Scene19 復讐という名の愛
それにしても、待つことは、ほんとうにつろうございました。
それなのに、あなたさまは、訪ねて来てはくださいませんでした。わたくしは、長きにわたり、放置されたままでございました。その間、どれほどの地獄を味わわされたことか……
僕は、ここでどんな言葉を連ねたとしても、それを言い訳にするにはもはや時間が経ちすぎていることを十分に承知している。
今の僕にできることは、たったひとつ、彼女の恨み辛みを最後まで聞くことだ。
どうしてあなたさまは、初めてお会いしたあの日、わたくしに声をかけてくださったのでしょう? 最初からわたくしのことなど、構わずにおいてくださればよかったのに。
わたしくしはすべてを失うことになったのですよ。
ありふれた、幸せな生活すべてを。
あなたさまを死ぬほど恨みました。
とは申せ、恨めば恨むほど、忘れることができなくなるものなのです。
無理に
なんと無念なことか。
それゆえ、わたくしは、何も考えないようにいたしました。それでも、どうやっても、あなたさまのことを思い捨てることなどできなかったのです。
かといって、かの六条御息所さまのように、まさか物の怪になって取り憑くことなどいたしません。ただ、あなたさまがわたくしのことを覚えていてくださり、わたくしの元に訪ねてくださり、わたくしを受け容れ、抱いてくだされば、それでもう、ほんとうに十分だったのです。
風が静かになってきた。
遠くで鈴虫の鳴き声も聞こえる。
沈黙に耐えかねて顔を上げると、粗末な木で組まれた黒木の鳥居が建っていることに気づく。どこか不気味な雰囲気でもある。
君は、このまま伊勢に下ってしまうのか?
僕は聞く。
あなたさまはわたくしのことなど見ておられない。
風が止み、もう一段冷たさが増す。
とは申せ、今日あなたさまがここに訪ねてきてくださったのは、長年恨み続けてきたわたくしの魂の
まさか、このまま黙って伊勢に下るとでも思ってらっしゃるのですか?
君はいったい何を考えてるんだ?
わたくしのような一介の女房にさえ、伊勢の斎宮さまの
これまでわたくしには、どなたからもお声がかからなかったのですから。
だからといって、このまま消えていくなんて、できるはずがございません。
せっかくあなたさまがお見えになられたのです。
せめてあなた様の心の記録に残るような存在でいさせていただけませんか?
すでに君は僕の心の中にいるよ。
女はふっと笑う。ありとあらゆることを悟りきった笑いが、僕の心に乾いた風を吹きかける。
わたくしは、歴史に名を残すような身分などにはございません。
時の闇の中に葬り去られている人間でございます。
しかし、一方で、それは、つらすぎる現実でもございます。
私が生きていたことを証明してくださるのは、こうなってしまった以上、あなたさまを置いてほかにいらっしゃらないのです。
女はためらうことなく僕に近寄り、そっと両手で手を握ってきた。
その手は、意外にも、あたたかい。
青白く光る瞳からは、一粒の涙がこぼれた……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます