第9話
例えば、学生みたいに告白をしてから付き合い始める様なものではなく、少しづつ確かめ合う様に側に居た。
「吟遊詩人にでもなろうかしら」小さい者の集落でのあの言葉が彼女の旅の本当の目的だった。宝物を見せる様にそっと打ち明けてくれた。
記憶の無い、遠い場所へ帰ってしまうかもしれない男を受け入れてくれた女性だった。
そんな彼女と生きる事を、約束したばかりだった。
震える手で、抱きしめていた彼女を横たえる。
自分の腰に付けていたポーチや彼女の物を頭の下に敷いた。綺麗な彼女の髪が少しでも地面に付かないよう。
それから外套を脱いでかけてあげた。少しでも雨に濡れないよう。
ふと、雨は傷に沁みないだろうかと考えたが――そんな事にはもう、意味などなかった。
どうしても速く浅くなる呼吸のまま、ゆっくりと立ち上がり先程落とした剣を拾いに行き、振り返る。
だが、剣を手にして彼女を殺した相手を見ても、この身体は激情に委ねてはくれなかった。
アヴァリスの隣まで行く。彼はずっと話していたみたいだが、構えを解く事はなかったようだ。
「もう別れは済んだのかい?」ルドが話しかけてきた。それは本気で気遣うような声音だった。
理解ができない。悲しみが心を、混乱が頭を支配していた。
「何故、殺した?」
「あいつとは話すな。逃げろ」ルドより先にアヴァリスが答える。
「酷いなアヴァリス、テラには知る権利がある」そう言って彼は語りだした。
「ありがとう、聞いてくれて……時間だよ、テラ。答え合わせだ」雨が降る中、彼は穏やかな表情を浮かべていた。
「まず、僕はルドじゃない。彼の身体を借りているだけで本当の僕はウェズっていうんだ」
「…………。」
「君と出会う前に、あの集落でルドの身体を貸してもらった。ちなみに、君は目が覚めた時に側にいた僕が君を助けたと思っているけど、君を助け傷を癒したのはアヴァリスとエッダだ」
言葉が頭に入ってこない。
「僕とアヴァリス達は同じ者を探していてね。何となく察していただろ? 物じゃなくて人物を探しているって」
彼は答え合わせを続ける。
「僕達には手がかりがあった。でもそれはたった一つの名前だけ。そしてそれは君も知っている名だ、テラ」
含みを持たせてそう言うと、彼はゆっくりと腕を挙げて指を指す。
「テラ――いや、ヘイムダル。君はヘイムダルを選ぶべきだった」
――候補を2つ上げるからそこから選んでくれ。自分で運命を決めるんだ――
「思い出したかい? 僕達はそれはもう長い間ヘイムダルという男を捜していたんだ。アヴァリス達はヘイムダルに僕を殺させる為、僕はヘイムダルを殺す為にね。酷い話だろ?」
「……何を言っているんだ?」
「急な話だからね。なに、君なら少しずつ理解していける。……僕が君を見つけた時の喜びと、君の記憶が無いと知った時の絶望がわかるか? それでも一縷の望みをかけて君に名を選ばせた。でも君はテラを選んだ。僕は心の底から君という男に失望したよ。あぁ軽蔑すらしたね」
彼は感情的で、役者の様に表情豊かだった。
「君を殺して直ぐにでもこの身体から出て行こうかと思った。でも気が変わった。親心だよ。君が安全に生きていける様になるまで見守ろうと思ったんだ。そしてそれは正解だった。あの集落でアヴァリスが君に接触してわかった。君こそがヘイムダルだったとね」
アヴァリスは初めて、苦しむ様な顔を見せた。
「アヴァリスが悪いんじゃない。僕に隠し事をするのはそう、少し難しい。寧ろ彼は偉い。この一年半、僕がウェズだと気付いている事を悟られないよう――まぁ気付いてたけど、もうヘイムダルではなくなった君を守りながら本気でヘイムダルを探すふりをしていたんだよ。頑張り屋さんだ」
彼は出会ってから一年半、この答え合わせを待ち望んでいたのだろう。だが
「何故、エッダを殺した?」それ以外、聞きたい事などなかった。
話を中断させられた彼は落ち着きを取り戻した様に見えたが、しかしそれでもまた語りだした。
「……そうだったね。なぁテラ、僕は本当に君の事を気に入ったんだ。捜し者だったからじゃない、君と一緒に居て思った。僕達はとてもよく似ている……とてもね」
彼は何処かに思いを馳せる様に眼を細める。
「君と別れるのは寂しい。だから思った。彼女を殺せば、きっと君は僕を追いかけてくれるって」
「……は?」その言葉は決定的だった。
「ヘイムダルは僕を殺すはずだった。でも君はもう僕を殺せない。それでも君は彼女の為に必死に僕を追いかけるんだ、片想いの様に。テラ、それはとても素晴らしい事だと思わないか?」
彼は泣き笑いの様な顔をしている。
「そんな事の為に、殺したのか?」
「僕にとっては大切な事さ。いずれ、君にもわかる」
もう分かり合えない。恩人で、親友だった。だが、それは初めから存在しない幻想だった。
「もう、いい」足を広げて腰を落とし、剣を構える。
「待て、今のお前ではあいつを殺す事はできない」アヴァリスが止める。
「いや、やってみないと分からないよ? 彼は元々僕と殺し合う運命だった。試しにこの身体ごと切ればいい。なに、もし僕を殺せれば
そう言うとウェズは右手に持った剣は下げたまま、左手を上げ手招きをして
「さぁ来い! 来るんだ! お前の女を殺した男がここにいるぞ!」
全てを振り切ろうと叫んだ。仲間と過ごした時間を、彼女と描いた未来を。
がむしゃらに走り、目の前の男に叩き付けた。
ただ力尽くで振るう暴力を彼は笑って受ける。そしてその顔を目掛けて何度も剣を叩き付けた。
「殺す! お前だけは! ルド!」
「あっはっは! いいね! でも、僕はウェズだ!」
全力で振り下ろした剣を、ウェズは右腕一本で捌きながら「アヴァリス! 君も来たらどうだ?」と左手で挑発する。
しかしアヴァリスは動かない。
「所詮犬か、つまらない男……いや、そうか。最低だな君は!」そう言ってウェズはまた笑顔になった。
「なぁテラ、思い出さないか? 君が初めて殺した男の事を」一瞬気を取られた瞬間、水月を蹴られ後方へと弾き飛ばされた。
息が詰まる。それでも剣を手に直ぐ立ち上がると、ウェズがゆっくりと近づいて来ながら「君はナイフで彼の腹を切り裂いていたね。どうだい? 思い出の方法で女を殺された気分は?」と彼女の方を顎でしゃくった。
狂った様に、言葉ではない何かを叫びながら切りかかった。
「辛いか? 苦しいか? よく分かるよテラ。でも、今日はもう終わりだ」
一閃だった。上段から力任せに叩き付けようとした剣をウェズは、ただ水平に一閃して叩き折り、それに呆然とした隙をついて側頭部を剣の腹で降り抜いた。
再び倒される。うつ伏せに倒れ、立ち上がろうとするが強烈な痛みと吐き気に思わず頭を押さえ膝を付く。
「ありがとう、楽しかったよ。これから君はきっと僕を追いかけてくれるだろう、何度もね。でも、君はいつか諦めてしまうかもしれない。だからもう一つ、約束をしよう」
次の瞬間、ウェズの身体が巨大な炎に包まれた。突然の出来事に目を見張るとウェズが倒れ、炎はウェズの身体を離れても雨をものともせず宙を漂っている。
言葉を無くしその炎を見ていると何故か、炎と眼が合ったかの様に錯覚した。すると突然、炎が独りでに動きだし、口を開けたかの様に飲み込んでしまった。横たわっていたエッダを。
何とか立ち上がり、急いで駆けつけようとすると腕を捕まれた「何故邪魔をするんだ、アヴァリス!」振りほどこうとしても彼は手を離さない。
「あれに触れるな。それにもう遅い」
彼女を燃やし尽くしそうに見えた炎はしかし、髪一本燃やす事なくその身体へと吸い込まれる様にして消えていった。
一体、何が起きているのだろうか。突然現れた光景にアヴァリスを振り払う事も忘れ立ち尽くす。
彼女が――エッダが立ち上がっていた。白かった顔には血の気が通い、微笑んでさえいる。
一歩ずつ、覚束ない足取りで彼女の下へ向かおうとすると「どうだい? これで僕を追い続けないといけない理由ができたね」その言葉に立ち止まる。
「この身体なら僕達、両想いになるのかな?」そう言って、彼女の身体でウェズが微笑んでいた。
「実はねテラ、君に贈り物が出来たんだ。これは僕にっとてもサプライズだったよ」これ以上何があると言うのか。もう、何を言われても言葉など出ないだろう。そう思っていた。
「おめでとう、テラ。君は父親になる」ウェズは慈しむ様に笑った。
「……うそ、だろ?」
「死ぬのが速すぎたとは思っていたんだ。どうやら彼女、少しでも長く子供を生かそうと魔力を使ったみたいだ。……彼女の頑張りに報いる為にも、丈夫な子を産まないとね」
もう一度立ち向かわせるには十分だった。
彼女を、我が子を取り戻さなければならない。この命を燃やしてでも。脚に力を入れ踏み出し、ウェズの正面に立つ。だが「それで、どうするんだい?」ウェズは逃げもせず、変わらず微笑んだまま。その笑顔を見て理解した。自分にはどうする事もできない。
膝をついた。どうしようもない現実に心が折れてしまった。
その様子にもう満足したのか、ウェズは一つ頷くと
「身体を冷やすとお腹の子に良くないし、そろそろ嫌いな奴が来るからもう行くよ。またね、テラ」彼は何もない宙を歩くように去っていった。鼻歌を歌いながら。
彼女の死体が遠ざかる。彼女を殺した相手の魂と子供の命を宿して。
後に残されたのは、全てを奪われ生きたまま脱け殻になった男だった。
アヴァリスは身体を乗っ取られていた本物のルドを診ている。
雨は止むどころか勢いを増してきた。座り込み天を仰ぐ。
このまま身体の熱だけじゃなく記憶を、命を流してくれないだろうか。
何もできずただ雨の音を聞いていると、その中に雨とは違う音が紛れ込んでいる事に気付いた。それは少しずつ近づき大きくなってくる。
蹄の音だ。この雨の中、馬を繰り駆けている者がいる。
そちらに眼をやると、黒く恐ろしく立派な馬とその馬には不釣り合いな、つばの広いくたびれた帽子が見えた。
何故かその馬は目の前で止まった。そしていつの間にか側まで来ていたアヴァリスの手を借りて帽子の主が降りてくる。
老人だった。
背が高く、薄汚れた灰色の修道服の様な物を着て長い杖をついている。白く長い髭を蓄えているが、目元は深く被った帽子で隠れていて今一つ顔が分からない。
「君がテラだね? 初めまして。私の事はハールバルズとでも呼んでくれ」
ハールバルズは握手を求めてきたが、それに応じるだけの気力も無かった。だが彼は嫌な顔一つせず、それどころか手を下げずに話始めた。
「余程、手酷くやられたと見える。だがテラよ、ヘイムダルだった者よ。もしこの手を取ってくれるなら、君に知恵を授けよう。君にしかできない、ウェズを殺す為の武器を」
彼の声と言葉には力があった。それらがゆっくりと心へと浸透して、そして火が灯る。脱け殻だった心に、復讐の火が。
差し出された手を取る。そうして見上げた彼の顔は左の眼が閉じられていた。
「ありがとう。きっと私達はいい協力者になれる。まずは街へと行き暖を取ろう。そして君がこの世界へと来た理由を、そしてその身体の秘密を教えてあげよう」
そう言って笑うと、閉じていたハールバルズの左目が開いた。だがそこにはあるはずのものが無かった。
「ではその前にやることをやってしまおう。アヴァリス!」突然、アヴァリスに羽交い絞めにされる。そして
「少し痛いが我慢してくれ」言われなくても、何をされるのか察した。
恐怖はある。だが歯を食いしばり耐える。これは契約だ。例え彼が悪魔だったとしても構わない。
「……その左目、貰うぞ」しっかりと眼を見開く。そしてハールバルズが俺の左目へと指を伸ばすし眼球を無理やり抉り出した。
恐怖と痛みに支配されそうになるが、声一つ上げずに耐えた。眼が抉られると直ぐ、アヴァリスが魔法で治療を始める。
「立派だったぞテラ。君が選ばれた事は私達にとって幸いだろう」そう言いながら彼は、今抉り出したばかりの眼球を、自身の左目へと埋め込み「安心してくれ、君には新たな眼が手に入る」と続けた。
裏切られ、奪われた。取り戻さなければならない。例え何に魂を売っても。例え何かに成り下がってでも。
雨は激しさを増し、いよいよ嵐へとその姿を変える。
「では、手当てが済んだら行こう。ここからが、君の魂の、本当の旅の始まりだ!」
記憶を。生まれて来た意味を。愛する者を取り戻す闘いが始まる。
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