8
「また来てんのか。」
道場の外で、後ろから膝カックンをされた。
「あたっ。」
大げさによろけて振り向くと、陸。
「暇人かよ。」
「間違いなく。」
陸は俺の隣に並ぶと。
「彼女、すげーらしいな。最初こそ勝ってたらしい環も、今じゃ投げられない努力をしてるっつってたぜ?」
首を伸ばすようにして、中を覗き込んだ。
「ああ…今日まだ無敗だ。」
「マジですげーな…」
しばらく陸と並んでると、けたたましい足音共に…
「しゃおとめーーーーーっ!!」
可愛い大声が聞こえて来た。
つい、それだけで目元がほころぶ。
「セン、足踏ん張れよ。子供だと思って舐めてたらやられるぞ。」
陸のアドバイスに、少し腰を落として身構えてると。
「わーいっ!!」
海君は、俺の手前で両手を広げて飛び跳ねた。
「うはっ!!」
その、全力で跳んで来た海君をガッチリ受け止める。
…なるほど踏ん張ってないと、二人してひっくり返る所だった。
自慢じゃないが、俺は非力だ。
「おまえ、少しは俺んとこにも来いよ。」
陸が海君にボヤくと。
「しゃおとめ、いくちゃんよりおっきーもんっ。」
俺に抱っこされた海君は、陸より目線が高くなるように、さらに体を伸ばした。
「ちっ。ほんの数センチでここまで差を付けられるとは…」
海君を抱えたまま、また道場を見てると…
「海ー。」
織の声。
「あっ、しゃおとめ、しーよ?」
「しー?」
「しーなの。」
「??」
俺が首を傾げて海君を見ると、海君は俺の腕の中で隠れるように丸くなった。
…が。
「見付けた。」
背後から、ずずいと出て来た織に見つかって。
「や~ん…」
泣きそうな顔に。
「やーんじゃないの。ほら、早く。」
「や~…しゃおとめぇ~…」
海君に泣きそうな声でしがみつかれて、つい…織と海君を交互に見ながら戸惑う。
「あたしが怖いように思ってるかもしれないけど、今から歯科検診なの。海、診てもらうだけだから。痛いのないから。」
「やっ。」
「海。」
「…海君、行っておいで?痛くないって。」
「じゃあ、しゃおとめも…」
「俺は…」
目に涙を溜めてる海君に見つめられて、うっかり一緒に行きたくなってしまったが…
それは俺の役目じゃない。
グッと堪えて…
「男だろ。歯医者ぐらいで泣いてちゃダメだ。」
海君の目を見て、言った。
「……」
涙を我慢して、唇を震わせる海君。
ああ…俺が泣きたくなって来た…
「…かーしゃん…」
海君は俺の腕から織に腕を伸ばして。
「…いく…」
泣きそうな声ではあるが、そう言った。
織は首をすくめて、俺に『ありがと』って口パクをして。
手を振って歩いて行った。
「…泣きそうな顔してるぜ?」
陸にドン、と体をぶつけられた。
「子供にとって、歯医者なんて恐怖でしかないだろ。」
「間違いない。」
それから…どちらからともなく、縁側に座った。
「…不思議な感覚だったな。」
陸がそう言って、空を見上げる。
「何が。」
「おまえと海と織。」
「……」
「こないだは環がいたからさ、見慣れた親子風景だったけど…」
「……」
「今、織と海とおまえ…三人がちゃんと親子に見えた。」
投げ出した足を、パッと自分の身体に引いて抱えるようにすると。
「ちょっと、俺の方が辛かった。」
ペコリと小さく…俺に頭を下げた。
「な…」
俺は一度息を飲んで。
「何言ってんだよ。海君は…環さんの息子だよ…それはもう、ちゃんと認められてる。」
早口に言い切った。
「…マジでか?」
「ああ。それを認めたうえで…俺の事も父親だと思ってるって、環さんが言ってくれた。なんて言うか…俺、贅沢だなって思ったよ。」
「…ふっ…」
陸は抱えた膝の上に額を乗せて、小さく笑うと。
「あー…早く向こう行って、浅井晋に会いてー。」
また、空を見上げた。
「今日も無敗だったな。記録更新中じゃないか?」
なんだかんだ言いながら…俺は世貴子の稽古が終わるのを待って、こうして一緒に帰るようになった。
そして、帰り道のわずかな時間。
公園のベンチで世貴子と話をする…っていう毎日なんだけど。
…今日はどういうわけか…
世貴子がうつむいたまま。
「…疲れたか?」
疲れるよな。
何人も相手に実戦。
集中力も半端ないだろうし…
こんな寄り道なんてしてる場合じゃないかも?
「帰って休む?」
世貴子の顔を覗き込んで問いかけると…
「ねえ…」
世貴子は、自分のつま先を見つめたまま言った。
「ん?」
「…センの好きだった子って…織ちゃん?」
「……」
思いもよらない問いかけに、俺の顔から表情が消えた。
今…世貴子は、俺に…
『好きだった子』の名前を聞いた…よな?
織…か?って。
過去形で聞かれた。
「…ああ。」
「……」
俺の返事に、世貴子は一瞬息を飲むと。
「…今も…?」
低い声で続けた。
「今もって…」
俺、世貴子に好きって言ったよな…
届いてないのか?
いや…キスしたし…
「織とは、もう友達。今俺が好きなのは世貴子だよ。」
「……」
俺がハッキリそう言っても…世貴子の視線は上がらない。
横顔でも、その目がうつろなのが分かる。
…どうした?
「あの子…」
「え?」
「海君って…織ちゃんの子…」
…あ。
「センの子供だ…って、本当?」
「……」
一瞬の内に、何も考えられなくなった。
織は友達だ。
海君は…友達の息子だ。
そう言えればいいのかもしれないが…
…海君は、まぎれもなく…俺の子供だ。
「…今日、センと陸君が話してるの…聞いちゃったの…」
「…………そっか。」
ゆっくり立ち上がって、そばにある木を見上げる。
葉の隙間から漏れる光に、『おまえだけが楽になったって仕方ないんだ』って責められてるような気がした。
「海君は…確かに俺の子だよ。」
「っ…」
「だけど、今は環さんの息子なんだ。」
「…どうして、そういうところをあたしに紹介したの?」
「そういうところって…」
「あたしは、そんな…できた人間じゃないの。わかってるでしょ?」
「……」
「嫉妬で…気が狂いそうよ…」
「世貴子。」
「…今の、なし。忘れて…」
「どうして。」
俺は、世貴子の手を取る。
「やだ…こんな、嫉妬だなんて…あたし…」
世貴子は瞳いっぱいに涙をためて、俺を見つめた。
「…ごめん…知りたくなかった…」
「俺は、世貴子が好きだから…いつか全部話すつもりではいたよ。」
「…いつ言ったって…妬いちゃうわよ…」
「俺がどれだけ世貴子を好きだって言っても…?」
「……」
世貴子は苦しそうな顔をしたまま、俺の胸に顔を埋めた。
俺はそんな世貴子の頭をそっと撫でながら。
「…俺だって、内心穏やかじゃないぜ?世貴子が男と寝技なんてしてたら。」
「…センもヤキモチなんて焼くの?」
「応援しに行くって言いながら、世貴子に色目使う男がいないか、監視に行ってるようなもんだからな…」
「……」
「ほんとだぜ?」
「…あはは…」
「やっと笑った。今日全然笑わないから、どうしようかと思ってた。」
「…バカ。」
世貴子は俺の背中に手を回して。
「もう…それだけでいいや…」
って、小さくつぶやいた。
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