第3話


 月日は流れ、私はもう社会人になっていた。会社に就職して数年経ち、親元から独り立ちした生活にもようやくと慣れ始めた頃だ。


 「うん、わかったわかった。もう、だぁいじょぉぶだってばぁ。週末はそっち帰るから、じゃね」


会社からの帰り道、なかなか子離れをしてくれない親からの電話を一方的に切り溜め息をひとつ吐いて、ふと近くを通った公園を見つめる。


 「全然変わらないなぁ」


そこは何かの約束をした思い出の公園だったと思う。そして、その約束を果たせぬままの公園。


 あの日、誰かをずっと待っていたらしい。

なんの約束を誰としたのかも覚えていない。私はその日が暮れるまで誰かを待って……お父さんとお母さんに心配かけて初めて怒鳴られるほどに怒られてしまった。


 「……」


私は無意識に公園を通ってみようと思った。なぜそう思ったのかはわからない。


時の流れの中で私の記憶は曖昧で何かを忘れている。高校、大学を卒業してなんとなく決めた会社に就職して、世間で言う大人というものを覚えいっぱしの社会人になっていくうち、大切な何かを忘れている。いったい誰の事を忘れているんだろう。名前さえも出てこない。


ベンチが見えてきて、ふと私は思わずと足を止めた。冷たくなり始めた風に乗るこの鼻唄を聞き覚えがある。雨の日のバス停の微笑みが頭に過りベンチに座るひとりの少女に目を奪われしばし見つめてしまった。


 「……メル」


彼女の名を噛み締めるように呟く私の声は震えていた。


「……ぁ」


似ている。あの子はメルによく似ている。銀色の長い髪を編み込み、俯いていてもわかる綺麗な潤みの強い青い瞳。彼女によく似合っていた純白のワンピースと大人びた首の黒いチョーカー。あの時と彼女がいた。


 「メ……ル?」


私は無意識にその子に近づき、その名をもう一度口にして……唇を噛んだ。


違う、メルじゃない。あれから何年経ってるの。メルがあの日のままでいるはず無いじゃない。私は早とちりな自分に苛立ち、顔を上げてじっと潤みの強い瞳で私を見つめる女の子に申し訳なくて頭を下げた。


「ごめんね。あなたが知り合いによく似てて、いきなり話し掛けられて恐かったよね。本当にごめんなさい」


私はバツが悪くて、すぐに踵を返して立ち去ろうとしたーーけど、女の子は白い細指で私の手を握った。その場から動けなくなる。冷たく冷えきった手の感触。真っ直ぐに私の目を見つめるこの子の白い頬は紅く色づき青い瞳が潤み揺れた。


「久しぶりだね。綺麗なお姉さんになっちゃっててちょっとだけわかんなかったよ」


その声はあの頃と変わらないメルの声だった。清んだ朝露のような透明感のあるメルの声。彼女は私を抱きしめて紅くなった頬を寄せる。私は自然とその冷えきった彼女の体を優しく抱きしめ返していた。


「メル……ほんとにメル?」

「うん、メルだよ」


嘘を言っているとは思えない。あの頃と変わらないメル。彼女に疑問なんて持たない。ただ、この腕の中にいるのがメルだって確信できればそれでよかった。


 「いつぶりかな。雨降りのバス停が最後だったかな。あの時のあなたはあたしの事を知らないみたいで悲しかったけど、それはあなたも同じだったんだよね。けど、けどこれでお互い覚えてるから、今度会うときは笑顔で会えるなって思ってたけどーー」


矢継ぎ早に言葉を続けるメルは眩しく微笑みながら唇は少し震えていた。


 「なんでだろう。会えないんだよね。あなたに何度も会いに行こうと思っても会えない……いきなり暑い日になったり、次の日は冷たい雪の日だったり、わけがわからなくて怖くて……やっと、会えたと思ったらあなたは、年上のお姉さん……」


言っていることはよくわからないが、メルは何かに怯えているように思え、今更ながらにこの寒空に薄いワンピースであることに気づき奮える彼女に私は着ていた上着を急いで彼女に羽織る。


 「メル。ここは寒いから、えと、私の家に来る?」


メルはこくりと頷いた。








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