50才の洗礼

50才の時、

新しい仕事を増やした。

それは、通勤時間が五分のところにある会社での仕事だった。

今までやってきたことを生かせる内容だったし、

実際、面接では『助かる』というようなことを言ってもらった。


私は愚かだった。

それを真にうけてニコニコしていたのだから。


50才の洗礼はこんな風にやってきた。

今までの経験なんか、なかったことにすること。

適材適所にはしないこと。

苦手でどうしようもないことを与えられて、あんたは無能だ、

こんなこともできないのか、辞めれば、と罵られた。

それでも明るく耐えて、初めて少しずつ『仲間入り』できるような

世界があった。

自分が落ちぶれたと思った。

レベルの低い世界にチューニングしてしまったのだと悔いた。


しかし、そこは本当にただの『レベルの低い世界』だったのだろうか。


渦中にあった時には、ああ、ひどい。

ああ、とんでもない公害を受けているみたいに不快だ。

ああ、もっと向上し合う関係性の中で

利益をあげるためだけに力を合わせられないだろうか、と

周囲に漂うマイナスオーラを嘆いた。


引き寄せや同類の法則に従うのなら、

私がその環境を引き寄せた。

何かを学ぶために引き寄せた。

だったら、素早く学ぶから、早くそれを教えてよ。


どうして?

私は何を学ばなくはならなかった?


通勤時間45分を5分にして、

様子を見て、今後は45分の方の仕事を切ってしまおうと思っていた。

たいていのことはなんとかなる、耐えられるという、自負もあった。

本気で頑張れば、必ずみんなが認めてくれるんだから。

大家族に育ったから、人づきあいは得意だ。

どんなジャンルの人でも仲良くなれる。


だから、私は、パワハラを訴える人に対して眉をしかめるところが

往々にしてあった。

でも実際に自分が攻撃対象になって初めて、その人たちの気持ちがわかった。

明るく挨拶しようが、

元気にがんばろうが、

最善を尽くそうが、

心理的な攻撃をしてくる人が、この世にはいる。

とても恐怖を感じた。


たとえて言うなら、その恐怖とは、汚物やウイルス、公害に対する恐怖と同質のものだった。

決して雷とか、地震とか、父親が恐い、という畏怖の念とは違う。

ゴキブリが恐い、野良猫が花壇に糞をするのがいや、というような

憎しみとセットになった恐怖だった。


憎いのに、『汚物』が自分につくのが嫌だから、

とても気を遣った。

そんな自分が嫌だった。

その人の矛先が別の方を向いている時、その人を助けることができない

自分が情けなかった。

どこかで安堵している自分さえいた。

ああ、こうやって、いじめって起きるんだ、と知った。


結局、私は人づきあいが得意、なんじゃなくて、

今まで良い人にしか会ったことがなかっただけなのだった。


人間とは思えないくらい、自制心のない人はいる。

自分の優位性を保つためなら、人が痛みを感じようが

苦しもうが、あるいは、死んだとしても平気な人がいる。


そんな『毒』『ウイルス』を我慢する必要はこれっぽっちもない。

大切な自分を守ろう。

一目散に逃げるべきだと今は思う。

がんばって、我慢なんかしたら、本当に殺されてしまう。


私の場合、一年間は、我慢に我慢を重ねた。

帯状疱疹、酔って記憶をなくす、突然泣きわめく、夫に暴言を吐いて『土下座しろ』なんて言ってしまう(多分、その人に言いたいことを夫に言ってしまったのだろう)、自己肯定感が日々薄れ、白髪だらけになっても染めない。

だって自分は限りなく無能なのだから・・・。

もう限界だ。

逃げよう。


そう思った時だった。

奇跡が起きた。

同期入社のパートさんが本人に直訴した。

なんと、その人は、翌日から来なくなったのだった。


今は、みんなで普通に助け合い、

それぞれが得意なことをやり、

ストレスのない職場になった。


直訴してくれた『恩人』とは時々、洗礼時代のことを話しあう。

あれはいったいなんだったのか、と。

今でも身震いするほど恐ろしい

あの人はいったい、なんだったのか。


答えは出ないけれど、

恩人が言うにはこうだ。


『あのような人は、面と向かってハッキリ抗議されることに慣れていないから

意外と弱いのだ』


もしも今、毒やウイルスに苦しんでいる人がいたら、

辞職覚悟で数人で直談判をしてみるのもお勧めする。

私はできなかったのだけど・・・。


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