転生して貴族令嬢になったようなので、悠々自適にひきニート目指します

瑞野 紅月

第1話

 

 その日も、いつものように自転車で帰路についていた。

 日はとうの昔にくれており、ぽつぽつと立つ街灯と自転車のライトだけが行く先を照らす。


 夏のころも終わり、秋の冷たい風が吹き抜ける。

 体の横を通り抜ける風の冷たさに体を震わせながら、足に力を込めた。


「うぅ……さむい……」


 マフラーに顔を埋めて、ハンドルに置いている手を握り込む。

 時々、反対から走ってくる車のライトに視界を奪われ、眉間に刻まれるしわが深くなる。


 いくら歩道を走っているとはいえ、乗り物を運転している以上視界を一瞬でも奪われるのは辛い。

 今はまだ真夜中だからいいけれど、あと数時間早ければ、歩行者がいることもざらにある。

 わかるように反射板を身につけていたり懐中電灯などを持ってくれてたりする人もいるが、そうでない人もいる。自転車を無灯火で走っているやつもいる。暗闇と同系色の服を着て、ライトも持たず歩く人だっている。


 多くの人は寝る頃だから滅多に人に遭遇することはないけれど、それでも可能性が全くないわけではない。


 自転車対歩行者で事故が起これば悪いのは自転車だ。

 いくら歩行者が夜道で居場所を示すという認識が欠如していたり、飛び出してきたりというのがあったとしても、過失の割合は自転車の方が大きい。


 街灯を増やして夜道を照らしてくれたらもっと安心出来るのだが、いかんせん、土地柄なのか交通整備は後回しにされがちだ。

 街灯しかり、ガードレールしかり、側溝の蓋しかり。とある交差点なんか、危険だなと思っていたら死亡事故が起きて、その後もちょくちょく事故が起きてようやく信号機が設置されたくらいだ。ちょっと整備するだけで安全性や利便性は変わるのだが、恐らく交通整備に駆けられる金は多くないということなのだろう。


 理不尽な世の中だ、とぼやきつつ、赤信号を示す横断歩道の前で停止する。


 わずかに火照った体をさすって、空を見上げた。

 空には丸く大きな衛星がたたずんでいた。


「あぁ、今日は満月か…」


 シフト制の仕事ゆえに、日付の感覚も曜日の感覚もない。帰宅時間はその日によって変わる為、月齢なんてものは気にも留めたことがない。

 かろうじて、登下校する児童生徒の姿を見ることで、平日か休日かがわかるくらいだ。


 視界の奥で、ちかちかと信号が点滅を起こす。


「はぁ…」


 自然とため息がついて出る。

 何かがあったわけではないが、なんとなく胸が塞ぎ込んでいる。

 たまにあることだ。心当たりは全くないが気分が塞ぎ込む。そういう時は好きなことをして過ごすのが一番だと言うことも、経験上知っている。


 信号が青に変わったのを確認して、ペダルに足をかけて、力強く踏み出す。

 甲高い耳障りな音が響いた。視界の横から光が差す。


「え?」


 最悪の事態が頭をよぎるのと同時に、体を激しい衝撃が襲った。

 痛みに一瞬意識が飛ぶ。けれども、短い浮遊感の後、再三何かにたたきつけられ問答無用で意識を引き戻された。


 痛い。全身が痛い。動かそうにも、痛くて痛くて仕方が無い。

 いっそあのまま、気を失っていた方が楽だったのに。

 そうしたら地面に転げるとか寒い思いをしなくてすんだのに。


 どうにもならない痛みと冷たさに呻いていると、そばに人の気配がした。

 人の足が目の前にある。


「やべぇ……どうしよう……」


 うろたえる声に、どうしようじゃねぇよあほか、と悪態をついた。

 瞼が重い。心臓も早鐘を打っていて頬は暖かいけれど、指先から感覚が消えていく。


 ばん、と扉を閉める音がした。次いで響く、エンジン音。

 それにどうしようもない現実を悟り、抗うことをやめた。きっと、もう自分は助からない。


 あぁ、なんて運の悪い。

 もっと、やりたいことがあったんだけどな。

 もっと、楽しいことをしていたかったんだけどな。

 でももう、仕方が無い。どうしようもない。


 閉じた瞼越しに、白い光が届く。

 近づくエンジンの音。


 何が起こっているのか理解する前に、意識は途切れた。





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