Scene8 お互いの事情

 その日は久々に申し分のない晴天だった。

 姫路駅中央口から、目の前に白くそびえる日航ホテルを見上げる。

 初めて姫路にやってきたその日、秋江とまだ小学生だった夕薫と3人でこのホテルに泊まったのを思い出す。マンションの契約が完了していなかったからだ。

 あれから7年も経つ。課長が言うように、そろそろ転勤のタイミングなのかもしれない。


 クローゼットから引っ張り出したノースフェイスのダウンジャケットにもひんやりとした風が入ってくる。腕時計に目を遣ると、あと2分で約束の9時30分になろうとしている。ちょうどその時、真砂子が出てくるのが見えた。


「すみません、中の待合で待ってました」

 彼女は慌てて歩み寄ってくる。光沢のあるベージュのトレンチコートに濃紺のジーンズ。ブーツの金具は陽光を反射させている。塾で会う時とは違う雰囲気だ。

 コートの下に着たタートルネックのセーターの胸元はしっかりと盛り上がっている。思わず、目をそらす。

「ひょっとして、待たせてしまったんじゃないですか?」

「全然。ちょうど、今来たとこだよ」

 真砂子は申し訳なさそうな表情を浮かべつつ、両手で髪をかき分ける。

「さて、じゃあ、行くとするか!」

 僕は駅舎の方へと踏み出す。彼女は僕の少し後ろをついてくる。高校生の時、2人で水族館へ行った時間にタイムスリップしたようだ。

 

「よかったです、いい天気で」

 ホームに上がり5号車の停止線の前に立った時、真砂子は空を見上げて息を吸い込む。大きく取られた窓からは、慣れ親しんだ姫路の街が一望できる。おなじみの山陽百貨店の看板の奥には商店街が長く伸び、突き当たりには朝日に照らされた姫路城が顔を出している。

 姫路は人情の香りがする町だ。個人的にはつらい想い出を残すことになったものの、町自体は心地のよいやすらげる場所だと感じている。

「そういえば、いつから姫路にいるの?」

 僕は聞く。

「今年で、3年目ですね」

「それまでは?」

「岡山で働いてました」

「やっぱり塾の講師だったわけ?」

「いえ、あの頃は受験情報誌を編集してました」

「なんで姫路に?」

 真砂子は、喉元にあめ玉を詰まらせたような顔をする。すると、ちょうど新幹線の到着を告げるアナウンスが流れ、キラキラと輝く「ひかり」の車体が姿を現す。


「私が姫路に来たのは、まあ、いろいろとがあってのことなんです」

 新幹線の速度が安定してきた頃になって、真砂子は続きを話しだす。火曜日の午前とあって周りの席はビジネスマンによって陣取られている。

「でも、ここへ来て正解でしたね。前の会社で得たノウハウとか人脈は十分に生かされてますし、何と言っても、デスクワークよりかは生徒と関わる方が自分には向いてるってはっきり分かりましたから」

 そのとは何だろうと詮索してみる。プライベートなことだろうか?

「橋田さんは、もちろんお仕事で来られてるんですよね?」

「そうだよ。もう7年も経つよ。早いもんだ」

「失礼ですけど、どんなお仕事をされてるんですか?」

「来て間もない頃は、産業用ロボットを製造販売してた。でも、日本のものづくりって、もう活力がないんだ。今はね、時代の先を見据えた、斬新な発想力が求められてるんだ」

「なんだか、カッコいいですね」

 真砂子は僕の方を向いて言い、さっき売店で買ったカフェオレに口をつける。

「いやいや、実際やるとなると大変だよ。とにかく時代の流れが速すぎる。それでね、うちの会社も、一昨年おととしだったか、大きな設備投資をすることになって、新たに生産管理システムの開発に乗り出したんだ」

「ますますカッコいいじゃないですか。私たちの業界では絶対聞かない単語がいっぱい出てくる。何ですか、セイサンカンリシステムって?」

 真砂子はカフェオレのふたを閉める。

「これからはいろんなモノがつながっていく時代になる。やろうと思えば、新幹線の運行管理だって、スマホでできるようになるんだ。ウチの会社が今取り組んでいるのは、工場内のロボットをインターネットで動かすためのネットワークの構築とデータ収集、それから、ソフトウエアそのものの開発だ。それらを人工知能で管理させて、より効率的に動かせるシステムにする」

「すごいですけど、それって、なんか、怖いですね」

「怖い?」

「だって、誰かに不正操作されたら、社会がストップするじゃないですか」

「そうだよ。だから、サイバーセキュリティシステムの導入も必須になる。ただ、すでにそういうことは多くの国の会社でやろうとしてるから、開発スピードと独自技術が大切になってくる。しかも、海外に出れば簡単に模倣されてしまうから、法による管理も必要だ。怖いのはむしろそっちの方だよ」

「私には及びもつきませんね」

 真砂子の目はどこかうれしそうでもある。

 僕はのど飴を口に入れ、真砂子にも差し出す。彼女は礼を言いながら、それをつまんで自分の口に入れる。

「橋田さんは、やっぱり優秀なんですね」

「べつに、優秀なんかじゃないよ。すごい人なら他にたくさんいる。俺なんか、至って平凡で困ってる。周りの人間に置いていかれないように毎日が精一杯だよ。なんだか、年々自信がなくなっていくような気もしてるし」

「絶対そんなことはないです。たぶん、他の人たちも橋田さんはすごいって思ってるはずです」

「買いかぶりすぎだ。しかも君は俺の仕事のできなさ加減を実際に見たことがない」

「見なくても分かりますよ。橋田さんは絶対にできる人です。ひょっとして周りからねたまれてるかもしれないですね」

 真砂子の確信に満ちた言いぶりに、僕は自然と浮かんだ苦笑いをかろうじて保持することしかできない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る