4

「陸、女が出来たって?」


 プライベートルームで、光史が言った。


「…何、急に。」


「誠司さんが言ってたぜ。」


「誠司さんが?なんて?」


「一人で飲みに来ては溜息ついてる。あれは絶対恋だ。って。」


「…恋じゃねーよ。俺にも色々悩みがあんだよ。」


「ふーん。色々、ね。」


 含みを持たせた光史の口ぶりに目を細めながら。


「久しぶりに飲みに行かねーか?」


 ギターをスタンドに立て掛けて言う。


 今日、俺は少しモヤモヤとした気持ちを抱えている。

 その原因は…よく分からない。

 だから…

 いつもみたいに光史と飲みまくって発散したい…!!



「わりい…今、ちょっとダメなんだ。」


「……へー。珍しい。」


 つい、呆然として棒読みになった。

 今まで光史を飲みに誘って断わられたことはない。

 初めて…断られた。


 こいつは、飲みに行くのが大好きだ。

 いや、まあ…俺もなんだけど。



「珍しいな。何があんだよ。」


 断られたのが悔しかったわけじゃないが、理由を知りたくなった。

 光史が俺との酒を断るなんて。


 …や…やっぱり少し悔しい。

 俺は何に負けたんだ…!!

 今ちょっとダメって何だよ!!


 光史をマジマジと見ながら唇を尖らせると。


「ふっ…陸がそんなに俺と飲みたがってるなんて、嬉しい限りだな。」


 光史は嬉しそうに俺にハグをして、ポンポンと背中を叩いた。


「ちきしょっ。なんだよそれ。」


「ちょっとまだ言えないんだけどさ…いつか話す。」


 光史は、何やら怪しい言葉を残して。


「じゃあな。」


 帰っていってしまった。



「……」



 昔は俺に恋心を持ってくれてた光史。

 それを打ち明けられた時、俺が織しか愛せないと伝えた事で、親友としての絆は強くなった。


 光史はアメリカでの活動中、知花と一緒に暮らしてた。

 あの頃から…知花に惹かれてたんだと思う。


 先週、知花と神さんは式を挙げた。

 色んなゴタゴタを乗り越えての、めでたい式だった。

 光史の心中を察すると複雑な気持ちもあって、その夜は光史とはしごして飲んだ。


 …俺はあの後、ダリアでナンパした女と朝まで一緒だったが…

 光史はどうしたのかな。



「おっ、セン。」


 帰ろうとした所で、入って来たセンと鉢合わせする。


「あっ…何だ。光史が帰ったから一緒だと思ってたのに、いたんだ?」


 センの手にはギター。

 ま~た一人でスタジオ入ってたな?

 ほんっと、ギターバカだよな。



「ふられた。どうだ?飲みに行かねーか…って、あー…嫁さんに悪いか。」


 センの嫁さんは、来月出産予定。


「いいよ、たまには。ちょっと電話してくる。」


 いい奴だな。

 涙が出るぜ。

 俺が光史にふられたって言って誘ったのに、いやな顔さえしない。


 …本当なら、身内になってたかもしれない奴なんだよな…

 今更ながらに、思い出してしまった。

 俺にボコボコにされながらも、やり返そうとしなかったセンの顔…。



「いいってさ。どこ行く…陸?」


 センはギターをかついで俺の顔をのぞきこんだ。

 そんなセンを。


「…おまえって、いい奴。」


 俺は、抱きしめる。


「な…何だよ。」


 センは笑いながら。


「言っとくけど、俺には妻も子供もいるんだからな。」


 って、俺の肩を抱き寄せた。




 * * *



世貴子よきこさん、順調か?」


 ビールジョッキで乾杯しながら問いかける。


「ああ。織に色々アドバイスもらってるみたいだ。」


 センの嫁さん、世貴子さんは―

 世界一強い女だ。

 オリンピック柔道で優勝して、帰国後あっさりと引退を宣言した。

 その後は二階堂の道場で働いてくれている。


 …織とセンの過去を知って、決して心中穏やかではなかったはず。

 それでもセンと結婚して、二階堂にも尽力してくれて…さらには織とも友人関係でいてくれる。

 器も強くて大きい女だよなあ…世貴子さん。



「知花の結婚式、久しぶりにノン君とサクちゃんに会えて嬉しかったな。」


 センが何かを思い出したように笑う。


「ああ…確かに。向こうであれだけ毎日会ってたのに、帰国してからはほとんど会えねーから、なんつーか…忘れ物してるような気になるんだよな。」


「言えてる。」


 SHE'S-HE'S渡米中にノン君とサクちゃんを出産した知花。

 俺達メンバーは、全員でバックアップした…つもりだ。

 ま、誰も出産経験があるわけじゃねーから、あたふたする事も多かったが…



「麗ちゃんが大人になっててビックリしたな。」


「…は?」


 センの口から麗の名前が出て、少し戸惑う。


「ほら、知花の妹の。」


「いや、それは知ってるけど…セン、知り合いか?」


「うちにお茶習いに来てたからな。」


「あー……そっか。なるほど。」


宝智ともちかと同級生だから、話しにはよく聞いてたけど。」


「話?」


「毎日のように手紙もらうとか、告白されてるとか。」


「それ、話し盛ってねーか?俺でも毎日は手紙もらわなかったぜ?」


「ぶはっ。ま、それぐらい人気があったって事だろ。確かに目を引く子だし。」


「……」


 センがこんな事を言うのも珍しい。

 て事は、麗の美形具合はホンモノって事だな。


 …確かに可愛いぜ。

 知花の式の時も、家族でいた姿は見掛けた。

 地味~な紺のワンピース着て。

 こっちはさりげなくピンクの振袖とか期待してたんだけどな。



「双子の片割れはどんな感じ?」


 ついでと思って聞いてみる。


ちかし君?うーん…俺はそこまで喋った事ないからなあ。二人に稽古つけてたばーさまの話しだと、誓君は知花寄りなイメージかな。」


「…知花寄り…」


「うん。知花寄り。」


 真顔で言うセンに苦笑いしてしまった。

 そんなんじゃ分かんねーっつーの(笑)

 センってさりげなく天然だよな。



「ところで、二階堂家って子供の名前をくじ引きで決めるって本当?」


 二杯目のビールを飲み始めた頃、センが小声で言った。


「…誰に?」


「世貴子が織に聞いたって。」


「あー…ああ。うん。昔からそうみたいだぜ。」


 少しヒヤッとした。

 俺はその事を、麗にしか話してないからだ。

 別に名前をくじ引きで決める事が広まるのは何でもないが…

 …麗と会ってる事は、何となく…誰にもバレたくない。


 水族館以来会ってない。

 出来ればこのまま会わないでいたい。

 が、あいつは二階堂に通ってる。

 入学した短大が始まった今も。



「…陸は結婚を考える相手は?」


 テーブルに頬杖をついたセンが、意外にも真顔で言った。

 それを見た俺は…

 何となく、センにはバレてんのかなー…って思った。

 …俺が、織を好きな事。


「…いねーなあ。俺、縛られるのヤダし。」


「別に結婚は縛られるのとは違うと思うけど。」


「そっか?一人としかヤレねーなんて、俺には地獄だね。」


「それ、マジで言ってる…?」


「マジで言ってる。」


「……」


 俺の即答にセンは目を細めて小さく笑った。


 一人だけなんて…無理だ。

 織を忘れさせてくれるほどの存在が現れるとは思えねー。

 何人抱いても埋められないって分かってる。

 分かってるけど…


 そうでもしてなきゃ、俺は…自分を抑えられない。


「……」


 改めてそう自覚した途端に、モヤモヤの正体が解った気がした。

 …来月、織は三人目を産む。

 それは喜ばしい事だ。


 でも…

 俺にとって、甥と姪の海と空。

 愛しい存在には間違いないが…同時に苦しい存在でもある。

 それがもう一人増える。

 …正直…辛い。



 昔は、俺だけの織だったのに。と。






「大丈夫か?」


 タクシーの窓から心配そうに俺を見上げるセン。


「大丈夫だって。今日はサンキュ。一人で飲んでたら、今頃店で寝てるわ。」


 敬礼ポーズでセンに言うと。


「…いつでも付き合うよ。また誘って。」


 センは優しい笑顔で俺に答えた。


 …くそっ…

 優しくすんなよ。

 泣きそうじゃねーか。



「じゃあな。」


「おう。」


 走り出すタクシーを見送る。

 その姿が見えなくなるまで立ち尽くして。

 小さな溜息と共に夜空を見上げると、そこはどんよりと曇ってて…星の一つも見えなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る