5

「初めてだったのか。そりゃ悪かったな。」


 光の速さ(大げさ)かと思わされるほどのスピードで、二階堂に辿り着いた。

 高笑いの陸とは正反対に、俺は腰が抜けそうな状態で歩いてる。



「あら、陸………セン?」


 陸に連れられて大きな門構えを入ると…

 俺達に気付いた織が、庭で声を掛けて来た。



「…ど…どうも…」


 音楽屋を出るまでは…色々考えた。

 どんな顔して会えばいいんだ。って。

 この屋敷自体…俺が来たのは…『指を切れ』って言われたあの時以来。

 正直、織の親は俺を良くは思ってないはずだ。


 会ったらどんな顔を…


「おいがみのおにいちゃん!!」


 ふいに…可愛い声と共に…


「うおっ…」


 海君が、俺に突進して来た。

 足に抱き着かれて…少し狼狽えてしまう。


 折り紙のお兄ちゃん…?


「覚えてくれてるんだ…?」


 たった一度会っただけ。

 それなのに…覚えてくれてる…

 瞬時に、喜びが湧いた。

 なんて…愛しいんだ…


 足元で俺を見上げてる海君に、小さく笑う。


「おいおいおいおい…俺はスルーかよ。」


 そう言いながら海君を抱き上げて、陸は額を軽く合わせた。


「いくちゃん、おかえいー。」


「ただいま。こいつは、早乙女。さ・お・と・め。」


 陸が海君に俺を紹介する。

 すると…


「しゃ!!お!!と!!め!!」


 海君は、大きな声でそう言った。


「……」


 ズキズキする……か?と思ったが…

 不思議と、傷は認識されなかった。

 それよりも…大きな気持ちに包まれている。



「入って。お茶入れるから。」


 それに、織の柔らかい笑顔を見て…

 …安心した。

 これって…俺、思ったより吹っ切れてる…?



 大きな屋敷の玄関から長い廊下を歩いて、洋風なリビングに辿り着いた。

 そこで床に降ろされた海君は、両手を上にあげて大はしゃぎ。


「セン、座れよ。」


「ああ…」


 織はキッチンに立って、カップを出している。

 それを不思議な気分で眺めながら、ソファーに座った所で…


「とうしゃーん!!しゃおとめきたー!!」


 海君が…今俺が歩いて来た長い廊下に向けて、走って行った。

 …あの、非の打ちどころがなさそうな男前が…来るのか。

 さすがにそれは傷が痛む気がした。

 海君が『父さん』って呼んでる事も…当たり前なのに、少し眉が下がりそうになった…が、耐えた。


「海、少し小さな声でよろしく。」


 背後で聞こえた声は…なぜか、かなり控えめなトーンで。

 俺は立ち上がって…振り返る。

 すると…


「…あ。」


 つい…声が出てしまった。

 織の夫である『環』さんの腕の中に…赤ちゃんがいたからだ。


「しゃおとめ、しょら。」


 海君が走って戻って来て、俺の袖を掴んで言った。


「しょら?」


「しょら。」


 その様子に環さんが小さく笑いながら、赤ちゃんの顔を俺に向けて。


「二階堂 空です。」


 赤ちゃんを紹介してくれた。

 この子が…織と環さんの…娘。



「環、非番か?」


「はい。」


「ちょうど良かった。色々相談があるんだ。」


 陸にそう言われた環さんは、『同席しても?』と言いたそうな表情で俺に視線を向けた。

 それに対して、どう答えていいやら…で。

 俺は無言で小さく何度か頷いた。



「しゃおとめー、あしょぼっ?」


 何だろう…

 来るまでモヤモヤしてたけど…

 来てみると、不思議なほど…ホッとしてる自分もいる。

 吹っ切れてるって言うより…

 少しずつ認める事が出来てるのかもしれない。



「しゃおとめっ!!」


「あいててててっ…」


 突然、海君に髪の毛を引っ張られて。

 首をカクンとさせると。


「こら、海っ。」


 環さんが海くんを抱えて『めっ』て言ってる。


「しゃおとめとあしょぶの!!」


「髪の毛は引っ張っちゃダメだ。」


「……」


「約束出来るな?」


「う…うん…」


 環さんの腕から降ろされた海君は…


「しゃおとめぇーっ!!」


 再び、俺に突進。

 つい、髪の毛を両手でまとめて束ねる。

 それを見た織が。


「こら、海。お兄ちゃんって言いなさい。はい、お茶。」


 そう言いながらテーブルにお茶を運んだ。


 気が付いたら陸がいなくて。

 俺は自分の膝にいる海君と…目の前にいる織と…

 空ちゃんを抱いてる環さんと…

 …緊張しかなくなった。



「しゃおとめ、いくちゃんより、おっき。とうしゃんより、おっき。」


 ふいに、海君がドアップになって言った。

 俺の太腿に立って、両肩に手を掛けての熱弁ぶりがおかしくて…つい笑いが出た。


「海君も大きくなったな。前に会った時より、背が伸びてる。」


 頭を撫でながらそう言うと…


「本当、早乙女君大きいから、海も大きくなるだろうな。」


 環さんが、さらっとそう言った。


「……」


 俺は…その言葉にパチパチと瞬きをしてしまったんだけど…


「ね。」


 織は…あっさりと同意した。


「…あの…」


 海君の両手を持って、環さんに問いかける。


「あの、俺の事…」


 海君に…


「いつか話すつもりだよ。」


「え…?」


 まだ何も聞けてない俺に、環さんが即答して。

 つい…驚きに目を見開いた。


「海の心が育って、色んな事を受け入れられる年齢になった頃に。」


「……」


「厚かましいかもしれないけど…親を知らずに育った俺としては…」


 環さんは一度海君に視線を向けた後、俺にそれを戻して。


「父親が二人いる事は、幸せだと思う。」


 キッパリ。


 それを聞いて…肩の力が抜けた。



 …実際、俺には父親が二人いる。

 俺と同じように…母さんと結ばれなかった親父と…俺がいる事を知りながら、早乙女に来てくれた父。

 親父に憧れを持つ事を後ろめたく思って来たが、父は『憧れて当然』と言ってくれた。


 …結果…俺は二人の父親を、誇りに思っている。



「もちろん、今後早乙女君が海と関わりたくないと言うのであれば…」


「そっそんな事はないです。」


 環さんの言葉の途中、遮って言ってしまった。


「…こんな事、言える立場じゃないかもしれませんが…苦しくて忘れたいと思っ時期もあったけど、今日こうして会って…」


「……」


「あなたの息子だ。って認識出来たと同時に…愛しく想う事ぐらいは許されたい…と、素直に感じました。」


 …そうだ。

 愛しく想う。

 まぎれもなく…俺の血を分けた息子。


「…良かった。」


 そう言ってくれた環さんを…どこまで器の大きな人だろう…と思った。


「しゃおとめ、おちゃにしましゅよ?」


 あまりにも俺と環さんだけの会話がつまらなかったのか、突然海君がそう言って俺と環さんの間に割って入って。


「ふふっ。ヤキモチ妬いてる。」


 織が笑った。



 …ああ。



 進めそうだ…。






「とうしゃんのと、うみの、いろちあうー。」


 海くんがテーブルに並んだカップを眺めて言う。


「父さんのはコーヒー。海のはココア。」


「とうしゃんのはコーヒー。うみのはココワ?」


「ココア。」


「ココア。しゃおとめのは?コーヒー?」


 ふいに海くんに問いかけられて。


「そう。コーヒー。」


 笑顔で答える。


「しょらのは?」


「空のはミルク。」


「好奇心旺盛ですね。」


「全くだ。」


 真面目な話の後、テーブルに並ぶ飲み物を確認する海君を、内心デレデレで見てると。


「おう、セン話したか?」


 どこかに行ってた陸が戻って来た。


「え…っ、いや…」


 俺から話すのか!?って…まあ、俺の頼み事ではあるんだけど…


「何?」


 織が首を傾げる。


「えーと…その…」


 何て説明しよう。

 その結果、しどろもどろしてしまうと。


「センの彼女がさ。」


 陸が言った。


「かっ…彼女じゃないってば。」


「でも好きなんだろ?」


「すっ……」


 俺は、きっと真っ赤になってしまったと思う。

 そして、その俺の顔を見て目を丸くしてる織と環さんが視界に入った。



「んっ…んんっ。」


 小さく咳払いをすると、俺と陸の間にすっぽりハマってる感じになってた海君が俺を見上げて。


「んっんんんっ。」


 真似をした。

 それに小さく笑って…


「あの…実は、訳ありで二年ブランクがあるんですが…知人が柔道の稽古場を探してて…」


 ボソボソと打ち明ける。


「織、外の人間にも教えられるのか?」


 陸が助け船を出してくれてホッとする。


「本部の道場はダメだけど、ここのは別に規則なかったよね?」 


 織が環さんに問いかける。


「ああ。そういえば、この前も浩也さんの子供の友達ってのが剣道習いに来てたし…ここならいいんじゃないかな。」


「セン、その…彼女、何て名前だっけ。」


「…長瀬世貴子さん…」


「長瀬世貴子さん。柔道歴長いのか?」


 陸が俺に問いかける。


「ああ…でもブランクあるって言ってたし…」


「学生の頃の実績とかは?」


「さあ。強かったらしいけど…」


「何だよ、全然知らないのか?彼女なんだろ?」


「だから彼女じゃないって。それと…オリンピック目指すとは言ってるけど。」


「オリンピック!?」


 俺の一言に、みんなは目を丸くして驚いた。


「あ…ああ…」


「そんなに上手いなら、何か記録が残ってるかもな。沙耶が全国区の大会記録みたいなの持ってたから借りてくるよ。」


 環さんがそう言って部屋を出られた。


「それじゃ、甲斐さんに稽古つけてもらった方がいいかもね。」


「オリンピックかー…もし行ったら鼻高々だな。うちで稽古つけた者が、なんてさ。」


 陸と織は少しばかり盛り上がって。

 俺は、話が大きくなり始めてるような気がして申し訳なくなってきた。


 が。


「おいおい…大変な記録保持者だ。」


 環さんがそう言いながら、部屋に戻ってきた。


「そうなの?」


 環さんは本を広げると。


「ここ。」


 いきなり、カラーページを指さした。


 そこには…


「二年連続全国大会優勝…」


 柔道着姿の、世貴子。


「…あたしじゃ、手に負えないかも。」


 織が苦笑いしながら俺に言った。


「それでも、うちには有段者しかいないから、長瀬さんにその気があるなら是非。」


 環さんの言葉に、ホッとする。


 これで…世貴子の再始動が実現すると思うと、連れて来てくれた陸に感謝だ。


 …が。


「…なるほどねー…」


 ふいに陸がニヤけはじめた。


「…何。」


「俺らもアメリカだもんなあ。オリンピックで落ち合うわけか。」


「ばっ…!!」


 思いがけない事を言われて肩を揺らせたが…


 …そうか。

 オリンピックは、俺達が渡米してる間にあるのか。



 本屋で見た、あの背負い投げ。

 本気になった世貴子のそれが見れると思うと…


 俺は一人、ワクワクが止まらなくなった。

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