第百十三話 『翼竜の急襲』
城壁上、歩廊。
ウインガルド軍は、城壁の上にリーシ麾下のクロスボウ兵五十、門前広場で街路を塞ぐように布陣するアルフリス隊という布陣である。
アルフリスの横には荷車が一台。積んであるのは大剣、戦斧、矛槍、大盾など、彼の武器だ。破損したときのことも考慮して、複数積んである。
「時間だ! このときをもって、我が軍はイルグネ奪還作戦を開始する!」
ラッパが吹き鳴らされ、シデロケラスが門に向かって突進する。姿こそ犀に似ているが巨大さはその比ではない。その後ろをミノタウロスが駆ける。二体が地を踏み鳴らす振動は城壁の上まで響いた。
敵の進軍と同時に、城壁にクロスボウ隊が二列横隊で整列した。射撃を終えたら後列へ下がり装填を行う二段
「引き付けてよく狙え。的はでかいぞ」
リーシの命令で、狭間に近い列がクロスボウを構える。
魔獣たちの足音が迫る。地響きが城壁の上にも伝わってくる。
クロスボウが小刻みに揺れているのは振動のせいか、あるいは恐怖のせいか。
シデロケラスが、次いでミノタウロスが射程に入る。
「放て!」
五十の兵が二段射ちで放つ太矢だ。間髪入れず降らすとはいえ、いかんせん数が足りない。それでも直線的な軌道で飛ぶ太矢は巨躯を持つシデロケラスとミノタウロスの体に数多く命中した。しかし――
「あの犀の化け物には太矢が刺さらないぞ!」
「牛の化け物には刺さった……いや、効いてない!」
五十
狼狽えるクロスボウ兵。
リーシが叫んだ。
「諦めるな! あの様子ならマンティコアと火炎
直後に振動。シデロケラスが門に激突した衝撃だ。金属で補強された分厚い木製の城門が不吉な軋みを上げる。
「無事だな? 隊列を整えろ。マンティコアと火炎蜥蜴を迎え撃つぞ!」
兵士たちは狭間からマンティコアと火炎蜥蜴の接近を待ち構えた。
城壁内、門前広場。
門前広場に下りてきたロベルクの眼には、城門裏に急遽渡されたつっかえ棒がたわんだのがわかった。
次いで重い衝撃と木の繊維が破断する音。ミノタウロスが巨大な戦鎚を門扉に打ち付けているのだ。
ロベルクの背後にいるウインガルド軍は落ち着きなく頭を動かしている。
衝突の音――
戦鎚の音――
四体の魔獣のうち、一体は義勇軍に回す。けが人、もしかしたら死人も出るかもしれない。だが、義勇軍がジオ軍を撃退したという事実が政治的に重要であり、為政者が土地を束ねているということを内外に対して発信することは民心の安定や抑止力に繋がるのだ。ジオ魔獣軍を退けた実績が広まれば、再びウインガルドの旗の下に多くの人が集まることであろう。
ロベルクは決戦を待つ。
城壁上、歩廊。
討ち漏らしたシデロケラスとミノタウロスに続いて、本隊が接近してくる。マンティコアと火炎蜥蜴を先頭に、四体の魔獣をそれぞれ操る魔獣使いの部将が騎乗して並足で全身してくる。その後ろは魔獣軍。魔獣の世話もこなす魔獣使いの護衛が百。最後が元イルグネ共同統治大隊二百五十だ。
「マンティコアと火炎蜥蜴には太矢が効くはずだ。もし取り逃がしても狼狽えるな。落ち着いて後から来る敵兵を討ち取れ!」
クロスボウ兵が狭間から狙いを定める。
足下では、鈍い振動が同じ間隔で続いている。シデロケラスとミノタウロスが城門に対する攻撃を続けているのだ。
これ以上、魔獣を城門に取り付かせてはならない。
兵たちは物音も立てず、次の局面を待っている。
もう少し。もう少し――
リーシが攻撃命令を下すべく、ゆっくりと右手を振り上げる。
まもなく先陣を切る二体の魔獣がクロスボウの射程に入る。
と、それを大きな影が高速で追い抜いた。
ある兵士が何気なく空を見上げ、そしてクロスボウを取り落とす。
「ワ……ワ……ワイバーンだぁっ!」
門前広場で最初に異常を察知したのはセラーナだった。
「ワイバーンだぁっ!」
声を聞いたセラーナは反射的に城壁へと上る階段へと疾走する。
「あたしが引きつける!」
「無理はするな!」
追おうとしたアルフリスを制し、ロベルクはセラーナの背に声を掛けた。広場は広場で、これから魔獣が雪崩れ込んでくるのだ。
衝突と戦鎚の音が鳴り続ける中、ロベルクは霊剣を鞘から抜く。フィスィアーダは氷の大剣を呼び出し、メイハースレアルは拳から光の刃を発生させた。
「五体目がいたとは。隠していたのか……」
アルフリスは大盾と戦斧を手に取ると、頬の汗を拭おうとして、兜に邪魔された。
セラーナが城壁の上に辿り着いたとき、すでにワイバーンとウインガルド軍の戦いは始まっていた。いや、リーシがクロスボウ兵たちを城門棟内に避難するための時間稼ぎをしている、というのが正確と言えた。
ワイバーンは翼竜とも呼ばれる魔獣だ。
「援護は要らん。さっさと城門棟に逃げ込め!」
逃げる兵たちの方を振り向く余裕もなく叫ぶリーシ。
セラーナは懐から氷砕斧を取り出し、間髪入れず投げつける。氷砕斧はワイバーンに向かってまっすぐに飛び、今まさにリーシを引き裂こうとした片足に突き刺さった。
ワイバーンが遠雷のような吠え声を上げる。
「リーシ! 尾の毒針に気をつけて!」
「ナセリア! なぜ戻ってきた? ま、助かったけどさ」
セラーナは翼の彫金が施された小剣を抜き放つが、リーシとは肩を並べず、ワイバーンの横から機を窺う。
「おやおや、物知りな増援だな。わざわざ寄ってくるだけあって、なかなかやるようだ」
ワイバーンの上から声が降ってくる。ワイバーンには鞍が取り付けられており、槍を構えた女性が跨がっていた。
「だが避けられなければその知識も無駄だ」
「あなたがトニーダね。ワイバーンを隠して、声だけ魔法で飛ばしていた?」
「いかにも、私がトニーダ将軍だ、賢いお嬢さん。奇襲で皆殺しにするはずだった兵共をまんまと逃がされ、さらに可愛いワイバーンの足に傷を付けられて、私は腹を立てているぞ」
「他人の土地に何度も土足で踏み込んでいると、傷だけじゃあ済まないかもね」
セラーナは、獲物に飛び掛からんとする豹のように低く身構えた。
城門棟上部。
石造りの
ワイバーンから避難したクロスボウ兵たちは、外からワイバーンの鳴き声を、下からシデロケラスとミノタウロスが門扉を攻撃するくぐもった音を聞きながら、それぞれが無力感を噛み締めていた。
下からさらに衝撃音が響き、新たな鳴き声が響き始めた。マンティコアと火炎蜥蜴が門に到着したのだ。
一人の兵士が石落としから下を覗く。
そこには四体の魔獣が勢揃いしていた。シデロケラスは数歩下がっては門に激突する。ミノタウロスはその横から傷ついた部分を巨大な戦鎚で殴りつける。
「俺たちには何もできないのか……」
兵士は室内を見渡すが、決定的な打撃を与えるものは見当たらない。
と、石落としから熱風が吹き上がった。火炎蜥蜴の身に纏っている火炎の勢いが増している。門扉の破壊に合わせて突入し、一帯を火の海にする腹づもりのようだ。
「このままでは、副市が焼け野原に……」
「おい、見ろ!」
別の兵士が指さした先には、炉が設けられていた。防衛時に熱湯や熱した油を敵へぶちまけるためのものだ。丁度大鍋が掛けられており、中には水が貯められている。
「それだ!」
兵たちは、ふた抱えもありそうな鍋を急いで石落としに運ぶ。
下では火炎蜥蜴が門の前で炎を吹き上げており、頑丈な木製の門扉が焦げ始めているのが見て取れた。
「いくぞ!」
「喰らえ!」
兵たちは力を合わせて鍋を傾ける。流れ出た水は勢いよく落下し、炎を吹き上げていた火炎蜥蜴の背に直撃した。
火炎蜥蜴が背中の炎を消されて大太鼓のような呻きを上げる。
「やったぞ!」
躍り上がる兵士たち。
眼下の火炎蜥蜴は身体から吹き出す火を消されてふらついている。が、次の瞬間、全身から湯気を吹き上げた。
「な……なんだ⁉」
石落としからその様子を窺っていた兵士が、異変に慄く。
火炎蜥蜴の背から、再び炎が吹き上がった。感情を宿さない眼が、直上の櫓を見上げる。口の中に橙色の光が灯った。
「ま……まず……」
火炎蜥蜴が口から炎を吹き出す。鞭のように伸びた炎は門の上に並んだ石落としを撫でる。
「ぎゃっ!」
一瞬の悲鳴。門を覗き込んでいた兵士が火だるまになり、石を落とすための穴から落下した。炎は天井まで至り、可燃性の縄や梁などを焦がしていく。
年長の兵がいち早く自失の状態から脱した。
「火を消せ! 石落としを閉じろ!」
その怒鳴り声に気づいた若年の兵が慌てて石落としを塞いでいく。木製だが分厚い板でできた蓋は、少々の炎なら凌いでくれることだろう。
混乱で短い呼吸音が満ちた櫓の中、年長の兵は必死で呼吸を整え、声を絞り出した。
「……何人、やられた?」
「三人です……」
「俺たちには、どうすることもできないのか……」
返事を聞いた年長の兵は、拳を握り締めた。
「いいえ!」
若い兵の中から声が上がる。
「何をできるか考えましょう!」
年長の兵はその言葉にはっと顔を上げた。
「そうだ……その通りだ! ワイバーンと反対側の歩廊に出よう。敵の気を逸らせることくらいできるはずだ!」
同刻、歩廊。
睨み合いは長くは続かなかった。
セラーナが挑発がてら投げ矢を放る。しかしワイバーンの鱗に弾かれて傷を負わせることはできない。
ワイバーンの鉤爪がリーシに襲いかかる。
リーシは盾と長剣でそれを払い、反撃を試みるが、今度は鋭利な牙を生やした口が噛み付こうとして剣先がなかなか届かない。
セラーナはワイバーンの尻尾とトニーダの槍を相手にしていた。尻尾は羽虫を追い払うように振り回され、その合間にトニーダの槍が突き込まれてくる。
「全く鬱陶しいねぇ!」
「鬱陶しいで済ませたくはないんだけどね!」
セラーナの妨害に、トニーダは業を煮やし始める。苛烈に槍を繰り出し、セラーナの動きを封じようとする。
そこにワイバーンの尾が襲いかかる。短剣のような毒針がセラーナを横薙ぎにする。
毒針を正確に受け流すセラーナ。が、丸太のような尾の衝撃はいなしきれず、真横に転がった。
「やっと一人」
トニーダが呟き、槍の穂先をリーシに向ける。
リーシが盾を構え直す。同時に口角をつり上げた。
「いいや、それは早とちりだ」
「……そうね」
「なっ⁉」
トニーダが何事か口走ろうとした瞬間、ワイバーンがぐらりと傾ぐ。
「奴か!」
「当たり」
トニーダがセラーナの転げた先を眼で追う。
そこには、倒れ伏している筈のセラーナが、兵士が落としていったクロスボウを構えて太矢を放っていた。ワイバーンの異常は、セラーナが放った太矢が翼の飛膜の一つを貫いたときのものだった。
「いい感じに油断してくれたわね」
セラーナは衣の砂埃を払うと片手で小剣を構え直す。
「……なかなかやる。認めよう」
ワイバーンが飛び上がり、セラーナとリーシとに正対する位置へ着地した。
「だが……どうする? いくら手数が多くても、このままなら決め手のないお前たちがじりじりと不利になっていくだけだぞ?」
トニーダが鞭をくれると、ワイバーンは猛然と突っ込んできた。牙、鉤爪、槍が同時に迫る。
横っ飛びに転がって避ける二人。
リーシの盾をすれ違いざまに尻尾の毒針が掠めた。
セラーナが懐から鎖分銅を取り出し、投げつける。鎖分銅は狙い過たずワイバーンの片足に巻き付いた。細い金属の鎖で結ばれた分銅は、ワイバーンの力を以てしても容易には千切れない。
空中に舞い上がって体勢を立て直すワイバーン。
「どうした? その程度の
「
大きく跳び退るセラーナ。城壁の内側の縁に立つと優雅に微笑む。
「手数が多いっていうのは……こういうこと」
きらっ、と微かな光を残して、セラーナは背後の門前広場に身を躍らせた。
「ナセリアーっ!」
「自ら飛び降りて命を絶った……?」
次の瞬間、ワイバーンは大きく体勢を崩し、門前広場に向けて急降下した。
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