第9話:黄金の角のドラゴン
リリアは、寒さで目が覚めた。
辺りはまだ薄暗くて、日は登っていない。
霧が立ち込めていて、視界はぼんやりとしている。
少し離れた場所に、丸いゴレアの影が見える。
そして、隣にいるはずのトレイユの姿がない。
リリアは起き上がり、冷えた体を擦りながら、トレイユの姿を探す。
しかし、どこにも見当たらない。
昨日のあの様子だと、トレイユも相当切羽詰っていた感じだった。
弟の命が掛かっているのだから、当たり前だ。
けれど、たった一人でアーシードラゴンを探しに行くなんてことは、さすがに無謀だと、トレイユなら理解しているはずだ。
アーシードラゴンは、伝承にこそ残ってはいるが、その全容は誰も知らない。
どれくらいの大きさで、どれくらい凶暴なのか、誰にもわからないのだ。
一人でトレイユを探しに行ったとして、もしアーシードラゴンに出くわしたら……。
最悪、命を落とすことになるだろう。
リリアは、静かにゴレアに近付いていく。
ゴレアの中では、キラクが眠っていた。
無垢なその寝顔を見ると、昨日のあの冷たい目が嘘のように思える。
キラクを起こして、一緒にトレイユを探してもらう……。
しかし、昨日の晩の出来事を思い返せば返すほど、それは不可能に近い。
キラクのことだ、一人で行ったのだから一人で行かせておけばいい、などと言って相手にしてくれないだろう。
けれど、このままトレイユを一人にしておいては……。
頭を抱え込み、苦悩するリリア。
「何をしている?」
声に驚いて、見ると、眠っていたはずのキラクが目を覚ましている。
「なっ!? ばっ!? おはようっ!」
リリアは、あたふたとしながらも、怪しまれないようにと平静を装った……、つもりだった。
「……? あいつはどこに行った?」
キラクは、トレイユの姿がないことに気付き、慌てて身を起こした。
「あ……、えと……。目が覚めたらもういなくなっていて、見当たらなくて……」
リリアの言葉に、キラクの表情が歪む。
そして、瞬時にゴレアを起動させた。
「えっ!? 探してくれるのっ!?」
予想外のキラクの行動に、リリアは驚く。
「当たり前だっ! あんなやつをほおっておけば、何をしでかすかわかったもんじゃないっ!」
キラクは、何やらとても怒っているようだが、トレイユを探してくれるようだとわかり、リリアは安堵する。
すると突然、リリアの体はゴレアの大きな手に掴み上げられた。
「なっ!? 何っ!?」
痛くはないが、いきなりの出来事に慌てふためくリリア。
軽々と持ち上げられたリリアの体は、ゴレアの後部についている突起のような部分の上に降ろされた。
「お前の足だと遅いっ! このまま行くぞっ!」
そう言って、キラクはゴレアを発進させた。
「うわっ!?」
いつになく荒々しいゴレアの動きに、ゴレアの上に乗ったリリアは機体にしがみつき、振り落とされないようにと必死だ。
そんなことはお構いなしに、でこぼこの岩山道をゴレアはどんどん登っていく。
ヴーン、ヴーンというエンジン音が、いつもより激しく鳴っている。
すると、どこからともなく聞こえてきたのは……。
ズドーンッ! ズドドーンッ!!
「あれは……。まさかっ!?」
紛れもない、魔光式銃の銃声だ。
「くそっ! あいつめっ!」
キラクは顔を歪めて、手元にあるボタンを操作する。
すると、ゴレアの側面から何やら分厚い金属板が飛び出した。
そして……。
「しっかりつかまっていろっ!」
次の瞬間、ゴレアから飛び出た分厚い金属版の下部から光が放たれて、ゴレアは宙に舞い上がった。
霧のせいで視界の悪い中、ゴレアは猛スピードで空を飛ぶ。
風圧に飛ばされてしまいそうなリリアは、必死で機体にしがみつく。
目も開けられないスピードの中、聞こえてくるのは魔光式銃の銃声。
そして、痛々しい、何かの鳴き声だ。
「いたぞっ!」
キラクの言葉に、リリアは目をこじ開けて、眼下を見る。
すると、そこには真っ赤な地面が広がっている。
「な……。何、あれ……?」
ゴレアは、スピードを落とすことなく地面へと降下していく。
地面に近付くにつれて見えてきたのは、無数の赤いドラゴンと、それに囲まれたトレイユの姿。
トレイユは、手に魔光式銃を持ち、ドラゴンたちに向かって放ち続けている。
そして、そのすぐ傍に、倒れる複数のドラゴンたち。
ただ、リリアが驚いたのはそれだけではない。
「あれが、アーシードラゴン……? 嘘、だって……。あんなに小さいの?」
リリアは、困惑していた。
幼い頃から聞かされ続けてきた、アルトレア伝承の中のアーシードラゴンは、恐ろしい生き物だった。
どれほど大きく、どれほど凶暴で、どれほど恐ろしいものなのか、いつも想像していた。
しかし、リリアの目に映ったその姿は、想像とはかけ離れていた。
アーシードラゴンのその大きさは、そこに立つトレイユよりもはるかに小さい。
村にいる大型犬とほぼ同じぐらいの大きさしかないのだ。
赤い鱗肌に、背には翼も持っている。
そして何より、探し求めていた金色の二本の角が、アーシードラゴンであることを象徴している。
しかし、どう見ても、恐ろしい伝説上の生き物には見えない。
むしろ、その瞳は優しい。
魔光を放ち続けるトレイユに対して、アーシードラゴンたちは成す術がないようだ。
口から火を吐くこともなければ、前足の爪で跳びかかることもしない。
ただただ悲しそうな目で倒れた仲間を見つめて、どうすればいいのかと、トレイユの周りから離れられずにいる。
そして、中にはもっと小さなアーシードラゴンもいて、その額にはまだ小さな角の欠片のようなものしかなく、おそらく子どもなのだろう、親のアーシードラゴンに守られるようにして身を縮めている。
「やめろぉっ!」
キラクは、ゴレアの手の先端から、トレイユ目がけて光を発射した。
それに気付いたトレイユは、間一髪でその光を避けた。
光の当たった地面は、その部分だけが黒く焦げている。
トレイユは、銃口をゴレアに向けてきた。
キュイン、キュイン、キュイン!
トレイユは銃の名手だ。
いくらゴレアが強固な造りとはいえ、魔光を何発も食らえばダメージは受けるはず……。
リリアは死を覚悟したが、濃い紫色の魔光は一つも当たることなく、ゴレアの傍をかすめていくだけだ。
それほどまでに、ゴレアの移動速度は速く、ゴレアを操縦するキラクの腕は長けていた。
キラクは、応戦するかのように光を発射させる。
そのうち一発が、トレイユの持つ魔光式銃に命中した。
トレイユの手から魔光式銃が離れた事を確認し、キラクはすぐさまネットを放った。
ネットは見事トレイユに覆いかぶさり、トレイユは捕獲された獣のように地面に伏せて、ネットの中でもがいている。
そのネットは四方に重りがついており、常人では逃げ出すことなど到底不可能なようだ。
ゴレアは静かに地面に着地した。
すると、リリアが地に足をつけるより先に、キラクがゴレアから飛び出した。
トレイユに止めを刺すのかと焦ったリリアだったが、キラクが向かった先は倒れているアーシードラゴンたちだった。
ざっと、十数体。
赤い血を流して倒れているアーシードラゴンたちは、空から見たのと同じで、想像よりとても小さく、か弱い。
周りを取り囲む無数のアーシードラゴンたちは、威嚇するかのように唸ってはいるが、どこか怯えた目をしていて、襲い掛かってくる様子はない。
キラクは、アーシードラゴンの様子を細かく見て、ゴレアに戻り、機体の一部を開いてそこから小瓶や包帯のような物を取り出して、アーシードラゴンの手当てを始めた。
リリアは、ネットの下敷きになり、地面に伏したままのトレイユのもとまで歩き、しゃがみ込んだ。
「どうして……。一人で行ったの?」
できるだけ、責めるような口調にならないように、優しく尋ねた。
「どうしてって……。お前やそいつの調子に合わせてちゃ、村が滅びるっ! わからないのかっ!? 俺たちには、どうしてもこいつらの角が必要なんだっ!」
トレイユの目には、大粒の涙が溢れている。
リリアには、返す言葉がなかった。
キラクは、九体のアーシードラゴンの一命を取り留めたが、四体のアーシードラゴンは助からなかった。
「なぜ、こんな事をした?」
感情のないキラクの赤い瞳が、地面に伏せたままのトレイユに向けられる。
その声には、殺気すら感じられる。
しかしトレイユは、もはや返答する気力もないようだ。
下を向いたまま、ぼんやりとした目で、自分と同じように地面に横たわる四体のアーシードラゴンの死体を見つめている。
怯えていた周りのアーシードラゴンたちは、いつしか落ち着きを取り戻して、遠くの方からこちらを見ている。
「お前の目的も、アーシードラゴンだったのか?」
キラクの目が、リリアに向かう。
リリアは、小さく頷いた。
嘘などもう、つく必要がない。
ただ、キラクの視線が、その凍てついた氷のような赤い瞳が、悲しかった。
「百年に一度咲くと言う、伝説の花の話……。あれは、嘘なんだな?」
淡々とした口調のキラクに対し、リリアはもう頷くことしかできない。
嘘ではない、と言えば嘘になる。
嘘だと言っても、それも真実ではない。
リリアは必死に言葉を探してみるが、自分のついた嘘を説明することすら、今は満足にできそうになかった。
そして、チラリと見たキラクの表情に、リリアは今まで感じたことのない後悔の念を覚えた。
キラクの瞳は、悲しみに暮れている。
涙さえないものの、今にも泣き出してしまいそうな表情だ。
リリアはこの時初めて、自分の犯した過ちの大きさに気付き、その行いを心から悔やんだ。
しかし、何か弁明したところで、キラクには言い訳にしか聞こえないだろう。
リリアには、返す言葉がなかった。
これ以上は何を質問しても無駄だと理解したのだろうキラクは、悪態をつくことすらせずに、ゴレアに乗り込んだ。
そして、死んでしまった四体のアーシードラゴンたちのうち二体をゴレアの腕に抱えて、どこかへ歩いて行く。
こんな事になるなんて、思ってもいなかった……。
キラクの力を借りて、嘘をついて、ばれないようにして、アーシードラゴンの角を手に入れようだなんて……。
自分の考えがどれほど浅はかなものだったか、リリアは思い知った。
「おい、リリア……。あいつを追え」
途方に暮れるリリアに、トレイユが話し掛ける。
「あのアーシードラゴンは、どっちみちもう死んでいるんだ。せめて、あいつらの角だけでも持って帰らないと、俺たちがここへ来た意味がなくなる。四体の角、合わせて八本。八本だけでも薬は作れる。村の人たちを、少なからず救えるはずだ。あいつが何と言おうと、俺たちの目的は、あの角だけだ。あの角さえ手に入ればいいんだ。だから、早く追え。あいつがドラゴンを埋めてしまう前に、角を手に入れろっ!」
トレイユの言葉に、リリアは立ち竦む。
これ以上、キラクに嫌われたくない……、キラクを傷つけたくない……。
しかし、リリアの脳裏に浮かぶのは、苦しむ村の人々たち。
リリアは、先ほどからずっと小刻みに震えている足にグッと力を入れて、キラクの後を追った。
ヴーン、ヴーンという、ゴレア特有のエンジン音を頼りに、リリアが辿り着いたのは、岩山の険しい道の先にある洞窟。
中は薄暗くて不気味だが、風が抜けていて空気は軽い。
短い通路を抜けた先の洞窟の奥にあるのは、天井に無数の穴があいた明るいドーム状の大きな空間。
リリアは息を飲んだ。
そこはまさに、アーシードラゴンの墓場だ。
アーシードラゴンだったであろう無数の屍が、所狭しと転がっている。
寄り添うように、抱き合うようにして、朽ちている。
しかし、かつては金色だったのだろう角は、そのほとんどが茶色く濁り、色褪せてしまっている。
それでも、言葉にならない美しさが、そこにはあった。
キラクは、その中心にいた。
ゴレアから降り、運んできた二体のアーシードラゴンの躯に向かって跪いている。
リリアは、足音を立てずにそっと近付いていく。
後ろからキラクを襲おうなどとは考えていない。
このような神聖な場で、荒々しいことをしてはいけないと、リリアは感じている。
なんとか理由を説明すれば、キラクだってわかってくれるはず……。
リリアはもう、キラクに真実を告げることしかできないと悟っている。
「お前は、アーシードラゴンの名の由来を知っているか?」
リリアの気配に気付いたキラクがそう言った。
まさか気付かれているとは思ってもみなかったリリアは、戸惑い、立ち止まる。
キラクの声は落ち着いていて、もはや殺気など感じられない。
けれど、リリアは答えられない。
アーシードラゴンの名の由来は、シーラ族の者なら誰でも知っている。
もちろんリリアも知っている。
だからこそ、答えられないのだ。
「古代アルトレア語で、アーシーとは、神を意味すると聞いている。つまり、アーシードラゴンは神の化身、もしくは神の使いだと……。祖先が崇めたそのドラゴンを、なぜ今、お前たちが狩ろうとしたいるんだ?俺にはその意味が理解できん……」
振り返りもせずに、キラクの言葉だけが飛んでくる。
キラクの言葉は正しい。
アルトレア伝承にあるアーシードラゴンは、神の創りし神の子として、古代アルトレア人に崇められてきた。
つまり、アルトレアの血を引くリリアたちシーラ族にとっても、アーシードラゴンは神聖な神の子なのだ。
それをなぜ、今、リリアとトレイユがその角を求めたのか……。
震えそうな声を振り絞って、リリアは口を開く。
「……理由を、聞いてくれる?」
リリアの言葉に、キラクは振り返った。
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