第6話

 アンジェリカはうつ伏せになり肘を突いて上半身を起こす。

 頬杖をついて、ため息を吐いた。


 面倒事は面倒だからいやだし、できることならこのまま引きこもりたい。貴族令嬢として生きていくのも一つの道ではある。

 だが、近い将来ぶち切れるだろうなというのも分かっていた。


 なにせPCがない。ラノベがない。米がない。生きていくのに重要な要素が欠けている。それに耐え続けることが出来るほどの忍耐を持ち合わせてはいない。

 我慢の限界が来るのは目に見えている。


「ちしきだけはむだにあるからなぁ……」 


 米の作り方とか、味噌の作り方とか、服の作り方とか、糸の染め方とか、銃器の扱い方とか。全ては小説を書く上でのネタでしかないのだが、それ故に雑多なものに手をつけては造詣を深めていた。

 ただし、やったことは一度も無い。


 金稼ぎと言ったら、商売が一番だろう。だけど、人材管理とか支出の管理とか、めんどくさい。自身の能力的に無理。ならば同志を募るか、と言っても、損得なしにそんなことしてくれるやつはいない。

 人を惹きつけるカリスマがあるわけでもない上に、性格上、他者との交流はほぼない。あったとしてもうわべだけ。


「…はなしがひやくしすぎたな。そもそも、なにをうるよ」


 美容にこだわりがあるわけではない。食については所詮自己満足の世界。技術があるわけでもない。売れるとしたら情報だろうけど、そもそもこの時代のことを理解していないので使えるかどうかもわからない。

 結論。考えるのめんどい。


 枕に顔を埋めて、顔を横に向けた。


 そこらへんに、都合良く使えそうな人間が転がってれば良いのに。








「ごろごろするのはいいけど、ころがされるのってかなりむかつく」

「…元気だな、お前」


 呆れた視線を向けるのは10歳くらいの少年だ。

 黒い髪に、茶色の瞳という懐かしい色合いの、初対面の人間。


「にげないからほどいてください。じはつてきにごろころするから」

「意味わかんねぇ。解くのは無理。もっと泣き叫んだりするのかと思ったけど、貴族のお嬢様って、みんなそんな感じなのか?」

「さあ? あしだけでもどうにかなりません? ねがえりうちにくい。しんどいです」


 ほんとに逃げるつもりはない。逃げたところでどうにかなるものでもないと分かっているし、ここで死ぬならそういう人生だったというだけのこと。


「……見た感じ、3つか4つだろ。なんでそんなに冷静なんだよ」

「さあ。そういうものですから」

「俺、お前と会話が成り立つ気がしねぇ」


 キャッチボールができてないのは知ってる。前世で親からも呆れられた。

 普段は努力してるが、現状ではそんなものは必要ないのでしないだけ。

 できない訳ではない。


「かいわをなりたたせたいわけじゃありむせんので。あしほどいてください」

「だから、無理だっつの」

「……はぁ」

「ため息つきてえのこっちだよ。うめえ仕事があるって聞いたからのってみりゃ、お貴族様の誘拐の片棒かつがされるとか、終わった」


 哀愁を漂わせる少年は縄を解いてくれそうにない。

 仕方がないのでそのまま、芋虫のようにもぞもぞと動く。


 座り込む少年の側まで行くと、首をもたげた。


「…なんだよ」

「おやすみなさい」

「は?」


 アンジェリカは少年の足に頭を乗せて目を閉じた。

 ちょっと枕が高い。


「え、ちょっ、何やってんだよ」

「うるさいです」

「おうすまん。……じゃなくて! ほんと自由だなお前」

「ありがとう」

「褒めてねぇよ」


 ちょうどいい高さのところを見つけて、満足する。痩せこけていて心地は良くないがないよりはましだ。

 襲ってきた眠気に、アンジェリカは大きな欠伸をこぼした。


「ねほうだいって、しあわせだなぁ」

「……怖くねぇの?」

「どちらかといえば、こわいですよ」


 でも、自分が何かできる訳じゃない。

 人間死ぬときゃ死ぬ。いつ死んでも後悔のないように、楽しんで生きる。それが私の生き様だ。


「恵まれてるからそう言えんだよ。ただ食べてるのにも精一杯な奴らもいるってのに」

「しりませんから」

「だろうな」


 少年が動いた。目を開けて頭を動かすと、上半身を後ろに倒し、天井を見上げていた。


「わたしからすれば、あなたもしをうけいれているようにみえますけど」

「だって、貴族の娘の誘拐だぞ。どちらにしても死ぬ運命しか見えねぇ。それに、おれが逃げたら、あいつらまで殺されるかもしれねぇ」


 その声が震えているのにアンジェリカは気がついた。

 唇を引きむすんで見上げる姿は、恐怖を抑え込む儀式のようにも思えた。


 死は等しく訪れる。善人だろうと悪党だろうと、人間だろうと植物だろうと虫だろうと。

 生きたいという本能はどうしようもないけれど、死は恐れ忌避するものではない。


「あなたがこわいのは、しぬこと? それとも、そのあいつらがころされること?」

「どっちもだよ」

「ふぅん」


 だからアンジェリカは殺されることへの不安はあっても、死ぬことそのものへの恐怖は持ち合わせていない。それは人生の終着点だから。始まりがあれば終わりがある。物語のように人生にもまた、終わりがある。


 終わることを惜しむ気持ちはあっても、忌避する必要がどこにあるのかがわからない。


 アンジェリカは頭を楽にして、再び目を閉じた。

 ここで死んだら、ひきニート生活の夢は叶わない。ひきこもりはあくまで楽しい人生の要素であって、生きる目的ではない。

 なら他に目的はあるのかと言われると、ないの一言に尽きる。


 楽しく生きたいというのは手段であって目的ではない。楽しく生きたいがために生きているのではない。私は生きているから生きるだけ。


 その価値観は揺らがない。けれど。


「アンジェリカ」

「は?」

「わたしはアンジェリカ。あなたは?」

「……カルロだ」

「そう。ねぇ、カルロさん」


 うげっと、潰れた蛙のような声を上げるカルロ。

 私という人外生物をなんだと思ってるんだろう。


「さっきから思ってたんだけどよ、なんでさっきから時々丁寧な言葉になるんだよ」

「としうえなので」

「……そうだった。…いや、でもお前貴族だろ。平民に、しかもスラムの人間に丁寧な言葉使うのはやっぱりおかしい」

「わたしにそんなじょうしきもとめるのがそもそもまちがってます」

「お、おう……」

「こまかいこときにしたらまけです」


 もともと、一応階級のない社会で生きてきた人間。残念ながらそれが根付いているので、一日や二日で階級別の意識がつくわけもない。

 社会的な意味はなんとなくでも知ってはいるが、その上でそんな格差めんどくせぇ、という認識しか持ち合わせてないので進んでそういう意識をつけたいとも思わない。

 私は私が楽しく生きることができるのならそれでいい。


「こまかい、かぁ…?」

「わたしにとってはじゅうぶんこまかいです。それで、わたしからいいですか」

「……おまえが大雑把のはりかいした。そういえばそうだったな。なんだ? 縄はほどいてやれねぇぞ」


 寝過ぎて眠れなくて、夜に一人散歩に出たところを誘拐された。倉庫の窓から差し込む光から、少なくとも、いなくなっていることには気づいて捜索が始まっているだろう。


「ゆうかいしたもくてきをごぞんじですか?」

「知らねぇ。俺はここでお前と一緒にいろって依頼されただけだ」


 誘拐の目的はカルロも知らない。大人は折らず二人だけで放置されている。となると身代金目的ではないことは確かだ。


「いらいにんは?」

「仲介所からとってきた仕事だから知らねぇ。子どものおもりだっつーから受けて、蓋を開けたらこれだ」

「ちゅうかいじょ?」

「俺らみたいなのにも仕事くれるところ。雑用ばっかだけどな」

「…すてごま?」

「だろうな。足つかねぇし、死んだって誰もなにもいわねぇ。自分らが生きていくのでたいへんだからな」


 誰か知らないけど、思惑通りになるのはなんか癪だ。

 眠い目を堅くつむって、ゆっくりと目を開ける。眠いうえに体のだるさはあるけれど、ここで思惑にのるのは嫌だから、多少頑張らなければならない。めんどうだけど。


 カルロの体をつかって、なんとか起き上がり息をついた。


「寝るんじゃなかったのかよ」

「にげてからにする」

「はあ?」


 変な者を見る目で見られたけど、気にしない。


「だれかさんのおもわくにのってころされるのはいやだから、いきあがくの」

「……そりゃあ、殺されるのは嫌だけどよ」

「なわほどいて」

「…………だけどよ」

「カルロさんは、ここでわたしとしんじゅうしたいの?」


 誰がお前なんかと、と首を横に振られた。

 そうだろう。貴族のお嬢様と殺されるとかどんなスキャンダルだって。

 そこだけ見るならば、身代金目的に誘拐したもののわめく令嬢をとめようとして謝って殺して、……自分死ぬのは道理に合わないか。この考えはダメなようだ。


 妄想はするけれど、現実世界について考えを巡らせるのは残念ながら得意ではない。自分の頭のできの残念さを惜しくは思うが、そういうできなのだから仕方の無いこと。諦めて今を生きることを頑張ろうと思う。


「さんじゅうろっけいにげるにしかず。まずはいのちさいゆうせんであぶないところからにげるのがいちばんだとおもう」

「どこに逃げんだよ」

「………」

「考えてねぇのはよくわかった」

「どこがあんぜんかもわからないし」

「おまえ、あたまいいのかポンコツなのか、どっちだよ……」

「ぽんこつ」


 頭は良い方ではない。応用が利かない乏しい頭。アホだし馬鹿なのも認める。

 ぽんこつと言われれば確かにそうだねとうなずかざるを得ない。


「即答するな、自分で言うな。…ったく、すっげー調子狂う」

「あきらめて」

「だからお前が言うな。でもまぁ…おまえの言う通り、ここから逃げるのが得策だろうな」


 目をつむり、ゆっくり呼吸すること三つ。カルロは決意した顔でアンジェリカを見つめた。


「本当にいいんだな? 何があるかわからねぇ。もしかしたらお前の事見捨てるかも知れねぇ。どちらかがあるいはどちらも死ぬかも知れねぇ。二度と家に帰れないかもしれねぇ。それでも」

「なるようになる」

「…お前、ほんと俺より年下かよ」


 呆れたようにため息をついて、カルロは縄に手をかけた。

 格闘することしばらくして、ようやく両手両足の自由が戻り、アンジェはぐるぐると首という首をまわした。


「みはり、いないよね?」


 いないと思っていたが、実はいましたとか言ったらどうしようと不安に駆られて恐る恐る問う。


「いねぇよ。誰もいねぇ。置いてったやつがそう言ってた」

「……はやくにげよう」

「だな。だけどその服は目立つな」


 アンジェリカは指摘されて、自分の姿を見下ろした。

 シンプルだけど、上質なネグリジェ。これはごまかせない。


 質を思えば勿体無いが、身バレするようなものは身につけないことに限る。

 迷いなく服を脱ぎ捨てれば、顔をそむけながらカルロが着ていたボロボロの服を差し出された。


「俺が着てたので悪いが、我慢してくれ」

「もんだいない」


 上から被って、息をついた。ごわごわした生地が当たってむずがゆいけれど、そのうち慣れるだろう。


「さて、まずはここをだっしゅつしますか」

「ああ」


 顔を見合わせて、出入り口へと近づいた。






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