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「陸、女が出来たって?」
プライベートルームで、光史が言った。
「…何、急に。」
「誠司さんが言ってたぜ。」
「誠司さんが?なんて?」
「一人で飲みに来ては溜息ついてる。あれは絶対恋だ。って。」
「…恋じゃねーよ。俺にも色々悩みがあんだよ。」
「ふーん。色々、ね。」
含みを持たせた光史の口ぶりに目を細めながら。
「久しぶりに飲みに行かねーか?」
ギターをスタンドに立て掛けて言う。
今日、俺は少しモヤモヤとした気持ちを抱えている。
その原因は…よく分からない。
だから…
いつもみたいに光史と飲みまくって発散したい…!!
「わりい…今、ちょっとダメなんだ。」
「……へー。珍しい。」
つい、呆然として棒読みになった。
今まで光史を飲みに誘って断わられたことはない。
初めて…断られた。
こいつは、飲みに行くのが大好きだ。
いや、まあ…俺もなんだけど。
「珍しいな。何があんだよ。」
断られたのが悔しかったわけじゃないが、理由を知りたくなった。
光史が俺との酒を断るなんて。
…や…やっぱり少し悔しい。
俺は何に負けたんだ…!!
今ちょっとダメって何だよ!!
光史をマジマジと見ながら唇を尖らせると。
「ふっ…陸がそんなに俺と飲みたがってるなんて、嬉しい限りだな。」
光史は嬉しそうに俺にハグをして、ポンポンと背中を叩いた。
「ちきしょっ。なんだよそれ。」
「ちょっとまだ言えないんだけどさ…いつか話す。」
光史は、何やら怪しい言葉を残して。
「じゃあな。」
帰っていってしまった。
「……」
昔は俺に恋心を持ってくれてた光史。
それを打ち明けられた時、俺が織しか愛せないと伝えた事で、親友としての絆は強くなった。
光史はアメリカでの活動中、知花と一緒に暮らしてた。
あの頃から…知花に惹かれてたんだと思う。
先週、知花と神さんは式を挙げた。
色んなゴタゴタを乗り越えての、めでたい式だった。
光史の心中を察すると複雑な気持ちもあって、その夜は光史とはしごして飲んだ。
…俺はあの後、ダリアでナンパした女と朝まで一緒だったが…
光史はどうしたのかな。
「おっ、セン。」
帰ろうとした所で、入って来たセンと鉢合わせする。
「あっ…何だ。光史が帰ったから一緒だと思ってたのに、いたんだ?」
センの手にはギター。
ま~た一人でスタジオ入ってたな?
ほんっと、ギターバカだよな。
「ふられた。どうだ?飲みに行かねーか…って、あー…嫁さんに悪いか。」
センの嫁さんは、来月出産予定。
「いいよ、たまには。ちょっと電話してくる。」
いい奴だな。
涙が出るぜ。
俺が光史にふられたって言って誘ったのに、いやな顔さえしない。
…本当なら、身内になってたかもしれない奴なんだよな…
今更ながらに、思い出してしまった。
俺にボコボコにされながらも、やり返そうとしなかったセンの顔…。
「いいってさ。どこ行く…陸?」
センはギターをかついで俺の顔をのぞきこんだ。
そんなセンを。
「…おまえって、いい奴。」
俺は、抱きしめる。
「な…何だよ。」
センは笑いながら。
「言っとくけど、俺には妻も子供もいるんだからな。」
って、俺の肩を抱き寄せた。
* * *
「
ビールジョッキで乾杯しながら問いかける。
「ああ。織に色々アドバイスもらってるみたいだ。」
センの嫁さん、世貴子さんは―
世界一強い女だ。
オリンピック柔道で優勝して、帰国後あっさりと引退を宣言した。
その後は二階堂の道場で働いてくれている。
…織とセンの過去を知って、決して心中穏やかではなかったはず。
それでもセンと結婚して、二階堂にも尽力してくれて…さらには織とも友人関係でいてくれる。
器も強くて大きい女だよなあ…世貴子さん。
「知花の結婚式、久しぶりにノン君とサクちゃんに会えて嬉しかったな。」
センが何かを思い出したように笑う。
「ああ…確かに。向こうであれだけ毎日会ってたのに、帰国してからはほとんど会えねーから、なんつーか…忘れ物してるような気になるんだよな。」
「言えてる。」
SHE'S-HE'S渡米中にノン君とサクちゃんを出産した知花。
俺達メンバーは、全員でバックアップした…つもりだ。
ま、誰も出産経験があるわけじゃねーから、あたふたする事も多かったが…
「麗ちゃんが大人になっててビックリしたな。」
「…は?」
センの口から麗の名前が出て、少し戸惑う。
「ほら、知花の妹の。」
「いや、それは知ってるけど…セン、知り合いか?」
「うちにお茶習いに来てたからな。」
「あー……そっか。なるほど。」
「
「話?」
「毎日のように手紙もらうとか、告白されてるとか。」
「それ、話し盛ってねーか?俺でも毎日は手紙もらわなかったぜ?」
「ぶはっ。ま、それぐらい人気があったって事だろ。確かに目を引く子だし。」
「……」
センがこんな事を言うのも珍しい。
て事は、麗の美形具合はホンモノって事だな。
…確かに可愛いぜ。
知花の式の時も、家族でいた姿は見掛けた。
地味~な紺のワンピース着て。
こっちはさりげなくピンクの振袖とか期待してたんだけどな。
「双子の片割れはどんな感じ?」
ついでと思って聞いてみる。
「
「…知花寄り…」
「うん。知花寄り。」
真顔で言うセンに苦笑いしてしまった。
そんなんじゃ分かんねーっつーの(笑)
センってさりげなく天然だよな。
「ところで、二階堂家って子供の名前をくじ引きで決めるって本当?」
二杯目のビールを飲み始めた頃、センが小声で言った。
「…誰に?」
「世貴子が織に聞いたって。」
「あー…ああ。うん。昔からそうみたいだぜ。」
少しヒヤッとした。
俺はその事を、麗にしか話してないからだ。
別に名前をくじ引きで決める事が広まるのは何でもないが…
…麗と会ってる事は、何となく…誰にもバレたくない。
水族館以来会ってない。
出来ればこのまま会わないでいたい。
が、あいつは二階堂に通ってる。
入学した短大が始まった今も。
「…陸は結婚を考える相手は?」
テーブルに頬杖をついたセンが、意外にも真顔で言った。
それを見た俺は…
何となく、センにはバレてんのかなー…って思った。
…俺が、織を好きな事。
「…いねーなあ。俺、縛られるのヤダし。」
「別に結婚は縛られるのとは違うと思うけど。」
「そっか?一人としかヤレねーなんて、俺には地獄だね。」
「それ、マジで言ってる…?」
「マジで言ってる。」
「……」
俺の即答にセンは目を細めて小さく笑った。
一人だけなんて…無理だ。
織を忘れさせてくれるほどの存在が現れるとは思えねー。
何人抱いても埋められないって分かってる。
分かってるけど…
そうでもしてなきゃ、俺は…自分を抑えられない。
「……」
改めてそう自覚した途端に、モヤモヤの正体が解った気がした。
…来月、織は三人目を産む。
それは喜ばしい事だ。
でも…
俺にとって、甥と姪の海と空。
愛しい存在には間違いないが…同時に苦しい存在でもある。
それがもう一人増える。
…正直…辛い。
昔は、俺だけの織だったのに。と。
「大丈夫か?」
タクシーの窓から心配そうに俺を見上げるセン。
「大丈夫だって。今日はサンキュ。一人で飲んでたら、今頃店で寝てるわ。」
敬礼ポーズでセンに言うと。
「…いつでも付き合うよ。また誘って。」
センは優しい笑顔で俺に答えた。
…くそっ…
優しくすんなよ。
泣きそうじゃねーか。
「じゃあな。」
「おう。」
走り出すタクシーを見送る。
その姿が見えなくなるまで立ち尽くして。
小さな溜息と共に夜空を見上げると、そこはどんよりと曇ってて…星の一つも見えなかった。
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