7

「すっっっ…ごく、うまい。」


 織が力を込めて言った。



 世貴子が道場に通い始めて三日。

 俺は、自分が自宅待機なのをいいことに、練習風景を覗きに来た。

 とは言っても、さすがに堂々と道場に入り込む勇気はなくて。

 道場の窓からコッソリと、中の様子を伺っている。


 …隣に、稽古着姿の、織。



「あたしなんて足元にもおよばないわ。環だって三回に一度は投げられちゃうって。」


「へえ…」


 環さんが投げられる。

 …世貴子、本当に強いんだ。

 これならー…オリンピックも夢じゃない。


 選考会までに大きな大会で優勝しなきゃ…なんて言ってたけど。

 何も心配は要らない気がするな…



「あれだけしなやかに動ける人、うちでもなかなかいないよ。うちで働いてくれないかな。」


 織が笑う。


「ここからオリンピックに?」


 首を傾げて問いかけると、織は眉間にしわを寄せて。


「二階堂組所属。なんて言えないか~…」


 首をすくめた。



「とにかく上手いわ。世貴子さんの強さを聞きつけて、本部からも猛者達が次々やって来るのよ。」


「そうなんだ…」


 俺の視線は、寝技に入ってる世貴子に向いてた。

 …これは、柔道で。

 寝技も立派な技の一つだが…

 …密着し過ぎだろ。

 男の顔が、世貴子の胸辺りに…



「……」


 ふと視線に気付いて織を見ると。


「ふふっ。心配なんでしょ。」


 織が笑った。


「え…えっ?」


「寝技。密着するものね。」


「うっ…」


 思ってた事を見透かされて、言葉に詰まる。


「世の中には、寝技でやましい考え起こす男もいるだろうけど…世貴子さんを相手にしてるうちの者は、死に物狂いで組んでるはずよ。」


「…死に物狂いって。」


 大げさだなと思って笑うと。


「これ本当よ?小さな頃から訓練されて来た人材ばかりだからね。一般人に負けるなんて、プライドが許さないはず。」


「……」


「そういう世界なの。」


 織の目は…まさに世貴子に押さえ込まれてもがいてる、男性の顔を見てる。


「あたしも、始めたのは遅いけど…二階堂の人間として負けられないからね。いつか対戦して勝ちたいって思ってるわよ?」


「…何で、今日稽古着を?」


 織はまだ空ちゃんを出産して三ヶ月。


「へへ…っ。あんまり世貴子さんがすごいから、見ててウズウズしちゃって。軽い打ち込みぐらいなら、許してもらえるかな~…って。」


 そう言って道場の中を覗き込んだ織だが…


「出来ればもう少し我慢してもらいたい。」


 突然、俺達の背後から声がして。

 振り向くと環さんがいた。


「あっ…いつの間に…」


「沙耶から『お嬢さんが道着を着てウズウズしてるから帰って来てくれ』って連絡があった。」


「沙耶君め…」


「織がやるって言ったら、あいつらには止められないからな。」


「ぶー…」


「頼むから。」


「……」


 …俺が言うのもなんだけど…

 環さんの優しい声に、俺が『分かりました』って返事をしそうになった。

 織は唇を尖らせてはいるものの…

 頷くしかないよな、こりゃ。



「長瀬さん来てるんだって?」


「ええ。今の所、今日は無敗よ?」


「どれどれ…」


 環さんも、窓から道場を覗く。


「彼女は…持って生まれた物もあるんだろうけど、最初に教えてくれた人が上手かったんだろうな。」


「…そうなんですか?」


 織を挟んで向こう側にいる環さんを見る。


「見た目きゃしゃだろう?余計な筋肉がない。それゆえに、技にもキレがあるし…何より、どの技も美しい。」


「……」


 世貴子…

 非の打ちどころのない男に絶賛されてるぞ…?

 まるで自分が褒められているような気持ちになって。

 つい…


「ありがとうございます。」


 お礼を言ってしまった。

 環さんは、そんな俺に小さく笑って。


「じゃ、俺は着替えて少し参戦しよう。」


 織に言って。


「ずるいー!!」


 ブーイングを受け入てる。


 そんな織にヒラヒラと手を振って、歩いて行った環さんの背中を見ながら。


「…セン。」


 織が口を開いた。


「ん?」


「アメリカ…どうなるの?」


 …ああ。

 やっぱり…そこ、気になるよな。


「あー…来月ぐらいには決まるかな。」


「陸はちょっと悩んでたみたいだけど…」


「俺は嬉しいけどね。」


「お父様もいらっしゃるしね。」


「ああ。」


「初めてだっけ?お父様に会うの。」


「ああ。でも、雑誌とかで顔見てるし、最近は電話もしてるからさ…なんか初めてって感じしないかもな。」


「手紙は?」


「…まだ書いてる。」


「お互いマメだね。」


 顔見合わせて笑う。


「…セン。」


「ん?」


「…陸をよろしくね。」


「…わかってるさ。」


 少しだけ、織のせつなそうな目を見て…胸が締め付けられた。

 それでも、俺は笑ってみせた。


 少しでも…織の気持ちが楽になるように…。

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