第8話
つんとした、澄んだ香りのする朝だった。乾いた風が頬を撫でていく。
野営を終え拠点にしている街へと帰路を行く。
少し肌寒い。気温は15度くらいだろうか? 僅かに雲があるが、今日は雨は降らないはずだ。
この異世界で旅をする上で、天気予報はとても大切だった。
予報と言っても、テレビがある訳ではないし科学的なものでもなく占いだったが、その的中率は馬鹿にできるものではない。
天気は『時編み』と呼ばれる占い師達が占っていて、時編みは女性しかなれない。彼女達の占いの精度は極めて高く、天気予報に関して言えば俺の知る限り外れた事はなかった。
彼女等の占いはこの世界で信頼できる数少ないものの一つだ。
占いを信じる日々を過ごす事になると、記憶が無くなる前の自分は想像できただろうか? 占いを信じる成人男性。そんな字面が浮かんで苦笑いをした。
「どうしたんだ?」ルドは目敏かった。
「……現実と自我の間で揺れていたんだ」
「えーっと、現実原則?」
「いや、異世界でのモラトリアムだな」
道すがら、下らない話をしながら歩いていた。アヴァリスが少し先行していて、雑談している俺とテラを挟んで少し後ろをエッダがゆっくりと歩いている。
街へ着いたらまずは宿へ戻ろう。やるべき事を終え今日一日を今まで通り過ごしてから明日の朝、ルドとアヴァリスに話そう。これからの事を。
昨晩、エッダとそう決めていた。
「なぁテラ。何か話があるんじゃないか?」ルドは此方を見透かした様な目で、楽しそうに聞いてきた。
「何の事だ?」隠せるとは思えないが無駄な抵抗をしてみる。
「わかってるんだろ? 君は嘘が下手だ。それにこのタイミグでの話の内容くらい、想像つくさ」
「敵わないな。……でも今日は待ってくれ。今日一日は今まで通りでいたいんだ」
隠し事の内容はばれている。できる事はもう、共通の約束事にしてくれと持ち掛ける事だった。
「しょうがない。その段取りに付き合ってやるとしよう。僕らは共犯者だ」
「すまない。ルド、君には本当に感謝している」
「そういうのは明日だろ? まぁ我が子の我が儘を聞くのも、巣立つのを見送るのも親の役目だ」
あの時、彼に助けられなければ今ここに俺はいなかっただろう。
彼女とも出会う事はなかった。
彼は俺にとって名付け親で、恩人で、そして親友だった。
「少し、エッダをからかってくる。大丈夫、ばれないようにやるさ!こっちを見るなよ? 前だけ向いててくれ」そう言って笑顔でエッダへと向かうルドの後ろ姿を見送り、前を向いた瞬間「行け!」という声と何かが羽ばたく音、そして直ぐ隣を風が通り過ぎた。
目の前には、腰を落とし戦闘体勢で此方を見るアヴァリス。
「テラ、エッダ、剣を抜け」
「テラ!」
アヴァリスとエッダ、二人の声が同時に聞こえた。
振り返ると、うつ伏せに倒れ背中に短剣を生やしたルドと、それに駆け寄るエッダがいた。
「……は?」状況が理解できない。
「アヴァリスが投げた!ルドは私が!」
信じられない事が起きている。事態についていけない。それでも身体はエッダの声に反応して直ぐ様剣を抜きアヴァリスに向かおうとする。
しかし「離れろ!エッダ!」鬼気迫る様子でアヴァリスが叫んだ。
そして――え? という声が後ろから聞こえて来た。再び振り返る。
そこには、治療する為に駆け寄りしゃがみかけて中腰になったエッダと、背中に短剣を生やしたまま膝立ちになりエッダの腹部に短剣を突き刺したルドがいた。
一瞬、完全に思考が停止し空白が生まれ、置き去りにされたかのように時間の流れが遅くなる。
体中から力が抜け剣を取り落とす。
此方からルドの顔は見えないが彼はエッダに顔を寄せ何かを囁いている。そして驚愕から苦痛へと表情を歪める彼女の顔が視界に入った瞬間、時間を追い抜き駆けだしていた。
きっと彼女の名を叫んだ。駆けだすとエッダと目が合う。
ルドが短剣を横に薙ぎ、此方を振り返ると同時に彼を全力で殴り飛ばす。短剣を手放し数メートル吹き飛ぶルドを横目に、崩れ落ち地面に倒れる寸前のエッダを抱き留めた。彼女は小刻みに痙攣していた。
「エッダ!」出血と痛みに光を失い始めている彼女の目を見ながら必死に呼びかける。彼女はうわ言の様に俺の名を繰り返し呼ぶ。既にアヴァリスも駆けつけていた。
「頼む、助けてくれ!」体温を失っていく彼女とは逆に生温い彼女の血液が手を濡らす。息苦しい。必死に懇願した。
しかし、しゃがみ込んだアヴァリスは切り裂かれた彼女の傷を、真っ青になった顔を見てからルドが手放した短剣を手に取ると
「傷が深い。血を失いすぎだ。短剣には毒が塗ってある」
「だからどうした!」
「……すまない。一緒にいてやれ」
「……っ!」
アヴァリスは立ち上がり俺達をその身体で隠す様にして、剣を抜き此方へと向かうルドの前に立ちふさがった。
「最後の時間だ」
「勿論邪魔するつもりはない、別れは大切だからね。で、いつから気付いてた?」
二人が何かを話しているが耳に入らない。俺はエッダに話しかけているが彼女はもう喋れない。顔は青を通り越して白くなり目は焦点が合ってくれない。
気付けば、彼女の顔を雨が濡らし初めていた。降るはずの無い雨が。ただでさえ冷たくなった彼女の身体から更に、熱と時間を奪っていく。
それでも彼女に呼びかけていると、急に目の焦点が合い彼女が俺を捉える。
――持ち直した!きっと助かる!
「今から君を背負って街まで走る!絶対に助けて見せるから!」
すると彼女はとても優しい顔をして頭を振った。
「だめだ……諦めないでくれ!」
彼女は、出会ってから初めて俺の話を聞かなかった。
そして声の出ない口から息を漏らしゆっくりと話始めた。
それを必死で読み解こうとする。聞こえない言葉を聞くために。
その言葉はたったの十文字にも満たなかった。上手く動かせない口では何て言ったのか分からない。
けれど彼女は、それで安心したかのように、一つ息を吐いて。
そうして彼女は息を引き取った。
もう笑いかけてくれない彼女を抱き締める。
この日、降るはずのない雨が降っていた
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