第十三章  遺跡の軍勢

第八十三話 『朝の急報』

 翌朝、ロベルクは階下の騒ぎで眼を覚ました。

 身支度をして一階の酒場区画へ行くと、依頼掲示板の前に人だかりができてた。


「これは……何だ?」


 ロベルクが独りごちると、その声を聞きつけた女が振り向いた。


「おはよう。どうやら戦が始まるみたいなの! 生存者には結構な報酬がでるわよ!」


 冒険者たちの言葉を総合するに、ウル遺跡の方から魔物が隊列を組んで迫っているということがわかった。


「希望者は酒場の受付で配っている赤い布を二の腕に巻いて、昼に北門の外へ集合すること!」


 フルシャマルの兵と思しき者が喧噪に負けじと怒鳴っている。

 セラーナとフィスィアーダが下りてきた。


「大変なことになってるみたいね」

「抜け出しそびれたね」


 ロベルクは、まるで定位置のように両脇へやってきた二人の美少女に頷きを返した。


「でも、ウル遺跡からやってきた魔物だってことは、ウインガルド難民やバオラードさんの手掛かりが掴めるんじゃないかと思っている」

「あたし、引き受けたい」


 セラーナが静かに、だがはっきりと呟いた。


「そうか」


 素っ気なく答えたロベルクだったが、彼女の真意は把握していた。自国の臣民が次々と姿を消す事件を、放ってはいられないのだ。


「いざとなったら、われあるじとセラーナを守るよ」

「それは心強い……」

「ふざけるな!」


 刺々しい声が背後から投げつけられた。

 振り向くと、アルフリスが外から宿へ戻ってきたところだった。


「そのような危険な場所へ姫を連れて行くだと? まかりならん!」

「話聞いてたのか? 行きたいと言ったのはセラーナで……」

「聞く必要などない! 姫は安全な城壁の内側で、俺が武勲と臣民の消息を持ち帰るのをお待ちくだ……」

「アルフリス!」


 セラーナが苛ついた声を上げた。

 アルフリスは筋肉に覆われた肩を震わせ、直立の姿勢をとった。


「はっ」

「まず、その『姫』っていうの、禁止」

「で……では、何とお呼びすれば……」

「城下で遊んでいたときのように、『お嬢』と呼びなさい」

「しかしお嬢、俺はバオラード様の隊の指揮を仰せつかっておりまして、お嬢をお守りできんのです」

「大丈夫よ、アルフリス」


 セラーナは輝くような笑顔を浮かべながら、ロベルクとフィスィアーダの腕を取った。


「あたしと旅をしているのは、天変地異の精霊使いと、本物の御使い。あなたの手を煩わせることはないから、存分に指揮なさい」

「お嬢……立派になられて……」


 アルフリスがまた滝のように涙を流し始めた。先日より多少ましな手拭いで顔を擦ると、彼はセラーナに最敬礼した。


「傭兵隊も俺の指揮下ですので、ご安心いただけるよう指揮に励みます。では、門の外で待っておりますぞ!」


 言い残すと、アルフリスは急ぎ足で宿を出ていった。

 突風のように現れ、突風のように去っていったアルフリスに、セラーナは微笑みながら溜息を吐いた。


「腕は確かなんだけどね……昔から愚直な男なの」





 城壁の外には多くの冒険者が傭兵として集まっていた。

 傭兵として志願した人々は二の腕に赤い布を巻いていたため、ロベルクたちは容易に集合場所を見付けることができた。軍の右側――右翼だ。揃いのマントを身に着けた一団と、それに数倍する雑多な兵たちで成り立っている。数だけは中軍や左翼よりも多い。


「揃いのマントを着けているのが、バオラードさんの兵だな」

「合わせて……大体千人ってところかしら」


 ロベルクとセラーナが隊を見回していると、曲刀を担いだ男が歩み寄ってきた。


「よう。今回は楽に生き残って報酬をせしめられそうだな」

「どういうことだ?」

「正面を見てみろ」


 男が指さした先には岩山がそそり立っていた。中軍と左翼の正面は砂漠であるのに対し、右翼が進軍するためには中軍の後ろから追従するか、岩山を右から大きく迂回する必要がある。


「中軍はナムダール様が直々に指揮を執られる。冒険者に頼らず街を守ろうという布陣なんだろうが、左翼のシャハーブ様は手柄を総取りする腹づもりなんだろう。で、俺たちは後詰めってわけだ」

「敵が知能の低い魔物だけなら、そうなるな」

「だけ?」

「僕も後詰めで気楽に報酬を貰いたいってことさ」


 ロベルクの軽口に男の視線が鋭くなった。


「……また、気付いたことがあったら教えてくれ」


 男が去ると、ラッパの音が鳴り響いた。

 その旋律を聞き、ざわつく士卒。


「俺たちは待機だ」

「待機?」

「栄光のバオラード隊が、待機……」


 胸をなで下ろす傭兵隊と、不満を露わにする正規軍。

 温度差の生まれた隊内に、アルフリスの声が響いた。


「静まれ! 我々は万一の備えとしてここに待機している。万一のときは最も苛烈な戦闘を強いられる。今は気力を温存せよ!」


 規律は回復した。

 が、不満は隠しようもない。


殿しんがり、ね」

「敗走時の時間稼ぎ」

「使い捨て」


 傭兵たちはぶつくさ文句を言いながら、乱れかけた隊列を整えた。

 時を同じくして、中軍と左翼はゆっくりと前進していった。

 ほぼ同時に、敵の後方から飛行できる魔物が上から迫る。

 自軍から大小の太矢と魔法が打ち上がった。

 敵の半数ほどが撃墜され、残りが陣へと迫る。


「精霊魔法だけ見ると、我の周りにいる傭兵たちの方がましよ」


 フィスィアーダが、打ち上がった炎の矢や石礫を見て分析する。

 精霊使いたちはむっとして一瞬フィスィアーダを睨むが、直後には隠し切れない巨大な精霊力に圧倒されて口を噤んだ。


 ナムダール軍からの伝令が戦局を伝えにやってきた。

 敵の中軍は大型動物と下級妖魔で構成されており、中軍は有利に戦いを進めている。

 一方で左翼は魔獣の群れと対峙しており、シャハーブ隊の士気と練度を以てしても押し返されつつある、とのことだ。


「…………」


 アルフリスはその報告を聞き、違和感を覚えた。

 敵中軍を喰い破っている現在の戦況は喜ばしいことだ。

 しかし、敵側とて同じ状況を作りたいはずだ。それなのに敵は中軍に大型動物と下級妖魔を編成した。頭数による威圧を期待したのか? そもそもウル遺跡から湧いてくる魔物たちが、なぜ陣形を組んで街を攻めに来るのか?


「中軍に動物と下級妖魔?」


 小耳に挟んだロベルクたちもまた訝しんだ。


「中軍はこちらが押している。一方で左翼は膠着、か」

「ねえロベルク、このままだと陣形が乱れないかしら?」

「その通りだセラーナ。半刻も経たないうちに右翼は孤立する!」


 ロベルクの言葉を聞いた傭兵たちは歯牙にもかけなかった。目の前で繰り広げられているのは中軍の快進撃だ。自軍の活躍を眼にし、勝ったも同然と浮かれ始めているのだ。


「この場で孤立するということは……」

「岩山の右から敵が来るということね」


 ロベルクとセラーナは頷きを交わした。

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