第1話

 景色が揺れている。

 踏み出す度に感じる岩盤の露出した硬く乾いた大地と熱くなった靴底。

 時折、砂塵を巻き上げて吹く風が頬を叩く。

 この場所はただ暑く、それだけで生命を死に追いやる酷くシンプルな世界。

 周囲を見渡すと荒廃した大地が広がるばかりだが、嘗ては人の営みがあったそうだ。

 これも大地の在り方の一つに過ぎないが、見る影も無いと感じてしまうのは唯の主観だろうか。

 では何故この場所に脚を踏み入れたのか? それは感傷だ。

 この地に眠っているはずの宝を一目、見てみたいと思った。

 だがその願いは叶わないだろう。ろくな準備もせずに立ち寄って踏破できるような環境ではない。


 影を落とした様な暗い紺碧のターバンとガンドゥーラにブラウンの外套を纏い、左腕は指先まで包帯を巻いている。腰には葉に包まれた2枚の焼き菓子を入れたポーチと酒精強化フォーティファイド葡萄酒ワインの入った革袋を下げ、護拳が付いた曲刀を挿している。

 この場所を知る者なら誰だってわかる、こんな旅装では宝は愚かその眠る場所すら拝めやしないと。

 だがそれでも良かった。宝を見たいと語った人などもう何処にもいないのだから。


 じりじりと肌を焼く光の中を進んで行くと、遠くに見える景色が変わり始めた。

 立ち止まり揺れる景色の向こうへ目を凝らすと見えたのは緑の植生、低木の群生したそれが短く幅の狭い境界線の様に横たわっている。

 あの境界線を越えたら目的地だ。再び一歩ずつ、一歩ずつ、進んで行く。

 そうして汗を流し歩き続け、近づいた境界線のその向こうに見えたのは赤みを帯びた一面の金盞花に似た世界、砂漠が広がっていた。


 境界線に辿り着くとその周囲は僅かに涼しく一息入れるには丁度いい場所に思えたが一歩、その少し柔らかな土壌に足を踏み入れた瞬間微かに、無線機から聞こえる様な雑音が風の中に混ざり始めた。

 それが訪れるのは知っていたが想定していたよりも早い。休む暇などない、歩き続けよう。

 境界線から一歩踏み出し暫く進んでいくと砂丘に辿り着いた。

 ここを登りさえすれば目的の場所が見えるはずだ。少しずつ強くなる風と大きくなる雑音に急かされる様に砂丘を登る。

 もう少し、あと少しだと脚に力を込めて歩き続けようやく砂丘を登りきると見えたのは、どこまでも広がる砂の海とそして、風の中に混ざる雑音の正体――砂嵐だった。



 立ち止まり額の汗を拭ってから腰に下げていた革袋に口を付け、何処までも続くかの様な砂漠を見据えるとふいに彼女の声が蘇る。


「その宝は砂漠の何処かに一つ取り残された……忘れられた残丘ビュートにあるんだって」


 だが残丘など何処にも見当たらない上に、流れる雲にも似た砂嵐は止まる事無く向かって来る。

 あれはこの地に眠る宝を守る魔法だ。砂嵐に飲まれが最後、生きてこの砂漠から出る事はできないらしい。今はまだ遠くに見えるがこの場所に来るまであまり時間は掛からないだろう。

 青い空を砂漠と同じ色に染め上げていく光景は酒の肴としては上等だがもう悠長に構えてはいられない。

 聞いた話の通りなら緑の境界線を越えれば砂嵐は収まるはずだ。

「とんだ無駄足だったな」吐き捨ててから砂嵐を背にし砂丘を駆け下り始めたが直後、大きな揺れが起きた。

 ――こんな話は聞いていない! どうにか踏み止まり腰を落として数秒耐えると地震は止まった。だが背後から迫る嵐は着実に距離を詰めてきている。

 一つ舌打ちをして駆け出そうとした瞬間、砂丘の麓で何かが動くのを見た。

 今度は何だ? 眼を凝らすと見えたのは地面から突き出した一本の腕。それも唯の腕ではなく肉の付いていない、黄色味を帯びた骨の腕だ。


「……まずいな」今直ぐ駆け抜けるしかない、再び砂丘を駆け始める。

 だがその間にも骨の腕は動きを止める事なくもう一本の腕も地面から生やし両手を地面に押し付ける。

 次第に頭頂部が現れ、砂上へと完全に頭蓋骨が顔を出しその面を上げ空の眼窩と眼が合った瞬間、全力で頭蓋骨を踏み砕く。

 そのまま立ち止まらず一気に駆け抜けようとするが左脚を"何か"に捕まれた。構っている暇はない、力尽くで脚を前に振り抜くが直ぐに右脚が捕まれる。

 それも無視して力尽くで進んでいくが一歩踏み出す度に脚を止めようとする腕は増えていく。

 眼前には既に地中から這い出し襲い掛かろうとしている者がいる。

 ついには背後から腰にしがみ付く者も現れた。もう無視できる状態ではないだろう。

 脚を止め見下ろすと無数の腕が脚を掴み、腰に縋り付いた者は空の瞳で此方を見上げながら尚手を伸す。

 その光景から顔を上げそっと眼を閉じると一つ、大きく息を吐いた。

 瞬間、眼を開き思い切り右腕を振り上げ纏わり付く腕を振り解き同じ様にして左腕からも振り解く。

 腰に抱き着いた腕を引き剥がしそのまま曲刀に手を掛け水平に一閃、眼前に迫まる骨の化物を切り裂いた。

 掴まれた脚は無理やり引き抜いて進むが、相変わらず直ぐに無数の腕に集られる。だがどれだけ邪魔されようと止まるつもりはない。

 一つ気付いたが意外にも彼らは紳士だ。握手やハグを求めてくるが引っ掻いたり噛みついたりはしない。きっと育ちがいいのだろう、何より賢かった。

 離れている者は次々に跳びかかって来るが近くにいる者は身体の大部分を地面に埋もれさせたまましがみ付いてくる。

 中身のない頭で自分の軽さを理解しているらしい。

 それでも少しずつ、一歩ずつ進んで行くとついには境界線まであと少しという所までたどり着いた。


 上出来だ、我ながらよくやった。風に揺れる草木を見止め多くの骨の化け物を身に纏ったまま立ち止まる。何の気なしに腰に手をやると酒の入った革袋が無くなっていた。かぶりを振るい一つ大きく息を吐いてから振り返ると、直ぐ目の前に砂嵐が迫っている。


「……お前らの勝ちだ糞野郎」投げやりに笑った直後、嵐に飲み込まれていった。

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