希憶(きおく)

「違う。僕は君の、かつての恋人じゃあないんだ」


 男はやんわりとした声で、しかしはっきりとした意思で否定する。


「ですが、今のは紛れもなく!」


「違う!」


 メルが叫ぶと、男が叫び返す。



 と、メルのチョーカーにある宝石が、光を放ち始めた。



「っ……これ、は!?」


 今まで見たことのないものに、男は驚きを隠せず。


 ただ、何か温かい感じに包まれた。


     *


 男が周りを見渡すと、そこには別の男の笑顔が浮かんでいた。


 メルのかつての、恋人であった。


 けれど男は、なつかしさを感じた。なぜなら、理由は知らねど、かつての恋人の時の記憶があったからだ。


(そうか……。あの日、雨の降る夏の日に僕がメルを助けたのも、まさか……)


 男は神や“生まれ変わり”を半信半疑していたが、この時ばかりは疑いなく信じた。


 と、浮かんだ男が、何かに包まれた男を見る。


 そして、ゆっくりと口を開いた。


「頼んだよ、もう一人の僕」


 浮かんだ男はそう、何かに包まれた男へと言っているように見えた。


     *


「ここは?」


 男が目を覚ますと、目の前にはメルがいた。


「主様! 良かった……!」


 どうやら気を失っていたのだろう。男はゆっくりと起き上がると、メルに抱きしめられた。


「半日も眠っていらしたのですもの、心配で……!」


「久しぶり、メル」


「主様?」


 男はゆっくりと、メルに語り聞かせた。


「思い出したよ、メル。

 やっぱり僕は、君のかつての恋人らしい」


 それを聞いたメルの目には、みるみる内に涙が溢れる。


「きし、様……!

 ずっと、お待ち、してました……!」


 メルの腕に、力がこもる。


 それを抱きしめる男の腕もまた、力がこもり……それでもメルの繊細な体を、壊さぬように抱きしめた。



 かくして、二人は一つの歌を通じ、再び結ばれあったのである。




     了

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紡ぐ、たった一人への歌 有原ハリアー @BlackKnight

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