僕らは夢のなかで
ざわざわと雑音の中で妙にクリアに噂話が聞こえる。
「私、今日、メルと出会ったの」
「メルってあのメル・アイヴィー?よかったじゃん」
年頃の子どもたちの間で囁かれる都市伝説のようなもの。『メル・アイヴィー』。
その正体は、夢の守護者とも、幸せを運んでくる者とも言われる。
眠っている時に眠っている子どもの夢の中に現れる不思議な少女だそうだ。
俺は女子達が嬉しそうにはしゃいでいるのを見て、聞こえないように舌打ちをする。
こっくりさんというのをご存じだろうか。
今はもう古いお話だが、こっくりさんとかいうつまらないゲームを本当に心霊が乗り移ったのだと勘違いして集団催眠術に罹り、世間を騒がせるなんて出来事があったらしい。
どうせ、その『メル・アイヴィー』とやらも集団催眠の一つなのだ。
銀色の髪に白いワンピース。あと、青い瞳とか、首に黒いチョーカーとかそういうところは共通しているのに、顔となるとみんな絵に起こせないなんて現象があって、それがより神秘性を高めているらしいけれど、そんなの、夢なんだから、あやふやにしか覚えていないに決まっている。
俺でない限りは。
俺にはささやかながら特技があった。
明晰夢という言葉をご存じだろうか。
俺はその明晰夢というやつしか見たことがない。
そして、明晰夢というのは見ている人間の思い通りに夢を変化させることができるのだ。
「さて。こんばんはどんな夢を見ようか」
夢の中ではどんなことでもできる。
そんな自分にでもなれる。
「最近流行の異世界転生――そして、チートにハーレムも作ろう」
本来ならばもっと綿密にストーリーを練るのだが、ちょっと疲れているので適当にしておいて、瞼を閉じた。
気だるい快楽が支配する世界。それが夢の世界だった。
その世界の中で俺は勇者として剣と魔法の世界で無双している。
「レベル1で魔王を倒してしまったぜ。俺の強さに自分でほれぼれするな」
どうのつるぎをゴルフクラブの品定めのように嘗め回す。
初期装備で魔王を倒すなんて、夢のようだ。
「だって、夢だもの」
「!?」
そんな興ざめなセリフを吐かせるようにキャラを設定した覚えはない。
俺のことを持ち上げて、甘い言葉で誘惑してくるヒロインしか俺の周りにはいないはずなのに――
俺は振り返る。
針のような木のてっぺんに一人の少女がいた。
銀色の髪に青い瞳は夢の中の登場人物のように現実味がない。
白いワンピースは異世界には調和しない。
首にチョーカーなんて巻いていて、本当になにものなのか分からない。
「いいえ。あなたは知っているはずよ。私の名前を」
夢幻の美しい少女に俺は忌々し気に呟く。
「メル・アイヴィー」
「御名答」
メルは嬉しそうな表情を俺に向ける。
俺は思わずドキリとしてしまった。
「夢だけを見て楽しんでいるなんて虚しいと思わない?」
少女の口調には嘲りのニュアンスは少しも感じられない。
けれど、俺の自尊心は傷付けられた。
「何が悪いんだよ」
心底むかむかする。
「夢の中でしか自由に生きられないんだ。夢を見られないんだ。だから、夢を見て何が悪い!」
俺は腹いせにいいことを思いついた。
ここは俺の夢なのだから、俺の好きに世界を組み替えられる。
つまり、銀髪の美少女を犯す淫夢にもできるということだった。
「むふふふふ。服の下はどんなナイスバディが」
「最低ね」
吐き捨てるようにメルは言った。
今度は明らかな嫌悪感をむき出しにして。
メルは木から落下していく。自分の意思で地面へと降り立っていく。
気がつけばメルの手にはメルの背ほどはあるハサミが握られていて――
「悪い夢なんて~食べてしまいましょ~」
まん丸ピンクな任天堂のキャラクターだよな、とか思いつつ、俺の夢はメルのハサミによって切り刻まれて行く。
夢という土台を失った俺は暗闇の中に落とされた。
「夢、か」
目を覚ました俺が開口一番言ったのはそんな間の抜けた言葉だった。
自分の意志で夢を見ていて、目が覚めて、夢か、だなんてあほらしすぎる。
「そして、くだらない日常が始まるんだ」
昼が来て、精一杯頑張ったご褒美として俺には夢が与えられる。
今度はゲームの世界でゲームが得意な俺は無双するというストーリー。
偉そうなやつから魔剣でぶった切っていく。
「まだそんな夢を見てるんだ」
そいつは昨日と同じように高いところから俺を見下ろしていた。
「メル・アイヴィー」
俺はその名を忌々し気に口ずさむ。
「何か文句でもあるのかよ」
「いいえ。別に」
メルは俺に手を差し出す。
「あなたが見ているのは仮初の夢。でも、もし、本当の夢を見たいのなら。私とともに冒険してみる勇気はある?」
なんだか回りくどかった。
都市伝説のコイツはこんなにも饒舌だっただろうか。
いや、誰かメルと会話したやつはいたのだろうか。
「やってやる。本当の夢とやらを見定めてやる」
メルの手を取り引きずり込まれた先は、よく分からない場所だった。
ドクリドクリと血管のように通路の壁が鼓動している。
「ここはどこなんだ」
「アマラ経路。夢と夢の通り道♪」
メルは楽しそうに俺の手を引き、そのアマラ経路とやらを進んでいく。
「プリン。プリン。プリンセスはプリン♪」
メルの手は驚くほどにさらさらしていた。
俺の汗ばんだ手がより引き立ってしまう。
そして、不気味な通路の先に光が差した――
そこはあまりにも曖昧な空間。
夢の中。
俺の中の記憶と、手を繋いでいる少女の温もりが、曖昧模糊たる夢に彩を与えていく。
「病院か?」
そこは病院の個室の中だった。
白いベッドがあって、そこには一人のこどもが寝ている。その表情は漠然としていて、顔があるのに顔が分からないというような、つまり、思い出そうとしても思い出せないあの人の顔のように実体がない。
その病室の中にいやにはっきりしたものが一つ、いや、一人いた。
白い衣装を身に纏った天使。
白衣の天使はナースさん。
「ここはとあるこの夢の中」
メルはすらすらと歌うように語り出した。
「病に伏して起き上がれない子の夢の中」
「その夢がナースになること……」
残酷な夢だと俺は思った。
「その子は元気になれないのだろう?」
「そうかもしれない」
メルは答えた。
「残酷だ。こんな夢を見せるだなんて」
俺はメルを非難するように言う。
「違うの。これは彼女の見る夢。彼女が望んだ夢の中」
「俺の時のように切り取ってあげればいいのに。でなくちゃかわいそうじゃないか」
決して敵わない夢を夢見ながらこの子はずっと夢を見ている。
それほど苦しいことはないだろうに。
「本当にそう思うのかしら」
夢の中に黒い染みができ始めていく。
それはだんだんと大きくなっていって、巨大な雲のような生き物をかたどっていく。
「あれはなんだ」
震える足で俺は尋ねた。
「あれは悪い夢。いい夢を食べて悪い夢にしてしまう。夢を捕まえる蜘蛛の巣の主が悪夢の元凶だなんて笑えちゃう」
メルは少しも怖がっていないようだった。
手には大きな鋏が握られている。
「夢を見ることは悪いことじゃない」
ジャキリジャキリと切っていく。
黒い染みを切り取っていく。
「夢がある限り、人は現実を変えていこうとすることができる。夢に夢見るわけでなく、夢を現実に変えるために」
メルはそっと俺を振り向く。
「けれどあなたは違うから。現実を変えようとするでもなく、夢を夢見て夢を見る。夢の中でしか生きようとしない」
蜘蛛はメルに引き裂かれ、少女の夢から消え去った。
メルは俺に鋏を向ける。
「夢を夢見ていてはダメ。夢に夢見ていてはダメ。夢は現実を変えるもの。願えばいつか叶うから」
蒼い瞳は強かった。
叶わぬ夢と分かっていても必ず叶うと信じる瞳。
その瞳を信じよう。
そして、俺は、メルの鋏で体を夢から切り取られる。
その日から――
俺は夢を見なくなった。
叶えたい夢はまだ見つからない。
けれど夢を夢見るのではなく、夢を現実にできるよう現実に夢見て生きようと思った。
そんなある日のことだった。
「転校生のメル・アイヴィーっす!よろしくっす!」
俺の前に現れたのは銀の髪の青い瞳の乙女だった。
「なるほど俺はまだ夢の中らしい」
頭を抱えて俺は笑った。
メル・アイヴィー奇譚 竹内緋色 @4242564006
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