第六十八話 『早朝の暴挙』

「食事が終わっていてよかったですね」


 報告を受けた後のイハルの行動は素早かった。ハウスキーパーに留守居の命を下し、別邸に襲撃の手が及ばぬよう指示する。自身は即座に私室に戻って外出の準備を始める。

 ロベルクとセラーナは、ジェンタイが提供した宿に荷物を預けているので、持ち物といえば自身の武器くらいしかない。すぐに装備を調えて庭の端にあるの艇庫へと向かった。


 艇庫では、昨日から何度も顔を合わせている男が既に櫂を持って待ち構えていた。


「急いでお願いしますね」


 ロベルク、セラーナ、そしてイハルが乗船すると、男は早速運河へと船を漕ぎ出した。





 トーゾー邸は相変わらず静まり返っていた。

 塀の外では浮かない顔で噂話をしている近隣住民が何組か立っている。

 艇庫への引き込み水路の門は無造作に開け放たれており、ふらふらと風に揺られていた。


「錠が壊されているわ」


 セラーナが門に一瞥をくれるなり呟いた。

 男がゴンドラを艇庫に係留するのも待たず、屋敷へと急ぐ。

 その時、街路側の門が蹴破るような勢いで開けられ、男が駆け込んできた。


「ジェンタイ!」


 ロベルクとセラーナが同時に叫ぶ。

 声に反応してイハルが振り向いた。


「この方がジェンタイさ……ん?」

「そうだよ。美しいお嬢さん」


 ジェンタイがイハルに流し目を送る。

 イハルは一瞬、頬を赤らめるが、次の瞬間には潮が引くように青ざめた。

 セラーナが首を傾げる。


「どうかした?」

「い……いえ。素敵な殿方ですが、今はそれどころではありません」

「そのようだね、お嬢様。眼を光らせていたつもりだったけど、一瞬眼を離した隙にやられたよ」


 ジェンタイは唇を噛んだ。


 玄関の扉もまた、鍵の掛かっていない状態だった。

 念の為、後づけの罠などが取りつけられていないことを確認すると、一行は屋敷の中へと雪崩れ込む。


「!」


 ホールの中央に大きなボロ布の塊が転がっており、不規則に震えている。

 それがトーゾーであると気づくのに数瞬を要した。

 四人は駆け寄ると、ゆっくりと抱き起こす。


「リンノ……リンノ……」


 トーゾーはうわごとのように娘の名を呼び続けている。


「打撲だけ、か? 血を失っていないのは幸いだ……」


 ロベルクはトーゾーの傷を確かめると、生命の精霊を召喚し、回復力を高めるよう働きかける。

 トーゾーは小さく呻くと、眼を開いた。


「ロベルク……皆さん……」

「トーゾーさん、何があった⁉」

「いきなり男共が押し入ってきて、やられた……」


 トーゾーは全身を苛む苦痛に呻きながらも上体を起こし、玄関に向かって這いずろうとする。が、苦痛が意思を上回り、床に倒れ込む。


「酷い怪我なんだ。無理をしては駄目だ!」

「俺の身体など構っていられるか! リンノが連れて行かれたんだ!」


 四人の眼がトーゾーに注がれる。


「リンノだけ? どういうことだ」

「奴等は……最初からリンノの拉致だけを目的としていたようだった。止めようとする俺が袋叩きにされて身動きが取れなくなると、あとは家財などには一切手を付けず、リンノだけを引き摺って……」


 苦痛に顔を歪めるトーゾー。


「賊に心当たりは?」

「見たこともない連中だった。だが、一人だけ見覚えががある……ドオンだ」


 トーゾーの言葉に、ロベルク達は顔を見合わせる。

 ジェンタイはその名に心当たりがあった。


「ドオン? 副伯の家宰だね」


 ドオンの名を聞いた途端、イハルの瞳が揺らいだ。


「まさか、父はわたくしの代わりにリンノを生け贄に使うつもりでは……?」

「あり得る。捨てた娘の命なら惜しくないという訳か……」


 ロベルクの言葉に、セラーナも焦りの色を浮かべた。

 副伯の家宰が動いたということは、裏で糸を引いているのは副伯で決まりだろう。トーゾーが顔を覚えていたのが幸いした。


「助けに向かいましょう!」

「ああ。決まりだな」


 ロベルクセラーナ、そしてジェンタイは視線を交わすとトーゾーへ向き直った。


「あとは僕達に任せてくれ」

「そう。俺達はあなたの味方だ」

「ロベルク、ジェンタイさん……」


 ロベルクとジェンタイは、トーゾーを彼の寝室に運ぶと寝台に寝かせた。

 最初は「自分も行く」と食い下がっていたトーゾーだったが、ジェンタイにに安静を請われると、ようやく恐縮したように身体を横たえた。


 トーゾーの部屋を出て、静かに扉を閉める。


「……行き先は、決まったな」

「ええ。早速領主の屋敷へ行きましょう」


 ロベルクとセラーナは頷き合う。


「わたくしも行きます。わたくしの地位が何かの役に立つと思いますので」

「宜しく頼む」


 ロベルクは頭を下げた。


「……済まないが、先に行っててくれ」


 ジェンタイの言葉に、玄関へと進みかけた一行の脚が止まった。


「どうした?」

「ちょっと、やることがあるんだ。副伯の館に着く頃には、追いつけるはずだね」


 ジェンタイの言葉にセラーナが反応した。何事か察したように確認する。


「ゴンドラは……この前の『友人』に何とかしてもらうのね?」

「そうだね」


 ジェンタイは短く答えると、今度はイハルへと向き直った。


「最短経路で向かって構わない。ロベルクとセラーナ嬢を副伯の館へ連れていってくれ」

「畏まりました。……ロベルクさん、セラーナさん、参りましょう」


 ロベルク、セラーナ、そしてイハルは艇庫へと駆け出した。





 扉越しに、三人の足音が小さくなっていく。


 足音が完全に聞こえなくなると、ジェンタイは顔も動かさずに天井裏へと呼びかけた。


「イーザン、クイント」


 声に反応して、隅の方の天井板が外れる。そこから二つの影が飛び降り、玄関ホールの二階層分の高さをものともしない見事な着地でジェンタイの前に現れた。


「こちらに」


 片膝を落として控えるイーザンとクイントに、ジェンタイは親しげな視線を落とす。


「話は聞いたね?」

「は」

「カンムー副伯を捕縛する。イーザンは関係各所の制圧だ。同道させた一個中隊の戦妃を率いて同時進行で押さえるんだ。あ、二人程をトーゾーさんの護衛と看護に寄越してくれ」

「畏まりました」


 戦妃、とはシージィにおける後宮の役職だ。側室の中から戦闘に秀でた女性を選んで、万一の際に防衛力となるよう戦闘訓練をさせた者達のことを呼ぶ。ジェンタイは単に側室を持てる地位であるだけではなく、カンムーへ来るの二十名もの側室を同道させたということになる。


「クイントはゴンドラの操船を頼む」

「承知しました。最短距離で副伯邸へ行ける船着き場に、ゴンドラを用意してございます」

「うむ」


 三人はトーゾー邸を後にした。

 門を出たところでイーザンが人混みに紛れて消える。


「俺達も急ごうじゃないか」

「は」


 ジェンタイとクイントは、先行した三人に追いつくべく漕ぎ出した。

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