第七章  精霊の神

第三十八話 『命に貴賤なし』

 ロベルクとレイスリッドは、謁見の間の扉を投げ捨てるように開け放った。


 整列して待ち構えていた近衛騎士が一斉にこちらを振り向き、クラドゥを守るように立ちはだかる。


 玉座には、煌びやかな鎧を身につけ、頬髯を蓄えた男が、ゆったりと腰を掛けていた。肘掛けには、宝石を嵌め込まれ、遠目にも煌びやかな彫金に飾られた長剣が立て掛けてある。


 そして玉座の斜め後ろには、宮廷魔術師の藍色のマントを纏った男、ナイルリーフが控えている。


「お前が、クラドゥⅡ世か……ナイルリーフとかいう男に好き放題殺しをさせているという……」


 ロベルクは翠眼の奥に一瞬だけ激情を閃かせ、冷酷な剣の切っ先をクラドゥに向けた。


「こんな所まで進入を許すとは! ……お前たち、さっさと余を守らぬか!」


 侵入者達とは対照的に、追い詰められたクラドゥは苛立たしげに叫んだ。


 国王の近くで整列していた近衛騎士が金属鎧をがちゃつかせて動く。一瞬で四人は、斧槍を構えた近衛騎士に半包囲された。


「妖精とみれば無差別に殺戮する国王を盲目的に守るか……」


 ロベルクの心に冷えが走った。翠玉の瞳がぎらりと光る。


「では……貴様らも同罪だっ!」


 ロベルクの体から、白いもやと共に衝撃が走る。近衛騎士の多くが身を庇う間もなく一瞬で吹き飛ばされた。彼らは壁や柱、床などに打ちつけられ、不協和音を奏でる。だが、最も不幸だった近衛騎士は先頭に立ってロベルク達に斧槍を向けていた者達で、彼らは鎧の内側で肉体を冷凍され、脆くなった身体は衝撃によって砕かれた。ロベルクの前方には、粉微塵になった肉を包んだ鎧の部品が、有り得ない位置関係で散乱していた。

 一方で、攻撃の前触れだったもやは常温の空気に触れ、凄惨な攻撃などなかったかのように消えていた。


 ロベルクたちは、国王に歩を進める。


 近衛騎士たちは斧槍の穂先を震えさせながらも、未だに国王とロベルクたちの間に立ちふさがる。大した忠勤ぶりだ。


「無用の死者はいらん……などと言うほど、俺は聖人君子じゃないぜ」


 レイスリッドが杖を振った。電光が四方八方に走り、凍死体に次いで焼け焦げた死体を包んだ板金鎧が転がる。


 セラーナの小剣も、リニャールの戦斧も、一振りもせぬ内に、いつの間にか近衛騎士たちは謁見の間から姿を消してしまった。


「どいつもこいつも、役に立たぬ。ナイルリーフ、何とかしろ!」

「いえいえ」


 ナイルリーフは、自分達を守るはずだった近衛騎士が全て屍になった事にも眉一つ動かさず――寧ろ笑みすら浮かべていたが、王の命令を聞くといよいよ凄絶な笑いを見せながら、慇懃に拒否した。


「十分役に立ってくれました」

「何だと?」


 クラドゥが振り返る。


「玉座まで敵の進入を許すなど、無能の極みではないか!」

「魂は、一人の妖精に一つずつあり、また一人の人間にも一つずつあります。今頃冥界は大層賑わっていることでしょう……」


 何を、と言いかけたクラドゥは、ナイルリーフの異様な妖気に身を震わせた。


「また、魂は身分卑しき者にも、高貴な者にも……陛下のご兄弟にも、陛下自身にも一つずつございます」


 そこまで言うとナイルリーフは腰から青水晶の剣を引き抜き、無造作にクラドゥの胸に突き立てた。


 がっ、と息を吐く音がして、クラドゥは目を見開く。

 口が「ナイルリーフ」と動いたように見えたが、鮮血をごぼごぼと吐き出す音にかき消された。


 リグレフ王国全土に、死の恐怖と、人間の歪んだ選民意識をまき散らした国王は、呆気ない最期を遂げようとしていた。


 鎧の隙間から血を滴らせ、疎らに痙攣するクラドゥを、ナイルリーフは片手で貫いた剣で無理矢理立たせたまま、穏やかに語りかけた。


「陛下……いや、クラドゥ。お前は、今まで俺の責務を遂行する上で、十分な助けとなった。ご苦労であった。そろそろ、お前自身の魂もいただくことにした」


 ロベルク達は、敵のあっけない死を目の当たりにして立ち尽くし、絶句していた。標的の一方が、もう片方によって殺されてしまうという幕切れを前に、その惨劇を見守るという選択しかできなかったのだ。


「クラドゥ……お前は、何の関わりも無い者や、親兄弟でさえも平然と命を奪うことのできる、希有な人間であった。だが、そろそろ戦も収束に向かっているようなのでな、お前の役目も終わりだ」


 青水晶の剣がクラドゥから滑らかに引き抜かれた。ナイルリーフが数歩下がってこれ見よがしに会釈すると、数瞬前まで国王だった死体は場所を譲られたように前のめりに倒れる。ナイルリーフはそれを長靴の爪先で仰向けになるよう転がすと、興味を失った玩具を見るような視線を投げ下ろした。そして思い出したかのように血を払うと、刀身には一滴の血も残っておらず、青い刃が怪しく輝いていた。


「ナイルリーフ、やはり貴様が仕組んでいたのか」

「そうだ」


 ロベルクの怒りも意に介さず、ナイルリーフが振り向いた。


「実におもしろい人間であった」

「お前のために、どれだけの人間と妖精が死んだと思っているっ!」


 ロベルクの怒りもどこ吹く風と、ナイルリーフは冷笑を浮かべた。


「人間? 妖精? いや、それだけではない。貴賤はもとより、獣、魔物、虫けら……同じ命だ。俺に刈られるために存在する」

「何だと!」


 ロベルクは激高した。

 今まで、彼が知る多くの者たちが命を奪われ、命を奪われそうな危険に晒された。この男の恣意的な欲望のために、それらが奪われたかと思うと、抑えきれない怒りが込み上げてくる。ロベルクの怒りの高まりとともに、冷気が迸った。


「シャルレグ、全てを凍りつかせろ!」


 氷の竜が、超低温の吹雪を吐き出した。同時にロベルクが霊剣を抜き放ち、吹雪と共にナイルリーフに打ちかかる。


 ナイルリーフは、それを避けようともせず、炎を纏わせた左手で吹雪を払った。そして、ロベルクの変幻自在の太刀筋を全て受け止めた。


「稚拙!」


 己の霊剣の刃とナイルリーフの青水晶の刃が交わって動きを止める。ロベルクはその向こうに、口角をつり上げたナイルリーフの顔を見て取った。


「『月の剣』か。面白い」

「ロベルク、下がれ!」


 レイスリッドが叫んだ。我に返ったロベルクは飛び退り、ナイルリーフとの間合いを広げた。


「刈り甲斐のある魂だ。こんな乱れた王国にこれ程質の良い魂が一堂に会するとは、まるで泥濘に宝玉を見つけたようだ」

「何……?」


 ロベルクはナイルリーフの言葉に奇妙さを感じた。


「お前は、人間至上主義の国王に付き従い、ここに人間だけの王国を築くのではなかったのか」


 ロベルクの言葉に、ナイルリーフは吹き出した。剣を杖代わりにして体を支え、体をくの字に曲げて大笑いする。

 皆が呆気にとられている中、ようやく笑いを収めたナイルリーフは体を起こした。呼吸を整えると、小さき魂よ、とロベルクを揶揄した。


 ロベルクたちは身構える。


 ナイルリーフが口を開き、噛んで含めるようにゆっくりと言葉を紡ぎ出した。


「俺は、国の行く末などには興味は無い。クラドゥという男の側にいる事が、数多くの魂を刈り取るのに都合が良かっただけだ」


 四人の身に戦慄が走った。

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