第四十一話 『生きる意思』

 その時、ロベルクとセラーナはフィルーリアンの呪文の詠唱で我に返った。その声は、言葉こそ人の物ではあったが、その響きはまるで本意ならず冥界に連れ去られた者共が発する怨嗟の呻きのようであった。


「冥界より来たれ、死の精霊。汝の望むままに魂を喰らえ……燃えよ、『暗き炎』!」


 ナイルリーフの青水晶の剣が紫色に輝きだし、そこに蛇のようにのたうつ黒い炎が纏わり付き始めた。切っ先がこちらに向けられる。


(いけない!)


 セラーナは魔法に対してほぼ丸腰。レイスリッドは先程の闘いで魔力を相当消費している。自分が打ち払わなければ、自分もセラーナも助からないと、ロベルクは直感した。

 ロベルクはセラーナを背後に庇って霊剣を構えると、のたうちながら迫り来る『暗き炎』を斬り払う。


「愚か者め。その『暗き炎』は、命を喰らい、焼き尽くすまで消えぬ」


 フィルーリアンの言う通り、炎は霊剣に絡まり、金属の命を、持ち主の命を喰らおうと、ぞろぞろと這い上がってくる。本来であれば金属でさえ一瞬で朽ち果てるはずの『暗き炎』が刀身に巻き付いている様は、ロベルクの霊剣が『暗き炎』の浸食を遮るほど桁違いの精霊力を秘めているが故に起きた、おぞましい光景であると言えた。


「くっ!」


 ロベルクが霊剣を振り払っても、『暗き炎』は消えずに、手元に向かって這い上がってくる。まるで蛇が獲物ににじり寄る姿のようだ。


「霊剣よ、その氷で炎を飲み込め!」


 霊剣に波打つような氷が現れ、打ちつけるように黒い炎を振り払うが、『暗き炎』は意に介すことも無く、這い上がる。


「まだまだぁっ!」


 ロベルクは気合いの声を上げ、さらに氷を生み出す。使役する精霊により、謁見室が真冬のような寒さになっているというのに、『暗き炎』は消える気配を見せない。

 どろどろと這い上がった『暗き炎』は、いよいよ柄に取り付き、剣を握るロベルクを喰らおうとする。


「諦めるわけにはいかない! 超低温と氷の爆裂でかき消せ!」


 霊剣の周囲の空気が超低温により液化し、黒い炎に奔流の如く吹き掛かる。黒い炎は一瞬怯むが、その液体を喰らって、なおも這い寄る。


「もっとだ! 僕が諦めたら、みんな死ぬ!」


 ロベルクは雄叫びを上げて剣に精神を集中した。

 ロベルクは祈るように、柄を握った。


 『暗き炎』がロベルクに触れようとする刹那――


 突如として、剣の柄から白く滑らかな腕が生えた。

 精霊と関わらぬ者でも感じ取ることができるほどの濃密な精霊力を伴った白い腕は、躊躇なく炎の蛇を握りしめる。


「何っ!」


 今度はフィルーリアンが声を上げる番になった。腕は『暗き炎』をその掌に吸い寄せて握り潰し、完全に消し去った。

 腕はそのまま伸び、二本目の腕が現れ、白金色の髪を靡かせた少女が剣の柄をかき分けて現れた。神々しい藍色の衣を身に纏っている。青玉色の瞳が、フィルーリアンを見据えた。


「フィルーリアン……」

「汝は……氷の御使い、フィスィアーダか」


 少女は――フィスィアーダは、床に降り立つと、ロベルクの方へ振り返った。


「草木を愛でる者……ロベルクよ。汝の生きる意思、確かに受け取った」


 フィスィアーダは、虚空に大剣を呼び出した。少女が扱うには幅も広く長大な大剣は、氷のように輝いていた。

 フィスィアーダは、フィルーリアンを指さす。


「『命ある者』になりすぎたな。汝の負けだ」


 虚空の大剣は、回転を始める。そして、光のような速さでフィルーリアンに向かって飛ぶと、受け流す間もなくその胸に突き刺さった。


「この剣は! 我が『神』の力が!」


 剣を突き立てられた苦痛ではなく、魂のようなものを傷つけられたような苦悶を浮かべるフィルーリアン。


「氷神メタレスの剣だ。そのまま死神の元に帰るか、それとも剣を引き抜いて『命ある者』として戦うか……汝が選ぶが良い」

「おのれフィスィアーダめ!」


 フィルーリアンは、両手を大剣の柄に掛け、一気に己の胸から引き抜いた。胸元に傷はなく、切り裂かれた紫色のローブだけが攻撃の跡を物語っていた。


「我は……俺は、魔術師ナイルリーフとして、貴様らを葬り去ってやる!」


 先程まで紫色に輝いていた剣は、また青水晶に戻ってしまったが、その切っ先が放つ殺気は尋常ではなく、可視化できているのではないかと錯覚してしまいそうなほど濃密な死の気配を吹き出していた。


「ぬあああっ!」


 フィルーリアンは、咆哮を上げてロベルクに斬りかかった。ロベルクは月光の軌跡のように剣を捌いてそれを受け流す。苛烈な炎と冷たき月光のぶつかり合いだ。


 だが、フィルーリアンの隙を見せない連撃に、ロベルクはじりじりと後退を余儀なくされる。気付けば謁見室の東に突き出たバルコニーまで押し出されてしまった。


「このままではロベルクは攻撃できない。セラーナはここに居ろ」


 レイスリッドが立ち上がる。杖先に曲刀を発生させて、フィルーリアンにむかって走り込んだ。

 二つの『月の剣』が、フィルーリアンに打ちかかる。しかし、レイスリッドの斬撃を受け流しながらロベルクに攻撃を加えるフィルーリアンは、まさに神速の剣捌きである。


「殺そうとする、意思の、強い方が、勝つのだ!」


 烈火の如き連続攻撃と同時に発生させるという離れ業によって生み出された火球が、レイスリッドに襲いかかる。

 精霊を命令も無く操るフィルーリアンに対し、慌てて水精霊の護りを繰り出すレイスリッド。精霊使いとしても、人間と御使いとの間には大きな格の違いがあった。


 レイスリッドに攻撃の矛先を向けた隙に、バルコニーの手すりに背中を押しつけられていたロベルクが攻撃に転じ、剣先を繰り出す。

 だが。


「ヒュール!」

「がっ!」


 いつの間に再生を終えていたのか、ヒュールが顔面でロベルクの剣を受け止めた。必殺の斬撃が止められた驚きと、草原妖精が顔面で主を庇った衝撃とで驚愕するロベルクの前で、ヒュールはそのまま血を吹き出しながら滑り落ちていく。


「よくやったぞ、ヒュール。殺す意志の強い方が、勝つのだ!」


 フィルーリアンは、ロベルクの剣を己の部下が刺さったまま弾き飛ばした。三人が剣を交えている東のバルコニーは断崖の上に突き出しており、真下は海である。ヒュールの顔面から無理矢理抜き取られたロベルクの剣は、バルコニーの手すりで一度跳ね、海へと吸い込まれていった。


「俺の勝ちだ。死ね」


 フィルーリアンが、両手で剣を持ち、力を込めて振り上げた。

 フィルーリアンの口角は邪悪につり上がる。

 その切っ先は勝利を確信した渾身の力で、上段に振り上げられていた。


「終わりだ……」

「終わらん!」


 一瞬、隙になったフィルーリアンの脇に、ロベルクの蹴りが叩き込まれる。


「ぐっ!」


 御使いの体なら何ともない筈の衝撃に、人間に戻ったフィルーリアンの体は過敏に反応し、苦痛に体を曲げる。


「殺す意思ではない。生きる意思が強い方が勝つんだ!」


 ロベルクは雄叫びを上げると、そのままフィルーリアンの背に、体重を乗せた蹴りを食らわした。


「『命ある者』如きに……この俺が!」


 最後まで神としての威厳を残して、フィルーリアンの体は輝く海へと落ちていった。


「フィルーリアン様ー!」


 ヒュールが後を追って、バルコニーから海へと飛び込む。


「…………」


 ロベルクとレイスリッドは二人が海中に消えるのを見届けると、セラーナとフィスィアーダの元に戻った。


「これで……ここに居る敵は、全て始末したな」


 ロベルクは溜息とともに、勝利を宣言する。

 ついに、戦争の首謀者はその舞台から退場した。

 あとは、戦争を終結させるという、唯一にして難解な課題が残されていた。

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