第六十六話 『命の使い道』

 イハルは相変わらず無感情に口を開いた。


「ファス・トリバーやシージィは考えが古く、余程のことがなければ女性が領主や爵位を継ぐことはありません」

「まあ、そうだが」

「父は初めての子であるわたくしが産まれた時、女だった為にたいそう落胆したのだそうです。幼い頃わたくしは使用人と乳母に育てられ、父の顔を見たことがありませんでした」

「…………」


 ロベルクはイハルの言わんとすることを理解すべく、黙って話を聞いていた。


「わたくしが三歳の時、弟のロモンが産まれました。父は大層喜びました。男の子が欲しかったのでしょう」


 淡々と人ごとのように語るイハル。だが、弟と自分との扱いの差に、幼いながらも傷ついたに違いない。


「何とも、酷薄な……」

「ですが、話には続きがあります」


 イハルの冷たい声は饒舌に言葉を紡ぎ続けた。


 ロモンはぐずることが少なく、よく眠った為、皆から可愛がられる赤子だった。だがロモンは身体が弱く、言葉が出るのも遅かった。

 力強い男子になることを来していた父のウモンはその様子に怒りを募らせ、あろうことかそのような赤子を産んだのは母親のせいだと言いだしたのだ。

 そして母親は、イハルが上流家庭専用の学問所に入学する六歳を迎える前に館を追放されてしまった。


「……母にはずっと会わせてもらえませんでした。わたくしが成長し、追放された者を秘密裏に探す事業を始めたとき、母は既にこの世を去っていました」


 空気が重い。

 ロベルクとイハルの後ろに立つ男の視線が偶然かち合い、悲しみを共有する。


「……で、リンノは?」

「リンノの母親はレンドー家の元メイドで、父に追放された被害者です」

「メイド……」

「リンノは父がメイドに手を付けてできた子です。父は当初、男子が産まれればロモンの代わりに跡継ぎ候補とすることを考えていたようです。しかし、産まれたのが女の子のリンノだった為、当時副伯家の専属船頭だったトーゾー殿に母親ごと下げ渡した、ということがわかりました」

「……体よく追放した、ということか」


 頷くイハル。


「その後、メイドは父に捨てられた悲しみと生活環境の変化で体調を崩し、亡くなったそうです」

「そして、トーゾーさんの家にリンノだけが残された、と」


 育ての親を助け、健気に生きるリンノの姿が脳裏に浮かび、憐憫の色を浮かべるロベルク。


 一方でイハルは、人形のように何の感情も浮かべてはいなかった。まるで悲しみなど味わい尽くして食傷気味とでも言わんばかりだ。


「我が父ながら、副伯家の繁栄の為に命すら弄ぶ所業におぞましさを覚えます」


 話を聞きながら、ロベルクはイハルの考えに危ういものを感じていた。

 彼女から表情を奪ったどろどろとした過去が、ロベルクの背筋を薄ら寒い風となって流れていく。


「まさか、あなたがしようとしていることは……」

「……わたくしがやっていることは、父に追放された家族や、路頭に迷った使用人などを調査し、呼び戻すこと、それ以上でも以下でもない……それ以外であってはならないのです」

「だが、相手は領主だ。いくら娘とはいえ、あなた一人の力では……」

「そうですね。わたくしだけの力では難しいでしょう」


 イハルは相変わらず仮面のように表情一つ変えずにいた。


 ロベルクは、彼女の瞳の奥に赤熱するものを感じた。だがその熱は絶望を内包した陶器のような肌から漏れ出すことはなかった。


「……ですから父には、様々な政策を執行するよう、それとなく働きかけてきました。父は前々からわたくしの『思いつき』を当てにしているところがありましたので」


 そこまで言うと、イハルの吊り目気味の双眸がすっと細められた。


「……井戸の水に税を課す案を父にそれとなく示したのはわたくしです」

「何だって⁉」


 ロベルクの驚きも全く意に介さないイハル。誇示するでもなく、卑下するでもなく、淡々と語り続ける。


「それだけではありません……渡し賃の値上げもですわ。ギルドの反対に遭って、新たなギルドを首都に無許可で立ち上げさせるという暴挙に出たのは意外でした。リンノにはちょっと怖い思いをさせてしまいましたね」

「まさか、大量の霊晶を作って商売に使うというのも……」


 ロベルクの声に棘が混じる。

 が、イハルはやはり顔色一つ変えなかった。


「ああ、あれは父が街の特産にすることを勝手に思いついたのですよ。それでヴィンドリア人の精霊使いを雇ってまで水の精霊を過剰に破壊させたのです。ただ……」


 イハルは一呼吸置くと、つと視線を下げた。

 その角度は、無表情な筈のイハルの口許に歪な嗤いが浮かんでいるように錯覚させた。


「……ある日わたくしは書物で、精霊を破壊することで霊晶が得られることを知りました。そこで、霊晶の入手方法と、この街は水が豊富だから、水の精霊はことさら召喚し易いということを吹き込んだのです。そうしたら、父は直に精霊使いを雇い、水の精霊を破壊して資源を取り出すことを思いついたようです」

「何⁉」

「お陰で運河の水は濁り、海は荒れ、民の怨嗟の声は高まりつつあります」


 領地の荒廃を喜ぶようなイハルの言葉に、ロベルクは彼女の顔を改めて見つめた。


「あなたはまさか、領主への求心力を低下させて力を削ぐ為に……」

「ええ。いくら貴族といえども、民の忠心は抗いがたい力。それを失いつつある父は遂に怪しげな輩と手を組むようになったのですわ」


 表情をなくしたイハルの言葉には、その声の美しさに反して砂漠を渡る風のようにかさついた響きがあった。

 ロベルクには彼女の声が、吹き過ぎた場所の命を道連れに、虚無に向かって消えていこうとしているように聞こえた。


「……今、水の精霊は怒りに染まり、大きな災厄さえ起こりうる状態だ。そんなときに領主から権勢を奪ったところで未来はないぞ」


 不意に沈黙が訪れた。

 翠緑色の視線と煉瓦色の視線が交錯する。

 やがてイハルは、すっと息を吸い込んだ。


「そうですね。ですが、精霊の怒りを鎮める為の、昔ながらの方法があるではありませんか」


 イハルはロベルクの反応を窺い、ゆっくりと発音する。


「……書物によれば、神に嘆願する為、近親者の娘を生け贄に捧げたとか」


 再度、しんとした空気が流れる。


「ち……」


 ロベルクは言葉を絞りだそうとして、己の喉が渇ききっていることに気づいた。唾を飲み込み、無理矢理声を出す。


「ちょっと待ってくれ。生け贄で解決しようなって、どうかしている! 命を何だと思っているんだ!」


 ロベルクは膝のセラーナを落としそうな勢いで叫んだ。感情に乏しいイハルが思わず頭を後退させ、後ろの男が剣の柄を握ってしまう程の剣幕だ。


「いの、ち?」


 イハルは気圧されたまま、小首を傾げた。その体勢のまま、何かを諳んじるように言葉を紡ぐ。


「書物によれば、命は肉体に備わった生命の精霊の営み。生きとし生けるものに一つずつ与えられているもの。父親の地位以外に寄る辺なきわたくしにさえ、与えられている。幸い、わたくしはカンムー副伯の近親者……」

「っ……」


 イハルの話にロベルクは言葉を失った。イハルの命に対する認識は余りに冷淡だ。ロベルクの眼には、彼女の人形のような顔に重なって、黒髪と紅玉色の眼を持つ死の御使いの嘲笑が見え隠れしていた。大切な仲間を、多くの将兵の命を奪った、残虐な神――


(……取りこまれる)


 ロベルクは強く首を振った。


「本の言葉で命を語っては駄目だ!」

「?」


 イハルは意外そうにロベルクを見つめた。


「迎えた人々には、居場所が必要です。わたくしの命一つで解決するならば、安いものではありませんか?」

「違う……それでは領主と変わらない」


 ロベルクは呻いた。


「領主から追放された人々を纏めるあなたが命をなげうったら、その人達の幸せは誰が見守るんだ⁉」

「わか……らない」


 イハルの空虚な瞳に、初めて感情の色――動揺の色が浮かぶ。


「わたくしの命で、みんなの未来を作る。誰も困りません……」

「リンノは!」


 ロベルクは声を荒らげた。


「リンノは、この世界で家族はトーゾーさんだけだと思っている。あなたが肉親だと打ち明けたら大層喜ぶだろう。でも、リンノが喜んだ矢先にあなたの死を突きつけたら、彼女は家族をもう一度失うことになるんだぞ!」

「家族……失う……」


 感慨なく反芻するイハル。その頬を雫が落ちた。


「あ……あら?」


 雫は止めどなく頬を伝い、膝へと落ちていった。


「な……何かしら。よくわからないのだけど……リンノのことを考えたら……」


 自分の頬を流れる涙に指を這わせるイハル。そしてまた小さく「わからない」と呟いた。


 ロベルクは上半身を乗り出す。


「気づいたんじゃないか? リンノへ向けたのと同じ大きさの愛が、自分に向けられたときの感覚に」


 イハルは何の表情も浮かべずに涙を流していたが、直に己の考えの恐ろしさに顔を歪め始め、両手で顔を押さえて俯いた。


「イハルさん……」


 ロベルクは一言だけ声を掛けると、イハルが泣くに任せて待ち続けた。


 再びロベルクを見たイハルの顔は、既に先刻の無表情に戻っていた。


「ロベルクさん……どうかわたくしを助けてくださいませんか?」

「……わかった」


 暫くイハルを見つめていたロベルクだったが、その眼に真摯なものを認め、頷いた。


「精霊の乱れに関することなら、僕が力になろう。あなたと、リンノを助ける」

「ありがとう……ありがとうございます」


 抑揚なく礼を言うイハル。


 ロベルクは彼女の表情に、僅かな安堵感が滲み出しているような気がした。

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