第2話

 砂嵐に飲まれ初めに行ったのは、眼を閉じ息を止め顔を背ける事だった。

 煩い風に運ばれる砂から顔を守る為に自然と左腕が上がる。

 砂嵐に飲まれる直前、悪態を吐いたせいで少なくない砂が口内へと飛び込んだ。

 吐き出したいが口を開けば直ぐに御代わりが来るだろう。とは言え口内の砂に眼を瞑ったとしても、呼吸すら儘ならない現状はどうにかしなければならない。


 ――ハールバルズは呆れるだろうな。

 

 声には出さず心で呟く。

 この身に砂が届かないようにするには、身体の外へと魔力を放出するしかないだろう。

 眼前に上げていた左腕に集中、そこを起点として上半身を覆う様に魔力を放出する。

 重要なのは力を入れるのではなく、力を抜こうとする事。個人的な秘訣だ。

 少しずつ自分の中の何かが失われる感覚を覚えるがそれと共に、叩き付けられる砂の感触が消えていく。

 そうして魔力を放出し終えた後、まずは手に付いた砂を払い顔を拭い息をして眼を開ける。

 

 視界に映るのは相変わらず砂で構成された世界。大地も空も赤味を帯びた砂に覆われている。

 飛び交う砂で視界は最悪。視認できるのは数メートル程だろう。現状、見える範囲には何もない。

 ただ、眼前を砂が飛び交う光景は見応えがあった。だがそのお陰でどうにも息をするのに抵抗がある。

 これは精神衛生上よろしくない。気休めに口から鼻までを隠そうとターバンへ手を掛けある事に気付いた。


 「……忘れていた」


 最も優先すべきは砂を吐き出す事だろう。

 ターバンで顔を覆うのも、今後の事を考えるのもそれからだ。




 砂を吐きターバンで顔を隠した後、一息入れる為にその場に座った。

 この砂嵐は超自然的なものだが、砂嵐そのものに超常的な危険はなさそうだ。

 付近に他の生物の気配は感じられない。目下のところ、襲われる可能性は低そうだ。

 ちなみにあの紳士達は去り際も弁えていたようで、砂嵐に飲まれると同時に消え去っていた。

 

 だが本当にあの場から消えたのはどちらだ?

 砂嵐に飲まれる直前の風景を思い出す。

 駆け降りた砂丘と緑の境界線があった。

 眼には自信がある。

 いくら視界が悪いとはいえ影すら見えない様な距離だろうか? 風が煩くても、植物が揺れる音すら聞こえない程に離れていただろうか?

 

 砂嵐から脱出した者はいないという話を聞いた時は、方向感覚を狂わすか砂嵐自体を結界として閉じ込める。若しくはその両方ではないかと考えていた。

 だが実際に砂嵐に飲まれた今、その予想は外れたのではないかと思う。

 この規模の魔法が侵入者を拒むというなら、別の手段を取るのではないかと。

 

 「……まぁどちらにせよやる事は同じだな」


 これ以上考えたとしてもどうにもならないだろう。

 

 「厄日だな」


 呟いてから立ち上がり、出口を求めて再び歩き出した。

 



 結論から言うと何も見つからなかった。

 砂丘に緑の境界線は勿論、生物の気配すら無い。

 何か見えるかと眼に魔力を通したが特に何も見つからなかった。

 試しに全力で魔力を放出してみたが、その瞬間身の回りから嵐を遠ざけるだけだった。

 熱風は身体を押し砂を運ぶだけでなく流れる汗を乾かす。

 まだ体力はあるがこの状況が続くのは不味い。食料はあるが水が無かった。 

 ふと頭に、落とした革袋の事が過った。

 だがしかし中身は酒精強化ワインだ。もし見つけたとして現状、役には立たない。

 

 完全に準備不足だがそれでも舐めていた訳ではない。もう執着が無かった。

 

 「どうしようもないな」

 

 自嘲的な笑いが漏れる。

 叶える気の無い他人の夢を追いかけた。この歩み程、無駄なものもないだろう。

 捨てきれなかったものと、旅路の結末を思い浮かべそれでも歩き続けた。

 



 当ても無く歩き続ける。

 いつからだろう? 汗が流れなくなった。時間の感覚も蒸発したかの様に消えた。

 最早意味など無い。いくら進んでも同じ景色が広がるだけ。先行きは見えている。

 ここで立ち止まってもいいんじゃないか?

 そう問い掛けながらもまだ歩き続ける事が止められない。

 



 変わらない砂の世界で只歩いて行く。

 熱に浮かされ、やがて自問する事すら無くなっていた。

 何かを求めるように脚を引きずり続けた。

 しかしそれも唐突に終わりを告げる。

 

 止まるつもりは無かった。只脚が動かなかった。

 倒れ伏す。同時に、魔力を流すのを止めた。

 瞼を落とし砂だけの世界を閉じる。風の音と自身の呼吸だけが聞こえている。

 思考は無く意識だけがあった。後は静かに終わりが来るのを待つだけ。

 こんな時でさえ何かが心を咎め続けていた。けれどもその何かを偲ぶ事すらできずにいる。

 蝋燭の細い灯りが消えるように、意識は暗闇へと溶けて消えていった。

 



 ーー風を感じた。涼やかにそっと頬を撫でる様に通り過ぎていく。

 それと同時に首筋を何かに擽られた。

 眼を開くと、空を隠す様に緑の葉を付けた枝葉が静かに揺れている。

 首筋を擽ったのはきっと長く伸びた草だろう。

 起き上がり確認したいがどうにも、身体が言う事を聞きそうにない。


 何故この場所に居るのだろう? 砂漠で倒れ気を失ったはずが真逆の環境にいる。

 状況を整理しようにも起き上がるどころか、真面に思考する事すらできそうになかった。

 それでも考えを巡らせようとしていると不意に睡魔に襲われた。

 疲労のせいで抗えない程に眠気は強く、強制力のあるそれはいっそ気絶に近いだろう。

 重くなった瞼が閉じ意識が遠のき始めた瞬間、草を踏みしめる音が聞こえた。

 そしてそれは真っ直ぐにこちらへと近づいてきて一言呟く。


 「……死なないよね? 生きてるご飯は久しぶりだけど大丈夫かな?」


 その一言を最後に、再び意識を失った。

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