第八十話 『旧知』

 砂漠を北上すること一日。隊商がフルシャマルの城壁を確認できたのは、太陽が南の空に登り詰める直前辺りだった。


 セラーナが黄土色の城壁を見渡して、へえ、と声を漏らす。


「凄い城壁。石はどこから切り出したのかしら」

「魔法かも」


 ロベルクが答える。


「大地の精霊に頼んで、砂を石に変えるんだ。精霊との仲によっては、城壁の形に作り上げることもできただろうね」

「どちらにしても、莫大な資金が動いたでしょうね」

「ウル遺跡に挑む人々が落とす金のもの凄さは、想像に難くないな」


 城壁が近くなってきた。

 対象の面々から安堵の溜息が漏れる。


 フルシャマルは、街道とウル遺跡とのほぼ中間に位置するオアシスの街だ。湖と言ってもよい規模の水場を擁しており、数万の人々の喉を潤している。遺跡攻略の起点として発展してきた街であり、住人の半数が北方のウル遺跡を攻略する冒険者たちの相手をする職業に従事していた。

 建造物は皆白く、陽光を反射して暑さを和らげる工夫が為されている。佇まいも東部の諸都市とは趣を異にしており、人々が如何に暑さを凌ぐために工夫を凝らしてきたかが伝わってくるようだった。


 市門で手続きを終えると、キアラシュは一同に向き直った。


「私は族長に復命の報告をせねばなりませんので。宿は、表通りであれば外さないはずです。あ、ロベルクさんたちはの宿は私が手配しますので、ご安心ください」


 キアラシュが去ると、隊商は三々五々に分かれて宿探しに消えていった。

 市門前広場には、三人だけが残された。


われらは、どうするの?」

「あたし、お店を見たい!」

「うーん……路銀は多少余裕があるけど……何が欲しいの?」

「え? えーっと……」


 口籠もるセラーナ。彼女はロベルクと商店を見て回りたかっただけで、特に買うものなど考えてはいなかった。


「ほら、あれよ。ほら!」

「何?」

「我も店を見たい」


 何とフィスィアーダが助け船を出した。


「ええっ⁉」


 ロベルクとセラーナの声が重なる。

 だが、その機会を逃すセラーナではない。


「あ! フィスィアーダのマントを買おうよ! いくら温度や日差しの影響を受けない女神だからって、その格好は目立ちすぎると思うの!」

「確かに……」


 一理ある、とロベルクがフィスィアーダの姿を眺める。

 藍色と銀を基調とした、雪の結晶の装飾が鏤められた短衣。後ろに長く伸ばされた襟は風にはためいている。短衣からは雪のように白い手脚が遮るものなく伸びていた。おおよそ砂漠を旅する格好ではない。


「よし、行こう。生地屋と仕立屋、だね」

「出発!」


 三人は商店が軒を連ねる一帯へと向かった。

 左右に美少女を侍らせた優男を見て、人々はすれ違いざまに思わず振り返る。

 が、ロベルクたちはその視線を気にも留めずに生地屋を探し歩いていた。


「あの店はどう?」

「いまいちね。陳列が雑で生地が傷んでる」

「我は暑さを感じないから耐久性で選びたいんだけど……」

「駄目よ。フィスィアーダの可愛さが出るようなのがいいわ。あっちの店も見よう?」


 セラーナはロベルクの手を引き、店を出る。そのままはす向かいへと駆け渡る。

 と、三人の目の前に、人影が差した。


「ごめんなさい。急いでて……」


 ぶつかりかけた巨体を軽やかに回避し、セラーナは生地屋へと向かう。

 引っ張られたロベルクの耳に、巨体の男が発した声が刺さった。


「ひ……め……?」

(姫?)


 ロベルクが警戒を高めた瞬間、巨体の男が口を開いた。


「そこの枯れ草のような弱々しい男!」

「……何か?」


 蔑まれることに慣れているロベルクは怒りを滲ませることもなく、セラーナをさりげなく背後に庇いながら自然体で返答する。

 巨体の男は改めて、ロベルクの背後に隠れたセラーナの姿を見回す。長衣のフードからこぼれる黒髪を確認し、裾から見え隠れする赤い衣を確認し、白い肌を確認する。直後、男は怒りを全身に漲らせた。


「貴様ぁっ! その女性をどこへ連れていく気だ!」


 言うや否や、男は背負っていた大剣を一瞬で抜き放ち、大上段から斬り下ろしてきた。


「この人攫いめが!」

「何のことだ?」


 ロベルクもかわしながら霊剣を抜き放つ。

 男は石畳に深々と突き刺さった大剣を引き抜くと、片手で縦横に振り回した。


「その女性は、ウインガルド人だろう!」

「旅人の国籍など、何故見ず知らずの者に伝える必要がある?」


 ロベルクは相手の太刀筋を剣先で微妙に逸らしつつ、ゆらりゆらりと身をかわす。

 男の攻撃に苛つきが見え始めた。


「俺の眼はごまかせんぞ!」

「この子がどこの国の子だろうと、お前に教える謂われはない!」

「『子』だとぉぉぉっ⁉」


 巨体の男の顔が真っ赤に染まる。漲った怒りで筋肉が一回り大きくなった。


「この……無礼者がぁっ!」


 鬼の形相で振り下ろされる大剣。

 跳び退るロベルク。

 直後、大剣は石畳を砕き、その衝撃で一抱えほどもあるすり鉢状の穴が穿たれた。

 長衣に石畳の破片を浴びながら、男はなお怒りに呼吸もままならない様子でロベルクを睨みつけた。


「薄汚い旅人風情が、その御方に近付くな!」

「急に斬りかかってくる奴に近付くなと言われてもな!」


 ロベルクは男の大剣を踏みつけ、駆け上る。

 だが、男はロベルクを乗せたまま大剣を振り上げた。


「おっと、そう来るのか」


 ロベルクは身が持ち上がるに任せて空中に跳び、間合いを取って着地する。


「ちょこまかと!」

「この子と僕を引き離そうというなら、容赦しないよ?」


 大剣を片手で構える巨体の男。

 ロベルクは相手の間合いの僅かに外側で、切っ先を背後に構える独特の構え――『月の剣』の構えを取った。

 剣気を研ぎ澄ますロベルク。抑えきれなくなった精霊力が周囲の空気を冷却し、二人の足元を薄ら寒い空気で満たす。

 奇妙な構えでありながら隙を見せないロベルクに、男も迂闊に踏み込むことができず、戦いは膠着した。

 遠巻きにしていた野次馬も、二人の放つ剣気と足元を冷やす冷気に静まり返っていた。


「おやめなさい!」


 やけにはっきりと、制止の声が響いた。

 聞き覚えのある声だ。


「キアラシュさん」

「キアラシュ殿」


 ロベルクと男の声が重なる。

 そこには、騒ぎを聞きつけたキアラシュが、衛兵を引き連れて立っていた。


「アルフリス殿。この方々は怪しい者ではありません、私が招待した客人です」

「ですが……!」

「お待ちください」


 アルフリスという名の男はなおも食い下がろうするが、そこにセラーナが口を挟んだ。


「この方も何か勘違いをなさっているご様子。キアラシュさんに声を掛けられて落ち着いたことでしょう」

「え? ええっ?」

「そうでしょうか……?」

「それはもう」


 首を傾げるキアラシュだったが、セラーナの言葉に思うところがあったのか、大人しく引き下がった。


「……わかりました。あ、そうそう……族長が明日、三人に礼をしたいとと仰っております。是非お越しください」

「喜んで」

「それとアルフリス殿。壊した石畳の修理代は警備の給金から引いておきますので」

「うぐっ……」


 キアラシュはアルフリスに戦わぬよう釘を刺すと、衛兵を連れて去って行った。


「さてと」


 セラーナは躊躇なくアルフリスの間合いに入り込むと、その筋肉質の顔を見上げた。


「久しぶり、カルフヤルカ卿……いえ、今は男爵だったわね」

「!」


 筋肉に守られたアルフリスの鼓膜をセラーナの声が優しく撫でる。巨体がびくりと跳ねた。ゆっくりと大剣を石畳に置くと、自身も片膝をついて頭を下げた。肩が震えている。砕けた石畳にぽたりぽたりと水滴が落ちた。


「そのお声……お懐かしや……」


 その言葉だけ絞り出すと、アルフリスは獣のような吠え声を上げて泣き出した。

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