第三十六話 『戦を動かす四人』

 その晩の内に、ロベルクは隊を抜け出し、左翼の先端辺りを掠めるようにしてリグレジーク城に向かって歩いていた。

 見張りの兵たちも、別に傭兵団の隊長がその辺を歩いていても怪しむことはない。


 そのまま、壊れかけた建物の間に入り込んでいく。


「おい、そこの脱走兵」


 急に闇の中から声が掛かり、ロベルクは呼び止められた。


 ロベルクは静かに剣を鞘から抜くと、精霊を召喚するための集中を高めながら、振り向く。


「抜け駆けして、おいしい首だけ狙い撃ち、なんてずるいじゃないか」


 そこには、本陣で病に伏せっているはずのレイスリッドの姿があった。


「レイスリッドこそ、病気だと聞いていたが、こんな所で何をしているんだ」


 ロベルクの身から殺気が消え、笑みがこぼれる。


「俺だけじゃない」


 レイスリッドが顎で示すと、今まで視野に収まっていたはずの場所にセラーナの姿が浮かび上がった。


「あたしも、抜け駆けは良くないと思うわ」

「いや、あの、それは……」


 気配を察知できなかったことよりも、大切な人が急に現れたことで、ロベルクは口ごもる。


「守ってもらう方から、わざわざ近くに来てあげたわ。感謝してね」


 セラーナは悪戯っぽく微笑んだ。


 ロベルクの顔から、完全に緊張が消える。同時に、頬が火照るのを感じた。


「やれやれ、お熱いこって。戦が終わるまで取っておいてほしいもんですね」


 影の中からもう一人、こちらを追うように姿を現した。リニャールだった。大柄な体躯に戦斧と大盾という出で立ちだが、鍛えられた心肺は息を切らせた様子もない。


「この前の面々が揃ってしまったというわけか」

「猊下の為にね」


 ロベルクとリニャールは拳を合わせて挨拶をした。


 ほぼ同時に陣を抜け出した四人。

 ロベルクは三人に問いかけた。


「……ところで僕たちがなぜか偶然集まった理由は?」

「ナイルリーフを襲撃する」


 四人の声が揃う。

 事前の相談などせずとも、もはや四人は共通の目的を認識していた。

 レイスリッドが言葉を続ける。


「もうちょっと詳しく言うと……ロベルク、お前も含めて今日の戦闘を見、中軍のクラッカワーとアンドニアディスの師団は強固で士気も高いことが分かっただろう。しかし、両翼のトリオール副伯とブランパン男爵、特に右翼のブランパンの率いる師団は動きが緩慢だ。厭戦の気すら見えるブランパンの陣のさらに外側から接近して、城に忍び込み……殴り込むかも知れんが……ナイルリーフを襲う、と考えたわけだ」

「そんなところだ。さすが軍師殿」


 ロベルクは答えた。


「さらに付け加えるなら、敵右翼の後ろにある『王の橋』『貴族の橋』『騎士の橋』だけが、跳ね橋ではなく石橋。跳ね橋を攻略しなくて済む分、手間が少ない。守りの兵はいるかも知れないけれど、見られる目が少なければ少ないほど、強力な魔法を掛けられるからね」


 ロベルクの答えに、レイスリッドは満足そうに頷いた。


「城門の中は敵の精鋭、近衛師団だ。近衛騎士が五百、近衛兵が二千。三交代制を敷いているとして、実動しているのは約千六百。一人あたり四百人とちょっとを倒せばいいことになる」

「十分多いですな」


 リニャールの声は小さくなりがちだ。


「そうだな。では、引きずり出そう」

「そんな簡単に」

「簡単だよ、リニャール」


 ロベルクはリニャールに目配せした。


「大集団の手前、恐れられるといけないから、大規模な魔法は控えてきたが、ここなら僕もレイスリッドも精霊の全力を引き出すことができる。僕は今日初めて、全力の魔法を掛ける」

「そいつは楽しみだ」


 レイスリッドがにやりと笑った。


「俺たちの魔法で前線は危機に陥る。そうすれば近衛師団が助けに打って出る。出なければ、ママドゥイユ軍は野戦において圧倒的勝利を収める。どちらにしても、俺たちの行動はママドゥイユ候によい知らせをもたらす」

「全く、あなた方が味方で良かった」


 リニャールは分厚い肩を窄めた。


「では、行こう。ブランパンの陣を迂回して夜明け前に街に入るには、急がねば」


 四人の影が、崩れた街並みに消えた。





 ロベルクたちは、まだ夜が明けないうちに街並みと瓦礫との境目にたどり着いた。


「少し休もう」


 ロベルクは三人に声を掛けた。


 目の前の家は、持ち主が逃げ去ったのか、扉が開け放たれたまま放置されていた。

 四人は空き家に入った。短い間だが、夜風を凌いで快適な休息がとれそうだ。


「いよいよ明日、ナイルリーフを討つ」


 ロベルクが改まって宣言した。


「クラドゥもだ」


 レイスリッドが付け加えた。


「その後は、どうするの」


 セラーナが問うた。


「妖精が、人間と同じ生き方ができる……いや、生き方を選べる場所を作りたい。そのために、戦が終わった暁には、ミーア様の一声をもらいたいと思っている」


 ロベルクは、総主教の助力を期待していた。


「今のラウシヴの体制でできるのかな。この大きなリグレフに、自由の神の教えを広めるなんて」

「俺は、今の国家形態は大きすぎると考えている」


 セラーナの心配にレイスリッドが口を挟んだ。


「あまねく臣民が自由を享受するには、この国は大きすぎるんだ。それを望まない者が確かに存在し、そして諍いが起き、戦へと育つ。今回のように」

「僕も同感だ」


 ロベルクが口を開いた。


「僕はクラドゥのやり方は絶対に許せない。でも、腹立たしいことに、クラドゥのやり方に従う方がいいという者もいる。それらを一つ一つ力でねじ伏せていけば、それは自由ではなく、クラドゥとやっていることは一緒だ。いろいろなやり方があって、それを認めるのが自由だとすれば、リグレフという巨大な国がラウシヴ神だけの下に集まるのは、やはりどこかに負荷のかかる営みだったんだ」

「頭だけを斬り落として戦を終わらせ、その後は一人一人に生き方を選ばせる、ということですね」


 リニャールが話を纏めた。


「てことは、猊下はこれからも忙しく動き回るってことですか」

「そうだな。君も戦が終わったら、聖騎士になれるかも知れないね」


 ロベルクがリニャールを持ち上げる。


「そうなったら嬉しいな。『聖騎士リニャール様』って呼ばれるのが夢だったんですよ」


 リニャールが未来の自画像を思い浮かべてにやにやと笑った。





 日の出だ。

 今日、戦は動く。


 ロベルクは剣を佩くと緑のマントを羽織り、空き家を出た。もはや耳も隠さず、白金色の髪は風に靡くままになっていた。ロベルクは見晴らしの良い塁の上に仁王立ちした。


 王軍の陣、そして侯爵の陣から、ラッパの音が鳴り響く。本日の戦の始まりである。遠くでは、モエとマイルキーの陣に動きが見られる。魔法攻撃の準備に入っているのだ。


 ロベルクが大きく息を吸った。


「召喚に応じよ、氷の王シャルレグ!」


 氷の竜が実体化した。


「……自由な生き方の選択が在ってよし。だが、今は戦。我ら妖精を駆逐した罪を、冥界で贖え!」


 ロベルクとシャルレグの周囲の空気が、急速に冷却される。彼の周囲に強烈な上昇気流が発生していた。


「敵陣を吹雪で満たせ!」


 腕を振り、掌を戦場に向けると、一瞬で王軍の陣が白い幕に覆い隠された。暴風雪により、怒声も悲鳴も聞こえない。王軍は混乱の中にあった。


 次いでロベルクは、指を閉じて拳を握る。


「凝固しろ!」


 一瞬で風が止み、舞い散っていた雪がガラスのような音と共に地面へと落ちる。王軍は馬も人も、固まった雪原の中で身動きできずに立ち往生していた。


「あらゆる水脈は氷の銛となれ」


 ロベルクの命令に反応して地面に激震が走る。水脈が氷結し、地中で無理矢理に形を変えようとするために振動が起きているのだが、王軍は吹雪の恐怖と地震の恐怖、そしてそれに対して動きのとれない恐怖に突き落とされていた。


「天を突け!」


 王軍の陣の地面から、葉脈のような文様を描いて、氷の銛がそそり立った。

 遠目には霜柱のようにしか見えないが、その柱の一つ一つが、小さいものは槍のような、大きいものは丸太のような太さをもった氷の銛なのである。

 白いものは日光を反射して美しく、赤いものはその身の途中に将兵や馬を刺し貫いて禍々しく、戦場に立っていた。


 王軍はもはや恐慌状態であった。

 嘆きの声が、ロベルクの耳にまで届いてくる。


「お前らに殺された、何の咎もない妖精たちの苦痛は……こんなものではないぞっ!」


 ロベルクから、白く輝く冷気が発せられた。

 光はクラッカワーの陣を直撃する。氷柱の攻撃から逃れた将兵の多くが、この光により一瞬にして凍りついた。


「落ち着けロベルク。やりすぎるな。近衛師団が助けに入る余裕を作るんだ」


 見ると、後ろにレイスリッドが立っていた。

 黒い鎧を身に纏い、緑のマントをはためかせている。

 その後ろにはセラーナとリニャールも、戦闘の準備をして立っていた。


 ロベルクが最初に大神殿にやってきたときの様子を聞かされていたセラーナは、またロベルクが我を忘れて周囲を真冬にしてしまうのではないかと、心配する表情を浮かべていた。

 だがそうはならず、ロベルクは冷気を収めた。張り詰めた気合いを解放し、シャルレグを精霊界へ送還する。


 この時点で、クラッカワー師団は壊滅。アンドニアディス師団、トリオール師団は半壊。

 皮肉なことに、真っ先に各人ばらばらに逃亡を企てたブランパン師団だけが、被害を最小限に留めていた。

 ロベルクたちには知るよしもなかったが、この一度の攻撃により、クラッカワー伯爵は戦死し、本人かどうか判別のつかないような屍を、戦場の氷柱に晒していた。

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