真面目な表情でカルロを見据えた。


「それで? 昨日の今日でなんでそんなに成長してるの?」

「え?」

「ん?」


 何言ってんだこいつとでも言うような反応に、思わず胡乱な声を上げた。お互い、盛んに目を瞬かせて見つめ合う。ただただ首をかしげるアンジェリカに、我に返ったカルロは困惑した表情を浮かべる。


「気づいてないの?」

「なにが?」

「え、まじで気づいてないの?」

「いや、だからなにが?」


 しばしの沈黙の後、盛大にため息をつかれた。

 それにむっと顔をしかめて口元を掛け布団に埋める。目をすがめて頭を抱えるカルロを睨みつけた。


「自分の体、見てみろ」


 要領を得ない言葉に眉間にしわをよせるも、大人しく掛け布団から顔を上げた。両手で抱えて傍らに置き、自分の体を見下ろす。

 手もある足もある頭もある。思うように動くし、違和感はない。


「べつに変わりないけど」

「……まじで言ってんのかよ」


 一体何が言いたいのだろう。言いたいことがあるならすぱっと言えば良いのに。回りくどい。面倒くさい。

 頭を抱えた後、辺りを見渡したカルロはついっと窓の方を指さした。


 外はだいぶ日が落ちていて薄暗い。窓に何かがあるわけではなく、指につられて窓へ向けた視線をカルロへと戻した。


「だいぶ暗いから、自分の姿写ると思う。見て、気づかないか?」


 不思議に思いつつも、大人しくベッドから降りて窓の前へと移動する。

 そこに写る、記憶にあるのよりも少し大人びた自分に目を丸くした。


 ふっくらとしてこぢんまりした体は、少し細くなった印象を受ける。自分の体と、窓に映る自分を見比べて頭の上に手を置いた。

 流石に基準となる身長がわからないため、背が伸びたのかもわからないが、多分伸びているのだろう。気づいて思い返してみれば、食事の時、食器持ちやすかった気がする。階段もするする降りられた。

 明らかに、身体能力が伸びている。


「わお。成長してる」

「ようやくわかったか……あれから二年は経ってんの。なんで今まで気づかなかったんだよ」

「いやー、なんか変だなーとは思ったけど、特に体に異常がなかったから」

「目が覚めたら成長してるとか、異常だろ」

「人の体的には正常な成長。それにしても、二年って…?」


 私の感覚ではつい昨日のこと。逃げ出して多分恐らく寝落ちして、目が覚めたらどこかの宿。二年も経っているという実感は全くない。

 けれども、カルロや自身の身体的な成長を鑑みるならばそれが偽りであるとも思えない。


「二年は二年だよ。…ほっとくのも気が咎めたから、探してみりゃお前は道ばたで寝てたんだよ。そこから、今まで目を覚まさなかった」

「まじか」

「嘘ついてなんになる」


 そうなんだけども。あらー…、この前一週間くらい寝こけたと思ったら今度は二年ですか。意図しない惰眠ほどむなしいもんはないなぁ。


「……ん? って事はカルロ、二年間、ずっと面倒見ててくれたの…?」

「まぁ、そうなるな。俺が宿代稼ぎに出てる間、世話してくれたのここのおばちゃんだ。あとでちゃんとお礼言っとけよ」

「あらー」


 なんとまぁ、お人好しだこと。でもそのおかげで助かったのだから、後で…いや、いつかお礼しなきゃいけないな。


「あ、あー…まぁ、他にも言わなきゃ行けないことあるけど…まぁ、俺の妹ってことにしてるくらい分かってくっれば、あとはおいおいでいいか」

「そう?」

「言ってもわか……、……、りそうだけど、こんなところでする話しじゃないし」

「ふぅん」


 言い草からして私の誘拐の件についてだろうか。まぁ、色んな思惑が絡んでいるだろうから、部屋とは言え、人に筒抜けになりそうな場所で言うものではない。


「ねぇカルロ」

「なんだよ」

「こっちの都合に巻き込んだ上に、面倒見てくれてありがとうございます」


 深々と頭を下げれば、慌てたような声があった。


「べ、べつに、乗りかかった船だし、たいしたことじゃねぇよ」


 素直にどういたしましてといえばいいものを。

 そっぽを向いて頬を掻いているカルロに呆れつつベッドにのぼり、丸まった掛け布団にダイブする。抱きしめてごろごろと転げ回り、布団に隠して頬を緩める。


 あぁ、幸せ。


 二年間の件についてはあとでまたお礼するとして。何が良いかなぁ。お年頃の男の子ってなにが好きなんだろう。わからん。それだったら消耗品の方が…いや、それじゃあ味気ないか。

 受け取ってくれるかなぁ。さっきのあの様子からすると、恥ずかしがって受け取ってくれなさそう。まぁそうなったらごり押しかな。そこまで言うなら受け取ってやらないこともない、とか言うのだろうか。


「――あ、ツンデレか」

「は?」

「いや、なんでもない。独り言」


 唐突に思い至った事実に、くふふふふ、と忍び笑う。

 その様子を、カルロが気味悪そうに眺めていた。





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