第3話 本人の知らないところで、嵐の予感?

(え?)

 樹は彼女の言葉の意味を理解できないでいた。

(お医者さんがくる?救急車じゃなく?それってどうゆうこと?)

「あの、お医者さんて?」

 樹と同じ疑問を持ったのだろう。

 保健の先生が戸惑い気味に王子様にそう質問した、その時だった。

 ‶がらがらっ″

 と音を立ててドアがスライドし、白衣を着て診察カバンを持った長身の女性が保健室に入って来た。

「!?」

 その顔を見て樹は言葉を失った。

(王子様が2人?)

 そう。そこに立っていたのは、目の前の王子様に更に凛々しさと美しさの磨きが掛かった、将来王子様はこうなるであろうことを、たいで表した女性だった。

「あ、あの、おう、じゃない・・・彼女のお姉さんですか?」

 樹はその美しさに見とれながら、その女性に訊ねていた。

「は?」王子様がきょとんとした顔でそう声を漏らした瞬間、

「まぁ、なんて良い子なの?うちに婿に来ない?」

 白衣の女性はそう言いながら、満面の笑みを浮かべていた。

「え?」

「私の名前はみさお。この子のお姉さんよ。操お姉さまって呼んで・・・」

 あまりに突然の言葉に驚いた様子の樹を尻目に、操と名乗った白衣の女性はマシンガンのように、一方的に話し続ける。

「母さん」

 を、その一言で止めたのは王子様だった。

「え?母さん?」樹は思わず聞き返していた。

「そう、この人はボクのお母さん」

「え?え~~~~っ、ご、ごめんなさい。てっきりお姉さんかと・・・」

「ボクには兄貴しかいないよ。さっき話したばっかじゃん」

「あ!!そっか」

「いいのよ。これから私のことは『操お姉さま』って呼んで・・・」

「・・・そんな寝言は後でいいから、早く診てあげてよ、操先生」

 王子様が物凄い怖い顔で母親を睨む。

「は~い」

(お母さんがお医者さんなんだ)

 操はベッドのすぐ横までくると、診察カバンを開けながら、首下まで掛け布団に包まれた樹に話しかけた。

「あなた、お名前は?」

「草角樹・・・です」

「まぁ、良い名前ね」

「あ、ありがとうございます」

「ねぇ、ウチのバカ娘のことどう思う?」

 そう言いながら、カバンから取り出した聴診器を首にかけ、イヤピースを耳にはめ込んでいく。

「え?」あまりに突然にそう聞かれ、樹の顔が見る見る赤くなっていった。

「母さん、さっきから何を言って・・・」

 そう言う王子様がの顔も、恥ずかしさからなのか赤くなっていた。

「だって格闘バカのあなたに、入学初日にこんな可愛い、しかも異性のお友達が出来るなんて、これはもう間違いなく赤い糸で結ばれてるのよ」

「なにバカなこと言ってんの・・・」

「バカって、誰に向かって言ってるの。母さんの勘は当たるのよ。隼と双葉さんだって、2人が小学生の時からって分かってたんだから・・・。

 樹くん、掛け布団を取りますからね」

「母さん、この子は・・・女の子」

「え?」

 晶が娘の言葉に驚きながら布団をめくると、その下から姿を現したのは、

 制服姿の、つまりはスカート姿の樹だった。

 その瞬間、保健室の時間が止まった。

「スカート?え?あ、男の娘?」

「違う。本当に女の子」

 戸惑いまくりの操に冷静にツッコミを入れたのは王子様だった。

「・・あ、あの、その、本当にごめんなさい」操がしどろもどろになりながら樹に謝る。

「ウチのバカ息子たちとは比べものにならないぐらい可愛くて、なんて可愛い女の子みたいな男の子なんだろうって思って・・・本当にごめんなさい」

「そうだよ母さん、こんな可愛い女の子を男の子に見間違えるなんて、そんな失礼なこと・・」

(それ、あなたが言う?てか、親子だなぁ)

 王子様の言葉に、樹は心の中でツッコミを入れまくっていた。

 その後診察を受けた樹は軽い脱水と診断された。

 そう言われてみたら、明け方に交番で婦警さんが出してくれたお茶を飲んで以来、今まで何も口にしていなかったことを話すと、保健の先生が冷蔵庫からスポーツドリンクを出してくれた。

「よかった。たいしたことなくて」それを飲む樹を見ながら王子様がホッとした様子で樹にそう言うのと同時に、

「じゃあ樹さん」操が樹に話し掛けた。

「はい?」

「自宅まで私が車で送るわ。玄関まで歩ける?」

「え!?」

「どうかした?」

「いや、いくらなんでも、そこまでしてもらうのは・・・」

「ダメよ」

「え?」

「こういう時は人の好意に甘えなさい。そのために私たち大人がいるんだから。いいわね」

「・・・はい」

 真っ直ぐな瞳に見つめられ、樹はただそう返事するしかなかった。

「よし、そうと決まれば・・・」操が王子様に目配りすると、

「ボクが車までおぶって行くよ」と王子様がそれに応えた。

「え!?」

「よし、まかせた」さすが親子というべきか。

 2人は、ワケが分からない樹に考えるヒマさえ与えず、彼女をおんぶして運ぶことを既成事実のように勝手に了承していた。

(えええ~~~っ。おんぶ?今、おんぶって言った?)

「なにしてるの?早く」

 その声にかされるようにを見ると、王子様がこちらに背を向けてベッドに腰を下ろしていた。

「あ、あの・・・」

「背中に乗って、おんぶするから」

 どうしていいのか分からず戸惑う様子の樹に、王子様が畳み掛けるように促す。

「でも・・・」

「早く」

「・・・じゃあ」

 王子様の剣幕に押され、樹は彼女に背中に密着するようにベッドに座った。

 すると、

「振り落とされないようにしっかり摑まってて」

 そう言いながら彼女は樹の膝裏に腕を通し、すっと立ち上がっていた。

「わ!!」

 おんぶされるなんて何年振りだろうか?

 樹は戸惑いながらも王子様の背中に身体を預け、その胸元に回した手をしっかりと握っていた。

「大丈夫よ、樹さん」

 王子様の背中にしがみつく彼女に、操が話し掛けた。

「この子ね、毎日お兄ちゃんをおんぶして山の参道を登ってるんだから」

「参道を?お兄さんをおんぶして?」

「そう。ほら、あそこに山があるでしょう?」操は、保健室の窓から見える小高い山を指さした。

「はい」

「あの山の上まで石段があって、えっと何段だっけ?」

「300段」王子様が即答した。

「そう。鍛錬の一つでを登っているから大丈夫よ。ね?」

「まぁね。隼兄ぃに比べたら可愛くて小さくて柔らかいし」

「え?」

「いや、その、軽いし」

 しどろもどろになりながら、王子様の顔が赤くなっていく。

「でも、私、小さい割に重いし・・・その・・・」

「大丈夫よ、樹ちゃん」

「ちゃん?って、母さん、会ったばかりなのにフレンドリー過ぎ」

 だが、たしなめようとする娘に全く耳を貸さず、母は喋り続けていた。

「この子のお兄ちゃんね、身長が190センチで体重が100キロ越えてるのよ」

「え?」

「もう筋肉オバケでね~。3度の飯より筋トレが好きなの。困ったもんよね~」

「はぁ」

「樹ちゃんはゴリラマッチョ、好き?」

「え?」

「母さん、何聞いてんの?」

「いいじゃない、ねぇ好き?」

「いや、私はそういうのはあまり・・・その、どちらかと言うと均整が取れてるマッチョの方が・・・」

「そうか、バカ息子たちに言わないとね」

「何を、ですか?」

「この子の弟たちなんだけど、お兄ちゃんの影響で筋肉ムキムキなら女の子にモテると思い込んでて、ヒマさえあれば筋トレしてるのよ。バカでしょ~」

「はぁ」

「はい、話しはそこまで」

 一方的に話し続ける操を止めたのは王子様だった。

「母さんいいかげんにしなよ。樹を送ってくんだろ」

(え?今、私のこと樹って呼んだ?)

「あの、いま、私のこと・・・」呼び捨てにされたことに何故か動揺した樹は、思わず肩越しに王子様の顔を覗き込んだ。

「え?」それに反応した王子様が振り返った。

 その刹那、2人の顔が交差し、2つの唇がほんの一瞬、触れるか触れないか、触れたのか触れなかったのかもわからないぐらいの、ほんの一瞬触れ、すぐに離れていた。

「!!(えっ)」

「!?(ええっ)」

((え?え???え~~~~~~~~~~~っ))

 あまりに突然の出来事に動揺した樹は、思わずその背中から身体を離した。

 そして、そのまま後ろにり、落ちそうになった。

「!?」

 だが次の瞬間、王子様はトカゲのように床にいつくばり、樹はその背中にしがみついていた。

 は一瞬の出来事だった。

 樹が背中から落ちそうになったその刹那、王子様は床を蹴ってバク転し、落ちる彼女を回転させた自らの身体で一回転させながら受け止め、そのまま着地していたのだ。

「ちょっと、なにしてるの?」

 バク転を目撃した操が重なりあって這いつくばる2人に慌てた様子でたずねた。

 だが、樹はそれに答えることが出来なかった。

 彼女自身、それがあまりにも一瞬すぎて、自分の身に何が起きたのかを理解できないでいた。

「大丈夫?」

「・・・うん」王子様にそう聞かれ、彼女はようやく返事をしていた。

「玄関まで歩くから、もっと身体をくっつけて、絶対に離れちゃだめだよ。いい?」

 王子様は、改めて樹を気遣うように話し掛けた。

 だが樹は、彼女の顔をまともに見ることさえ出来ず、その後ろ髪に顔を埋めたまま‶こくっ″と小さくうなずくだけで精一杯だった。

 すると、更に樹を驚かせる出来事が待っていた。

王子様が、樹を背負ったまま、その態勢から立ち上がったのだ。

(す、すごい)

その嘘みたいな強靭さに感嘆の声を上げる樹を、彼女は何事もなかったかのようにおぶり直し、しっかりとした足取りで、ゆっくりと廊下を歩き始めた。

(ほんとにすごい、・・・うう、ど、どうしよう)

 そう。樹の頭の中では、さっきの光景がエンドレスで繰り返し再生されていた。

(もしかして、いや、もしかしたら、いや、もしかしなくても、・・・キスした?

 いや、あれはキスというよりは軽く触れただけというか、・・・そう、あれは事故、接触事故。って、どうしよう??)

 彼女は王子様に言われるまま、その背中に身体をぴったりと密着させていた。

 そして樹は気付いた。

 さっきのバク転は王子様にとっても不測の事態だったのか、彼女は大粒の汗をかいていた。

 その髪や耳、ぷにぷにの頬にぴったり密着する樹の顔に、体温と一緒に汗が伝ってくる。

 それは樹も同じだった。

 そのあまりの緊張に火照る樹の顔も汗が止まらず、2人の汗が一つになって、互いの首を流れ落ちていく。

 でも樹は、それでもくっけた顔を離すことが出来ず、その背中に密着させた心臓も、爆発するのではないかと思えるほどの速さで鼓動を打ち続けていた。

(これってくっつき過ぎかな?でも、・・・こういう時ってどうしたらいいんだろう?)

 その時、王子様がピタっと止まった。

「!?(もしかして、てか、やっぱりくっつけ過ぎ?)」

 樹は王子様の背中で身動き一つせず、目をぎゅっとつむっていた。

「着いたよ。降りれる?」

 王子様に優しくそう言われ目を開けると、そこは校門で、目の前に1台の軽自動車が止まっていた。

 操が運転席に座るのと同時に王子様もドアを開け、

「座って」

 と樹をうながし、彼女が乗り込むと、反対側に回り自らもその隣に座ろうとした。

 その時だった。

「なにしてるの?」それは操だった。

「え?ボクも一緒に・・・」

 当然一緒に行けると思っていた王子様が怪訝けげんそうな声をあげた。

「あなた、今日は晩御飯の当番でしょ?」

「あ!!」

「彼女は私が送っていくから、早く買い物して帰りなさい。みんなお腹をかせて待ってるわよ。樹さん、住所教えて」

「はい」

 樹が話す住所を、操が復唱しながらナビに入力していく。

 王子様はその樹の横顔をただ見つめていた。

 そして入力が終わり、

『道案内を開始します・・・』ナビがそう言うと、操はシフトノブをドライブに入れ、ウインカーを出した。

「ごめん、家まで送ってけなくて・・・」王子様が申し訳なさそうに謝ると、

「ううん。今日は、ありがとう。どうしよう、言いたいことがいっぱいありすぎて言葉が出てこない。ごめんね、本当にありがとう」樹も、そう言うので精一杯だった。

「じゃあ、また」王子様が照れくさそうに笑うと、

「うん」樹もにこっと笑い、互いに小さく手を振る。

「早く帰るのよ」王子様にそう言い残して走り出した車は、夕闇迫る街中に吸い込まれて行き、あっという間に見えなくなっていた。


 2人を乗せた車は、ナビの指示通りに街中を走っていた。

「あの、樹さん」

「はい?」

 なんだろう?神妙な面持ちの操に、樹は思わず身構えた。

「さっきは本当にごめんなさい。その、男の子と間違えるなんて・・・」

「いえ、あの、本当に気にしてませんから」樹はホっとした表情で笑った。

「本当に?」

 はい。私、いまだに小学生と間違われて補導されかけるんですけど、お巡りさんにも『女の子みたいな男の子』によく間違われてますから」

 そう言って照れ笑いする。

 ‶どきっ″

(か、可愛い)

 その笑顔に、操は胸のドキドキが止まらなくなっていた。

(な、なにこれ?まさか動悸?それとも更年期障害?いやいや、なに?もしかして私、娘の同級生、しかも女の子にドキドキしてる?)

「あの、」

「・・・はい」

 突然樹に話し掛けられ、操は思わず声が裏返っていた。

「大丈夫ですか?顔が真っ赤ですけど・・・」

「だ、大丈夫」

 と、操がしどろもどろになりながら返事したその時、

『目的地に到着しました。案内を終了します』とナビからメッセージが流れた。

「あ、ここです」

「あ、ああ、そう?」

 操はなんとか冷静を装い車を止めた。

「あに、本当にありがとうございました」

 樹はそうお礼を言うと車を降り、もう一度操にぺこりと頭を下げ、車を見送ると自宅へと入っていった。


 一方、車の中で1人になった操は、

「もう、なんて良い子なの、絶対ウチの嫁にもらうから覚悟してね樹ちゃん。て言うか、その前にバカ息子たちにバカみたいな筋トレ今すぐ止めさせないと」

 と、興奮した様子で車を走らせていた。



                                〈つづく〉

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