第4話 それ、今聞く?

 樹はカップ麺で夕食を済ませると、作業服に着替え家を後にした。

 夜の戸張りが下りる町並みを抜け、家路を急ぐ人たちの波に逆らうように、灯りが煌々と照らす駅前の商店街を横切っていく。

 そんな彼女がたどり着いたのは、重機やダンプが出すけたたましい騒音が鳴り響く工事現場だった。

「こんばんわ」

「あ、樹ちゃん」

 樹がいつものように挨拶すると、現場で働く男たちが仕事の手を休め、彼女の周りに集まって来た。

「樹ちゃん、聞いたよ。昨日危なかったんだって?」

「ケガしてない?」

「メガネはどうしたの?顔殴られてない?」

「大丈夫か?なんなら今日休んでもよかったんだよ」

「え?あの、なんで昨日のこと知ってるんですか?」

 男たちから矢継やつばやに浴びせられる言葉に圧倒され、樹はそう返すのがやっとだった。

「さっき婦警さんが来てね、皆事情を聴かれたんだよ、昨日の樹ちゃんの勤務時間とか、何時ごろ帰ったか?とか」

「そ、そうだったんですか。ごめんなさい。皆さんにまでご迷惑をかけて」

 樹はぺこっと頭を下げた。

「なに言ってるの?それは逆」

「逆?」男の1人が言ったその言葉の意味が分からず、樹は思わず聞き返していた。

「そうだよ。タクシーにせよ何にせよ、俺たちが樹ちゃんを毎日ちゃんと家まで送らなきゃいけなかったんだよ。俺たちは大人なんだから」

「本当にごめんな。もう少しで取返しのつかないことになるとこだった」

 男たちは皆、樹に頭を下げた。

「いえ、あの、頭を上げてください」

 そんな戸惑いまくりの彼女に、男の1人が改めて話し掛けた。

「で、今日はちゃんと家まで送り届けようって皆で話してたんだけど、・・・あそこにいるのは樹ちゃんの知り合いかい?」

「え?」

 男が指さす方を振り向くと、通りの向こう側にトレーニングウエアに身を包んだ人影が見えた。

 その瞬間、樹の心臓は爆発しそうになっていた。

 彼女の視線に気付き、フードを後ろに下げ、こちらに向かってぺこりと頭を下げたその顔は紛れもなく王子様だった。

「随分イケメンだな、どういう関係?」

「いえ、あの、今日学校で知り合った、その、お友だちで・・・」

「あ?もしかして、今日知り合ったばかりなのに樹ちゃんのボディーガードに来てくれたの?」

「それって彼氏じゃん」

「樹ちゃんも意外と隅に置けないね」

 樹は、男たちにそう冷やかされても何も言い返せず、ただ真っ赤になってうつ向いてしまっていた。

「ほら、いつまでサボっててんの?仕事始めるぞ」

 親方にそう言われ、皆笑いながらそれぞれの持ち場に戻っていった。

 樹も親方から手渡されたヘルメットを被りスコップを握ると、それを見届けた王子様は彼女に小さく手を振り、どこかえと駆けて行った。


「本日の仕事は終了です。みんな、お疲れ様でした」

 夜明けが近付く頃、今日の仕事が終わった。

「みんな集まってくれ」

 4月になったとはいえ、夜中はまだ肌寒かった。

 プレハブ小屋の前に置かれた、一斗缶で作られた簡易ストーブの周りに集まって来た男たちに親方が話し始めた。

「皆も知っての通り、樹ちゃんが月曜から高校に通うため、今日で仕事を辞めることになりました。

 ほら、樹ちゃん、最後のあいさつ」

 樹は親方に促され皆の前に立った。

「あの、皆さん。今まで本当にありがとうございました」

 ぺこりと頭を下げると、男たちの間から一斉に拍手が沸き起こった。

「勉強がんばれよ」

「また一緒に仕事しような」

「ピンチになったらいつでも来な、俺たちが力になるから」

 いろんな掛け声が樹に飛び交う。

「じゃあ、これで乾杯しよう」

 親方が自腹で買ってきたらしいホットコーヒーが皆に配られ、

「じゃあ、高校生になった樹ちゃんの新たな門出を祝って乾杯」

「乾杯」

 皆でコーヒーを飲み始めた。その時だった。

「あ、樹ちゃんの彼氏が帰って来た」

「え?」

 男の言葉に樹が振り返ると、こちらに向かって走って来た王子様が、通りの向こう側に立ち止まるところだった。

「樹ちゃん、彼氏もこっちに呼んであげな」

「いいの?」

「あそこに立ってたんじゃ凍えちまう。かわいそうだよ」

「うん。ありがとう」

 そうお礼を言って、彼女をこちらに呼ぼうとした樹はあることに気付いた。

(あ、あれ?王子様の名前ってなんだっけ?)

 樹の頭からザーーーっと血の気が引いていた。

(どうしよう。私、あの人の名前知らないや)

 そう。王子様と出会ってもう24時間になろうとするのに、樹は自分が彼女の名前を知らない事に今頃になって気付いていた。

(・・・まずいよ、これ。

 向こうは私のこと樹って呼んでくれてるのに、今更あなたの名前は?なんて聞けない、いや、聞かないと・・・)

「どうした?」いつまでたっても王子様を呼ばない樹に、親方が怪訝そうに訊ねた。

「いえ、その、呼んできます」

 そう言い、慌てて王子様の元へ駆けて行くと、彼女は軽く手を上げ、笑顔で樹を迎えてくれた。

「・・・あ、あの」

 そう話し掛けた樹に、

「なに?」と答えた彼女の息は真っ白だった。

「みんなが、ここじゃ寒いから、あっちに暖まりに来てって、・・・いい?」

「うん。ありがとう」

「それから、よかったら、これ」

 と樹はコーヒーカップを両手で持ち、王子様の前に差し出した。

「うん」

 すると王子様は手袋をはずし、カップを持つ樹の手に自らの手を重ねるようにして自分の口に運んでいた。

 樹は、それをただじっと見ていた。

「ありがとう。樹も飲む?」

「え?う、うん」

 重なる4つの手がカップを樹の前に運び、今度は彼女はそれを口にしていた。

 そして樹はその間、ず~っと王子様の顔に見惚れ、名前を聞くタイミングを失っていた。

 2人は、皆にお礼を言いながら、火の周りに並び立つ男たちの輪に加わっていた。

「兄ちゃんイケメンだね」男に1人が王子様に話し掛けた。

「あ、ありがとうございます」王子様は、少し困った様子で返事していた。

「あの、柳田さん違います。この人は・・・」樹がそれを訂正しようとするが、

「兄ちゃん凄い拳だね、なんか格闘技でもやってるの?」彼女の声は、別の男の声に遮られていた。

「もう石井さんまで。違うんです、この人は・・・」だが、そんな樹の言葉も、王子さまに興味津々な男たちのばやの質問に掻き消されていた。

「あ、もしかして昨日樹ちゃんを助けたのって兄ちゃんか?」

 ‶どきっ″

 その言葉に樹はビクっとなっていた。

 ボクのことは黙っていて欲しい

 王子様からそうお願いされた樹は、婦警さんにさえ「フードを深く被っていたので顔は見てません」と言い張っていたのだ。

(ここでその話題はマズい)樹は内心焦りながらも、何とか平静を装っていた。

 それは王子様も同じだったらしく、

「いえ、あの、違います」と、なんとか否定していた。

「そう?そうだよな。今日学校で知り合ったばかりなんだよな?」

「はい」

(ああもう心臓に悪い)

 樹は、この会話が何事も無く終わるのを、ただただ祈るしかなかった。

「でも兄ちゃんイイ奴だな。今ここにいるのは、樹ちゃんがピンチになったら助けるためだろ?」

「はい」

 その一言を聞いた男たちは王子様の心意気が気に入ったらしく、

「兄ちゃん若いのにエラうね~。ウチの娘の婿にしたいぐらいだよ」と石井さんが感心した様子でそう言うと、周りの男たちは、

「また石井さんの『ウチの娘の・・・』が始まった」と笑っていた。

「兄ちゃん気にすんなよ、石井さん、ちょっとイイ男を見るとすぐにこう言うんだからさ」

「ダメだよ石井さん、樹ちゃんの前でそんな話、2人ともごめんな」

「え、あの・・・」樹は、いつの間にか王子様は彼氏じゃないと否定するタイミングを失っていた。

 すると、当の2人を蚊帳かやの外にして男たちの話は更に盛り上がり、

「で、彼氏は樹ちゃんのことなんて呼んでるの?」と誰かが王子様に尋ねた。

「え?あの、樹って呼んでます」

「会った日にもう呼び捨てか?」

「えぇ、まぁ」と困惑気味に王子様が答えると、別の男の1人が、

「じゃあ、樹ちゃんは彼氏のこと何て呼んでるの?」などという、とんでもないことを彼女にいていた。

(え?玄さん、なんでそれ聞くの?)樹が心の中でそうツッコミを入れた時、

「玄さん、それセクハラ」

 困った様子の樹を見かねたのか、悪戯いたずらっぽく笑いながら話し掛けて来た声に、皆がそちらを向くと、そこには婦警さんが立っていた。

「あ!?」樹はその顔に見覚えがあった。

「昨日の婦警さん」

 そう。そこに立っていたのは、昨日交番で彼女から事情を聴いた婦警さんだった。

 だが、驚きの声をあげたのは樹だけではなかった。

「あ、さっきの婦警さん」それは周りの男たちだった。

「え?みんなこの人のこと知ってるの?」と驚く樹に、

「いや、ほら、さっき言ったろ?仕事の前に婦警さんに樹ちゃんのこと色々聞かれたって」と男たちは口々に説明していた。

 それをきいた樹は納得した様子で、

「婦警さん、もしかして昨日のこと調べてるんですか?」と尋ねていた。

「ええ、犯人たちをボコボコにしたがまだ捕まってないから目撃者を捜してるの」そう言いながら彼女はニコっと笑った。

「え~~っ?捕まえるって?なんで?私の命の恩人なのに」

 樹は驚きの声をあげながら王子様の方をちらりと見た。

 すると彼女も、いつの間のか婦警さんから、わざとらしいぐらい顔をそらしていた。

 そしてその間も、婦警さんは話を続けていた。

「それはそうなんだけど、あれはやり過ぎ。でも犯人たちも罪状と一緒に名前と顔をさらされちゃったし、余罪がいっぱいあるだろうから被害届なんて出せないだろうけど、

 それにあなたが情状酌量を求めれば起訴猶予、ううん、不起訴処分になるかも。

 まぁ、それ以前に捕まえられなきゃ絵に描いた餅なんだけど・・・って、どこ行くの?」

 そう言いながら婦警さんは、その場からす~~っとフェードアウトしようとしていた王子様の腕を掴んだ。

「あ、あ~誰かと思ったら双葉?久ぶり」と狼狽する王子様に対し婦警さんは、

「なにが久しぶりよ。一昨日あったばかりでしょ」と一喝していた。

「え?あの、お二人は知り合いなんですか?」

 婦警さんが突如として王子様と親しげに話し始めたのを見て、樹は自分でも気付かないうちにそう質問していた。

「うん、双葉はボクの・・・」王子様が気まずそうに口ごもる。

(え?え?ま、まさか、彼氏?いや彼女?

 あ、も、もしかして少女マンガの王道の、親同士が勝手に決めた許嫁いなずけ!?)

「ボクの・・・」

「ぼくの・・・なに?」樹が固唾かたずを飲んで聞き返す。

「ボクの兄貴、ほむら兄ぃの恋人で・・・」

 がくがくがく~~~っ

 それを聞いた瞬間、樹は膝から崩れ落ちていた。

「ど、どうしたの?」

 王子様がしゃがみ、心配そうに樹の顔を覗き込む。

「あ~びっくりした。そうよね、女の子同士で許嫁なんて、マンガの中ならいざ知らず、現実世界でそんなことあるワケ・・・」

「え?」

「え?あ?」樹はそこで初めて、心配そうに自分を見つめる王子様の顔が目の前にあることに気付いた。

「な、なんでも、なんでもないです・・・そ、その」

(どうしよう、何か言わなきゃ)

「その・・・」樹は、王子様に超至近距離で見つめられていることを意識してしまい、上手く喋れなくなってしまっていた。

「ちょっと、樹さん大丈夫なの?」双葉も、そして周りの男たちも心配そうに樹に近付いて来た。

(ど、どうしよう?)

 ‶ぐぐ~~~ぅ″その時、樹の意志とは関係なしに、全く偶然に、彼女のお腹が鳴っていた。

「ぷっ」誰かが吹き出したのを皮切りに、男たちは一斉に笑っていた。

「樹ちゃん、急に膝まづいたから、どうしたのかなって思ったら、腹減ってたのか?」

「え、その・・・」

「ちょっと待ってな」

 そう言うと、別の男がプレハブ小屋から大きなレジ袋に入った何かを持ってきた。

「はい、これ」そう言って樹の前に袋を差し出す。

「え?シゲさん、これ何?」

餞別せんべつだよ、持ってきな」

「あ、ありがとうございます」そう言って受け取り、中を見ると、そこには山盛りのカップ麺が入っていた。

「え?でもこれってみんなの夜食・・・」

「なに言ってんの、樹ちゃんも俺たちの仲間なんだから、は樹ちゃんの分だよ」

「ありがとうシゲさん。でも、本当にこんなに貰っていいの?」

「遠慮するなって、後で彼氏と仲良く食べな」

「・・・も、もう、シゲさんたら」

 当の王子様の前でそんなことを言われ、樹は顔を真っ赤にしてうつむいていた。

「じゃあ、そろそろ帰りましょうか?家まで送って行くわ」樹にそう声を掛けたのは双葉だった。

「婦警さん、樹ちゃんのこと頼みます」

「はい、まかせてください」

「彼氏もちゃんと樹ちゃんを守ってあげてよ」

「はい」そして樹は、皆との別れを惜しむように言葉をかわし、笑顔で手を振って現場を後にした。


 3人は夜明け前の町を駅前に向かって歩いていた。

「ねぇ、本当に大丈夫?気分わるくない?」急にしゃがんだのが気になるのか、双葉は樹のことを心配そうに覗き込む。

「はい、大丈夫です。本当にお腹がすいてるだけで・・」

「ご飯食べてこなかったの?」と王子様が樹に尋ねた瞬間、

 ‶ぐぐ~~ぅ″

 と、今度は当の王子様のお腹が鳴っていた。

 思わず顔を赤らめる2人に、

「2人とも交番寄ってかない?」と双葉が声を掛けた。

 ‶ギクっ″

「・・・え、なんで、ですか?」と樹。

「その、ボクたち何も・・・」と王子様。

 双葉が不意に口にした一言に対し、2人はしどろもどろになりながら、そう返すので精一杯だった。

「お湯ぐらい沸かせるから。一緒に食べるんでしょ?そのカップ麺」

「「か、カップ麺!?カップ麺かぁ」」

 2人は声を揃えてそう言いながら、安堵の表情を浮かべ、ほっと胸をなで下ろしていた。




                             〈つづく〉

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