「俺は夜枯 祈。そこの灯ノ谷ひのや大学」

 取り敢えず妙な覚えられ方をされる前に名乗る。

 祈と月乃は表通りから少し離れた小さな公園のベンチに座った。

 相変わらずの陽気に公園は親子連れや子どもで溢れている。

「夜枯さん。これをどう思いますか?」

 月乃は唐突にポケットから一枚のメモを取り出した。

 そこには女性らしき筆跡で妙な一文が書かれていた。


『信じられない、幻滅した』


「何だ、これ」

「私が本を無くした話、聞かれてましたよね」

 今更知らん振りは出来ないので頷く。

「あの後、また違う棚で本が見つかったんです。その中に挟まれていました」

 それはあまり穏やかではないな。

 少なくとも他人の本に挟むような文言ではない。

 月乃は自分の両手を握った。

「きっとクラスの誰かが私の物だと知ったんです。それでこんな事を……」

「お、落ち着けって」

 祈は焦って肩を叩いた。

「別にどんな本読んでいようが新堂さんの勝手だし、本は無事戻って来たんだから……」

「でも……!」

 月乃が顔を覆う。

 何とか慰める言葉を捻り出そうとベンチの背に体重を掛けると大勢の視線を感じた。

「え……」

 背の高い仏頂面の男の隣にさめざめと泣く女子高生。

 ……何で俺が泣かせたみたいになってるんだ。

 祈は苦虫を噛み潰したような表情でため息を吐いた。

 待てよ。

「というか、何で俺に?」

 月乃は「すみません」と謝った。

「イヴさんに電話で相談したら、この時間に夜枯さんが近くにいる筈だから相談してみてって……」

「……はぁ!?」

 あの女、どういうつもりだ。

 それにその言い振りだとまるで俺が暇人の不審者みたいじゃないか。

「私、これを書いたのが誰だか知りたいんです。でも、一人じゃ怖くて……夜枯さん、付いて来てくれませんか?」

「いや、だから何で俺が」

 言いかけて祈は思い当たった。


『暇潰しで』


 あの店に通う理由を利用されたのか。

 道理で月乃に初めて相談された時、あっさり返した訳だ。

 最初から俺に手伝わせる気だったな。

「駄目、ですか……?」

「……」

 成る程確かにあの女は魔女らしい。

 暇人・祈はやりどころのない怒りを込めてまた深くため息を吐いた。




「付いて行くのはいいが、不法侵入にならないか」

 不本意ながら霜聖高校の裏門の前まで来た祈は月乃を引き留めた。

 校内を覗くと部活動中らしき生徒が渡り廊下を歩いているのが見える。

「うちの図書館は一般開放してありますから」

「うーん」

 生徒だけでなく一般市民も使うとなると犯人を見つけるのは無謀に思えた。

 それに、この一連の出来事には妙な点が多い。

 誰かが間違えて持って行った月乃の本が廃棄処分の書架で見つかった。

 だが踏み台を取って戻って来たら本は消えていて、後日また違う棚で見つかった。

 そしてその中に『信じられない、幻滅した』というメモが挟まれていた。

 何故月乃の本はあちらこちらに行くのだろう?

 まるで本が意思を持って歩き回ってるみたいだ。

「でも、何か手掛かりがあるかもしれませんから」

 月乃は辛抱強く言った。


 霜聖高校の図書館は地味な外観に似合わず立派なものだった。

 勿論祈の大学図書館には敵わないが、昔ながらの古き良き学校図書館という感じで、やや湾曲したスチール製の棚には所狭しと本がひしめき合い、何とも言えぬ懐かしさを覚えさせた。

「霜聖って確か美術科もあったよな?」

 一般用の利用者カードに記入しながら小声で尋ねると月乃は頷いた。

「私、美術科です」

 やたら大判の資料本が多い訳だ。

 祈の住む美古都みこと学園町は芸術系の学校と施設が集う文化の町で、霜聖高校も普通科と美術科の二コースで成り立つ学校だった。


「では、本を借りられる場合はこちらのカードを提示して下さい」

「ありがとうございます」

 司書の女性からカードを受け取ると祈は月乃に付いて図書館の奥に向かった。

 一階の最端は学習コーナーになっており、真ん中に大机が二つと、壁際に電球の付いた個人用の机が四つ並んでいた。

「ここが、最初に本を忘れた所です」

 月乃が縦に並んだ机の一番後ろを指した。

 大机のうちの一つは女子のグループが使用中で、小さい机の方は二人の生徒がそれぞれ勉強している。

 学習コーナーを仕切る物は無く、せいぜい本棚が横にあるくらいだ。

「……ここを使う人は多いのか?」

「そうですね……時間にもよりますがある程度は居ると思います。二階のPC室が満員になるとこっちへ流れ込んだりします」

 そう簡単に犯人は絞れないか。

「ん?これは?」

 祈は月乃の指した机の後ろに非常扉のようなものを見つけた。

「確か隣の棟の非常階段に繋がっている筈です」

 祈は周りを一瞥し、ドアノブを回した。

 ギィ、と喚いて重い扉は僅かに開かれた。

 隙間から覗くと冷えた空気が充満した薄暗い階段が見えた。

「……何も無いな」

 次に二人はさっきとは反対方向の入口近くにある荷物の山の前に立った。

 通行の邪魔にならないように段ボールが床に積まれており、壁に二つの本棚が立て掛けてあった。

 本棚は棚の部分が落ちていたり錆が発生したりしている。

「次に見つけたのがここです」

 月乃が手前に立て掛けてある本棚の上を指した。

「こんなとこに……?」

 本があったという棚は祈の背丈で丁度見える位置だ。

「引き取り業者が来るまで一時的に置いているらしいです」

 だから入口に近いのか。

「踏み台って何処にあるんだ?」

「カウンターの横です。安全の為、去年から一声掛けてから使わないといけなくなって……」

 祈は爪先立ちして離れたカウンター横を見た。

 あれか。六十センチくらいの高さの黒い踏み台が重ねてある。

「確か、踏み台を取って戻って来た時にはもう無かったんだよな?」

「はい」

「となると犯人は俺と同じくらいの背か」

「えっ」

「ここに足の置き場になりそうな物は見当たらないし、ここからカウンターに行って踏み台を借りて戻って来たなら新堂さんと鉢合わせしてる筈だろ」

「でも、他の棚で使っていたのを近くに持って来て使ったかもしれません。ほら、こんな風に」

 月乃は荷物置き場のすぐ後ろの棚に回った。

 そこには誰かが返し忘れたのか、踏み台が残されていた。

「もしそうだとすると犯人は計画的にこの棚から本を取って行った事になるな……」

 何故だ?

 あの本がそうまでして手元に置いておきたい人気作とも思えない。

 祈は頭を捻りながら先を促した。

「じゃあ、最後に見つけた場所は?」


 最後の発見箇所はなんという事のない普通の本棚だった。

 分類は「自然科学」で、植物や自然、庭に関するものが並んでいる。

「ここです」

 月乃の本はブックエンドの隣に立て掛けてあったらしい。

 祈は腕を組んだ。

「全く共通点が無いな……最早嫌がらせと考える方が簡単かもな」

「そんな……っ」

「冗談、冗談だって」

 月乃がまた泣きそうになったので祈は慌てて謝った。

「……あの」

「!」

 いつの間にか二人の前に一人の男子生徒が立っていた。

 眼鏡で背が高く、真面目そうな雰囲気だ。

「あ、すみません邪魔でした」

 いそいそと退けて背にしていた本棚を明け渡す。

「……?」

 祈らが退けても男子生徒は動かなかった。

 不思議に思っていると彼は二人に向かって思いもよらない言葉を発した。


「もしかして、あの本を探しているんですか?」



     *



『どうして私の事を信じてくれないの?』


 彼女が傷付いたような目をした。

 けれどこちらを見てはいない。

 雫にはそれが分かった。


『だって……じゃあ何であの人達と居るの?あの人達は私を……!』

『あの人達はそんなことしないよ』


 半笑いで返された言葉に、腸が沸々と湧き立つのを感じた。


 何それ。信じてくれないのは貴女の方じゃない。

 どうして?どうして私の事は信じてくれないの――?




 薄く目を開けた雫は深く息を吸い込んだ。

 疎ましい記憶に支配されている間は水の中にいるみたいに息が出来なくて、窒息しそうになる。

 酸素が脳に供給されると、いくらか軽くなった頭で天井を見上げた。

 眼球の奥の方ではまだ熱されたままの衝動と、鈍い痛みが脈打っていた。




「あの本ってひょっとして」

「植物の……紅い花の表紙の、小説」

 祈は男子生徒を凝視した。

 こいつが犯人か。人は見かけによらないな。

 男子生徒はどちらかと言うと文化系でおとなしく、勉学に励みそうな印象だ。

 月乃も受け入れられないのか祈の後ろに隠れて出てこない。

「何であんなメモを?」

「はい?」

 祈は男子生徒に詰め寄った。

「その本に挟んだだろう。『信じられない、幻滅した』って書いたメモを」

「メモ、ですか?いや、知りませんが……」

 男子生徒は困惑して仰け反る。

「……知らない?」

 待て待て待て。

 例のメモを突き出す。

「これに見覚え無いか?」

「し、知りません。それ、僕の字じゃ無いですし」

「……」

 そういえばこの字は女性のものだったな。

「その本の持ち主が誰だか知っているか?」

 男子生徒はまたも首を振った。

 一体どうなってるんだ。

「……じゃあ、どうして私達に声を掛けたんですか?」

 月乃が祈の後ろから聞いた。

 そうだ。声を掛けたという事は少なからず心当たりがあるということだ。

「……さっき、廃棄処分の本棚の所で話を聞いていたんです。それで、僕が戻した本がもしかしてまだ持ち主の元に戻って無いんじゃないかと思って……」

「戻した?」

「数日前、僕の友人から頼まれて」



 男子生徒・宮本みやもと 廣介こうすけは普通科の二年生で、ある日美術科の友人に本を戻しに行って欲しいと頼まれた。

 その日は遅くまで授業があったので本は図書館の外に設置された返却ポストに入れようと考えていた。

 しかし、廣介はある事に気が付いた。

 預かった本に図書館の書物であることを示す透明のカバーやバーコード、ラベルなどが付いてないのだ。

 友人が託したのは図書館の本ではない。

 気になって中を見た廣介は驚いた。

 友人と違い、本はよく読む方なのでそれがどういうものかは分かる。

 が、何故友人がこんなものを持っていたのか。

 不思議に思った廣介はその夜友人にメールし、この本を持っていた訳を聞いた。

「――だけど『とにかく戻しておいてくれ』の一点張りで」

「……随分勝手な友人だな」

 祈は呆れ気味に言った。

「仕方なく言われた通り、人のいない早朝に来て本を置いて行ったんです」

 廣介は申し訳なさそうに眉を下げた。

「その置いた場所を教えてもらっていいか?」

「はい」


 廣介に案内されたのは最初に来た学習スペースだった。

「ここに置きました」

 廣介が最後尾の机のすぐ横の本棚を指す。

「……おかしいな。最初に見つけたのは確かあの廃棄処分の本棚だよな?」

「そんな筈……」

 廣介は狼狽えた。

「やっぱりその後他の誰かが動かしたのか?」

 あのメモの女性だろうか。

 ぐぬぬと唸る祈に月乃が提案した。

「一度、イヴさんに聞いてみましょう」



     *



 祈と月乃はカウンターを訪ねていた。

「……前回の館内清掃日、ですか?」

 司書は不思議そうな顔をしたが教えてくれた。

「一昨日です。午後から休館にしていました」

「もしかしてあそこにある本棚って……」

 祈は荷物置き場を指した。

「ええ、その時の入れ替えで」

 そういうことか。



 廣介とは一応連絡先を交換して別れ、一旦図書館を出た二人はユーフォリアの店主――イヴに電話をかけた。

 一通り話を聞いたイヴは「本の入れ替えが行われた日を聞いてみて」と助言したのだ。

『本の入れ替え?』

『頼まれた彼が本を戻したっていう棚、新品じゃなかった?』

 月乃のスマートフォンのスピーカーから澄ました声が響いた。

『そう言えばあの辺り一帯、綺麗になってたような……』

 月乃が顎に手を当てて呟く。

『宮本廣介が本を戻した後、たまたま本の入れ替えが行われて新堂さんの本ごとあの荷物置き場に行ったって事か……でも、普通気付くだろう。彼女は一度司書に本の紛失を聞きに行っているし』

『その通り。何も無い本棚に月乃の本だけがあるのは変よ。本の入れ替えに携わった人間がそこに置かない限りはね』

『まさか司書?』

『霜聖高校の図書館の規模に対して数人であの重い書架を動かすのは難しいと思うけど』

 イヴが滑らかに否定する。

『そうだ、ボランティアです!確か募集の貼り紙がしてありました』

『つまり、宮本廣介が学習机の近くに戻した本を、館内清掃の日にボランティアの誰かが持ち去った……メモの犯人はそのボランティアの中にいるって事か』

『ええ。だから司書の方にもう一つ聞くといいわ』



「あの、もう一ついいですか?館内清掃の時のボランティアの中に、背が高くて最近よく来る女子がいませんか?」

「背が高い……」

 司書の女性は「ああ」と手を打った。

「もしかして、西垣にしがきさんのことかしら」



 西垣 早苗さなえは指定された大机に座る月乃を見るとハッとして足を止めた。

 すらりと背の高く美人な彼女だが、戸惑い気味でしきりに目線を彷徨わせている。

「呼び出してごめんね。これ、君が書いたもので間違いないかな?」

 祈はメモを見せて努めて穏やかに聞いたが、早苗は無言でコクコク頷くだけだった。

「訳を話してくれないかな」

 祈に勧められて席に座ると早苗はつりがちの目を見開いた。

「その本……!」

「誰のものか知ってるの?」

「え……宮本君じゃ……」

 早苗はまたハッとして月乃を見た。

「これ、この子の……?」

 月乃は祈の隣で小さく頷いた。

「じゃあ、あの時この本を取ろうとしてたのは……」

「彼女が持ち主だからだ」

 早苗は一気に申し訳なさそうな表情になり、「ごめんなさい」と謝った。

「私、勘違いして」

「西垣さんはこの本が宮本君の物だと思ってたから、あのメモを挟んだってこと?」

「はい」

彼女月乃に見覚えがあるみたいだけど……」

「それは……」

 早苗はますます恥じ入りながら事の次第を話してくれた。

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