第2話ソラの記憶Ⅰ ~夜明け前にさよならを~
◇
もう何千年も昔のこと、この世界には人類と敵対する魔の存在があった。人類が持たない不思議な力を以て土地を焼き、水で責め、暴風と雷は人々を地図の片隅へと追いやった。我らを蹂躙せんとするその忌まわしき力を、人類は『魔力』と呼び、それによって事象を操作する『魔法』を扱う魔のモノ、すなわち『魔モノ』だ。
人類はそれでも戦おうと武具を取ったが、魔力による人世界の法則歪曲の前には為す術もなく、もはやこれまでと誰もが諦めた。
──しかし、そこに『神』が現れたのだ。
竜、獅子、大鷲、鯨、そして太陽と月の五つの年に産まれた星を持つ者に加護を与え、その子らが人を救うだろうと予言を残した。人々は藁にもすがる思いでそれを信じ、赤子が産まれるのを待った。
翌年、右肩に煌々と燃える竜に似た刻印が刻まれた赤子が産まれた。その瞳には空の星が映りこんでいた。また翌年には獅子、大鷲と次々に五人の予言の子は産まれ、人々は歓喜した。子供達は普通の人々よりも強い肉体と魔力を有していたのだ。
そして五人の刻印所持者によって、長かった戦争は終わり、人々に平穏をもたらしたのだった。
──しかし、霧散したはずだった魔モノの悪しき魔力が再び大きな渦を巻いているのが観測され、それを消し去る為に調査計画が立案されたのが二十年前。今年になってようやく予言の子が発見され初めて隊が作られ、こうして出向いてきた……はずだったのだが。
…………全ては聖女様をお迎えしてから変わってしまったのだと思う。腰にも届く白銀の髪に透き通るような白い肌、一際際立つ赤い瞳はおよそ穢れとは無縁のように思えた。歳の頃は十代もまだ半ばに差し掛かってはいないだろか。無機質にも見えるその表情はしかし、誰もを魅了するに足るものだった。
私はというと、その容姿は実に平凡だ。男の子みたいに短い黒髪は見た目に少し重たい印象を受けるし、他の人ほど顔に起伏がない。街に馴染むまでは薄い顔と笑われることも多かった。でも、孤児院の皆だけはこんな私の髪を、艶やかで綺麗だと言ってくれたから平気だった。
私は孤児だ。どこかに捨てられていたのを孤児院の先生が拾ってくれたお陰で辛うじて平民出ということになれただけで、刻印も持たない。
だが、何故だか人より魔力を扱えたのだ。地に祈れば麻の布服は矢を弾き、風に祈れば体は軽やかに動き剣もその重さをなくした。生憎と水の神様とはご縁がなかったようで癒しの力は終いぞ得られなかったが、ここで質素に生活していく分には十分であった。
この街には魔モノを狩って生計を立てる冒険者が度々訪れたから、孤児院の運営費用を稼ぐのに私は役に立てたのだ。
「おう、坊主! 今日も頼むぜ!」
宿屋の脇に小さなテーブルを置いて冒険サポート屋を構える私に、大柄な男がこれまた大きな声で話しかける。
「だーかーらー、私は『女』ですって!」
このスカートが見えないのか、と目を据わらせる。このオジサンとはもう結構な回数商売をしていたので、もはや顔馴染みと言えた。だから、このやり取りも毎度のことであった。
「ガッハハハハ! いつも通り面白い嬢ちゃんだな!」
「はいはい……。で、今日はどんな感じで?」
「ああ、ちと大型の魔モノが川辺に出てるらしくてな、守護と軽量化を俺とこいつの二人分頼むわ」
「二人分な上に二種類も?」
高くつきますよ、と微笑む。
孤児院の小さい兄弟達に新しい服を買ってやれるかも知れないと思うと、自然と口の端が持ち上がるものだ。
「念には念を、だ。様子見だから三十分も保てば良いぜ」
「分かりましたよー。でも気を付けて下さいね? 魔モノの力によってはその時間も保てないかも知れませんからね」
これは完全に感覚ではあるのだが、例えば一時間分を一〇〇として、補助魔法の八割分の威力の攻撃を一度に受ければ、結果維持時間は減少するといった感じだ。絶対的なもではない。
それを了承して貰って、銀貨二十枚を頂くと私は地と風の神にお祈りをして、二人に加護を施した。今日はツイているなと頬が緩んだ。
あの伝承戦争以後、魔力自体は僅かながら人類にも発現したようで、街に幾人かはこういった商売をしている者がいる。
しかし、私はどうやら規格外であったらしく、噂は風となって王国に知れることとなったのだ。
そして、そのせいで私は彼と出会ってしまった。あの『竜王子』と──。
◇
「──君がソラ?」
孤児院で小さな子達と文字のお勉強をしている時だった。暑い日だったので扉を開けっ放しにして風を入れていたのだが、そこに鎧姿の男性が立っていた。金色の髪が風に微かに揺れ、その眩しいほど鮮やかな青い瞳は冬溶けの水のような清涼感を放っている。私──ソラよりも幾分か歳上に見えたその男性は、もう一度声をかけてきた。
「君が、守護の力を持つソラかい?」
低く、それでいて穏やかな声音に思わず惚けてしまっていた。纏う空気すら別世界のようで、体は自然と平伏する。私達庶民とは違う生き物だと、本能が告げていた。
「かしこまらなくて良い。僕はフェンダー。君を迎えに来たんだから」
…………ダメだ、何を言われているのかさっぱり耳に入らない。声が良すぎるのだ。それに顔も良い。腰に手を当てがって立っているだけなのに一枚の絵画のようだ。
「おねえちゃん、口が開きっぱだよ!」
隣に座る小さい男の子が私の肩を揺さぶる。凄い。ヤバイ。語彙力も低下したようだ。ヨダレ、は大丈夫出てない。良かった。
それにしても、なんでこんな凄そうな人が孤児院に来たのだろう。彼に頼まれれば雑用でも何でも喜んで受けてしまいそうだ。私が。
「あ、あの、私なにかやってしまったのでしょうか……?」
迎えに来たということは、何かしら良からぬことをしてしまった可能性が高い。いや、決して身に覚えはないのだが、偉い人には逆らわない方が安全であろうと判断したのだ。
しかし、それを聞いた彼は一瞬目を丸くして、すぐに破顔した。
「いや、捕まえようということじゃないんだ。魔の大渦が観測されたのは知っているかな? それで今、調査隊が組まれているんだが、そこで君の噂を聞いてね。是非、僕らの力になって欲しいんだ」
彼は優雅な足取りで私達の前まで来ると、膝を付いて言った。これはまるで──絵本の王子様ではないか! 男の子みたいなこんな私だって年頃の女の子なのだ、ああいう夢物語に少なからず憧れがある。
そっと私の手を取ってくる。椅子に座る私よりも今は膝を付いている彼の方が視線は低く、見上げる青い瞳から目を逸らせない。
「で、でも……私はただの平民です。確かに多少魔力は扱えますが……」
着いて行きたいのはやまやまだが、所詮ただの娘だ。調査隊がどのような編成かは分からないが、王国から出ている以上それなりの階級の騎士達がいるかも知れない。
「身分などを気にしてるなら無用だ。実力があれば皆も納得するだろう」
とても真摯に語りかけてくる。
私なんかで本当にお役に立てるのか分からない。でも、こんなにも私を必要としてくれる彼の気持ちに応えたかった。
「私は、伝承の刻印所持者ではありませんよ……?」
この優しい彼と対等に並べ立てないのが、少しばかり悲しくて目を伏せる。
すると彼は、私の手を両の手の平で包み込んでこう言うのだ。
「前例がないのなら、君がその前例となれば良い。──もし君を悪く言う者がいるなら、僕が傍で必ず護ろう。どうか君の力を、僕に貸してくれないか」
恋に落ちるのは、至極簡単だった。
胸に滾る感情に逆らわなければ良いのだ。
私は、私を護ると言ってくれた彼に全てを委ねたいと思った。彼が必要とするなら、いくらでもこの力を彼の為に使おう。
…………まるで夢のような彼の言葉に、この時の私は酔いしれていたのだった。
◇
その夜のことだ。
私は孤児院の先生に、街を出たい旨を伝えた。自分の力を必要としてくれる人の元へ行きたいのだと、それは熱心に訴えた。もはや、それは熱病に等しかっただろう。先生は少し、眉をしかめていた。
「お前な…………」
対面に座った私は今にも先生に掴み掛からんばかりに身を乗り出している。
子供達を寝かしつけてから二時間がすでに経過していた。やはりというかなんというか、先生は盛大に反対であると唾を飛ばしていた。
「あの子達はどうする、皆お前を慕っているんだ。いなくなれば悲しがるに決まっているだろ。……それはお前自身をも傷付けるんだぞ」
それは当然私も考えてはいたが、目の前の甘露に抗えるはずもなく、例え罵られようとあの人に着いて行きたかった。まだ小さな子供達を見捨てるということは、かつて自分がされた悲しみをその子達にも強いるということだ。分かってはいるのだが、胸に灯った火を消すことが出来なかった。
その結果、私を苛むであろう痛みをも先生は心配してくれていたのだ。
早起きが苦手なルーシー、育ち盛りでご飯を沢山食べるトーマス、絵本を読まないと眠ってくれないカレン、みんなみんな、私の大切な兄弟だ。血の繋がりなんかなくったって大事な家族なのだ。
分かってる。
分かってるけど、でも…………。
「…………あの人の傍に行きたいんです…………お願いです…………」
涙が溢れる。でも、その涙は一体誰の為のものだろう。その答えは私にも分からない。
部屋に沈黙が降り積もっていく。その重さで体が押し潰されそうだ。
「…………とにかく、俺は反対だ。危険な道にわざわざお前を行かせる訳にはいかない」
「でも────!!」
「ソラ!!」
逃がさないとでも言うように大きな手が二の腕を締め付けてきて痛い。
びくり、と滅多に聞かない先生の怒鳴り声に肩が震えた。
無理矢理体を動かして腕を振り払うと、私は部屋へ逃げ出す。強く強く握られた腕はまだジンジンと痛み、見知らぬ顔を見せた先生が恐ろしいものに思えてしまっている。今までずっとお世話になってきたというのに、一時の恐怖感でこんな感情を覚えてしまうなんて…………なんて薄情な。
「…………それでも私は」
浅ましいなと、布団の中で一人ごちる。
陽はもうすぐ昇り初めるだろう。
────ようやく白み始めた空の境目に。
まだ人々の多くは夢の中だ。
街の入り口には馬車が二台。鎧の青年は荷台を背にして人を待つ。
果たして、影の伸びる先に私は立った。
私の全てを捧げても良いと思った。であれば、私は全てを捨てなければならないのだろう。貴方の為に。
「行こうか、ソラ」
「──はい、フェンダー様」
夜明け前の冷たい空に、二人の声は静かに染み込んでいって────。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます