第十章  思惑の乱流

第六十話 『純朴な悪意』

 暗い水底で、『それ』は待ち続けた。


「来ない……来ない……」


 悲しみの言葉は水の揺らめきとなって、海面を沸き立たせる――





   ***





 その部屋は広間と呼んでもよい面積を持っていた。随所に贅沢さが見て取れる。光の霊晶を使った照明が深夜の広間を真昼のように照らしている下に、わざわざ蝋燭を灯した木製のランタンを配置し、光の揺らぎを演出している。茶色の板壁には等間隔に壁龕へきがんが作りつけられ、陶器の壺や黒インクのみで描かれたファス・トリバー地方独特の風景画等が飾られていた。


 辛うじて下品の一歩手前で踏みとどまった華やかな空間に集うのは五人の男達。二歩程登る壇の上に設えられた、人の頭程もある水の霊晶を据えつけた豪華な椅子に座る男と、横に侍る派手な装束の男、壇の下で好き勝手な場所に立つ男が三人という関係である。

 檀上に座る男が硬質な声を発する。


「報告を聞こう」


 それに答えるように、小柄で姿勢の悪い男が口を開いた。


「渡し賃の値上げは、初日こそ少々混乱もあったようですが、住民の方も馴染んできたようです。旅人はただ通り過ぎるだけなので、こちらの提示額を払って利用しています。新しい船頭ギルドの運営も順調、ギルド員もほぼ全て移籍しました。これも全て、副伯様のご推薦の賜物でございます。まずはお礼の気持ちも込めまして……」


 小柄な男が鞄から小袋を出し、壇の下に置いた机に恭しく乗せた。袋の中から金属質の音が鳴る。


「実はな、これは娘の献策なのだ。商才のあることよ……」


 副伯と呼ばれた男が娘の自慢をしながら口許を緩める。


「では、半分はご令嬢の取り分でしょうか。千ラウ金貨など見慣れておいででしょうが、いつものお礼でございます」

「いつも気が利くな、コギョー。頼りにしておるぞ」

「恐縮でございます」


 コギョーは小柄な身体をさらに小さく丸めるように頭を下げた。


「……そのことでございますが、もう一方の事業につきまして、お耳に入れたいことがございます」

「申してみよ」


 それでは、とコギョーは近くの柱にもたれていた長身の男――サールードに手招きする。

 サールードは副伯に一礼すると、口を開いた。


「副伯様の横にいらっしゃるドオン様からお聞きになっているかも知れませんが、今夜の霊晶生成作業を妨害されました」


 報告を聞き、副伯は一瞬眉根を寄せた。

 横に侍るドオンも遺憾そうに頭を下げる。

 副伯は続きを促した。


「連中は四人組でした。精霊使いと女盗賊と長身の……恐らく海妖精、そしてシージィ人と思われる騎士風の男。ドオン様からお聞きになっていませんか?」

「いや、そのような報告は受けておらん」

「おっと」


 副伯の返事を聞き終えてから、サールードは露骨に蔑みの表情を作った。


「ドオン様は安全な場所に避難なさっておいででしたな」


 ドオンがこめかみを鷲掴みにされたような顔になる。しかし副伯は気にも留めた様子もない。


「ドオンは家宰だ。戦闘など無理筋よ。で、その輩をどうすればよいと考える?」

「排除すればよろしいのでは? たかだか四人でございましょう」


 面目を潰されたドオンがすかさず献策する。

 副伯は唸ると、今度は実際に相まみえたサールードの意見を求めた。


「精霊使いと女盗賊は服装からして土地の者ではありません。旅人であれば、すぐに立ち去るかと思います。それを待ち、邪魔者の戦力を削いでからでも商売的には損失はないかと」

「サールードは臆病風に吹かれたか? お主には戦力を整える為、副伯様からの支度金をかなり渡したかと思うが……まさか懐に入れたりしてはおるまいな」

「いえいえ、ドオン様」


 ドオンの誹謗を意に介さず、サールードは冷淡に答えた。


「手練れの戦士を選んで雇い、配下の精霊使いを含め、合わせて十人以上を雇いましたが、全滅しました」

「ほう、サールードほどの者が選んだ者共が全滅か。ならば、旅人だけでも減らすのが得策かも知れんな」

「ですが副伯様、シージィ人の騎士も侮れません。剣の腕は確かなのもそうですが、嫌な雰囲気を感じる男です。朝廷と繋がっていたりすると厄介かと」


 朝廷、という単語を聞き、副伯は肩を震わせた。朝廷と繋がっている、というのは即ち、朝廷の査察官である可能性がある、という意味だ。


「……私はカンムーの産業を振興し、大きく発展させたいだけだ。私――ウモンあってこそのカンムー、と娘も言っておる」


 副伯は自身に言い聞かせるかのように言葉を噛み締めながら宣言した。


「……その騎士の件は考えよう。ドオン、他には懸案はないか?」

「ははっ」


 ドオンが数歩後退して頭を下げると、副伯に正対して報告を始める。


「水の霊晶を用いた旅道具は殊の外好評で、売り上げも伸びております。陸路の旅人からの評判も上々です。往来も増えつつあり、近いうちに船頭ギルドからの納税も増えましょう。一方で、最近海が荒れることが多く、新興の船主が入港を躊躇うことがあると聞きました」

「最近の天候はよかったように思うが。船員の質が低下しているのではないか?」

「巷では『霊晶を集めすぎて、水の精霊が怒っている』という噂も聞かれますが……」


 ドオンの言葉を振り払うように、副伯が手を払う仕草をする。


「それについてはサールードに任せてある」

「いかにも。精霊など世界を循環する力に過ぎません。大自然の変霊力へんれいりょくで海の水が風になり、大空で再び水になり、雨は川へ集まる。ご令嬢は……イハル様は慧眼でいらっしゃる」


 副伯は愛娘を褒められてまんざらでもない心持ちを見せるが、それでも不安があるのか、陰の方で控えていた男に呼びかけた。


「ザンモよ、そなたはどう思う? 精霊使いの意見だけでなく、水神アレイルの聖職者であるそなたの考えも聞きたい」


 ザンモと呼ばれた聖職者が壇ににじり寄ってこうべを垂れた。頭髪はなく、その顔からは消費しきれなかった脂が滲み出し、赤銅色の肌と相俟って精力的といえる範疇を超えた風貌を作っていた。

 ザンモは刺胞動物のような毒気を感じさせる口を開く。


「サールード殿の言った通りで問題ございません。何か問題が発生した時には、御喜捨に応じて、水神を慰める祈りを捧げさせていただきます。それが通じぬときは……」


 そこでザンモは口を閉じ、意味ありげな視線を副伯に向けた。


「な……何だ」

「吾輩、古文書に多少通じておりまして……それによりますと、水神の怒りが収まらぬときは土地の長が娘を生け贄に差し出し、祈りを捧げて鎮めた、と」

「娘……」

「イハル様はとてもお美しく、聞けば副伯様の志に賛同し、全面的に支えようとなさっ……い、いえ! 古文書など信憑性の低い言い伝えに過ぎませんので!」


 ザンモは途中で副伯の怒りに満ちた視線を感じ、慌てて言葉を補った。


「確かにイハルは私の領地繁栄の夢に賛同しておる。しかし、それだけでなく税収増や商業振興の案を考案したのもイハルだ。将来は領土を継ぐつもりでおる。そのイハルをむざむざ水神の生け贄になど……」


 言いかけて副伯は眼を見開いた。


「……ザンモよ。それは、血が繋がっていればよいのか?」

「へ? はあ。『娘』としか記述がありませんでしたので……」

「そうか……ふふふ、万一の時の生け贄については、解決できそうだ」


 儲けと領土繁栄にのみ純粋だった副伯の冷たい顔に、残虐な笑みが浮かんだ。


「解決したところで、件の旅人について考えよう」

「副伯様は、どうなさりたいので?」


 コギョーの問いかけに、副伯は唸った。


「正直……興味がある。サールード程の精霊使いが戦いを避けようとする者達……ただ者でないからこそ、話が通じるやも知れん」

「ようございますな」


 コギョーが悪辣な笑みを浮かべた。


「早速、明日にでも宴にご招待致しましょう……なあに、うちの手の者に全ての宿屋を当たらせますので」

「仕事が早いな、コギョー」

「はい。和やかに歓談できるとよいですな……まあ、和やかでなくなったとしても、ご招待できれば色々とやりようはあります」

「頼むぞ」


 副伯の言葉を合図に、謀議の面々は闇へと消えていった。

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