第2話「中編」
その建物は、一見すると豪華な石造りの邸宅にしか見えなかった。周りを囲む塀は分厚く、そして高かった。さらにその上には泥棒よけの鋭い鉄製の棘が無数に突き立っている。
一回りしてみたが、どこにも〈
鋼鉄製の立派な正門へ戻ってみると、そこにはいつの間にか二つの人影があった。どこからか、見張っていたのだろう。
近寄ると、二人とも腰に剣を帯び、〈黒帽隊〉の黒い制服を着ていた。その名の由来となった、筒型の黒い帽子もかぶっている。
「こんな刻限に何用か?」
色白で、私よりやや若い男が
私が懐に手を入れると、男は腰の剣に手をやった。
「そういきり立つな。ソルドーから、書き付けをもらっている」
私は、油紙に包んだ書き付けを取り出した。男は間髪入れずに引ったくった。しばしそれに眼を通してから、男は言った。
「入れ。ただし、剣は預からせてもらう」
私は言われたとおり、もう一人の男に剣を渡した。さらに若き細身の男が身じろぎするのがわかった。
「ほう、あんただったか、お仲間二人と私を待ち伏せしたのは」
男は答えなかったが、額に薄く汗が光っていた。まだ二十歳前後だろう。
「しかし、パデスゥの吹き矢を使うとはいただけないな。まだ頭が痛むよ」
私は、二人に押されるように、私は石造りの建物に入った。
石造りの建物は地味ながら、扉も立派だった。その奥には、茶色い絨毯を敷かれた長い廊下があった。まるで、ソルドーの屋敷のようだった。
すぐさま、右手の扉が開いた。
現れたのは、私より頭二つ分は長身で、
この部屋が、男の執務室なのだろう。その背後の壁には真っ赤な壁紙が貼られ、さらにその上には様々な種類の刀剣が何本も飾られていた。私も各地の剣を見たことはある――剣と剣を交えたことも。が、珍しい刀剣の数々に、思わず眼を奪われた。私のまったく見知らぬ、湾曲したとても剣とは思えぬ金属片も飾られていた。
「入れ」
腹の底に響く声が、各地の剣に見とれていた私を我に返らせた。
私が吹き矢で打たれたとき、ソルドーの脇に控えていた大男だと気づいた。
私は男に続いて、部屋に入った。机が一つ。椅子が三つ、という質素な部屋だった。
「ずいぶん遅かったな」
「あんたたちの夜回りが終わるのを待っていた」
大男からは酒の匂いがした。私よりも酔っているようだ。
「なぜ義父が、おまえごときよそ者を呼んだのか、理解できん」
男は、机の引き出しから酒の小瓶を取り出し、そのまま口を付けて飲んだ。私には薦めなかった――薦められても、断ったが。
「あんたたち〈黒帽隊〉が頼りない、ということだろう」
男は、ソルドーの娘婿、ワーガスだった。〈黒帽隊〉内の実力者だという。かつて私と一悶着起こしたときには見なかった顔だ。それ以来八年、私は〈コムの
「貴様……何か罪状作って、牢にぶち込んでやってもいいんだぞ」
「ほう、それをあんたの義理の親父さんが喜ぶかね」
「なんとでも理由はつけられる。〈黒帽隊〉をナメないほうがいいぞ」
「まるで路地裏のごろつきのような言いぐさだな」
ワーガスはもう一度、酒をあおった。何を飲んでいるのかわからぬが、決して美味そうではなかった。
「怪我をした隊員がここにいるそうじゃないか。会わせてもらおう」
「断ったらどうするんだ?」
「ソルドーに伝えるまでさ」
ワーガスは立ち上がった。摑みかかってくるのか、と一瞬身構えたが、短く「来い」と低い声で言った。
扉を開けると、すでに先程の二人の〈黒帽隊員〉がいた。三人に囲まれ、私は廊下の奥の階段に向かった。
今この瞬間、この連中に殺されても、ソルドーをはじめ誰にも真相を知られることはないな、と思った。
彼らは、私を殺さなかった。
三階の一番奥の部屋が、負傷した〈黒帽隊員〉カゼーンのいる部屋だった。
まったく無味乾燥な部屋だった。もともとは、病人や負傷者を収容するための部屋ではないようだ。
黒い幕を引かれた窓の脇に、寝台があった。顔色の悪い若い男が横たわっている。腹に白い包帯が巻かれているが、右脇腹からは黒く血がにじんでいた。
私たちの姿を見ると、男はすぐに上半身を起こそうとした。その両眼に見えるのは、上官への敬意でも信頼でもなく、恐怖のいろだった。
「寝たままでいい」
私はワーガスよりも先に言った。
「二人だけにしてくれないかね?」
「貴様、調子に乗り過ぎるなよ」
ワーガスは捨て台詞を残し、部屋から出て行った。
私は寝台の脇に椅子を引き寄せて腰を下ろした。そして、おどおどと視線を泳がすカゼーンに向かって名乗り、ソルドーの用心棒になった経緯を話した。
「襲われたとき、あんたは相手を見ていないんだね」
「夜道は暗かったですし……足音も聞こえませんでした」
「が、あんたは名誉の負傷をした」
カゼーンは、不意に眼を閉じた。ずいぶん幼く見えた。まだ十七くらいであろうか。
「見えない敵は、恐ろしいものだ。あんたは勇敢だった……はずだ」
「副長には、言わないでもらえますか……」
かすかに聞こえる小声を、カゼーンは漏らした。
「副長とは、ワーガスだね。ああ、言わない。
カゼーンは、はっと眼を見開いた。図星だった。
「それを責めるために深夜にわざわざ来たわけじゃない。あんたは、何も見えず、聞こえなかった、と言ったね。それ以外、何かを感じなかったのか?」
「いえ……突然、一緒に警護していたハッドさんの体が吹っ飛んで、ソルドー様にぶつかりました。ソルドー様は倒れて気を失い……ハッドさんは……ああ!」
カゼーンは両手で髪をかきむしった。
「胸に穴が開いていた、と聞いているが?」
「そ、そうです……あんなこと、信じられない……まるで、呪技のようでした」
「呪技か……凶器は見ていないんだね」
「そんな余裕、ありませんでした。次の瞬間に、腹に衝撃があって……あとのことは覚えてません」
「あんたの予想でいい、凶器は何だと思う?」
「わ、わかりません……あんな、大きな穴が胸の真ん中に……まるで、大木で作った槍のようでした。そんな武器を音もなく振り回すことなど無理です。あれは、きっと呪技です! 下手人は
「屍体を見られるといいんだが」
「もう、埋葬されています……」
「だろうな。まさか、墓を掘り起こしてはくれまい。あんたの証言だけが頼りなんだ。ほんとうに、何も感じなかったのかね? かすかな音でもいい。気配でもいい。どんなつまらないことでも教えて欲しいんだ」
しばし、カゼーンは眼を閉じた。
「匂い……」
「匂い? どんな匂いだね?」
「まるで……古井戸か、沼のような……」
「現場の近くに、そんなものはなかったはずだが」
「ありません。でも……そんな、生臭いような、汚泥のような匂いを感じたような気がするんです……それに、あとで医者から聞きましたが、傷の周りにねばねばした液体が付着していたそうです」
「液体? あんたの様子を見ると、それは毒ではないようだ。とても参考になったよ」
私は寝台から離れ、扉に向かった。その背後から、カゼーンの震える小声が聞こえた。
「僕は……〈黒帽隊〉を辞めます」
「何も恥じなくていい。あんたの命は助かった。それに、あんたから私は話を聴けた」
「僕には〈黒帽隊〉は向いてない。いえ、それだけじゃなくて……僕は、百姓の息子です。親父は村の端で、ソルドー様の下で小作人として働いてます。僕は村のために〈黒帽隊〉に入ったのに、隊長の命令を無視して副長が――」
カゼーンは口ごもった。私は寝台のカゼーンを振り向いた。
「ワーガスは、ソルドーの
カゼーンは、枕に頭を沈め、天井を見やった。
「僕は村を守るつもりでした。なのに、副長は独断で……」
「あんたもワーガス副長の手足となって、甘い汁を吸っていたんだね。それは、忘れるべきじゃない。私にも、同じような経験がある。私も、あんたも、誰かを傷つけている。ならばそれを背負いながら、クソみたいな人生を生き続けるしかないんだ」
私は口をつぐみ、扉を開けた。
――恥ずかしい奴だ。
カゼーンのことではない。私自身を恥じた。
かつてテジンの衛士だったころ、綺麗なものも醜いものも、多くを見た。多くを身をもって体験した。私自身が、自らの力を私事に利用した経験もある。私の手も、汚れている。血に染まってすらいる。
「彼をどうするつもりだ?」
部屋を出て扉を閉じると、腕組みをし、噛み煙草をくちゃくちゃと噛み締めているワーガスに言った。その両脇には〈黒帽隊員〉が控えている。
「貴様の知ったことじゃない」
私は一歩ワーガスに踏み出した。
「これは治療でも何でもない。監禁じゃないか」
「用が済んだのなら、とっとと帰ってもらおう」
ワーガスの脇の二人が私の両腕を摑もうとした。が、私は一瞬早く、ワーガスの胸元を摑んでいた。
「絶対に、カゼーンを殺すな。手下の不手際を隠蔽したいだろうが、やめておけ。もしも彼が死んだら、あんたたちはとても面倒なことになる」
ワーガスは無言のまま、二人の隊員に顎で命じた。二人は素早く私の二の腕を強く摑み、私をワーガスから引き離した。
二人の隊員は、私を階段を引きずり降ろし、玄関から外へ放り出した。急激に寒気が私の全身を包んだ。
ゆっくりと、ワーガスの影が近づいてきた。立ち上がった私に、ワーガスは、私の剣を突き出した。私は黙って受け取り、腰に帯びた。
「二度とその面を見せるな。次は、斬り捨てるぞ」
ワーガスが独り言のようにつぶやき、噛み煙草を吐き出した。私は、じっとワーガスを見やった。
「ひとつ訊きたい。あんたは、なぜ〈黒帽隊〉に入った?」
ワーガスは答えず、くるりと私に背を向け、部下の二人とともに邸宅のなかに姿を消した。
不意に胸の上に圧迫感を覚えた。続いて、べったりと濡れたものが私の顎の輪郭に沿って移動する――
目覚めた。一刻(約二時間)も眠れただろうか、寝台の私の上に、一角犬のグンが上半身を乗せ、私の顔面を、彼の唾液で洗おうとしている。
「待て、起きるから勘弁してくれ」
寝台から降りると、激しい頭痛が襲ってきた。明け方まで飲みたくもない酒を飲んでいたのだから、宿酔も当然だ。うめき声を上げながら、玄関脇の水瓶からぬるい水をごくごくと飲み干し、すくって顔を洗った。
すると、扉が遠慮気味に四回叩かれた。
グンは、尻尾を振って私を見上げている。どうやら、ご親切にも来客を知らせてくれたらしい。
腕で顔を拭った。寝台の脇に剣が立てかけてあるのを確認したが、あえて剣は取らずに扉に近づいた。
「誰だね? 朝から行商人はお断りだ」
「ここは……ゴルカン様のお宅ですね」
若い娘の声だった。私はもう一度剣を見やり、そして自分の身なりに眼をやった。汗染みた下着姿だ。髪は寝癖で逆立っており、昨夜の酒の臭気を放っている。
「そうだが……何の用だね?」
「大事なお願いがありまして、ご迷惑とは思いましたが、お話を聴いていただけないかと……」
私は
朝日がまぶしすぎる。逆光のなか、細い肩が見えた。紫がかった外套。身なりは高価なものをまとっている。
二、三歩背後に、従者と思しき初老の小人族の女が控えていた。
「ソルドーの許可はもらっているのかね、ダーミアさん」
私は少女に言った。
私は、昨夜という時間を無駄に使わなかった。単に貧乏性なのだが。
ワーガス指揮下の〈黒帽隊詰所〉を出たあと、〈なか道〉沿いの比較的上等な居酒屋や、以前、もめ事を解決して貸しを作ったことのある娼館などをはしごして、ソルドー一族について訊ねて回ったのだ。
金に不自由しなかったが、やはり飲み過ぎた。
ソルドーの病身の妻はミルー。原因不明の
「入るかい? とりあえず、私は茶を飲みたい」
断るかと思ったが、ダーミアはためらうことなくうなずいた。しかし、その両眼はどこかうつろで、視点が定まっていないように見えた。
火を起こし、
「お願いというのは? 私はすでに、きみのお祖父さんの『お願い』を請け、手付け金も受け取っている。結構、使ってしまったけれどね」
ダーミアは、大人しく椅子に腰を掛けていた。少々姿勢が正しすぎるのではないか、というほどまっすぐに腰掛け、私を見ていた。一角犬のグンが、いつの間にか立ち上がり、ダーミアをじっと見て、尻尾を下げている。かすかに喉の奥でうなる声が聞こえた。
「グン、おとなしくしろ」
珍しく私の命令に従わず、グンはゆっくりとダーミアをにらむかのように、その周囲を回り、うなり続けた。
「ワーガス叔父様が――」
ダーミアの視界には、グンの姿が入っていないかのようだった。
薬罐の湯が沸き、ペン茶の茶葉を入れた土瓶に注ぎ入れた。
「叔父さんとは昨日、お会いした。〈黒帽隊〉でご活躍のようだ。お茶に黒糖は?」
「いえ、結構です」
ダーミアはきっぱりと言い切った。その視線は、どこか中空を見つめていた――強い力で。私は椀に熱いペン茶を注いで、差し出した。
「叔父は……とても優しい人です」
とてもそうは思えなかったが、私はうなずいた。苦いペン茶を口に含んだ。
「ワーガス叔父様は、命を狙われています」
「ほう? お祖父さんだけでなく?」
ダーミアはかぶりを振った。
「ほんとうに命を狙われているのは、ワーガス叔父様なんです」
「ソルドー……お祖父さんではない、と? なぜそう思うんだ?」
「わたし、自然にお屋敷で〈黒帽隊〉の人たちとお喋りしたりする機会があります。街で出会っても、わたしに挨拶してくれる隊員さんもいます。けれど、ある日、聞いてしまったんです……」
一語一語、確かめるように、ダーミアは言った。
「あれは……三日ほど前でした。わたし、買い物に出かけたのです」
そこで、数人の〈黒帽隊員〉を見かけたという。普段ならば頭を下げて挨拶する隊員たちだったが、彼らは違った。ダーミアの姿を見かけるや否や、動揺のいろを見せた。そして、挨拶もそこそこに立ち去ったという。
「それだけで、叔父さんが狙われているというのは、あまりに早計ではないのかな」
「彼らが話しているのを、小耳に挟んだんです。はっきりと聞こえました。『副長に早く消えてもらわねば』と」
「ほんとうに『消えてもらう』と言ったのかね?」
「間違いありません。実際、その次の夜、祖父は襲われ、護衛の隊員が一人亡くなり、一人が大怪我をしました」
「その話をワーガス……叔父さんには?」
少女はかぶりを振った。
「ソルドーに――お祖父さんに話せば、もっとも早いと思うが」
「話しました。けれど、聞く耳を持ってくれませんでした。祖父は……〈黒帽隊〉を利用しています。あんな女のために……」
少女らしい潔癖さであろうか、その語尾は尻すぼみになった。
「エルムス、外で待っていなさい」
不意にダーミアは
「お願いできるのはゴルカンさんだけなんです。叔父様を助けて下さい。叔父様と一緒に、この村に隠れている悪徳を、暴いて下さい」
ダーミアは、不意に外套を脱ぎ捨てた。
この季節にはやや寒そうな半袖の上衣を着ていた。か細く白い腕が痛々しいほどだった。ダーミアは、私に歩み寄ってきた。その両の爪先は私の爪先と触れるほどの近さだった。息づかいすら私の首筋に感じられた。その足元で、一角犬グンがうなり声を上げている。
「どうか、お力をお貸し下さい。ですが、わたしには、祖父のように払えるものがありません。ですから、わたしを――」
ダーミアが上衣の裾の紐を解き始めた。
ゆっくりと、ダーミアはその黒目がちの瞳を向けた。私は、はじめてたじろいだ。少女の大胆な行動にではなく、その瞳の奥の
グンがひと声吼え、私は我に返った。床から外套を拾い上げ、ダーミアの肩に掛けた。
「わかった。考えておく。成功報酬についても」
ダーミアは、まったく表情を変えることなく、外套を素早く身に着けた。
「ゴルカンさん、わたし、信じていますから」
ダーミアは言った。そして、もう一度私に昏い双眸を向けた。私の返答を待たず、ダーミアは扉を開き、足早に小屋から出て行った。
扉が閉まった。彼女と従者のエルムスの足音が遠ざかっていった。
グンは、しばらく扉の向こうに耳を傾けていた。
「闇色の眼」後編へつづく
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