第5話:渾身の嘘

 リリアがゴレアのある場所へ戻ると、キラクは目覚めていた。

 ゴレアを昨日とは別の位置に移動させて、しゃがみ込み、今度は地面に生えている苔をちまちまといじっている。


 よくもまぁ、飽きもせずに……。


 キラクがリリアに気付く。


「どこに行ってた?」


 気にかけてくれていたことに多少なりとも驚きつつ、嘘をつかねばと思い、目が泳ぐリリア。


「あ……。偵察! ガサガサって音がしたから」


 我ながら、上手く嘘がつけたと思ったリリアだったが……。


「魔光式銃も使えないというのに……?」


 キラクが不審な目を向ける。

 しまった!、と心の中で思ったが、顔に出さないように必死になるリリア。


「いや、えっと……。だいぶ魔力は蓄積されたから、もう使えるんだ!」


 これは本当のことだ。

 ただ、使い物にならなくなるのも早いけれど……。


「そうか……。なら、もう用はないだろう? お別れだな」


 キラクの口調が、昨日までと少し違うようにリリアは感じたが、その言葉の内容に焦ってしまって……。


「えっ!? お別れって!? あのっ!? ちょっとっ!?」


 リリアの焦り様に、キラクの赤い目が鋭く光る。

 その目はまるで、この女、何かを隠しているな、と言わんばかりだ。


「あ、えと……。実は、もう少し、一緒にいようかな~なんて。へへへ」


 明らかに怪しげなリリアの発言。

 それに、不自然に体を左右に揺らしてしまっていることに、リリアは気付いていない。

 キラクは、出会ったころのような冷めた目つきでリリアを観察する。

 リリアは、その目にドギマギするが……。

 キラクはただのビプシーだ。

 リリアが心配しているような、心を読む能力など、キラクは持ち合わせていない。

 ただキラクは、鋭い視線を向け続けることで、相手を動揺させ、真実を告げさせる術を知っているだけだ。

 しかし、今回はリリアの勝利だった。


「何を考えているのかさっぱりわからんが……。作業の邪魔だけはするな」


 そう言って、キラクは足元の苔に視線を戻した。

 ホッと胸を撫で下ろし、リリアは緊張から解かれた。






 その日、リリアはずっと考えていた。

 キラクが作業しているゴレアの隣に座り込み、どうすればキラクを森の深部へ向かわせることができるのか、どのような嘘が有効的か、一日中考えていた。

 そして、辿り着いた結論は、まず、キラクのことをもっと理解しよう、というものだった。

 幸い、昨日の夜、少しまともな話ができたことによって、多少なりともキラクはリリアに対する警戒心を解いている。

 まぁ、キラクにしてみれば、阿呆な女にいつまでも警戒心を抱くことが無駄だということなのだが……。


 キラクは、未来科学共和大国リタデーンという国の出身、十七歳。

 生物学者で、自分で作った探索機ゴレアクト303に乗って、世界中を旅して回っている。

 そして、異常なまでに、生態系に対して敏感である。

 現に今も、物凄く小さくて細かい苔を調べるために、傷をつけないようにと細心の注意を払いながら作業しているのだ。

 そこらじゅうに生えている苔なのだから、少しくらい傷つけたって平気だろうに……。

 ゴレアの中にいるキラクの手も、ゴレアの金属の腕も、どちらもプルプルと小刻みに震えているのがわかる。


 ……リリアの中にあるキラクの情報は、以上だ。


 ここから何かを絞り出して、キラクを森の深部へ向かわせることはできないだろうか?


 普通に頼んでも、きっと理由を求めてくる。

 理由は、キラクの性格上、性質上、告げられるようなものではない。

 しかし、キラクなしでこの先の森へ進むことは、今現在のリリアにとって、浅はかかつ無謀以外の何ものでもない。

 せめてもう少し、リリアの頭が良ければ、こんな事にはならなかったかも知れない。

 村を出る前にもっといろいろと装備していれば、森に関する情報をもっと集めていれば、森に入った直後にスカッチャーに見つからぬようにもっと注意していれば……。

 考え出すとキリがないほどに、リリアの今までの行動は、反省すべき点で溢れている。

 どれもこれも、リリアの阿保な思考回路のせいなので、どうにもこうにも、何を責めることもできない。

 リリアは溜め息をつきながら、作業に没頭しているキラクに目をやる。

 そして、思わぬことに気付た。

 苔をいじるキラクが、苔をいじるためにゴレアを必死に操作しているキラクの赤い目が、キラキラと輝いているのだ。

 出会って早二日。

 キラクのこのような表情を、リリアは一度も見ていない。

 否、リリアに対してはこのような表情をしないのだ。

 リリアに対して何かを発言する時は、完全なる無表情だから。

 しかし今、目の前で苔をいじるキラクは、その表情がどこかイキイキとしている。

 何か、新しく興味をそそられる物に初めて出会った時の子どものような顔だ。


 そう言えば、キラクの表情に変化が出たことは、一度だけあった。

 ゴレアの説明をしていた時のことだ。

 あの時のキラクは、どこか自慢げだった。

 そして、自分で造ったゴレアを、リリアに褒めてもらったキラクは、耳まで真っ赤にして恥ずかしがっていた。


 だとすると……。

 もしかしたら……!?


 考えがまとまったリリアは、さっそく実行に移す。


「ねぇ……。ずっと、何してるの?」


 リリアの言葉に、キラクはちらりと横目でリリアを見る。


「苔の細胞の採取だ。この苔は、この森にしか生えていない珍しい苔だ。何か、特別な遺伝子を持っているかも知れん。細胞を採取して、遺伝子の解析をする」


 キラクの言葉の意味は、やはりリリアには理解できないが……。


「そっかぁ……。あんた、本当に凄いよね。難しい事、いっぱいできて」


 ちょっと、わざとらしいかなと思いつつも、リリアはキラクを褒める。

 すると、案の定、キラクの頬が少し赤くなる。

 しめた!、とリリアは思う。


「今までさぁ、どれくらいの発見をしてきたの?」


 正直、興味はないが…、この際、何でも聞いて、何でも誉めてやろう!


「どれくらい? 一万……いや、もっとか。……数えきれない」


 キラクは、少し恥ずかしそうにそう言って、リリアの目を見ようとしない。


「そんなに沢山の発見をしてきたんだねっ! 凄い凄いっ!」


 できるだけ、テンションを上げて、高い声を出すリリア。

 どんどんと顔が赤くなるキラク。


「じゃあさ、今までで一番大きな発見は何?」


 リリアの食いつきように、少し怪しいなと感じながらも、キラクは答える。


「ん……。ワコーディーン大陸の南に、タジニの森という原始の森がある。そこで発見した、ニクロン菌十二種は、今まで完治できなかった国の複数の病気を感知するに至った。それが、今のところ、俺の中での一番の発見だ」


 キラクの話は、やはり、ちんぷんかんぷんにも程があるが、リリアは驚いたフリをする。


「凄いねっ! 本当に天才なんだねっ!」


 リリアの言葉に、キラクはもう沸騰してしまいそうなほど、顔を真っ赤にしている。

 そして……。


「す、好きなんだっ! 研究がっ! 世界中の、あ、ありとあらゆる生物に、俺は出会いたいっ!」


 出会ってから一番の大声で、叫ぶようにキラクがそう言った。

 その声に、リリアは少しばかり驚いたが……。

 真っ赤なキラクが俯いていることを確認し、少し小さな声で、呟くように言った。


「そっかぁ……。じゃあやっぱり、あんたには教えるべきかなぁ……。あの花のこと」


 リリアは確信していた。

 キラクは、極度の生物オタクだ。

 このやり取りを見てもわかるように、世界中の全ての生物に興味があり、それを発見し、研究することが生き甲斐なのだ。

 だとすれば、リリアのこの言葉に、キラクは興味を持つはず。


「何がだ?」


 リリアの思った通り、キラクはまだ少し赤い顔を上げて、リリアを見る。


「うん……。私たちシーラ族の伝承の一説にある、伝説の花のことなんだけどね」


 キラクの視線を感じながら、リリアは慎重に言葉を選ぶ。


「この森は、グレゴロの森って呼ばれていて、神の住まう森なの。本来、人間は入ってはいけない聖域。けど、この森の奥の奥、最深部に、百年に一度しか咲かないという伝説の花があるの。それで……」


 ここまで話して、リリアはキラクの様子を見る。

 するとキラクは、キラキラとした目をリリアに向けている。

 どうやら、リリアの話を信じているようだ。


「それでね、ちょうど今が、百年に一度の時らしいの。私が森に入ったのも、その花を探すためなんだ」


 一生懸命に考えた、渾身の嘘を、リリアは語りきった。

 シーラ族に伝わる伝承の中に、百年に一度咲くという花があることは確かだ。

 しかし、その花がこの森の最深部にあるだとか、今がその百年に一度の時だとかいう部分は、全て嘘なのだ。

 正直者のリリアには、完璧な嘘をつくことなどできない。

 だから、真実を元にして、できる限りのでっちあげ話を作ったのだった。

 キラクはというと、リリアの話を信じ切ってしまっているようで、何やら考えている。

 しばらくの間、沈黙が続く。

 鳥の囀りや、虫の動く微かな音すら聞こえてるほどに、辺りは静まり、二人は沈黙し続ける。

 そして……。


「その場所まで、俺も行きたい」


 リリアの嘘に、キラクはまんまとはまってしまった。

 リリアは、心の中でガッツポーズをした。


「うん、いいよ。けど、森の深部には、スカッチャーのような危険な猛獣たちが沢山いるから、危ないよ?」


 リリアは、わざとそう言ってみる。


「猛獣など…。お前も見ただろう? このゴレアの強度は何にも勝る。猛獣だろうと珍獣だろうと、俺に掠り傷一つつけられやせん」


 自身満々にそう言って、キラクはゴレアを立ち上がらせた。


「よし。そうと決まれば行こう。百年に一度のチャンスを棒に振るわけにはいかんからな」


 キラクの言葉は、偉そうな命令口調だが、リリアの心は躍っていた。

 これで、森の深部までキラクを連れていくことができる。

 リリアの求めるものを手に入れるために、キラクはどうしても必要な存在なのだ。

 キラクは、ゴレアの上部を開き、リリアを呼ぶ。

 キラクの指示でゴレアの中をリリアが覗き込むのは、これが初めてだ。

 外から覗いた時同様、ゴミで散らかっている。

 キラクは、手元のコンピューターを操作して、この森を上空から撮影した写真をスクリーンに映し出し、リリアに見せる。


「今、この辺りだ」


 キラクはそう言って、鬱蒼とした密林のようなグレゴロの森の、入り口付近の場所を指差す。


「その花があるのは、森の最深部なんだな?」


 キラクの問い掛けに、リリアは頷く。

 シーラ族の伝承には、次のように伝わっている。


  『美しき常世の花は 百年の年月を眠り続ける

   恐ろしき常世の花は 百年の年月を経て目覚める』


 ただ、リリアの頭の中には、伝承の一部が断片的に残っているだけだ。

 他にも何か、花についての伝承は残っていたはずだが……、思い出せそうにもない。

 最深部にあるのは、その花ではなく、リリアの求めているもの。


「ならば、おそらく……。この辺りになると思うが……」


 キラクは、森の真ん中にある、真っ黒な部分を指差す。


「え……。どうしてこんなに真っ黒なの?」


 見たままのことを質問するリリア。


「ここよりさらに樹木が密集しているか……。あるいは、岩場か……。しかし、よく考えてみれば、これは大事だな……」


 キラクが、いつになく眉間に皺を寄せて、怒っているような表情になる。


「大事って……?」


 リリアの言葉に、キラクの鋭い目がリリアに向けられる。


「お前……。アーシードラゴンって知っているか?」


 キラクの言葉に、リリアはドキッとする。

 心臓の鼓動が速くなったことを悟られぬよう、息を止めて、微かに首を横に振る。


「アーシードラゴンは、この森に住む唯一のドラゴン種の生物で、スカッチャーさえも手を出さない。決して危険ではないと思うが……、どう考えても、俺たちが行こうとしている場所はアーシードラゴンの縄張りだ」


 リリアの呼吸が乱れる。


 このままでは、キラクに気付かれてしまう……!?


 リリアは賭けに出た。


「じゃ、じゃあ……。やめておいた方がいいかな? せっかくだけど、そんな、そんなドラゴンの住処になんて……。ねぇ?」


 作り笑いをして、わざとおどけたように言ってみせるリリア。

 もし、このまま、キラクがやめると言ってしまえば、そこまでだ。

 リリアの作戦は失敗となる。

 そうなれば、リリアは一人で、そのドラゴンの住処へと向かわなければならない。

 考え続けるキラクが出した答えは……。


「いや、行こう。ちょっとの間、花を探す時間くらい、与えてくれるだろう」


 そう言って、ゴレアを起動させ始める。

 リリアはホッと胸を撫で下ろす。


 これで、これでようやく一歩近づける……。


 黄金に輝く角を持つ赤いドラゴン、その名をアーシードラゴン。

 それこそが、リリアがここにいる理由……、このグレゴロの森に、後先考えずに単身で乗り込んだ目的そのものなのだった。

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