第2話
ぱっと目を開けると絢爛豪華な寝台が目に入った。
ぱちぱちと何度か目を瞬き、ゆっくりと体を起こす。
「……………………あれ?」
知らない場所だ。
いいや、知っている。ここは自分の部屋だ。でも違う。
矛盾する感覚に更に首をひねった。
今見たのは夢、なんだろうか。夢にしては随分と生々しい。
夜を一人で出歩くとか正気の沙汰じゃない。自転車なるものとはなんだ。
いやいやいや、正気の沙汰じゃないと言われても、親から不思議ちゃんいわれる子だからもとから正気じゃないんだよ。
自転車は自転車だろ。前輪と後輪があって、乗員の運転操作によって人力で駆動されて走る車両。
私は車にひかれて死んだ。いいや、いまここで生きている。
それは私じゃない。いいや、それも私だ。
これは一体どういうことなんだ。
答えの見えない疑問に眉間にしわを寄せた。
訝しげに寝台から部屋を見渡すと、部屋の一角に姿見を見つけた。
記憶にある自己イメージを確かめるべく、ベッドから両足を下ろす。
飛び降りるようにしてベッドから下りれば、柔らかい敷物が優しく受け止める。
寝台を顧みて、肌触りの良い布をふんだんに使った寝床に感嘆の息をこぼした。
再度部屋を見渡して細部を観察すれば、一見シンプルだが金をまぶしていたり複雑に彫っていたりと、明らかに質の良い調度があつらえられている。
興味深そうに調度品を眺めながら、姿見の前に立つ。
そこに移っているのは、夢の中の私ではなく、記憶の中にある私だった。
年のころは3つほど。幼児特有の滑るような白い肌に、透きとおった湖のような青い瞳が際立っている。
記憶にある姿と寸分違わぬ鏡像に首を傾げれば、プラチナブロンドの髪がさらりと頬を撫でた。
夢で見たことは事実だ。そして現状が現実であることも事実。
その二つの事実から導き出される答えは一つ。
車にひかれて死んだ私は、新たに生を受けて存在している――つまり、転生したということである。
合点が行った様子で頷いた少女は腕を組んで鏡ごしに自分を見つめる。
「じじつはしょうせつよりもきなりとはいったものだが、これはなぁ…」
小説が先で何らかの要因によりそういう事象が生じるのか、過去に体験したものがフィクションとして描き起こしたのか。
どちらが始まりか論議することは、鶏と卵と、どちらが先か議論するようなもの。
答えは個々人の価値観に左右される。
死んだ、ということについて認識はしているので、そこについてはなんの感慨もない。
しいて言うなら、想像が正しければとどめを刺されたのだと思うのだが、それは人としてどうなんだと呆れ果てるくらいである。
転生というものがあるなら、体験できるならしてみたいとは思っていたが、死後、実際問題として体験できるとは一切思っていなかった。
そのため、思ってもいない体験に好奇心はあるものの、どういう原理なのか、そもそもなんで私なのかという困惑の方が大きい。
そもそも鏡に映っているのは本当に私なのかと半信半疑ながら、手を挙げたり飛び跳ねてみたり変顔してみたりする幼子。鏡像も示し合わせたかの如く同じように動く。
視界に入る髪の色や手の大きさ、鏡に映る自分の動きを見て、どこからどうみても勘違いなどではなく鏡の中の幼女は自分であるらしい。
感覚的には納得いかないけれど、それはそれとしてやっていこう。
そう、心に決めた。
丁度その時、三回ほど扉が鳴った。
「お嬢様、失礼いたします」
若い女性の声がして静かに扉が開かれた。
妙齢の女性一名を筆頭に、数人の女性が入る。
彼女らは端的に言えばお世話係だ。着替えから腰まである髪のセットまで、身だしなみという身だしなみを整えるプロである。
「お目覚めにございましたか。おはようございます」
「おはよう」
手短に挨拶を返して、再び姿見を見やる。
後ろに控えていた女性たちは衣裳部屋へ消えるもの、身支度を調える道具を用意するものと別れ、各々の仕事をこなしていく。
妙齢の女性がおしとやかに斜め後ろにたたずんだ。
「お嬢様、本日のお召しものはいかがいたしましょうか」
「……まかせる」
しばしの逡巡ののち、すべてを侍女に丸投げした少女に、妙齢の女性の表情がわずかに動く。
それはいつもこれを着たいあれを着たい、こうしてほしい、ああしてほしいと、わがままばかり言っていた少女が突然何も言わなくなったから、訝しんでいることが容易に想像がついた。
「承りました。初夏にございますので、涼しげな色にいたしましょう」
何事もなかったかのように取り繕う様子を鏡ごしに眺めながら、どうしたものかと思考を巡らせる。
素知らぬ顔で3歳児のようにふるまうべきなのか、それとも我を貫き通すか。
どちらがいいのだろう。どちらか選べと言われたら後者を嬉々として選びたいものの、それは倫理的にどうなのだろう。
しばらく思い悩む。
私は私だ。けれども、ほかにとっては突然変わった、というようになるのだろう。
説明するのも面倒なので、徐々に慣らしていくことができればいいのだけれど、それはそれでめんどくさい。
「お待たせいたしました、お嬢様。朝食のご用意ができております。食堂へ行かれましょう」
考え事をしているうちに用意はいつの間にか終わっていた。
何もしなくていいのは楽だなと生活を思い返して、ふと思いつく。
めんどくさい肌の手入れやら着替え…は別にしなくてもいいけど、掃除とか洗濯とか料理とか、自分でやらなくてもいい。つまりこれは、かねての願いである自堕落な生活を送れということか。
なんてすばらしい。
顔がにやけてしまいそうになるのを必死にこらえる。
自室を出て、広く長い廊下を歩いて階段を下る。
記憶を頼りに、まっすぐ食堂を目指す。
これからどうやって過ごそうか。
過去、やりたかったことはいくらでもある。
おそらくやりたいことはこれからも増えるだろう。
あぁ、楽しいって素晴らしい。過去よりも未来よりもなによりも、今が一番楽しい。
ようやくたどり着いた食堂を前にして、わずかに上がった息を整える。
思っていたよりも進まず、思っていたより体力と気力を使った。
歩くだけで十分な運動になりえる家の広さに、そっと息をつく。
妙齢の女性の手によって扉が開かれる。
その先にあるのは体育館の半分ほどの広さはある部屋。その中央には細長いテーブルが置かれていて、一定間隔で花瓶に花が生けられている。
タペストリーとカトラリーがセッティングされている唯一の席に腰を下ろした。
それを見計らい、一人の侍女がカートを押して傍らに立つ。
説明とともに料理が出されるが、こだわりがあるわけではないので侍女の言葉は左から右へと流れていく。
説明に一段落がついたころを見計らい両手を合わせてなじみの挨拶をする。
洋食のマナーは何だったか。
記憶を掘り起こしながら外側にあるスプーンを手に取る。手を思うように動かせない為、行儀は悪いが柄をわしづかみにしてなんとかスープをすくう。
こぼさないように口に含んで、ほっと胸をなで下ろした。
よほど口に合わないことがなければ、味にもともと頓着しない質。
転生したことで味に対する嗜好が変わって、まともに食事をとれなくなったらどうしようかとも思ったが、それは考えすぎだったようだ。
もくもくと出されたものを平らげる。
少しばかり多くて最後の方は苦しかったが、なんとか食べきり、手を合わせる。
「ごちそうさまでした」
一息ついて、おなかが満たされた幸せに浸る。
このまま寝たい。うん、それ最高。
ごろごろして、食って寝て、遊んで寝て。
よし。
「お嬢様」
素晴らしい引きこもり生活を夢見ていると、抑揚のない淡々とした声に水を差された。
「午後からお茶会に行かなければなりません。ご準備を」
一気に気分が下がり、沸き起こる文句の数々を飲み込む。
考えないようにしてたのに。
やだ面倒くさい引きこもりたい行きたくない。
そう拒否出来たら苦労はしないよなぁ。
義務と責任がある以上、やらなければいけないことは果たさなければならない。
そっとため息をついた。
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