第8話 朝ごはんの前に

「樹っ」

 あまりの声の大きさに驚いたのか、立夏は思わず手で樹の口を塞いでいた。

 それで我に返った樹が目で合図を送ると、彼女はゆっくりとその手を下ろした。

「声、大きすぎだよ」

「ご、ごめん、だって本当にビックリしちゃって」

「そんなに驚かなくても・・・」

「だってだって、まさか全免試験に受かった人が、しかも目の前にいるなんて、驚かない方がおかしいよ」

 と、羨望せんぼうのキラキラまなこで見つめられ、立夏の顔が又もや赤く染まっていく。

「・・・ボク、帰る」

「え?」樹がそう声をあげた時、立夏はすでに立ち上がっていた。

「ど、どうしたの?」と下から見上げるように覗き込む樹に対し、その視線から逸らしたままの立夏の顔は、もうこれ以上ないぐらい耳まで真っ赤になっていた。

「立夏さん。違ってたらごめん。その、この話し振られるのイヤ?」

 そう言われた瞬間、‶どきっ″という心臓の音が聞こえてきそうなぐらい身体がびくっと跳ね上がり、立夏は固まってしまっていた。

 そして、小さな声で話し始めた。

「その、ごめんね・・・。

 実は、全免を受ける前は家族全員、ボクが試験を受けることに大反対だったんだ・・・」

「え?なんで?」

「時間の無駄遣いだって、母さんも『そんなヒマがあったら稽古しなさい』って・・・」

「そこまで言う」

「なのに受かったら『さすが私の娘、私は受かると信じてた』って・・・」

「・・・操さんたら」

 そしたら、私が受かったことを会う人会う人みんなに言いふらし始めて、・・・しまいには道場で合格祝いパーティーやっちゃって」

「それ、やりすぎ」

「だから、照れるというか恥ずかしいというか、・・・この話しになると、どうしたらいいのかわからなくなっちゃう・・・」と、もじもじする。

「その、例えばだけど、この話しはクラスの皆にもしないほうがいい?」

 そう聞かれても、立夏は‶こくっ″と小さくうなずくだけで、樹の顔も見れない。

「てことは、年齢の話題は避けたほうがいいね。

 でも女の子同士で話とかしてたら、誕生日の話題とかは必ず、というか真っ先にでるよ」

「うん。・・・だから5月の連休明けまでは、誕生日の話題が出たら、その、なるべく自然にフェードアウトしよう。というか、したい。・・・できたらいいかなって・・・」

「自分の誕生日が過ぎるまで?」

「うん。連休明けなら誕生日を聞かれても、『誕生日、今月の6日、もう終わっちゃったんだ』って言えるから。

 皆、終わった人よりこれから誕生日の人のことを知りたがると思うし、

『ごめんね、知らなくて』って言われても、『いいよ、来年お祝いして』って言えば、なんだかんだ言っても1年も先の話しだから、皆も気を使って根掘り葉掘り聞いてこないと思う。

 だから、それまではなるべく誕生日の話題に触れないようにできたらいいなって・・・」

「え?でも、『それで幾つになったの?』ぐらいは聞かれると思うよ?」

「あ!!」

 それは、立夏的には悩みに悩んだ末の、完璧には遠いかもしれないけど、それなりにイケる作戦のはずだった。

 だが、その盲点を樹にあっけなく指摘され、どうしていいか分からなくなった彼女は、自分でも気付かないうちに、半分すがるような目で彼女をみていた。

「わかった。私がなんとかする」そんな彼女の心を見透かしたように樹に突然そう言われ、

「え?」と戸惑う立夏を尻目に、樹は話しを続けた。

「休み時間とかお昼とか、私が立夏さんのそばにいるようにする。それで誕生日の話題になったら私が先手必勝で自分の話しをするから」

「え!!」

「大丈夫。4月1日よりインパクトのある誕生日なんて2月29日ぐらいしかないんだから。私にまかせて・・・」

 その瞬間、立夏はフローリングに置かれたクッションの上に崩れ落ちるように‶ぺたん″と座り込んでいた。

「立夏さん?」何が起きたか分からず、樹が彼女の顔を覗き込もうとすると、

「ありがとう」そう言いながら立夏が樹の首に抱き着いていた。

(え!!)あまりに突然の出来事に樹は彼女を支えることが出来ず、そのまま立夏に抱き締められ、引き寄せられるまま、2人で座り込んでいた。

 当人にとっては深刻な問題でも、人が聞いたら‶なんでで悩んでるの?″と理解されないことは多々ある。

 実際、彼女の家族は誰一人として彼女の「全免に受かったことを言いふらすのをやめて欲しい」と言う訴えを真面目に聞き入れてはくれなかった。

 だから彼女は樹が自分の話しをちゃんと聞いて受け止めてくれたことが嬉しかった。

(・・・か、かわいい)

 こんな言い方は相応ふさわしくないのかもしれない。

 でも、 やっと自分の言いたいことを受け止めてくれる人が現れてホッとしたのか、少し不安が入り混じったような安堵の表情で自分を見る立夏を見て樹はそう思った。

 ‶ヴヴゥゥン″

 その時、どこからか鈍い電子音が鳴り響いた。

「なに?」と聞く樹に、

「ごめん、メール」と、立夏がポケットからスマホを取り出していた。

「やばい、母さんからだ」

「え?操さんから?なんて?」

「『もう朝の8時よ。あなたどこまで走りに行ったの?今すぐ帰ってきなさい』だって」

 立夏は大慌てでメッセージを打ち込み始めた。

「『今、樹の家にいます。すぐに帰るから心配しないで』っと。送信」

 すると、すぐに返事が返ってきた。

「操さん何て言ってるの?怒ってない?」

「『朝ご飯食べた?』だって」

「え?」

「『まだだよ』送信っと」

 すると、またまたソッコーで返信が来た。

 そして、を見た立夏の表情が曇った。

「どうしたの?」

 心配そうに立夏の顔を覗き込む樹の前に、彼女は半ばあきれ顔でスマホの画面を差し出していた。

 そこには、

『「一緒に朝ご飯を食べよう」って、樹ちゃんを色仕掛けで誘って家に連れて来て』と書かれていた。

「母さんたら・・・ごめん。たぶん樹のことを男の子に間違えたことを気にしてるんだと思うから、その、よかったら・・・一緒に朝ご飯いい?」

 まさか操にとんでもない下心があるなどと知るよしもなく、立夏はすまなそうに樹を誘う。

「え!!いいの?」と驚く樹に、

「うん。うちの母さんはだから、申し訳ないんだけど今朝だけ付き合ってあげて・・・」立夏がそう言いながら両手を合わせて頭を下げると、

「うん」樹はそれに笑顔で応えていた。

「え!いいの?」

「だって、操さんいい人だし。私、朝ご飯食べるのいつも1人だから嬉しい」

「ほんと?」

「うん。よし、早く測っちゃおう」樹はベッドの下の引き出しからメジャーを取り出した。

「立って」

「うん」樹に指示され、立夏はその場で立ち上がった。

「じゃあ、脱いで」

「え!?」立夏の顔が見る見る赤く染まっていく。

「あ、ごめん」

 それをみて、樹は慌てて言葉を訂正した。

「服だけでいいから」

「え?そ、そうだよね~」と、照れ臭いような、気まずいような笑いを浮かべる立夏だが、何故かモジモジして脱ごうとしない。

「どうしたの?いきなり下着になるのはやっぱり恥ずかしい?」

 そう聞く樹に、立夏は顔を真っ赤にしたまま首を左右にぶんぶん振っていた。

「ううん。試合の時は更衣室は皆一緒だし、外国の人の中には、「試合の前に身体についたけがれを落とす」って下着も、その・・・替えちゃう子もいるから・・・」

「え!?下着もって、もしかして皆の前ですっぽんぽんになるってこと?」

 と驚く樹に、立夏は‶こくこく″と小さくうなずく。

「じゃ、じゃあ、なんで?」と不思議がる樹に、

「あ、あのね・・・その、・・・ぼ、ボディスプレー貸して」と、立夏は小さな声でお願いしていた。

「スプレー?」

「うん」

 立夏は顔から湯気が出るぐらい真っ赤になってうつむいてしまっていた。

「大丈夫だよ」

「大丈夫じゃないよ。ボク、一晩中走って汗かいたから・・・」

「私、さっきから立夏さんの横にず~~っと座ってるけど、すっごい良い匂いしてるよ」と、サラっと言う樹に対し、

「・・・でも、やっぱりダメ」と、立夏はますますうつむいてしまう。

「じゃあ、私が使ってるやつしかないけど、それでもいい?」

 そう言うと、樹は枕の下からスプレーの缶を取り出した。

 どうやら身の周りの最低限必要なものはベッドの近くに置いてあるらしい。

「はい」と樹が手渡す缶を、

 立夏は「ありがとう」と言って受け取ると、樹に背を向けながら服の中に潜り込ませた。

 ‶シュっ″‶シュっ″とスプレーの噴射音が何回か小さく聞こえ、

「ありがとう。あの、ごめんね」と缶を樹の前に差し出していた。

「ううん、いいよ。私も使おうっと」

 立夏があまりに恥ずかしがるので、逆に樹も意識してしまい、手にしたスプレーをスエットの中に潜り込ませていた。

「やっぱりCMみたいにはいかないよね」

 ‶シュっシュっ″しながら樹が苦笑いする。

「え?CMって?」言葉の意味が分からずそう聞き返す立夏に、

「ほら、こういうスプレーのCM。女子たちが体育とか部活終わりに更衣室でわき出してシュ~~ってやってるやつ」

「あ~、あれ」

「あんなふうに人前で腕を上げて腋にスプレーなんて恥ずかしくてできない」

「できないできない。って言うか、高校ってこういうスプレーとか持っていっていいの?」

「どうだろう?中学は持ち込み禁だったけど、女子のなかにはこっそり持ってきてたもいたって聞いたよ」

「中学生で!!」立夏は心底驚いた様子で、そう声をあげていた。

「うん。ウチの高校共学だし、みんなだから仮に校則でダメってなってても皆こっそり持ってくると思う」

「そうなんだ。ボク、中学行ってないからそういうのが分からなくて、・・・その」

「なに?」

 突然改まる立夏に樹が聞き返すと、

「また分からないことがあったら聞いてもいい?」

 と、彼女は少し甘えるような目で樹を見ていた。

(・・・か、かわいい)

「うん、いいよ。私の分かる範囲のことしか答えられないけど、それでいいなら・・・」

「ありがとうっ」

 樹が話し終わる前に、立夏はそう叫びながら再び彼女に抱き着いていた。

(え!?なに?)

 当たり前のことを言っただけなのに、なぜ抱き着かれたのかが分からず戸惑う樹を置き去りにして、

「樹がいてくれてよかった」

 そう言いながら樹を‶ぎゅっ″と抱きしめる。

「急にどうしたの?」

(これって、まさか告白!?????????)

 あまりに突然の出来事にどうしていいのか分からない樹を尻目に立夏が話し始めた。

「ボクね、高校に行くまでは自分は何でも出来るって、自分は強いって思ってた」

「え!?」

「試合でも運動会でも負けたことないし、全免も受かったし、・・・でも、いざ高校に登校したら、当たり前だけど周りは年上の人ばかりで、・・・道場にも高校生はいるから大丈夫って思ってたのに、制服姿の同級生がスゴく大人に見えて、・・・皆は同じ中学出身の仲間とかで楽しそうに話しをしてるのに知ってる人も一人もいなくて、・・・あの何百人って新入生の中でボクだけ一人ぼっちで、・・・そう思ったら急に不安になっちゃって。

 だから樹と会えた時はスゴく嬉しかった。

 入学式に出なかったのは樹のことが心配だったっていうのは本当。

 でも、それだけじゃなくて、・・・ボクが樹のそばにいたかったから、・・・ううん、違う。

 本当はボクが樹にそばにいて欲しかったんだ。一人が怖くて・・・」

 樹を抱きしめる腕に、更に力がこもる。

 そして樹も、自分でも気付かないうちに立夏を‶ぎゅっ″と抱きしめていた。

(もし妹がいたら、こんな感じなのかな?)

 あんなに眩しくて元気一杯に見えた立夏が、実は不安に押しつぶされそうな気持を隠して、精一杯明るく振る舞っていたのかと思うと、樹はそんな彼女が愛おしく思え、優しく話し掛けた。

「大丈夫、私が立夏のこと守るから。・・・って、守られてばかりの私が言うのもヘンかな?」

 さっきまで心の中で『王子様』って呼んでいたくせに、年下だと分かった途端、お姉さん風を吹かせてしまう樹に対し、

「・・・ううん。うれしい。・・・ごめんね、すぐ脱ぐから」

 そう言うと立夏はトレーニングウエアを脱いでいった。

「これでいい?」

 ウエアを脱いだ彼女が身に着けていたのは、Yバックでフロントホックのスポーツブラと、それとお揃いのボクサータイプのローライズショーツだった。

 ネイビーカラーのは、立夏のイメージにぴったりの下着で、その姿はめっちゃカッコよかった。

 彼女は鍛え上げられたアスリートとモデルを掛け合わせたような、それこそアニメやマンガの中にしか登場しないようなプロポーションをしていた。

 だが、何より問題なのは胸だった。

 服の下から姿をあらわしたは、同性の樹もびっくりするぐらい大きく、しかも形もよくて非の打ちどころがなかった。

 ‶ごくり″

 それを見て、樹は思わず唾を飲み込んでいた。そして自分の胸をチラっと見て、改めて立夏の胸を見た。

(まさに爆誕・・・てか、ブラが、胸が・・・)

 そう。樹にとって彼女の胸の大きさ以上にショックだったのは、その胸が樹に、立夏が女の子だという現実を否応いやおうなしに突き付け、思い知らせてしまったということだった。

 樹はまだ心のどこかで立夏のことを王子様だと、つまりは男の娘だと思っていた。

 いや、『思い込もうとしていた』と言ったほうがいいかもしれない。

 何故ならこれは、物心ついてから今まで、アニメやマンガのキャラにしか恋したことがなかった樹にとって、生まれて初めての経験だったからだ。

 だから、突然沸き起こったそういう感情の熱量の大きさというか、想いの強さに頭がついてこれず、彼女が女の子だということはとっくに分かっていたはずなのに、それでも男の娘だと思い込もうとしていたのだ。

 それは、自分で自分を洗脳していたと言ったほうがいいかもしれない。

 そして樹は、自分がそんなストーカーのような精神状態にあることさえ自覚していなかった。

 だが、彼女といろんな話しをして、更に下着姿を見て、それが間違いだったと樹はようやく気付いた。

 彼女は男の娘でも、ましてや王子様でもなかった。

 それは、樹の頭の中だけに存在する、100%樹の理想で作り上げられた立夏の姿で、本当の彼女は悩みもあれば弱さもある普通の、しかも年下の、妹みたいな可愛い女の子だったのだ。

「・・・本当に終わったんだ。私の初恋」

「え?」

「ううん、なんでもない。緊張しなくていいよ、こっちに背を向けてリラックスして。まずは肩幅から測るから」

「うん」

 樹はメジャーを手にベッドの上に立ち、背後から立夏の肩にメジャーをあてがっていた。



                               〈つづく〉

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