Scene11 失恋のあと

「ところで、夕薫ちゃん、どんな感じですか?」

 新幹線が再び動き出した時、真砂子は唐突に本題に入る。

「相変わらずだ。本当に難しいよ」

「つらいですよね、夕薫ちゃんも、それから、橋田さんも」

 真砂子はややあごを上げて、まっすぐ前を見つめる。車内の電光掲示板には各地の天気が順番に表示されている。京都は晴れのようだ。

「あれから、いろいろと私なりに考えてみたんですけど、やっぱり、最終的には、どう説得するかに尽きると思うんです。要は、大人の事情を本人に納得させられるかどうかなんですよね」

「同感だよ。でも、はたして、納得するのかね?」

 僕は真砂子の左耳辺りに向けて言う。その段になって、以前と比べて髪が伸びていることに気づく。ふわりとしたショートヘアは、今では耳元が隠れるほどにまでになっている。小さなピアスが、髪の毛の間から、ちらほらと揺れている。

「今はまだ、納得できないでしょうね。でも、そのうちできると思います。極端な話、10年後には、絶対に納得してるはずです」

 僕も前を見る。シートの上部には、前の乗客の白髪頭が少しだけ出ている。

「本当は、今でも分かってるんですよ。夕薫ちゃんは頭がいいから。でも、彼女には失いたくないものがあるんだと思います、推測ですけど。」

「失いたくないもの?」

「夕薫ちゃんはまさに思春期のまっただ中じゃないですか。だから、彼女なりに、どうしても手に入れたいものがあるはずなんです。でないと、あんなに一生懸命勉強しない」

 全くピンとこない。

「だから、一番まずいやり方は、有無を言わさず強引に熊本に連れて行くということだと思うんです。夕薫ちゃんの要求を叶えることはできないかもしれないけど、それでもしっかりと話し合うことが大切だと思います」

「思いを話すかね、あの子が?」

「でも、そういうアクションを起こすことは効きますよ。仮に何も話さないにしても、配慮は伝わりますから。やっぱり、人間って、ほっとかれるのがいちばんつらいんです。その部分は、たぶん、思春期であろうと大人であろうと、同じじゃないでしょうか」

 僕は目を閉じる。目を閉じずにはいられない。

「あ、ちょっと偉そうなこと言い過ぎましたかね?」

 真砂子は心配そうに声をかける。

「今の話はあくまで私の勝手な思い込みだし、夕薫ちゃんは、個人的に気にかけている生徒だから、余計な感情が入っちゃったかもしれません」

「いやいや、そこまで考えてもらって、本当にありがたいよ。それより、俺の方がいろいろと至らないところがあるなって、反省しきりだ」 

 思わず苦笑いがこみ上げてくる。

「あのぉ、橋田さん、あまり細かくは考えすぎないでくださいね」

「もちろん、分かってるよ。あの子の話をしっかり聴いてみるよ」

 真砂子は表情をゆっくりとほぐしながら、小さく、ひとつ、頷いた。


 新大阪駅では多くの乗客が降りたが、新たにそれ以上の乗客が乗り込んできた。それでもスーツ姿のサラリーマンの割合は確実に減ったようでもある。

 いよいよ次は、京都だ。

 新幹線が再び速度に乗った時、窓の外に建ち並ぶ部品メーカーの工場に目が行く。

この中で働く人たちも今の時期になると異動でそわそわするのだろうかと思わず想像してしまう。

 熊本に行ってしまえば、真砂子とも会えなくなるわけだ。

 もちろん、それは当たり前のことで、そこについて僕があれこれ思うことはできない。だが、真砂子との別れが、新幹線が進むに従って、少しずつ胸に刺さってきているのは紛れもない事実だ。彼女が、美しい瞳で、親身になって話を聞いてくれるものだから、完全に気を許してしまっている。もはや心の中はポカポカだ。真砂子なしでは生きていくのが不安なレベルになっている自己を自覚せざるを得ない。

 真砂子はたった今「ほっとかれるのがいちばんつらい」と言った。彼女は、僕と夕薫のことを決してほっといてはいない。

 かたや高校時代の僕は、結果的に真砂子をほっといた。僕は彼女の立場になって物事を考えることはなかった。あの時真砂子は、とてもつらかっただろうと今さらながらに思う。

 彼女は僕のいなくなった高校生活をどう過ごしたのだろう?

 放課後、1人でラグビー場を見つめていたのだろうか?

 それとも、ほかの誰かを好きになったのだろうか? 


 真砂子は、夕薫には失いたくないものがある、と言い切った。

 それは、僕も同じだ。

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