10

「二度と来るな。」


 そう言ってしまってから、すでに一ヶ月。


 謝りたい。

 そう思った俺は、麗の通る公園で下校時間を想定して張り込んでみた。


 足元には、タバコの吸殻。

 それを見下ろしながら、何やってんだ俺…と少し自分に呆れてみたりもする。


 本気で謝りたいなら、知花に取り次いでもらうなり何なり出来るのに。



「あ。」


 来た。

 麗だ。


 カバンを抱きしめて、うつむき加減の麗。


 …髪型、変えたんだな。

 前は、背中のまん中辺りまであった髪の毛。

 肩の長さで切りそろえてる。


 でも…麗だ。



「……」


 俺に気付いた麗は、一瞬立ち止まって身構えた。


「よ。」


 小さく声をかけると。


「……」


 麗は、無言のまま…俺の前を足早に通り過ぎた。


「…おい、待てよ。」


「……」


 声をかけても、立ち止まりもしない。


「待てってば。」


 肩に手をかけると、麗は驚いたように身をかわして振り返った。


「…二度と顔見たくないって言ったのは…陸さんじゃない。」


「それを、謝りにきた。」


「……」


「悪かった。」


 俺が頭を下げても、麗は無言のまま。


「何か、言えよ。」


「……」


「おまえ、よくも大事なキーホルダーをこれ見よがしに人にやってくれたな。」


 嫌みもこめて、笑顔で言う。

 でも、麗は冷たい顔のまま。


「しかも、わざわざ俺の目につくような人にやらなくてもさ。」


「……人に捨ててもらうのならいいかなと思って。」


「は?いらねーなら、自分で捨てりゃいーだろ。」


「あたしに捨てられると思う?」


「……」


 麗の言葉を、不思議な気持ちで聞いた。


 …どういうことだ?

 こいつ、双子の弟が好きだって言ってたくせに。



「吸殻…」


「え?」


「タバコの吸殻。ちゃんと捨ててきて。」


 なんとなく拍子抜けしながらも、麗に言われた通りタバコの吸殻をごみ箱に捨てる。


「…麗?」


 でも、その隙に麗はいなくなっていた。



 * * *



「……」


 俺は今…久しぶりに体が震えている。


 音楽に触れて、何の文句もない毎日。

 好きなだけギターを弾いて、メンバーとディスカッションしながら曲を作って。

 誰かと飲んで、女を引っ掛けて。

 俺の人生、マジで楽しいばっかだな。


 …なんて………バカじゃねーか?俺。



「…すっげ…」


 隣にいるセンも、瞬きもせずに見入ってる。

 俺とセンと光史、そしてまこの四人は…来月全米ツアーが始まるF'sの公開リハを見に来ている。


 …正直、アズさんがここまで弾けるとは思ってなかった。

 いや、先輩として尊敬はしてる。

 アズさんには唯一無二のテクニックがあって、それは決して極上な上手さというものではないが、誰にでも出来るものでもない。


 元々TOYSで神さんと演ってたアズさん。

 もっと弾けるようにならないと、神さんとはやっていけないって言われたって…F'sを組んだ後に笑い話として聞かされた。

 …朝霧さんと組んだ事で、引っ張られたのかもしれない。



「……」


 誰かのリハを見て震えたのは初めてだ。

 F'sはカッコいいけど、俺は神さんと朝霧さん、尚斗さんで成り立つバンドだろうな。って…最初は思ってた。


 だけど蓋を開けたら誰もがすごくて。

 そりゃそうだよな。

 みんな一流だ。



 気が付いたら光史がいなくなってた。

 センとまこは、微動だにせずリハを見入ってる。


 …弾きたい。

 そう思った俺は、そっと席を立った。




「あれ、なんだ…聖子、知花の健診についてったのかと思った。」


 ギターを取りに一旦ルームに戻ると、そこに光史と聖子がいた。


「すぐそこだからって、あたしがトイレに行ってる隙にさっさと行かれちゃったわ。」


 今日、知花は定期健診。

 聖子がF'sを見に来なかったのは、付き添ってるからだと思ったが…


「F's全然来なかったのか?臼井さんすごかったぜ?」


 ギターを取り出しながら言うと。


「…臼井さんがすごいのは知ってるもん。」


 聖子は少し口ごもった。

 …この様子だと、光史に何か悩み事でも話してたっぽいな。


「俺スタジオ入るわ。」


 そう言いながらルームを出る。

 俺が気を使ったのを察したらしい光史が。


「俺もすぐ行く。」


 ドアを閉める寸前、そう言った。




「……」


 アンプのスイッチを入れて、さっきの衝撃を思い出す。

 F's…


 俺はどこかで、SHE'S-HE'Sはどのバンドにも負けてないと思ってた。

 もちろんF'sは、いや…Deep Redや、この事務所に在籍する先輩バンドはみんな尊敬してるつもりだ。

 だけど…



 俺が初めてギターを手にしたのは、中学二年の時だった。

 織と二人きりで暮らしていた頃。

 自分の感情が抑えきれなくて、毎晩街に出てケンカに明け暮れた。


 あの夜も、何人も相手にケンカをした。

 それでも自分の中で消えない火を持て余したまま歩いてると…デパートの裏にギターを弾いてる男がいた。


 小さなアンプと、古いエレキギター。

 決して上手くはないが、楽しそうに弾くその姿に、最初はイラついた。


 それからも何度か通り掛かる程度だったが…夏休みのある夜、その男がチンピラに絡まれてる所を助けた。

 それがキッカケで、俺はその男のギターを聴くようになって、ついでに教えてもらう事にもなった。


 昔から何でもすぐに出来るようになっては飽きてしまってた俺が、ギターだけは楽しくてやめられなかった。

 ギターを弾き始めてからは、ケンカもしなくなったし、感情をコントロールする事も出来るようになった。



 ―音楽をやめて故郷に帰るんだ。


 その男がそう言った時、俺はひどく悲しくなった。

 彼は、俺を避けるために嘘を吐いた。

 あっと言う間に自分の技術を追い越してしまった俺に、嫉妬してしまったのだと思う。


 どれだけ悲しかったかと言うと、あんなに親身にギターを教えてもらったのに…顔も名前も思い出せないほど。

 自分でもそれだけのショックを受けた事に……笑った。


 ギターをやめようとも思ったが、それはすでに俺の心を掴んで離さない存在にもなっていた。

 そこで俺は、ライヴバーでバイトをして、中古のギターを手に入れた。

 今でもそれが、俺の愛器だ。



「暗い顔して弾いてんな。」


 ヘッドフォンを外されて、顔を上げると光史がいた。

 そして、その後ろから聖子も顔をのぞかせた。


「どれだけF'sに打ちのめされたのよ。」


「…コテンパンにやられた。」


 正直にそう言うと。


「あはは。陸がそんな事言うの珍しいな。」


 その後ろからセンがギターを担いで入って来た。


「…何だよ。おまえも弾きに来たクセに。ダメージ喰らっただろ?」


「ダメージ?何でダメージだよ。刺激は受けまくったけど。」


「……」


「あっ、みんな揃ってるじゃん。知花、ルームに戻ってるから、呼んで来る。」


 来たばかりのまこがそう言って、ルームに走って行った。



 刺激…だよな。

 ダメージ喰らったって思ったのは、今の俺は自分に自信がないからかもしれない。


 …バカだなー…



「わー、みんな揃ってるんだ。」


 まこと知花がスタジオに来て、それぞれ自分の持ち場に散る。


「F'sどうだった?」


 知花が誰にともなく問いかける。


「すげー良かった。浅香さん、あれだけの足数踏みながらコーラス入れるって凄過ぎ。」


「アズさんと朝霧さんのソロの絡みも凄かったよ。」


「もう、見習う所ばかりだったよね。僕らも負けてられないや。」


 そう言った光史とセンとまこは笑顔で。

 あー…何だ。力入ってるの、俺だけかよ。って…笑えた。



 SHE'S-HE'Sは最強。

 それでいい。

 ただ、それに胡坐をかかずに…しっかり自信を持っていられるほどのテクニックとメンタルを備えるべきだな。



 俺は、俺のやるべき事をしていくだけだ。

 これからも。

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