3
神崎先生の行方を調べるには、あまりにも情報が少なかった。
高校の美術教師。
それしか分からない。
今更世貴子に聞いた所で、教えてくれるとも思えない。
そこで俺は…
使えるものは使わせてもらう事にした。
「人探し?ああ…時間をもらえれば。」
「ただ…情報が少な過ぎるんだ。」
「…男。ってだけじゃねーだろーな。」
音楽屋のスタジオ前で待ち合わせて。
一緒にコーヒーを飲んでる目の前の陸は、目を細めて前髪をかきあげた。
「いや…苗字と職業だけ…」
俺が申し訳なさそうに言うと。
「なんだ。それだけ分かりゃ十分だろ。」
何でもないような顔をして。
「ちょっと待っててくれ。」
そう言って、ヘルメットを手にした。
「は?」
「実家帰って調べて来る。」
「…今から?」
「急ぐんだろ?」
「ま…まあ…」
「んじゃ、調べて来るから。で、情報は?」
「……」
陸の実家はヤクザだ。
そう知らされてた俺だが…
実は警察の秘密組織だ。と…飲みに行った先で打ち明けられた。
まこと聖子と知花は知らないけど、光史は知ってる。とも。
そんな大変な話を、ビールを飲みながら聞かされて。
俺はしゃっくりが止まらなくなった。
…織は、そんな大変な家業を継いだ。
陸のために。
そして…俺じゃ到底…無理だったんだな…なんて、思い知らされて。
少し、落ち込んだ。
…少しだけ…な。
ともあれ。
陸は、俺が伝えた『神崎先生』『美術教師』『二十代後半~三十代前半』というワードを持って。
音楽屋からバイクで実家に戻り。
「悪い。実家に戻ったついでに野暮用も済ませてたから遅くなっちまった。」
小さな紙を持って帰って来たのは…出て行って30分足らずでだった。
…遅くなった。なんて、とんでもない。
恐るべし、二階堂…。
俺は陸から入手した神崎先生の赴任先住所を手に、新幹線に乗った。
赴任先は中部地方にある朝比奈高校。
学校が見える場所にある公衆電話から電話をして、神崎先生を校外に呼び出した。
「神崎先生ですね。」
見たところ、歳は三十代前半。
スタイルが良くてカッコいい。
これなら人気があっても仕方ない。
青い海をバックに、先生は少しだけ警戒した様子。
「そうですけど…君は?」
「先ほどお電話しました、早乙女といいます。少し時間いいですか?」
「…はあ。」
俺は神崎先生と浜辺を歩き始めた。
得体の知れない男から呼び出されて、よく出て来てくれたな…。
「どんな話ですか?」
「先生は、今…仕事を?」
「ええ…そこで美術を教えてますけど。」
先生は朝比奈高校の校舎を指差した。
「え?」
「それが何か?」
右手はどうなんだ?
「あの…聞いたところによると…ケガで右手が…」
「……」
先生は驚いた顔で俺を見て。
「長瀬の知合いですか?」
って言った。
「はい。」
「良かった…実は探してたんですよ。彼女を。」
「え?」
「僕は、ちゃんと右手が使えます。」
俺はポカンとして先生の動く右手を見た。
「実は…恥ずかしい話ですが…」
先生は砂の上に座ると、照れくさそうに。
「僕は、長瀬が好きでした。」
と、告白した。
「ちょうどー…親の勧めで見合い結婚したばかりだったんですが、可愛くて…そうかと思うと一本気で勇ましい彼女に…惹かれてしまったんです。」
「……」
「稽古を見学に行って、僕にも教えてほしいと言ったら、彼女は笑いながら了承してくれました。でも、僕がふざけて彼女に抱きついてしまった途端ー…思いきり投げられてしまったんですよ。」
ああ…
彼女は、先生が好きだったんだ…
「…バカですよね。ふざけて女子生徒に抱き着くなんて…懲戒免職間違いなしです。」
「はは…」
笑うしかなかった。
陸と光史が聞いたら、『役得だ!!』なんて言いそうだけど。
「何となく僕が彼女に想いをよせていたことに感づいていた妻は、彼女と彼女の両親を罵りました。あることないこと言いふれて…でも、僕にはどうすることもできなかった…悪いのは全部僕なのに…」
先生は頭を抱えて…うつむいた。
「彼女はすぐに転校して…その後の事はわからなかったんです。ただ…大会の結果を見ても名前がない事で…僕には分からないぐらい遠くへ引っ越したのか…とぐらいしか…」
「……」
「僕はリハビリを続けて動くようになった右手を見るたびに…胸が痛みます。」
「彼女は…美術教師になってます。」
「え?」
先生は驚いたように顔をあげた。
「じ…柔道は…」
「してません。」
「…なんて事を…」
「彼女に、会ってもらえませんか?」
「…それは…」
先生はしばらく考えたあと。
「…手紙を、渡してもらえるかな。」
って、立ち上がった。
* * *
「…嘘。」
「本当。」
公園に呼び出して、神崎先生から預かった手紙を世貴子に渡すと、このセリフ。
「…会いに行ったの?」
「ああ、海がきれいだったな。」
「……」
世貴子はしばらく手紙を見つめて。
「先生が…」
って、つぶやいた。
「読めば?」
俺がそっけなく言うと。
「…う…ん。」
ゆっくり、封筒を開け始めた。
セミが鳴き始めて。
ああ、夏が来たな…なんて実感してると。
「…ありがと。」
少しだけ涙声。
「世貴子さ、先生のこと好きだったんだろ。」
俺が空を見上げながら言うと。
「…うん。」
世貴子は小さくつぶやいた。
「柔道、する気になった?」
「…両親…説得しなくちゃ…」
「今からなら、目指すはオリンピックかな。」
俺がそう言うと。
「センって、あたしの器を大きく見すぎてるよ。」
って笑った。
「……」
「何?」
「初めて、センって言ったなと思って。」
俺が笑うと。
「…じゃ、名字で呼んでほしい?早乙女くん。」
世貴子はいたずらっぽい目付き。
「…なんで知ってんの。」
「先生からの手紙に書いてあった。」
「あ。」
俺の丸い目を見て、世貴子が笑う。
「…不思議ね…」
「何が?」
「あたし、思い出すのもイヤだったのに…どうして初対面だったあなたに…打ち明けたんだろ。」
「俺だって、ナンパな奴だと思ったかもしれないけど、初対面の人に呼び捨てしていいかなんて言ったのは初めてだぜ?」
織の時は…織の方から呼び捨てにしてくれと言った。
正直、俺は弟の
だから、織の事を呼び捨てにする時…とてもドキドキしたのを覚えてる。
SHE'S-HE'Sに入って、今はメンバーを呼び捨てるけど…
自分からそうしたい。と思ったのは…
世貴子が初めてだ。
「…本当?」
「ああ。」
「女の子慣れしてそう。」
「してないよ、全然。」
「でも、初対面のあたしのために、こんなことしてくれたり…」
「それは、世貴子がわけありだったから。」
「…わけあり…ね。」
「それとさ。」
「?」
「真実って、あったかいところにいても、見えると思うよ。」
「……」
俺が大きく伸びをしてると。
「いつか、恩返ししなくちゃ。」
って、世貴子が笑った。
「いいさ、そんなの。世貴子だって本屋で言ってたじゃないか。」
「だって…わざわざ…」
「いいって。」
「…ね。」
「ん?」
「あたし、あなたに憧れるわ。」
俺はポカンとして世貴子を見る。
「な…何だよ、それ。」
「あたし…」
世貴子は俺の前に立ち上がると。
「柔道、始めるわ。今度は、自分のためにと…」
「……」
「キッカケを取り戻してくれた、センのために。」
って、強い目で言った。
「オリンピック、目指しちゃおっかな。」
「頑張れよ。」
「その前に…どこか道場探さなきゃ…」
「探す?」
「うん…あたしの知ってる所は…両親が嫌がると思うから。」
「……」
そういう噂って、根が深いんだな…。
世貴子の表情を見て、そう思った。
「道場か……あ、ある…けど…」
「どこか思い当たる道場があるの?」
「ああ。」
「…有名な所?」
「いや…ある企業の訓練所みたいな道場って言うか…」
「魅力的……紹介してもらえない?」
つい、二階堂の事が頭をよぎって…口に出してしまったが。
あの道場は、すっかり強くなった織も使ってる。
…別に今は関係ない。
織は環さんと結婚した。
俺とは…関係ない。
「…聞いてみるよ。」
「ありがと。」
世貴子の笑顔が、すごく自然になった。
それが…なんだか嬉しくて。
「世貴子って、可愛いな。」
俺は、世貴子を抱きしめた。
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