Scene21 永遠に続くキス
❶
帰りは阪急電車を使おうと真砂子は言ってきた。
「今日は、夕薫ちゃんは学校ですよね」
阪急嵐山駅に向けて歩き始めてすぐに真砂子は言う。僕は首を縦に振る。
「なかなか集中できないでしょうね、授業に」
「熊本での高校がどうなるかわからないからね。もうじき、中学校から、向こうの学校の募集要項をもらうことになっている。それまでに、説得しないといけない」
「その前に、夕薫ちゃんの思いをちゃんと聞いてあげることですよ」
真砂子は釘を刺すように言う。
歩道の枯れた街路樹は、手招きしているかのようだ。通りには和菓子屋や佃煮屋、それから茶房や工芸品店が軒を連ねている。相変わらず空は青く、風も冷たい。
渡月橋を渡りながら、桂川沿いに京都盆地が広がっているのが一望できる。僕たちは立ち止まって、その光景を眺める。
「なんだか、嘘みたいです」
真砂子は前髪を風に揺らしながら神妙な瞳で言う。そして僕も、ほとんど同じことを考えている。嘘みたいだ、と。
渡月橋を渡りきり、旅館が立ち並ぶ地点を過ぎると、掃除機で吸い取られてしまったかのように観光客の姿が消滅する。風景はぐっと古くなり、昭和の町並みに様変わりする。右手に「法輪寺」と大きく書かれた看板が現れる。
「ちょっと、立ち寄ってもいいですか?」
もちろんいいよ、と僕は答える。
平日の午後には古刹の境内に人影はない。いかにも樹齢の永そうな松によって、参道は日差しが遮られている。
「なんとなく、さっきの竹林っぽいですね」
真砂子はプラネタリウムに感嘆する少女のような様子で松を見上げる。
苔むした石畳を滑らないように前に進み、本堂が全貌を見せた時、彼女は足を止めて僕の顔を凝視する。高校時代からすると、すっかり洗練された真砂子がすぐ目の前にいる。
僕は、突風に背中を押されるかのように、迷いなくその乾いた唇に自分の唇を押しつける。真砂子もいっさいためらわずに、僕の唇の中に舌を滑り込ませる。僕たちはそのまましばらく、お互いの舌をむさぼり合う。
真砂子の唇が十分に潤ったのを感じた瞬間、空気の質が変わったことに気づく。風が出てきて、執拗に松の葉を揺らしはじめる。やや遅れて、あの香りが立ちこめてくる。
女の顔を見ると、眼球のない瞳は青白く、物憂げな鈍い光を発している。
あな……
子猫のような湿っぽい甘えた声と吐息が、舌を介して僕の口に入ってくる。その声を力づくで塞ごうと、唇で
これ以上何も言わなくていい、と僕は心の中で力一杯叫ぶ。
限界を超えてしまった僕は、白い着物の
女は僕から唇を離し、蛇のように身をのけぞらす。
着物の間から、女の身体が露わになる。まるで死人のように青白い。
女の肌はみるみる生気を取り戻し、暖かくなっていく。甘くて繊細な和菓子のような、魅力的な肉体だ。着物に焚きしめられた
❷
すぐ外で小型バイクが停車する。
真砂子は僕の肩にやさしく手をあてがい、密着していた身体を離させる。それからトレンチコートの褄をきちんと合わせる。
「橋田さん、何も変わってないです」
真砂子の方が僕の胸に頬を埋めてくる。
「今でも、すごく好きです。あの面談の時、忘れていた気持ちがフラッシュバックしてきて、あれ以来、橋田さんのことばかり考えています」
彼女は涙をすする。それからもう1度、唇を求めてくる。さっきよりも強く、長く、僕たちはキスをする。
執拗な風の音と
❸
阪急嵐山駅前の広場には、タクシーが2台停まっているだけで、人の姿は見えない。真砂子は荒れ果てたロータリーの植え込みを見ながら苦笑いを浮かべる。
「長いことバスに揺られて京都駅に行くよりも正解だったって言ってくださいよ」
真砂子は広々と空いたシートに腰を下ろした後、そっと肩を寄せてくる。
「さすが、山野先生だ。何から何まで機転の利いた、いい判断だったよ」
真砂子は体を離して頬を膨らませる。
「だから、先生って呼ぶのは、もうやめにしてください」
列車は定刻通り14時58分に嵐山駅を出発する。
「楽しい時間もこれで終わりかあ。っていうか、なんで楽しい時間っていうのはこんなにあっという間なんだろう」
窓の外の風景を見ながら真砂子はつぶやく。外に広がるありふれた住宅地を眺めていると、嵯峨野での特別な世界からしだいに現実に引き戻されていくような気がしてくる。
「1日は長く感じられるのに、1年はあっという間なんですよね。時間なんて、過ぎてみれば、あっという間に感じられるんですよね」
真砂子は物憂げにつぶやく。
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