第3話

 太陽が頂点を超えた頃。王宮にて、パーティーが開かれる。


 憂鬱な思いを抱える傍らで、数日前に届いた招待状を付き人が差し出した。


「アンジェリカ=ディルバルド公爵令嬢様ですね。お待ちしておりました。どうぞ中へ」

「おつとめおつかれさまです」


 アンジェリカと呼ばれた少女は猫を数匹背負って、受付の侍従に対しカーテシーをする。

 それに驚く気配があり、普通はしないのかとようやく思い至ったものの、染みついた慣習はどうすることもできない。

 深く考えることもせず、公爵家にもかかわらず非常識な事態になっている現状にため息をつきそうになり、ぐっと唇を引き締めた。


 ディルバルド公爵家は、公爵家と言うからには王族に次いで位の高いお家柄。先々代の王の傍系である。

当主はオスヴィン=ディルバルド公爵。その一人娘がアンジェリカだ。

 本来であれば、非公式とはいえ王家主催の催しに齢三つの幼女が一人で参加するのはまずあり得ない。家族がつけないのであれば、親族に頼むものだが、王家の血を引く父方にはそれが出来そうな人物がいない。母方の親族は国内にはいないため、親族はいていないようなもの。慣習を重要視するならば、当主自らつくしか方法はない。

 使用人や執事が何度かオスヴィンに訴えたみたいだが、まともに取り合ってもらえなかったようで、当日を迎えてしまったと侍女が嘆いているのを聞いた。


 オスヴィンが家庭を顧みなくなった、正しくは、顧みる余裕がなくなったのは三年前からだ。それは、オスヴィンの妻でありアンジェリカの母であるユリーシャの産後の肥立ちが悪く、娘を産んで程なくして帰らぬ人となった時期である。

 ふたりはとても愛し合っていたために、突然伴侶を亡くしたオスヴィンの悲しみは深いものである。


 記憶が戻る前、アンジェリカはとても聡い子だった。父の愛がないことも、使用人はあくまで使用人で一線を引かれていることも、子供心ながらに悟っていた。けれども子ども故にそれを割り切ることができなくて、寂しくて哀しくて構って欲しくてわがままを言ったりいじわるしをしたりして使用人を困らせていた。


 それでも心は餓えて餓えて、そして、夢にとらわれた昨日、アンジェリカは死んだ。死ぬはずだった。

 儚い夢にとらわれて、命を灯火が燃え尽きるその時に、守る様に目覚めた前世の記憶。


 なるべくしてなったと、それを今のアンジェリカは認識している。


 付き人は別行動のため一人会場入りを果たす。

 くすくすと笑い声がしていて、すでに楽しんでいるものもいるらしい。

 アンジェリカはどうしたものかと悩みながら、会場の中を歩く。

 貴族の子息子女が集まっており、各々には両親もついている。親のそばにいる子もいれば、親しい子と話している子もいる。

 これといって誰かと関わりがあるわけではない。貴族図鑑で高位貴族の名前はある程度覚えたけれど、顔はわからない。


 積極的に関わるのはめんどくさい。でも、やらないのはそれはそれでマナー違反。


 手頃な人材はいないかとざっと会場を見渡して、壁に張り付いている一人の子どもを見つけた。

 二つ三つほど上の、麻色の髪で、燃えるような紅い瞳の少年。真っ直ぐにそちらに向けて歩き、前に立つ。


「はじめまして。わたくし、アンジェリカともうします。おとなりよろしいでしょうか」

「断る。俺に関わるな、あっちいけ」


 すっぱりと断られたうえに睨みつけられ、思わず目を瞬かせた。

 どうやら人選は失敗だったようだ。まぁいい。それならそれで次行くだけ。

 会話切り上げるのに悩まなくてすむし。いや、そもそも一人でも会話果たしたからいいよね。うん、そうしよう。


「とつぜんのぶしつけなもうしで、しつれいいたしました。それではごぜんをしつれいいたします」


 目的は果たしたと言わんばかりに抑えきれない笑みを浮かべて、礼をする。

 驚いた顔をする少年に変なやつ、という感想を抱きつつ、身を翻した。


 名も知らぬ少年から離れたところで、同じように壁の花になろうとして、唐突に声をかけられた。


「おい、お前。ひとりで入ってきたやつだよな。パーティーに一人とか、じょうしきないんじゃねぇの?」


 散々な言われように、思わずため息をつきたくなった。

 想像はしていたが、よもや開催宣言がなされる前から面倒事に巻き込まれるとは。

 足を留め、笑顔を貼り付けながら振り返る。


「ごきげんよう。わたくしだけあざわらわれるのはふこうへいですわ。しょたいめんのひとにまともにあいさつもできないじょうしきしらずもいらっしゃるみたいですのに」

「なっ、ぶ、ぶれいだぞ! 俺をだれだと思ってるんだ!」

「ぞんじあげませんわ。しょたいめんですもの」


 つり目の少年は顔を紅くして、そして胸を張った。


「俺はドミニク=ロレンスキー。ロレンスキーこうしゃくの息子なんだぞ!」

「さようにございましたか。いんぎんなごあいさつ、おそれいりますわ」


 カーテシ―をとりながら、けれども目線はしっかりと少年にあわせる。

 カーテシ―はお辞儀。お辞儀をすれば目線は下がる。目線を下げなずにお辞儀することは相手に対し失礼な所作と言われている。

 あえてそれをとるけれど、ドミニクはふんと鼻で笑うだけ。


「れいぎのなってないやつだな」


 その一言で、理解した。

 嫌味が全く通じてない。通じない嫌味は嫌味ではない。アンジェリカが格下だと思っているからこそ、自分が下に見られるわけがないと思っているのだろう。始末の悪い。


 内心呆れながらも時間つぶしには丁度良い。

 だから、暇つぶしに相手になることにした。


「すばらしいどうさつりょくですわ」

「あたりまえだ。おれはロレンスキーこうしゃくのじき当主だからな」

「えぇ、えぇ。さすがにございます。さぞ、きんべんでいらっしゃるのでしょう」


 意訳。

 お前の目は節穴か。カーテシ―だけじゃなく、名乗り返してもないんだが、気づかないとは緩い頭だな。ちゃんど勉強してるのか? 

 意訳終わり。


 頭の中でそんな脚注をつけて遊ぶ。


 これがまたとても楽しくて楽しくてしかたがない。嫌味を言っても全く通じないからこそ、いつ気づくか、気づいたときにどうなるかが楽しみでならない。こんなことを口にしたら性格悪いとか人を馬鹿にするなとか言われるようなことだとは分かっているから口は噤んでおく。

 思うような反応が得られるとは思わないが、今が楽しいから思う存分楽しんでいた。


「ロイヒェン国国王ルイディン様並びに王妃クラリア様、第二王子フィリウス様の、おなーりー!」


 王族の来場を告げる声に、二人は口を閉ざした。

 音楽とともに入場する三人の男女。きれいなやっちゃのー、と軽いのりで王族を眺める。


 第二王子の生誕祭という名目で行われている今回のパーティー。生誕と言っても第二王子とは同い年であるため、ようは誕生日パーティーである。裏では、第二王子の婚約者さがしも兼ねているらしいがそれは知ったことじゃない。関係ない。

 私はさっさと挨拶してさっさと帰って、寝たい。


 早く挨拶させろーと、国王陛下の挨拶も何もかも聞き流す。正しくは聞いたけど忘れても大丈夫そうだから忘れる。

 ようやく開会宣言がなされ、そっと息を吐く。


 その横を堂々とドミニクがすり抜けていく。

 さっきまで話していた相手に一声もないのかい、と最後の突っ込みをいれ、存在を頭の隅に追いやる。


 主催者への挨拶は、爵位の高い順と決まっている。今日のゲストの中で尤も位が高いのは公爵家。

 真っ先に挨拶を終えられるのはありがたい話しだ。


 挨拶の場が少々騒がしいのを疑問に思いつつ、まず真っ先に挨拶をしなければならないので、ドミニクとその親らしき侯爵をとめている侍従の横をすり抜けた。

 侍従の安堵の息が聞こえる。


「な、なんであいつがっ」


 動揺する声は聞かなかったことにして、国王夫妻の前に立ち、最上級の礼を尽くす。


「汝は……」

「おはつにおめにかかります。ロイヒェンおうこくさいしょう、オスヴィン=ディルバルトがひとりむすめ、アンジェリカ=ディルバルトともうします。こくおうへいか、ならびにおうひでんかにつきましてはごきげんうるわしくぞんじます。また、だいにおうじでんかのごせいたん、こころよりおよろこびもうしあげます」

「う、うむ」


 やや動揺した色がうかがえたが、顔を下げているため陛下の表情はうかがえない。

 疑問を抱きつつ、やらねばならないことをまずは果たす。それが先決である。


「このたびはこのようなおいわいのせきにごしょうたいいただきましたにもかかわらず、父オスヴィンがぎょうむじょうのつごうのためしゅっせきできず、じゃくしょうなるわたくしめのみまいることとなったごぶれい、ふかくおわびもうしあげるとともに、へいかのかんだいなるおこころをもっておゆるしいただきたくぞんじます」

「許す」

「おそれいります」


 あと国王陛下の一言さえあれば挨拶は終わる、というところで、信じられない言葉が耳朶をついた。


「おれの、およめさんになって!」 


 目の前に現れたこどもの足。下げる頭の上から駆けられた声。

 国王の御前でそんなことをしでかせる人はただ一人、第二王子フィリクス殿下。


 会場がざわめく。パーティーの名目は第二王子の生誕祭だが裏では婚約者捜しも兼ねていると噂話をしていた人もいた。噂ということはあくまでそれはついでかあるいは暗黙の了解的な感じで秘めておきたかったか。

 なんにしても、水面下にあった目的と思しきが表面化した瞬間であった。

 他の誰でもない、第二王子の手によって。




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