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「それは何の溜息ですか?」


 いつの間にか庭に置かれていたベンチに座って、遠巻きに洋館のリビングを見ていると。

 万里まりが顔を覗き込んできた。


「あ?溜息なんてついてねーけど。」


「そうですか?今、はあああああ…って、深いのが聞こえましたが。」


「……」


「聞き間違いだったようですね。失礼しました。」


 俺が目を細めると、万里は怪しい笑顔で軽く頭を下げた。


 最近、時間があれば二階堂に帰っている。

 と言うのも、なぜかうららがここに通っているからだ。

 海と空の子守。

 そう言われると、邪険に出来ない俺がいる…が。


 麗がしきに妙な事を吹き込むんじゃないか。

 つい、そんな胸騒ぎがして…俺は麗の監視に帰っている。



「かわいいですね、麗ちゃんて。」


 そう言った万里を見上げると、いつになくニヤニヤした顔。


「…何だよ、そのニヤニヤは。」


「いやあ…坊っちゃんが彼女を連れて来られるのって、初めてですから。」


「…は?」


「あの時ですか?麗ちゃんが捻挫した時。あの後、送って行っただけにしては時間がかかってると噂になってたんですよ。あれがキッカケで?」


 俺が眉間にしわを寄せているにも関わらず、グイグイと質問してくる万里。


「…おまえ、何浮かれてんだよ。沙耶さやみてーだぜ?」


 鼻で笑いながらそう言うと、それは不本意だったのか。


「…すみません。出過ぎた事を言いました。」


 小さな咳払いと共に、万里は小さくなった。



 俺と織がここに来た時、まるで家族のように接してくれたみんな。

 中でも、この万里まり沙耶さや、そしてしきの夫の座に落ち着いたたまきの三人は…

 いつも俺達を助けてくれた。


 でも三者三様。

 いつもなら、こんな事を詮索するのは沙耶なのに。


「万里、何かいい事でもあったのかよ。」


 顔だけ振り返って問いかけると。


「…実は…性別が分かったんです。」


 万里の顔からは喜びが滲み出ている。


「え?双子の?」


「はい。」


 万里は…四年前に事件で関わったこうと、結婚して二年。

 当初は、記憶を失くしているとは言え、素性が素性だけに…万里と紅の結婚は二階堂の大半から反対された。

 ま、親父がOK出したんだから、誰も反対なんて出来ねーけどな。



「どっちだった?」


「男の子でした。どちらでもいいんですが…なんて言うか…より実感が湧いて…」


 照れ臭そうにする万里を見て、幸せな気分になる。


 …元々、両親のいない三人。

 自分が親になるという事自体が、不思議な感覚だ…と話しているのを聞いた。


 …その点で言うと俺だって。

 両親が生きていると知らされたのは、15の時。

 それまで、織と二人で生きて来た。


 俺には…結婚とか子供を持つとか…

 夢のまた夢だなー。



 そんな事を考えてると。


「なんでそんな寒い所に座ってんの?」


 織がリビングの掃き出し窓から言った。


「…何となく。」


「お茶にするから入って。あ、万里君も。麗ちゃんがタルト作ってきてくれたから。」


「はい。いただきます。」


 俺が無言なのをいい事に、万里は笑顔でそう答えると。


「身内の子守をしてくれる上に、タルトを作って来てくれる彼女なんて、最高じゃないですか。」


 俺に向き直って真顔で言った。


「誰が彼女だよ。」


「麗ちゃんですよ。お嬢さんが、そうおっしゃってました。」


「……」


 …麗め。

 織に何を吹き込みやがった…?




「こんにちは。」


 洋館のリビングに入ると、子供達に囲まれていた麗は俺を見上げてー…極上の笑み。


「…おまえ、いつから俺の女になった?」


「その方が楽でしょ?色々と。」


「どう楽なんだよ。」


「色々よ。」


 麗の膝では、沙耶さやまいの長男の志麻しまが無表情で甘えてて。

 その隣では、うみそらとパズルをしてる。

 …こいつら、俺が遊んでやるって言っても、すぐ飽きてどこかへ行くクセに。



「麗ちゃんのおかげで助かってるわ。あたしの仕事もはかどるし。いい彼女ね。」


 織が、お茶を運びながら言った。


 誰が彼女だ。

 麗に、そう目で訴えて見るものの。


 麗は


「ね。」


 首を傾げて俺を見た。


「大事にしなさいよ?」


 麗が俺の彼女だと信じて疑わない織の様子に、首をすくめる。

 違うと言った所で、麗はすでにみんなを味方につけてる。

 …俺が不利だな。



 * * *



「…ったく、何考えてんだ。」


「いいじゃない。似た者同士なんだから。」



 今日は車で来たわけじゃないのに。


「ちゃんと送ってあげなさいよ。」


 織にそう言われて、俺が麗を送り届ける羽目に。

 こいつが好きで二階堂に行ってんのに、なぜ俺が…



 公園の遊歩道。

 端に並んだ煉瓦の上を、麗は鼻歌交じりで歩いてる。



「あのなあ、前にも言ったけど、俺は…」


「目が違うもの。」


「あ?」


「織さんを見る時の、目が違う。」


「……」


 麗はカバンを抱えて俺を振り返ると。


「仕方ないよね。自分の分身なんだもの。」


 切なそうな目で、そう言った。


「違うっつってんだろ?」


「あ、寒梅。」


「おまえ、人の話…」


「ねえ、陸さん。次は何のお菓子がいい?」


 自己中女め…



「俺はな、一度にたくさんの女と付き合ってたいの。一人に絞る気なんてねーんだよ。」


 嫌われそうな事でも言えば。と思い、そう口にする。

 ま…あながち嘘じゃない。

 後腐れの無い女と、適当に飲んだり寝たり出来ればいいんだよ…俺は。



「じゃあ、その不特定多数の中にあたしを入れててもいいじゃない。」


 む。

 なんだ?

 女子高生っつーのは、もっと…夢があんじゃねーのかよ。

『あたし一人を見てくれなきゃイヤ!!』とかさ。


 そんな男にはなれねー。って事で、バッサリ切り離そうとしたのに…


「…バンドメンバーの妹は入れねーな。」


「姉さんは関係ないわよ。」


「関係あるっつーの。」


「陸さんって意外と意気地な…きゃっ!!」


「危ない!!」


 足を滑らせた麗を間一髪抱きとめる。


「危ねえな~…またくじいたって知らねえぞ?」


「……ありがと。」


 麗はぶっきらぼうに礼を言って、俺から離れようとしたが…


「いたっ…」


「あ、わりい。」


 胸ポケットに入れてたキーホルダーが、麗の髪の毛にからまってしまった。


「何?」


「キーホルダー。待て、動くな。」


 俺はキーホルダーをポケットから取り出すと、麗を引き寄せたまま、髪の毛を解き始めた。


「…かわいいキーホルダーね。」


 俺の手元を見て、麗が言う。


 ギター以外に一目惚れ経験のない俺が、一目で気に入ったキーホルダー。

 木彫りのフラミンゴに、カラフルな羽が付いている。



「アメリカで買ったんだ。手彫りで滅多にない掘り出し物だぜ。」


「…ちょうだい。」


「あ?」


「それ、ちょうだい。」


「だめ。」


「どうして?いいじゃない、キーホルダーくらい。」


「一目惚れしたやつだし。」


「キーホルダーに?」


「……」


 そう言われると、まるで俺が大人気ないって言われてるような気がして。


「…仕方ねえな…」


 俺は、バイクのキーを外す。


 …気に入ってたんだけどな…

 聖子にねだられまくっても、断り続けてたのに…



「ありがと。」


 悔しいけど、麗は満面の笑み。


「大事にしろよ。」


「わかってる。」


 こいつ、いつもこうなら可愛いのに。


 そんなことを思いながら。

 俺は、案外麗を気に入っている自分に、まだ気付いていなかった。

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