第10話:グレゴロ襲来
時を遡ること数週間前。
王都で保安官として働くリリアのもとに、一通の手紙が届いた。
それは、現アルトレア地区の領主であるドルリッチ家の侯爵、クレシダ・ワント・ドルリッチからの手紙だった。
手紙の内容は、急ぎ伝えたいことがある、至急屋敷に参上せよ、とのことだった。
最初は悪戯かと思った。
シーラ族の暮らす片田舎のポルカ村出身であるリリアに、地区で一番の権力者であるドルリッチ侯爵直々の手紙が届くだなんてことは、前代未聞であったし、有り得ないことだった。
ただ、手紙にあった判の印は間違いなくドルリッチ家の紋章だった。
勘の悪いリリアだが、さすがに今回ばかりは異変を察知した。
リリアはすぐに王都を後に、ドルリッチ家の屋敷へ向かった。
アルトレア地区は、国の最西端に位置する地区で、そのさらに西には海が広がっている。
広大なその土地を治めるドルリッチ家の屋敷は、地区の入り口に当たる王都に最も近い場所にある。
とはいえ、王都からはとてもじゃないが歩いて行ける距離ではない。
王都には速度が出る金属製の魔力動車があるが、アルトレア地区に向かうものはなく、帰郷の際は、この国特有の長い耳が垂れ下がった灰色の馬での移動が基本だった。
なのでリリアは、王都から馬で三日かけて、ドルリッチ家の屋敷に辿り着いた。
一度も来たことのない場所だったが、ドルリッチ家のその大きさにリリアは驚いた。
まるで、小さな城、小さな国のようだった。
石でできた高い外壁の中には町が広がり、沢山の召使いが家族と共に住み込みで働いていて、豊かな畑もあれば家畜も豊富にいた。
王都に初めて足を踏み入れた時にも衝撃を受けたリリアだったが、今回はその比でははかった。
東から流れてくる川のほとりに造られたその屋敷には、本当に何もかもが揃っていて、同じ地区であるはずの自分の生まれ育ったポルカ村がいかに貧しかったのかをリリアは思い知った。
その中でも、一際目立つのが、赤い実をつけた木々が並ぶ広大な果樹園。
ルロアの実というその果実は、ポルカ村にもよく届けられていた。
荒野の広がるアルトレア地区では、植物が育ちにくく、栄養が豊富な果物は手に入りにくい。
その為、ドルリッチ家で作られているルロアの実は、周辺の村では重宝されていた。
しかし、好き嫌いがはっきりと分かれるような独特な味をしているため、リリアの家族はみな苦手で、リリアもあまり口にすることはなかった。
侯爵の住まう屋敷は、そのルロアの果樹園を抜けた奥にある、石造りの巨大な建物。
仰々しい門構えに、威圧感のある彫刻像が玄関前に立ち並んでいた。
屋敷内に武器は持ち込めないため、護衛兵に魔光式銃を預けて、リリアは中へ入った。
廊下や部屋に飾られているのは、色とりどりの花々、珍しい動物の剥製、著名な画家の絵画に骨董品など。
どこの床にも必ず絨毯が敷かれているし、屋敷中が高価な品々で埋め尽くされていた。
一室に通されたリリアは、その時初めて、ドルリッチ侯爵と顔を合わせた。
金持ち特有の太り方をしたドルリッチ侯爵は、重そうな体を巨大なソファーに無理矢理詰め込んで、今の季節は比較的涼しいというのに汗を大量にかいていた。
そしてその傍らに、何やら人の良さそうな白衣の人物が一人、にこやかに立っていた。
「お前がポルカ村出身の保安官、リリア・ローネッツェか?」
思いもよらない高い声で、ドルリッチ侯爵は話しかけてきた。
リリアは動揺したが、一応領主である人物なので、失礼のないようにと平静を装って頷いた。
「よし。では伝えよう。お前の故郷であるポルカ村で、恐ろし病が流行している。数日で死に至るという、それはもう恐ろしい死の病だ。既に死者も複数出ていると聞く。幸い、ここにおるわしの主治医であるエードリード医師が治療薬の作り方を知っておる。だが、その薬を作るためにはある物が必要なのだ。それを、お前に取ってきてほしい」
ドルリッチ侯爵の言葉に、文字通り、リリアの頭の中は真っ白になった。
その言葉を理解することに、頭も心も困惑していた。
リリアが前回村へ帰ったのはほんの数か月前で、その時には何の異変も起きていなかった。
それが、この短期間で死者が出るほどの病が流行しているなど、とても信じられなかったのだ。
「ポルカ村のすぐ北に、グレゴロの森と呼ばれる最古の森があるであろ? そこに住まう、アーシードラゴンの黄金の角。それが、病の薬となるのだ。森へ行き、ドラゴン狩りを行うが良い。わしが許可を与える」
リリアは困惑した。
グレゴロの森は、確かにポルカ村から近い。
歩いて半日ほどで行くことのできる場所だ。
しかし、森は広く、深く、何よりも恐ろしい動物が多数生息している。
村では幼い頃から森の話を聞かされ、決して子どもが入ってはいけない場所だった。
そして、アーシードラゴンの黄金の角は……。
「アーシードラゴンは神の子です。それを……。狩ることなど、私にはできません」
リリアは、やっとのことでそう言った。
いくら領主が許可を出したとはいえ、相手は神話の中の神の子。
人である自分に、アーシードラゴンを狩ることなど許されないのだと、リリアは感じていた。
そんなリリアの様子を見越したかのように、ドルリッチ侯爵はこう言い放った。
「お前が無理だと言うのならそれでも構わぬ。だが、わしができるのはその角から薬を作ることだけだ。わしが森に他の誰かを送ることはない。一度、村に帰ってみてはどうだ? それから判断すればよい。もし、角を手に入れて、わしのもとに持ってきたならば、病を治す薬を作ることができて、村の者たちは救われるだろうがの」
不敵な笑みを浮かべるドルリッチ侯爵の顔が、リリアの脳裏に焼き付いた。
村は、大惨事だった。
ポルカ村は、二百人余りのシーラ族が暮らす小さな村だったが、そのうち四十人以上が病に伏し、既に三人が死に至っていた。
幸い、リリアの家族はみな無事だったが、病にかかった村人たちの介抱と、人手の足りなくなった畑仕事の埋め合わせなどに追われて疲れ果て、また自身がいつ病に侵されるかわからない不安に襲われていた。
まだ病にかかっていない村人たちも、みなどこか顔が青く、村全体が死の色に包まれていた。
ドルリッチ侯爵に言われたことを、リリアは族長に伝えた。
現族長はトレイユの父であるアニキスという男だ。
強靭な体を持つアニキスでさえも、病の流行に心身共に疲れ果てていた。
しかしアニキスは、アーシードラゴンの狩りなど認めるわけもなく、リリアの言葉は一蹴された。
リリアは悩んだ。
自分が今、どうすべきなのか、悩んだ。
こんな時、父がいてくれれば答えをくれたのに……。
リリアの父は、リリアが保安官になった年に、狩りの最中に亡くなっていた。
狩りを学び始めたばかりの若者を庇って、猛獣の牙を受け、崖から転落したのだ。
家族は悲しみに暮れたが、同時にリリアは、勇敢な父を誇りに思った。
そんな偉大な父の背中を見て育ったリリアは、今のこの状況にじっとしてなどいられなかった。
そして、たった一人で、飛び出すように、グレゴロの森に向かったのだった。
リリアは、全てをキラクに打ち明けた。
理解してもらおう、許してもらおうなどとは思ってはいない。
キラクに嘘をつき、利用したのは他ならぬ自分であり、罰を受けるべきだとリリアは思っている。
しかし、こうなった理由を、村のことを、キラクに知って欲しかった。
キラクは、一言も口を挟まずに、リリアの話を静かに聞いていた。
そして、じっとリリアは見つめて、何かを考えている。
「その、エードリードと言ったか? 本当に医者なのか?」
キラクの言葉に、リリアは固まる。
確かに、医者だとドルリッチ侯爵は言った。
しかし、エードリードという名の医者など、リリアは知らない。
リリアは、わからない、といった風に首を横に振るう。
「ドラゴンの角が薬になるだと? カルシウムの塊でしかないというのに、とんだ戯言だな……」
キラクは、怒ったような、呆れたような口調で、独り言のようにそう言った。
リリアは、全てを打ち明けたはいいが、その後のことは考えていなかった。
正直に話し終えたところで、状況は何も変わっていない。
けれど、目の前のキラクを押しのけて、死んでしまったアーシードラゴンの角を切り取ろうなどとは思えなかった。
……どうすればいいんだろう?
村のみんなのために、ここまで来たのに……。
……結局私には、誰も救えないっていうの?
リリアの心の中に、黒い闇が渦巻いていた。
そんなリリアに、キラクが話し掛ける。
「で、病の症状はどのようなものなんだ?」
キラクの言葉に、リリアは驚く。
キラクの表情は柔らかい。
もう、怒ってなどいない様子だ。
てっきり、罵倒されるとばかり思っていたリリアは、目を見開いてキラクを見る。
人の命よりも生態系が大事、希少価値があるのは自然に生きる動植物であると、キラクは考えているはずだ。
なのに、キラクはしっかりとリリアの話を受け止めてくれている。
リリアは、どうしてだか涙が出そうになり、それを必死に堪えようとする。
「えっと……、その……。症状は、いきなり高熱が出て、それがずっと続いているって……。あと、腹部の痛みと、嘔吐も。食事が十分にとれなくなって、衰弱していって……。それから、足の裏に見たことのない赤い斑点が出るの。足の裏だけ。けど、誰もそんなことになったことがないから、村のお医者様じゃ治せなくて……。それで、みんな……。みんなが……」
溢れ出る涙を抑えることができないリリア。
本当は、ずっとずっと心細かった。
トレイユが現れても、村の命運は自分の手に握られているのだと、ずっと不安だった。
たった一人で、病にかかった五十人以上の村人を助けなければならないと、言い知れぬ重圧に耐えていたのだ。
それが今、キラクに全てを話したことで、張りつめていた心が緩み、涙となってしまったのだった。
「そうか……。村までは遠いのか?」
そう言ってキラクは立ち上がり、ゴレアに乗り込んだ。
リリアは、涙で滲む景色の中、キラクの乗ったゴレアが自分に近付いてくる様子をその目で捉えている。
「え……。歩いて、半日くらい……」
リリアの言葉が終わらないうちに、キラクはリリアの体をゴレアの腕で掴み、先ほどと同じようにゴレアの後部に座らせた。
「今から村へ行こう。その病、俺なら治せる」
キラクの言葉に、リリアは胸が詰まり、涙が溢れ出るのを止められなかった。
アーシードラゴンの墓場を抜け出し、先ほどの場所に戻ってみると、そこにトレイユの姿はなかった。
キラクの放ったネットは切り裂かれ、その場に残されていた二体のアーシードラゴンの死体からは、金色の角が切り取られている。
「あいつ……。どこまで阿呆なんだ」
キラクは、呆れたように顔を歪める。
東の空が明るい。
夜が明けて、太陽が昇ってきたのだ。
すると、周りにいるアーシードラゴンたちが急にざわつき始めた。
それまで腰を降ろしていたアーシードラゴンたちは一斉に立ち上がり、辺りをキョロキョロと見回しながら、何かを警戒しているようだ。
それと同時に、地面が小刻みに揺れ始める。
その揺れはだんだんと大きくなり、ゴゴゴゴゴーという、何か岩と岩が擦れるような音がどこからともなく聞こえてくる。
「何っ!? 何何っ!?」
滑り落ちないようにとゴレアに抱き着くリリア。
アーシードラゴンたちは、それまで閉じていた翼を広げて、一斉に空へと飛び立った。
「どうやら、怒らせてしまったみたいだな……」
キラクの表情が、いつもと違うことにリリアは気付いた。
その赤い目を見開いて、額に冷や汗をかき、神経を研ぎ澄ませていることがわかる。
「怒らせたって……。まさか……?」
リリアの予想は的中した。
地響きとともに一部の岩が崩れ落ち、それは姿を現した。
明るい東の空とは真逆の方向、西の方向にある大きな岩のその上に、何かがいる。
日の光を浴びて輝くそれは、水のような透明度の、巨大な軟体生物。
手も無ければ足もなく、顔もなければ胴体がどこまでなのかもわからない。
原型などないに等しいその体は、地面に這うようにして伸び、丸みを帯びていて、ナメクジのようにドロッと、ヌメヌメと光っている。
透けた体の中には、臓器などない。
ただ、様々な色の光と、動物の骨と、枯れた草木が入り混じっている。
ぶよぶよと、ふにふにと、ぷるぷると、それは近付いてくる。
軽く二階建ての建物くらいはありそうなその巨体に、奇妙な体に、リリアは言葉を失う。
「あれが、お前たちがこの森の守り神と呼ぶ、巨大軟体生物グレゴロだ」
キラクの言葉に、リリアはもはや何も言えない。
伝承を聞いて想像していた姿とは、全く違う。
もう少し、動物らしい形をしていたはずだ。
もう少し、生き物らしい形をしていたはずだ。
目も耳も口もなく、およそ生物とは言えない作りのその姿に、リリアは震え上がる。
しかしキラクは……。
「なんと、美しい……。想像以上だ」
その赤い瞳を輝かせて、微笑んでいるではないか。
キラクのその表情を見て、リリアはギョッとする。
今まで見てきた中で、一番幸せそうなキラクの笑顔。
まるで、探し求めていたものに出会えたかのような、キラキラとした笑顔だ。
美しいっ!? 何がっ!? どこがっ!?
リリアは、キラクに怒鳴りつけてやりたい気持ちを必死に抑える。
すると、自然と体の震えは収まって、先ほどまでの恐怖心はどこへやら、リリアは逆に冷静になることができた。
「キラク! 逃げてっ!」
自分がしっかりしなければ、共倒れになってしまうっ!
瞬時にそう察したリリアは、ゴレアのガラス部分をバンバンと叩いた。
キラクは我に返ったかのようにハッとして、ゴレアを操作し始める。
その間にも、グレゴロはどんどん近付いてきている。
そして、大きく膨らませた透明の体をゆっくりと持ち上げて、リリアたちをその中に取り込もうと覆いかぶさってきた。
「押し潰されるっ!? いやぁっ!!」
頭上にグレゴロの体を目にして、リリアは悲鳴を上げた。
キラクは、手元の青いボタンをポチッと押した。
すると、虹色に輝く光がリリアもろともゴレアを包み込み、次の瞬間、その場から消えた。
何が起きたのかわからないリリアの目に映るのは、遥か下にいるグレゴロの姿だ。
大きく透明な丸い胴体が、先ほどまでリリアたちがいた地面に倒れている。
太陽の光を浴びて、水面のように輝くその体は、確かに美しい。
けれど、生き物だとは到底思えない……。
「ふ~……。時空間移転装置もつけておくものだな。こんなところで役に立つとは……」
ゴレアの中で、キラクが大きく息を吐いた。
間一髪で、グレゴロの攻撃を回避したゴレアは、リリアを乗せたまま、既に上空にいたのだ。
リリアはもう、先ほどからいろんなことに驚きすぎて、何を驚いていいのかわからない。
いや、キラクと出会ってからというもの、驚かないことなどないと言っていいほどだ。
「で、村はどっちだ?」
リリアの顔をチラリと見て、キラクが尋ねる。
「あ、えっと、南東の方角」
リリアの言葉に、キラクはゴレアを操作する。
「あ、ねぇっ! いいのっ!?」
リリアは、思わずキラクを呼び止める。
「何がだ?」
キラクの顔が不機嫌そうに歪む。
「あ、その……。だって、グレゴロが……」
リリアは、しどろもどろになる。
先ほどのキラクの笑顔が、一度も見たことのないその笑顔が、キラクのグレゴロに対する探求心の強さを表していた。
グレゴロは、そう簡単に出会える生き物ではない。
ましてや、二ヶ月間も森にいたキラクでさえ、初めて目にしたのだ。
せっかく伝説の生き物の出会えたのだから、生物オタクのキラクにとっては願ってもみないチャンスのはず。
それを、リリアのために我慢して、村へ向かおうとしてくれているのかと思うと……。
村が大変なことは重々承知しているのだが、それでもリリアは引き止めずにはいられなかった。
「ふん、お前も少しは生物の希少価値がわかるようになったようだな。だが、心配するな。この一件が終われば俺はまた森に入る。そして、必ずもう一度、奴を見つけてみせる」
キラクは、いつも通りの偉そうな態度でそう言って、ゴレアのエンジンをフルパワーに上げた。
リリアが何かを発する間も与えずに、ゴレアは猛スピードで発進し、太陽の方角へと飛んでいった。
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