第8話

 ゆっくりと意識が浮上し、重たい瞼を押し上げると板目の天井が視界に広がった。


「……………………なにこのすごいデジャヴ感」


 知らない場所で目を覚ますという体験を短期間に何度も体験する羽目になるとは思いもしなかった。

 すでに人生波瀾万丈。すでに面倒事はおなかいっぱいなんだが、どうにかならないだろうか。


「いや、どうにかなるなら、苦労はしないってね」


 深くため息をついて、あぐらをかいた。

 ぼっと天井を見上げながら記憶を掘り起こす。


 たしか誘拐されて、カルロとかいう少年と逃げだして。そのあとの記憶が曖昧だ。

 近年稀にみるほど不快な思いを抱いたことは覚えている。そう思う何かがあったかと言われると、そこまで不快に思うことなど無かったはずなのだが。一体なにが琴線にがつんと触れたのだろう。

 わからないけれど、とりあえず平常運転に戻ったのは素直に喜ぼう。


「…………二度寝でもするか」


 あくびをひとつこぼして腰元の掛け布団をつかんだとき、がちゃりと戸の開く音がした。

 ぐるりと首を巡らせると、恰幅の良い女性が大きく目を見開いている。


「あんた、起きたのかい!?」


 驚くように上がった声にびくりと体を震わせ、その内容に疑問を抱く。


「起きてます、けど…?」


 なんで、起きただけでそんなにも驚かれる。意味が理解できない。


 唖然としていたその女性は部屋の中へ入って来たかと思えば、両肩を強く掴まれた。


「どこか調子の悪いところはないかい?」

「特にありませんけど…」

「本当に?」

「はい」


 なに。一体なにが起こった、何があった。

 説明プリーズ、誰か説明。はよ。


 体中を確認するかのように触られたかと思えば、体を動かすように指示される。意図を理解することができないけれど、ひとまず言われるがままに手を挙げたり立ち上がったりした。

 動かしてみた感じでは、筋力低下もなく、拘縮もない。倦怠感もない。ただ、なにかがもやっとしたけれど、それがなんであるかは判然としない。

 ひとまず体の方は元気なので、問題は無いだろう。


「本当に、大丈夫みたいさね」

「ええ」


 本当に、いったいなんなんだ。私は珍獣か。


 そうは思うけれども、宿の女将にいそうな彼女の真剣な表情に水をさすまいと口を閉ざす。

 目の前の女性は貴族か平民かで言うならば平民。部屋は質素で最低限の調度品があるくらいで、殆ど何もない。着ている服は良いものとは言いがたいけれど、ぼろぼろという訳でもないので、恐らく一般的なもの。

 推測するのであれば、ここは目の前の女性の家の一室、という可能性が高そうだ。

 私は知らないので恐らくカルロが言っていたスラムの外にいる知り合いというのが、目の前の女性なのかも知れない。


 ――いや。そもそもカルロとは別れたはずなので、カルロがここにいるとは限らない。ならば倒れているのを哀れんだ誰かの慈悲なのだろう。


「まぁ、無事に目が覚めてよかったよ」

「ご心配をおかけしました」


 よくわからないが、言動から相当心配かけたらしい事は分かったので素直に頭を下げた。

 目を瞬かせてしげしげと女性はアンジェリカを見つめる。


「しっかりした子だねぇ」


 見た目は子どもでも中身が大人なので、曖昧に微笑んでおく。

 唐突に、腹の虫が腹の中で鳴り響いた。それなりに大きな音だった為、思わず視線が泳ぐ。

 虚を突かれた女性は、朗らかに笑った。


「あぁ、元気な虫がいるみたいでなによりだよ。時間はかかるが、消化の良いものでも作ろうかね」

「お願いします…」


 気恥ずかしさのあまり、言葉が尻すぼみになる。今なら、穴があったら喜んで入りたい。

 頬を赤く染めるアンジェリカの様子に目元を和めた女性は、ふと思いついたことを提案する。


「体の調子とか問題がないなら、ちょっとした運動がてら食堂へ出てみるかい?」

「可能ならば是非」

「ならついてきな」


 先導する女性の後をついて歩きながら、アンジェリカは辺りを見渡す。

 部屋がいくつかあり、それぞれの戸には数字が割り振られている。階段を降りてすぐに受付と思しき場所があり、降りて振り返ったその奥に、食堂はあった。


「宿泊施設…?」

「そうさね。うちは”泊まり木”という宿屋だよ。あいてるテーブルに座って、待ってておくれ」

「ありがとうございます」


 食堂には一つのテーブルの3人が腰掛けているそのひと組の姿があるだけだ。料理を待ちながら、物珍しさに辺りを見渡す。


 建物から始まり、机や椅子は木製だ。傷んでいるのか、隠すように大きな板が壁に打ち付けられている所もある。女将の気遣いなのか、テーブルには一輪の花が花瓶に入れられて飾られている位で、装飾という装飾は見当たらない。

 簡素ではあるけれど、修繕している様子や年季が入った椅子や机から、大切に扱われていることが感じられて、ほっこりとした気持ちになる。


 やっぱり住むなら木造がいい。燃えやすいという難点はあるけれど、自然に囲まれるのは気分が落ち着く。そのなかで、のんべんだらりと過ごすことが出来たら、それは至福の時間となる。やべぇ、それ超最高。


 妄想を膨らませて緩みそうになる頬を抑えながら、目の前の花を見つめる。


「よう」


 静かな食堂に軽快な声が響く。なんか声がする、とは認識できた者の、思いにふけって自分の世界に入り込んでいたアンジェリカはそれが自分にかけられたものだと理解できない。


「おい、無視すんなよ」


 より一段と大きな声に、びくりと体を震わせた。思わず声がした方を振り返ると、機嫌良さそうに鼻を鳴らす男らがいた。

 なんだこいつら。


「お前、一人なんだろ?」

「俺たちとあっちで飯くおうぜ」


 年の頃は10代後半だろうか。顔立ちはたぶん良いと思われる。金色の髪をした、優男風の腰に剣を佩いた青年と、緑色の髪の厳つい青年。奥のテーブルから人がいなくなっているので、そこにいた人たちだと思うのだが、酒臭い。

 酔っ払いの相手。しかも初対面。うん、無理。


「お気持ちだけいただきますわ」

「なにもしねぇって。一緒に飯食うだけだって」


 腕を掴まれて、無理矢理椅子を引きずり下ろされ、顔をしかめた。

 青年と幼女じゃ力の差がありすぎて手を振りほどけない。というか、幼女を無理矢理拉致って、ロリコン趣味? うわー…自分のあずかり知らないところでそういう性癖発揮するならいいけど、自分がその対象になるのは、ないわー。


「ちょっ、ゴズス! よそのお嬢さんに対してなに狼藉を働いてるんですか!?」


 背後から、神官服を纏った少年が割って入ってきた。

 恐らく、先ほどいた三人組の残りの一人なのだろう。


「あぁ? 一緒に飯食おうぜって誘ってるだけだろうがよお」

「そうだぞエリオネルー。こんな美しい子が一人で食事なんて、可哀想じゃないか」

「その気持ちはわからなくはないですけど」


 絡んできたエリオネルと呼ばれた神官の肩を抱く。

 …部屋、帰っていいかな……でもご飯……。


「そーだろうそうだろう」

「やっぱりお前はものわかりの良いやつだ!」


 厳つい男が少年の頭をなで回す。

 力の関係か、抗いきれていない少年の様子にこれ以上の助けを求める事は出来ない。

 これ以上巻き込まれまいと、女将がいる料理場へ視線を向けた。


「よぉし、そうと決まったところで、君も一緒に食べあかそうじゃないか!」

「きゃあっ」


 いつの間にかそばに戻ってきていた青年に抱え上げられた。

 驚きのあまり反応が遅れ、気づいたら横抱きにされている。


「マーヴィンさんっ」


 エリオネルが咎める声を上げるが、マーヴィンもゴズスも気にした様子はない。


 とりあえず下ろされたら速攻で逃げよう。そう心に決めたとき、背筋に悪寒が走った。

 マーヴィンの首横から銀色の棘が生える同時に、騒ぎ立てていた二人が静まりかえる。


「その子を下ろせ」


 地を這うような声が食堂に響く。

 体をこわばらせたマーヴィンが生唾を飲む音が聞こえた。ゆっくりと、視界が低くなる。

 地に足がつく高さになり、ひとまず逃げるように距離を置いた。 


 そして振り返り、困惑する。


 絡んできた青年よりは年下に見える。しかし、身につけている装備は彼らの者よりは良いものに見えた。そこまで目利きな訳ではないのは知っているので、単にきちんと手入れされているだけという可能性も否めない。

 何にしても、年齢的には世間一般的には立場逆だよなぁ、とこの展開を眺める。


「アンジュ、怪我はない?」


 マーヴィンの首元に剣を添えながら、赤茶の髪をした青年と呼ぶにはまだ早い男の子に憂慮の色を宿した茶色の瞳を向けられ、目を瞬かせる。

 視線の向きからして自分のことだと思われる。念のために辺りを見渡して自分以外に誰もいないことを確認し首をかしげる。


 私の名前はアンジェリカであって、アンジュでは――いや、あだ名かなにかか? そう考えればわからなくもない。だけど、なんでこの男の子は知ってるんだろう。初対面のはずだが。


 どこかであったのかなぁ。

 首をひねりながらとりあえず怪我はないので一回うなずいておいた。


「…それは、大丈夫、という意味?」


 無言で一度うなずく。安堵の息をついて、その少年はゆっくりと少年はマーヴィンから剣をひいた。

 息をつく音がやけに大きく響く。


「すみませんカルロさん」


 エリオネルの謝罪をきっかけに、酔いが醒めたのかゴズスやマーヴィンも頭を下げる。

 彼らのやりとりも謝罪も、全てアンジェリカの脳は処分する。

 唯一、助けてくれた少年の名前だけが、頭をめぐる。


「カルロ…?」

「うん。おはよう、アンジュ」

「おはよう、ございます…?」


 何を考えれば良いのだろう。どこから突っ込めばいい。わけわかめ。


 停止する思考をどうすることも出来ず、ただ様変わりしたカルロを見つめる。

 髪は黒かった。そんな鎧来てなかったし、剣も持ってなかった。なにより、もうちょっと幼さのある顔立ちだった気がする。

 あれは全部夢だったのだろうか。


 夢心地でいる意識を現実に引き戻したのは、地に響くような腹の虫だった。

 感動と妄想と喧騒でふてくされていた虫がしびれを切らしたようで、アンジェリカはおなかを抱えた。


「ごはん…」


 女将が消えた方へ視線を巡らせると、料理を持った女将が、呆れたようにため息をついている。

 世間一般的に呆れられるシチュエーションだとは知っているが、色気より食い気の方がよほど重要だ。色気がなくても生きていける。でも食わなきゃ生きていけない。生理的欲求が満たされてこその色気なのだから、食い気に走るのが道理。


 持ち前の持論で自分を正当化し、椅子をよじ登って姿勢を正す。その横にカルロが席に着いた。

 おまちどおさま、と挨拶をして料理を置いた女将は再び厨房へと姿を消す。


 目の前のスープとパンに手を合わせて、ふと気がついた。


「カルロのご飯、ない」

「後で食うから気にするな」

「じゃあ遠慮無く。いただきます」


 おなかに染み渡る料理に、アンジェリカは上機嫌に頬をあげた。




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